9月-③ ハル君と仮病
第25話 9月-③ ハル君と仮病(1)
「失礼します」
体調が悪いと言ったハル君を連れて保健室に入ると、養護教諭の美智子先生がパソコンから顔を上げて「あらどうしたの?」とわたしたちを見た。
「青山君が体調悪いみたいで」
「まあまあ、風邪かしら?熱はありそう?」
先生がわたしの後ろに立つハル君に問いかけると、「たぶん」とだけ返事がされる。
「それは大変ね。とりあえず奥のベッド使って」
「ありがとうございます。ハル君こっち」
ベッドに案内しようと制服の袖をそっと引っ張ると、ハル君も先生に「ありがとうございます」と頭を下げて、それからカーテンで区切られた先に並ぶ2台のベッドの手前側に腰を下ろした。
今日はずっと様子がおかしくて、いつもわからないハル君の感情がいつも以上に読めない。でも熱があったなら、朝からずっと無理をしていたのかもしれない。
「体温計取って来るね」
そう伝えて美智子先生のところに行くと、先生は「一ノ瀬さん、少し時間ある?」とわたしに聞いた。
「はい、大丈夫」
「申し訳ないんだけど、熱計ったら利用記録の書き方教えてあげてくれる?先生これから会議なの」
忙しそうに時計を確認しながら、机の上の書類とノートパソコンを抱える美智子先生に「わかりました」と返事をし、わたしはハル君の松ベッドへと戻る。「それじゃあ、お願いね」と先生が保健室から出ていく音がして、わたしとハル君の二人だけが残された。
「ハル君大丈夫?熱計れる?」
いつの間にかベッドに横になり布団の中へ入っていたハル君が、身体を動かしてわたしを見上げた。
「大丈夫?しんどい?」
いつもの優しい目とも、時々見せる不機嫌な目とも違う。どこかぼんやりとした、でも熱に浮かされていると言うよりは、その熱を失くしてしまったようなひんやりとした目が、ただわたしに向けられる。
その眼差しを遮りたいと思った。だから熱を確認するふりをして、その額に手を伸ばした。触れてもいいだろうか。
「熱、ないから」
額にかかる前髪に触れる寸前、わたしの邪な左手がハル君に掴まれた。触れることを制止された事実に、恥ずかしくて手を引っ込めようとするけれど、それを許さないようにぎゅっと掴まれる。
「えっと、熱まだ計ってないよ?」
「……」
「ハル君、手離して?」
もう勝手に触らないから。羞恥心で視線がどんどん落ちていくわたしの手が、ふっと解放される。心臓がバクバクと音を立てて、逃げ出したい。
そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、少し黙っていたハル君が溜息を一つ吐いてから、思わぬことを口にした。
「一ノ瀬さん、仮病って知ってる?」
「……え?」
きっと顔を上げたわたしの眉間には困惑の皺が寄っていただろう。
その原因であるクラスメイトはもそもそとベッドの中で身体を動かして、その背中をわたしに向けた。
今、仮病って言ったよね?
「ハル君、体調悪くないの?」
黙ったままスマホを触り始めた背中に、ふつふつと苛立ちが芽生える。
「私、心配したのに……何で嘘ついたの?」
苛立ちを隠せなくてきつくなった口調に、自分でも少し驚いた。なのにハル君から返された言葉はまたしても意味の分からないものだった。
「一ノ瀬さんのせい」
「え……わたし?なんで?」
「……」
「……ハル君、最近変だよ」
言いたくなかった本音が零れた直後、スマホを触っていた手を止めたハル君が起き上がり、そのひんやりとした瞳にわたしを映した。
「変ってどういう意味?」
「……よく分からないけど、急に怒ったり冷たくなったり、今だって嘘ついて。最近のハル君は何考えているかわからなくて、少し怖いよ」
夏休みが明けてから、わたしの中をぐるぐると巡り侵食していく、とめどない不安を口にしたら止まらなくなった。ハル君のちょっとした態度の変化に、嫌われたのかもしれないと、不安で不安で怖くなる。
「・・・一ノ瀬さんさ、本気でわからないの?」
「わたし何かした?ハル君に嫌われるようなことした?」
真っすぐに見つめ返せば、涙が込み上げてくる。
泣き顔を見せたいわけじゃないのに。
「ごめんなさい……ハル君が怒ってる理由が分からないの」
涙が零れ落ちないようにきゅっと唇を噛むと、ハル君が「一ノ瀬さん」とわたしを呼んだ。優しくて柔らかなハル君の声。
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