第34話 6月 新山さんの元カレ(7)


「一ノ瀬さん、俺のことだけ応援してくれる?」

「同じクラスだから応援するよ」

「……俺、嫌われるようなことした?」


 わたしの手首できゅっとリボンを作ったハル君と目が合う。


「嫌いじゃない。ただ今日はわたし、なんか変で」

「……へん?」


 こんなこと言っても意味ないのに。


「ハル君のその香水、似合わないなって」

「香水?」

「……うん。その香りは好きじゃないかも」


 不思議そうにわたしを見ていたハル君が、自分の体操着の匂いを嗅いで「ああ」と呟いた。だからやっぱりハル君の匂いじゃないのだと思った。その香りが移るくらい近くにいたのだと、考えて苦しくなった。


「一ノ瀬さん」

「何?」

「ちょっとだけ触るね」

「……え、え!?」


 言われた言葉の意味を理解するよりも早く、その手がわたしの頬を包んだ。俯いていた顔は強引に上を向かされて、ハル君と見つめ合うことになる。いったいどういう状況なのかと混乱するわたしを気にもせず、その顔が甘い笑みを浮かべた。


「可愛い」


 たった一言だった。驚いて目を見開いた時には、その手はもうわたしから離れていて、呆気にとられるしかなかった。あまりのことに身体がふらふらする。そう思ったわたしの背中を支えたのは、宣言通り戻ってきてくれた悠子だった。


「うちの緑に気安く触らないでくれる?」

「松本さんもう戻って来たんだ」

「青山君と坂上君はリレーの集合があるでしょう?早く行ったらどうかしら」

「そうだね、そうするよ」


 わたしを挟んで交わされる会話はどこか刺々しくも聞こえて、やっぱり二人はあまり気が合わないみたいだ。


「じゃあ一ノ瀬さん、行ってくるね」

「うん。えっと頑張ってね」


 いつものハル君だ。キラキラしたおひさまみたいに優しくて柔らかなハル君。さっきのはなんだったのだろう。結局新山さんとは付き合っているのかな。色々気になるし考えてしまうけれど、玲君と一緒に歩いて行くハル君の手首に結ばれた水色のリボンが、少しだけ心を軽くしてくれた。


「それで気づけた?自分の気持ち」

「……別になにもないよ」

「そう?」

「……うん」


 悠子や美紀に秘密を作りたいわけじゃない。ただまだ自分でも戸惑っているから。この想いを口にする勇気がない。


「私は緑に良い恋をして欲しいって思ってるから、そういう恋をした時は教えてよね」

「うん……そのうちね」


 今はまだ、恋と呼ぶことを躊躇っている。 



◇ ◇ ◇



 ハル君と玲君が参加したクラス対抗リレーは体育祭の中でも花形と呼べる種目の一つで、この時ばかりはほとんどの生徒が各クラスのスペースに集合して応援をする。わたしたちのクラスも今日一番の盛り上がりを見せる中、リレーの第四走者であるハル君が先頭を走る生徒を抜くと、歓声が一段と大きくなる。そしてトップに立ったハル君からバトンを受け取った最終走者の玲君が、普段のミステリアスな空気からは想像も出来ない速さでトラックを駆け抜けてゴールテープを切った。そんな玲君にハル君をはじめとするリレーメンバーの子たちが飛びつき、肩を寄せ合って喜んでいる。それからわたしたちの方へ大きく手を振った。




「おつかれー!」

「一位おめでとー!!」


 リレーに出ていた女子二人が戻って来ると、みんながハイタッチしながら出迎えた。それから少し遅れて戻って来た男の子たちの髪は、なぜか濡れていた。


「お前らなんで濡れてるの?」

「ハルが汗流したいって言うから、水泳部のシャワー借りてきた」

「なんだよ、俺も誘えよ!しかもちゃっかり着替えてんじゃん!」

「でもドライヤーないから自然乾燥」


 そう言って話すハル君たちのところへ、みんなが「おつかれー」と声をかけに行く。その様子を少し離れたところで見ていると、美紀にほっぺを突かれた。


「緑は行かないの?」

「盛り上がってるから、あとで声かけるよ」

「でもそれ、青山君と交換したんでしょ?」

「……え!?なんで!?」


 咄嗟に水色のハチマキが結ばれた手首を反対の手で隠すように握ってしまう。


「だって二人とも午前中とハチマキの位置変わってるし」

「それは、リレーのお守りみたいな感じで深い意味はないの」

「ふーん」

「本当に、本当だよ」

「大丈夫。誰にも言わないから。でもなんかあったら相談くらいはしてよ」

「うん。ありがとう」

「あ、こっち来るよ」

「え?」


 美紀の言葉に顔を上げると、クラスメイトの輪から抜け出してこちらへと歩いてくるハル君と目が合った。「あっち行ってるね」と言った美紀は、よっしーたちの方へと行ってしまう。


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