「洋服のことですが、袖は焼け焦げてたしハサミで切らなくても、もう着れなかったですよね」


「えっ? 何だよ。雫、そんなことまだ気にしてたのか? あれは怜子が俺の誕生日にプレゼントしてくれたものだったし、俺には不釣り合いなブランド品だ。ハサミでジョキジョキするのは、もったいないなと思っただけだよ」


 そんなこと、言われなくてもわかっている。私にも無縁なブランド品だよ。


 切らなくても患部が出せたなら、脱がせていたけれど、中居さんの場合切らなければ脱がせることも出来なかったんだから。


「あの、さっきから気になってたんですが、雫って呼ぶのやめて貰えますか? 苗字で呼んで下さい」


 言いたいことを全部吐き出し、私は彼を睨みつけた。


「こわっ、呼び方なんて別にいいだろう。なあ吾郎。雫って、可愛い名前だし。それに……雫も可愛い顔してるし」


 彼は少し伸びた無精髭を左手で触りながら、ニヤッと笑った。名指しされた吾郎は困り果てた顔で無言を貫く。


「わしも、雫ちゃんがいいな。朝野さんだと舌を噛みそうになる」


「そーじゃ、雫ちゃんの方が呼びやすし、親しみがある」


 田川さんも山本さんも彼の提案に便上した。


 『困ります』という言葉を発する前に、彼がたたみかける。


「よし。おじいちゃん達もそう言ってるし、吾郎も賛成してるし! 雫で決定だな!」


「お、お、俺は何も言ってないですよう」


 吾郎は怯えたようにブルブルと首を振り、小声で否定した。


 ニヤニヤ笑ってる彼とニコニコ笑ってる患者さん達。病室の雰囲気は、当事者の私を除いてみんな意気投合している。


「もう、勝手にして下さいっ!」


 私はプイッと背を向けて、病室を出た。


 今日を含めたら、あと六日だ……。

 六日の辛抱だよ。


 プンプン怒りながら、ナースステーションへと戻った。


「雫、どうしたの? 顔が怒ってるよ。何かあった?」


 茜がカルテを整理しながら、驚いたように問いかけた。


「中居保を見ていたら、苛つくのよ」


「どうして? 彼、カッコイイし面白いし。病棟で一番のイケメンだよ。この病院の医師よりもイケメンだよ」


「どこがよ? 彼の担当を変えて欲しいくらいだわ」


「珍しいね。雫がさ、そんなに感情をむき出しにするなんて。雫、イケメンの毒牙にやられたの? 落ち着きなさい。これは、し、ご、と、し、ご、と。患者さんは体の自由が制限されてストレスが溜まっているんだからね。看護師は体だけではなく、精神面もケアしないと」


 茜は「ふふん」と鼻で笑いながら、私をたしなめる。


 茜のいうことは正論だ。『イケメンの毒牙!?』と、憤慨していた自分が急に恥ずかしくなった。


「私は……別に」


「雫って、いつも冷静で淡々と仕事こなしてるじゃない。一体どうしたの?」


「中居保にペースを乱されるのよ。生意気で俺様で、我慢出来ないの」


「それだけ? 一週間の入院でしょう。すぐに退院するわよ」


 茜にそう諭され、『その一週間が我慢出来ないんだってば』と、思わず叫びそうになったが、他の職員の手前、心の叫びをゴクンとのみ込んだ。


 ――午後、医師とともに病室を回診し、熱傷の被覆材を交換する。


 傷口は昨日よりも水泡を伴っていた。


「いってえー」


 治療は疼痛を伴うため、さすがの彼も悲鳴を上げた。

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