第5話  8月 ハル君と夏休み(3)

 前にもあった。

 どうしよう。嬉しくて息が止まる。


 上がる体温を隠したくて大きく笑うと、ハル君は「大したことじゃないよ」と言って困ったように笑う。それはハル君が時々する笑い方。ハル君の心は今どんな気持ちなのかな。


 どうしようもないことを考えようとするわたしを置いて、ハル君がみんなの待つレーンの方へと歩き出す。


「あ、コーラ!」


 気づいたら玲君と里中君のコーラもハル君の手の中だ。

 一体何本その手にあるのだろう。


「ハル君、わたしも持つよ!」


 慌てて追いかけるわたしよりも、脚の長いハル君のほうが到着はもちろん速い。


「お前ら一ノ瀬さんに金渡せよ」

「ハル君いいの!これはわたしの奢りだから」

「一ノ瀬さんはそういうことしなくていいから」

「でも、わたし本当にダメで」

「ただのゲームでそんな責任感じなくていいから」


 そう言ったハル君が玲君と里中君から素早くお金を回収してわたしに持ってくる。


「あの、じゃあわたしもオレンジジュースのお金」

「それはご褒美って言ったよね」


 なんだか今日のハル君は少し強引だ。

 でもその行動の全てが彼なりの優しさだと伝わってくるから、わたしは素直にお礼を口にした。きっと隣のわたしたちの会話が聞こえていて、失敗ばかりで里中君に怒られているのを不憫に思ったのだろう。それで励ましてくれたのかも。


 だってハル君はいつもそうだから。言葉は少ないけど、いつもさりげなく助けてくれて、優しくしてくれる。でもそれは特別なことじゃない。


「青山君ありがとーいくらだった?」

「澤村さんはいいよ。奢り」

「え、悪いよ!前も奢ってもらったし」

「じゃあ吉村に2本分もらうよ」

「俺には奢りじゃないのかーい!」


 背中越しに、美紀とよっしーとハル君の楽しそうな会話が聞こえてくる。


 ほら、ハル君は優しい。

 その優しさは、みんなに平等だ。


「緑ちゃん、大丈夫?」


 いつの間にか隣に居たらしい玲君が、わたしの顔を覗き込んでそう聞いた。だから、自分がさっきからずっと俯いていたことに気づく。


「あ、うん。ごめんね、ぼーっとしちゃって」

「いいよ。ハルが気になるんでしょう?」

「……え!?」

「あいつ色々わかりにくいから」

「いや、あの、別に」

「それより球の重さ変えてみる?」

「重さ?」


 突然降ってきたハル君の話題に、静かなパニックを起こすわたしを置いて、玲君はさっきとは違う色のボーリング球を差し出す。だから訳もわからぬまま受け取ると、確かに少し軽かった。


「軽くした分、勢いつけやすくなると思うから」

「……なるほど」

「あとは夏生君に投げるコツを教わって、次はたくさん倒せるよう頑張ろう」


 そう言った玲君の視線が里中君へと向けられる。

 夏生ナツキは里中君の下の名前だ。


「言っとくけど、俺に教わるからにはさっきよりも良い成績出さねーと許さないからな」


 1ゲームを3人でやってわかったことだけど、口では意地悪ばかり言う里中君だけど、本気でわたしを責めることはなくて、玲君と二人で毎回必ず「惜しい」とか「ドンマイ」とか声をかけてくれる。


「あの、二人ともありがとう!わたし優勝できるように頑張る!」


 そう。せっかくみんなで夏休みに集まってボーリングに来たのだから、ハル君のことで落ち込むのはやめよう。外がどれだけ雨でも関係ない。楽しむために来たのだから、楽しまないと損だ。


 ハル君から貰ったオレンジジュースだってあるんだもん。


「一ノ瀬はまずフォームが変なんだよ」

「フォームってどういうこと?」

「投げる時の姿勢って言うのかな。緑ちゃんは重心がこうなっちゃってて」

「そうそう。あと手の向き!これだとすぐガーターになる!」

「えっとじゃあ、こう?」

「こう!」


 玲君と里中君に挟まれて、フォームの特訓をしていると、悠子がゲーム再開の声をかけた。レーンの上のモニターが賑やかに動き出し、またわたしたちの名前がスコアに並ぶ。


 隣のレーンからは美紀がハル君とよっしーに声をかけるのが聞こえる。

 気にならない……と言ったら嘘になるけど、わたしは振り向かずに玲君たちと笑い続けた。ボーリングが終わったら、「楽しかったね」とハル君に声をかけよう。


「緑ちゃん、頑張って!」

「一ノ瀬、狙うのはあそこだからな!」

「わ、わかった」


 少し軽くなったオレンジ色の球を手に、わたしは勢いよく腕を振った。

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