第20話 5月 誠人君の浮気相手(2)
だんだんと自分の中の感情が怒りなのか、苦しさなのかも判断出来なくなる。とにかく早く帰ろう。それだけ考えながら階段を下っていたわたしは、すれ違った人物に気づくのが遅れた。
「一ノ瀬さん?」
「え、ひゃっ」
呼ばれたと同時に腕を掴まれて、階段の途中でバランスを崩しそうになる。だけどその手がわたしを支えてくれて、ようやくその人を見ることができた。
「ごめん!大丈夫だった!?」
「青山君?」
同じクラスでわたしの前の席に座る彼の、こんな焦った表情は初めて見た。
でもどうして?
「階段上ってたら、一ノ瀬さんすごい勢いで下りてくるから」
「あ、ごめんなさい、ちょっと急いでて」
「何かあった?」
腕を掴まれたまま、覗かれそうになった顔を咄嗟に逸らす。
「大丈夫。本当に急いでただけで」
親切に声をかけてくれた青山君に対して、わたしの返事は素っ気なかったと思う。感じ悪いと思われたかもしれない。でも今はそんな余裕がなかった。
「ごめん、引き留めて」
青山君が腕を放すとき、何故かまた涙が込み上げてきた。
わたしは首を横に振ると、「また明日」とだけ伝えて、その場を後にした。
その日から、誠人君には「テスト勉強に集中したい」と伝えて連絡を取るのをやめた。実際すぐにテスト期間になり、休み時間に教室を行き来する生徒も減ったから、誠人君が顔を出しに来ることもなかった。
きっとわたしの態度に、誠人君も何かを察しただろう。
一度夜に電話がかかって来たけれど、それに出る勇気はなかった。
答えを出すことが怖かった。
ありがたかったのは、美紀と悠子があの日以来その話題には触れず、いつも通りに接してくれたこと。それから青山君も、事情を聞いてくることはなかった。
そうして迎えた中間テストの最終日、この息詰まるような関係に痺れを切らしたのは誠人君だった。
「みどりちゃん、彼氏来てるよ?」
全てのテストを終えて清々しい空気に包まれる教室で、クラスメイトがわたしにそれを伝えに来た。
教室の後方の扉を見ると、数日ぶりに見る誠人君の姿があった。
あの日以来、極力顔を合わせないように過ごしてきた。だけどもう逃げられない。その事実に、わたしは椅子から立ち上がることが出来なくなった。
「私が行ってくるから、緑はここにいな」
そう言った悠子の後に美紀もついていく。
わたしは誠人君の方を見ることも出来なくて、ただ黙って俯いていた。
ふと、自分の上に影が出来た。
不思議に思い顔を上げると、さっきまで前の席に座っていたはずの青山君が、わたしの隣に立っていた。その身体は悠子たちが歩いて行った方へ向けられていて、表情を見ることができない。
「教室入って来るっぽい」
急に青山君のそう呟いた。
一瞬何のことかと思ったけれど、すぐにそれが誠人くんを指すことに気づく。
どうしよう……こっちに来るってことだよね?
「一ノ瀬さんは、あいつに会いたくない?」
青山君はこちらを見ることなく聞く。
「ちょっと!まこちゃん!」
教室に響いた美紀の声に驚いて振り返った時、わたしはようやく彼がそこに立つ意味を理解した。
その背中がわたしを隠してくれている。わたしの視界に、誠人君が入らないようにしてくれている。
「わたし……」
こんなことを青山君に言っていいのだろうか。
頼っていいのだろうか。
「大丈夫。俺は一ノ瀬さんの味方だから」
背中しか見えないのに、優しい顔をしていることがわかった。
だから気づいたら「会いたくない」と口にしていた。
「じゃあ今日は、一緒にカラオケにでも行こうか」
こっちを振り向いた青山君は柔らかに包み込むような声でそう言うと、誠人君のもとへと歩いて行き、何か会話を交わした後で、二人一緒に教室の外に出て行った。
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