月の夜 1
3
【雫side】
静かな夜の街に、救急車のサイレンが鳴り響く。そのサイレンは都内にある橘総合病院の前で、静かに鳴りやんだ。
「ストレッチャーを早く回して!」
婦長に指示され、私は急いでストレッチャーの準備をする。救急車のドアが開き、看護師が一斉に患者に近付く。
患者は右腕火傷の若い男性。彼に近付くと少し焦げ臭いにおいがツンと鼻をついた。彼はずぶ濡れで、高級ブランドの黒いジャンパーを着ていたが、袖は焼け焦げ赤くただれた皮膚が見えた。
「いてぇ……」
くぐもるような声で呻きながら、彼は顔をしかめた。
「大丈夫ですか?」
声を掛けると、彼が私の顔をチラッと見て少し驚いたように目を見開いた。
「……いいねぇ」
彼は小さな声で呟くと、口角を引き上げニヤリと笑った。
な、なんなのよ。
気持ち悪いな。
それが、私の抱いた彼の第一印象。
「朝野さん何をしてるの。火災による熱傷よ、早く処置室へ!」
婦長に叱咤され、私はストレッチャーを押す。その間も『いてぇ……』と唸りながら、彼は私の方を何度もチラチラと見上げた。
嫌な感じ……。
たまに、いるのよ。
こんな患者……。
看護師を何だと思ってるの。
私はかなり不快だった。
◇
なんでだろう……。
ついてない。
思わず溜息が漏れた。
救急処置室へ入る。
火災現場での熱傷。
気道熱傷も疑われていたが、どうやらその心配はなさそうだ。
患部を確かめるために、衣服をまずハサミで切断し脱がせないと。直ぐさまハサミを手に取ると、彼が怪訝そうに私を見上げた。
「えっ? まさかハサミで切るのか? これ高級ブランドなんだけど。価値わかってる?」
だって、どうせ焼け焦げてるし。
ブランドだろうが、もう使い物にはならないよ。
私は彼の言葉を無視して、右袖にハサミをいれて洋服を脱がせた。
患部は疼痛を伴い赤くなり水疱ができていた。皮膚が乾いて白くなったり、皮膚の弾力が失われることもなく、深達性Ⅱ度熱傷ではなく浅達性Ⅱ度熱傷と診断された。
だが患部は広範囲にわたり腫れ上がり、赤くなり、強い痛みや水疱を伴っていたため、短期入院は必要となりそうだ。
医師の指示で患部を消毒し、被覆材を貼っていく。
「いってぇー。看護師さん、もっと優しくしてよ」
悲鳴を上げながら、彼が私をジッと睨みつけた。
熱傷の治療をしてるんだから、痛みを伴うに決まってる。
嫌な感じだな。
治療をしている医師や看護師を加害者みたいに睨み付け、被害者みたいな顔で見ないでよ。
「なあ、わざわざ服を切らなくても良かっただろ。自分で脱げたし」
熱傷で無理矢理洋服を脱げば、焼けただれた皮膚がズルリと剝けてしまう恐れもあった。
不満そうな彼の言葉を無視し、私は右腕に包帯を巻く。
「無視かよ。看護師さん、可愛い顔して冷たいなあ」
小馬鹿にしたような口調にカチンとした私は、無視を決め込む。
酔っ払いじゃあるまいし。
目も合わせたくないよ。
「右上腕の水泡が治まるまで、一週間ほど入院して下さい。朝野さん、中居さんを病棟へ案内して」
「はい」
医師の処置を終え、私は彼を入院病棟へ案内することになった。
深夜だったため他の患者さんは皆就寝し、病棟は静まり返っていた。廊下を移動中、彼が携帯電話で誰かに電話をかけていた。
その声が静かな廊下に、耳障りなほどに響く。
「あっ、俺、俺、一週間くらい入院だってさ。明日でいいから、着替えと入院の保証人頼むわ」
恋人かな?
奥さんかな?
なーんだ。
ちゃんと世話をしてくれる相手がいるんだ。
私は彼の会話を聞きながら、病室に案内する。空いているベッドは右側の窓際だ。
四人部屋で、同室の患者はもう眠っていたため、病室の中に静かに入った。
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