第27話 9月-③ ハル君と仮病(3)
「ハル君あの、手が」
掴まれた手は、傍から見れば“繋いでる”状態で、そのまま保健室から出ようとするハル君に私が戸惑うのは当然のことだ。
「手がどうしたの?」
「どうしたって、繋いでたらへんだよ」
保健室の扉を開ける直前で立ち止まってくれたハル君が、その手を離すことなくわたしを見る。
「一ノ瀬さんに言い忘れたことがあるんだけど」
その言葉を紡ぐ唇を見上げると、身長差があるはずのハル君との距離がいつもより近く感じる。手を繋いでいるせいだろうか。
「俺が一ノ瀬さんを嫌いになることはないよ。死んでもない」
「そう、なの?」
「うん。だから不安にならないで」
甘ったるくて優しくて、やっぱりこの人が好きだと思った。
「私もね、一生ないと思う」
「ん?」
「きっと傷つけられても、ハル君のことは嫌いにならない」
こんなこと伝えるべきじゃないのに。それでもそうやって見つめられると、わたしは熱に浮かされるように、あなたへの想いを上手に隠せなくなる。
触れて欲しい。口に出していない願望はどこかから伝わったのか、繋がれた手と反対の手が、わたしの頬に触れた。それからそっと撫でるように皮膚の上を滑り、人差し指がわたしの唇の感触を確かめるように優しく押した。
「一ノ瀬さん、キスでもしようか?」
なんでそんなこと聞くのだろう。
ハル君は悪魔だ。
「ハル君、好きな子いるんでしょう?」
近づいた唇は、あと何秒時間が過ぎれば触れるだろうか。
もしもわたしがお願いしたら、一度だけその唇に触れられるのだろうか。
でもきっと、それはわたしに惨めさしか残さない。
そして目の前のこの人の中には、思い出の一つとしても残らないだろう。
「好きな子いるのに、こういう冗談はよくないよ」
いつかハル君が恋焦がれる誰かとキスをしたとき、跡形もなく消えるようなわたしとのキスに、なんの意味があるのだろう。そんな思い出なら、初めからない方がいい。
「……戻ろうか」
そう言ったハル君の唇が、わたしに触れることなく離れていく。
いつの間にか絡まっていた指先も離れ、その手が保健室の扉を開けると、廊下から流れ込んできた乾いた空気が、わたしとハル君の切り離すみたいに通り抜けた。
友達だと思っていた。
友達になれたことを喜んだあの日のわたしは、こんな日が来るなんて知らなかったから。
ハル君を好きだと気づいたのは、夏が来る少し前。
それが恋だと知って、わたしはそれを隠すことを選んだ。
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