第15話 9月-③ ハル君と里中君(3)
前日よりも5分遅れて家を出たわたしはどうにかいつもの電車に間に合い、いつも通りの時刻に学校の最寄駅に着いた。改札を抜けると同じ制服の生徒が同じ方向へと歩いて行く。その中をわたしも早足で歩いていると、突然後ろから「一ノ瀬さん!」と呼びかけられた。
一瞬、その声が聞き間違いかと思った。
だけど絶対に聞き間違うわけのない声に、わたしは歩みを止めて振り返った。
「ハル君!」
自転車に乗ったハル君が、すぐにわたしの隣まで来て止まった。
「おはよう」
自転車に跨ったまま優しくそういったハル君に、朝から胸がいっぱいになる。
「おはよう。でもどうして?」
いつもHRギリギリで登校するわたしと違い、玲君と一緒に自転車で通学するハル君は、この時間ならもう教室にいるはずだ。それに今までこんな風に朝に会ったことはなかったから、通学のルートも違うと思っていた。
「コンビニ寄ってたら、一ノ瀬さんが見えたから」
そう言ったハル君の視線が、駅前のコンビニに向けられる。
「そうだったんだ。玲君は一緒じゃないの?」
「玲は先に行ってる」
「そっか。なんかすごくびっくりしちゃった。こんな風に会うの初めてだから」
ドキドキと高鳴る心臓を抑えながら、わたしはゆっくり息を吐いてから笑う。
そんなわたしを見下ろすハル君の目は、いつになく優しい。
「本当は、一ノ瀬さんのこと待ってたのかも」
「……え?」
「なんでもない。それより一ノ瀬さん乗って」
ハル君の言葉の意図が掴めずに戸惑うわたしを気にもせず、その手がぽんぽんと自転車の荷台を叩く。
「え、乗るって」
「早くしないと遅刻するよ?」
「あ、え、もうそんな時間!?」
「だから早く乗って?みんなも門で待ってるでしょ?」
その言葉に、今日も罰ゲームがあることを思い出す。
このままだと全員で遅刻に成りかねない。
「お、お願いします」
勢いよく頭を下げた後、わたしは意を決してハル君の後ろに乗った。
「一ノ瀬さん、大丈夫?」
「は、はい」
「もっと身体くっつけないと落ちるよ?」
「へ?ひゃっ」
目の前のカッターシャツを小さく掴んでいたわたしの腕をハル君が引っ張るから、後ろから抱きつくかたちになってしまう。
ハル君に抱きついてる!
ハル君と二人乗りしてる!
その事実だけでわたしの感情は爆発寸前の大渋滞で、途中でハル君にかけられた声にもまともに返事ができなかった。ただハル君が楽しそうに笑う声だけが風の中に聞こえて、今だけは自分が物語のヒロインになれた気分だった。
きっと距離を考えれば5分もない時間だ。
だけどわたしには映画のエンドロールのように長い時間に感じた。
この世界に二人しかいない。
そう思った矢先、前から聞きなれた声がした。
「あ!ハル戻ってきた!遅せーよ!」
よっしーの声に顔を覗かせると、門の前の彼らと目が合う。
「緑?」
「え、緑ちゃんも一緒?」
みんなが驚くのも当然だ。
「ハル君ありがとう。そろそろ降りるよ」
校門がもう目の前まで来ていたから、シャツをクイって引っ張って声をかける。だけどハル君の手が、もう一度わたしを引き寄せるように腕を強く引いた。
「このまま、掴まってて」
「え、ハル君!?」
抱きつくどころかしがみつくような態勢になり、慌てて戻ろうとするが、ハル君の手がそれを許さない。
一体どういうことかと混乱したのはわたしだけでなく、スピードを上げた自転車が校門を通り抜ける瞬間、そこにいた全員が目を丸くしていたのが見えた。
先生が、降りるように叫んだ気もする。
女子生徒がハル君の名前を口にした気もする。
でもわたしには全部届かなくて、
「一緒に登校するって約束だから」
一度後ろを振り返ってそう言ったハル君の声が、わたしの足先まで侵食するように響いた。
心臓が煩いくらいに鳴っている。きっとハル君にも伝わっているだろう。触れ合う身体が熱を帯びていることも、制服越しに届いているかもしれない。
二人しかいない。
二人だけで共有している。
熱と鼓動と、この瞬間を。
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