第6話

  第6章・サトル



   プロローグ


「アイツが俺を紹介しなかった理由? そりゃお前、俺が前科持ちだからだよ」



     ♩



 アイツらと知り合った頃、オレは親父がやってる車の解体屋で働いていた。「解体屋」とは文字どおり、車をバラバラに解体し、金属を種類ごとに分類してクズ鉄屋に売ったり、まだ使えるパーツを再組立リビルドして売り買いする仕事をするための場所をさす言葉だ。知ってのとおり日本車はひじょうに性能が良く、海外からの評価も高い。だからこの仕事をしているとどうしても外国人の知り合いが多くなる。車はもちろん、パーツを手に入れ本国へ送り金を稼ぐため、奴らは「様々な手段」を使って日本へとやって来るのだ。おかげでオレは、かなりブロークンな英語と、アフリカン・イングリッシュにメキシカン・イングリッシュ、そして更にタイ語まで話せるようになった。外国人ヤツらのすごいところは、他社よそのパーツを、初見でいきなり別メーカーの車にポン付けしてしまうという点にある。どうもパッと見ただけで、「使える」、という事が本能的に分かるようなのだ。マニュアルありきの教育を受けて育った日本人にはあり得ない発想だ。

 バラしてクズ鉄屋に売るのに一番良いのはホンダ車だ。なぜならホンダ車はエンジン周りにアルミニウムをふんだんに使っているからだ。ホンダ車がどノーマルでもエンジンの性能を目一杯引き出せる理由の一つだ。反対に、もうこれ以上設計的に弄れる所がほとんどないというのが走り屋どもには不満らしいが、そんなのはオレの知ったところではない。どうせ同じ手間暇なら、より稼げるホンダ車の方がいいに決まっている。アイツらと初めて知り合った日、ついその事を口走ってしまったら歌祈の奴がえらく慌てだした。

「持ち主の許可なく解体したりはしないよ。それじゃ犯罪だ。解体するためには、まず陸運局へ行って一時抹消という登録を済まさなけりゃならないんだ、法律で決まってるんだ。とにかくお前の車を勝手に解体バラしたりなんかしないから心配するな」

 そう言ってもまだなお、歌祈は自分の愛車を心配し続けた。まったく女って生き物はどうしてこうも心配ばかりするのだろう。いらぬ気苦労を自ら望んで背負うなんて馬鹿のやる事だ。



     ♩



 オレは「あそこ」を出た後、迎えに来てくれた親父の車で一旦家に帰った。オレはその頃十八歳になっていた。

 家に着くと親父は、

「今夜一晩だけは家に置いてやる。が、明日からはもう親子じゃない。出て行け」と言い出した。そして次の日、オレは幾ばくかの金を握らされた後、本当に家から追い出された。着の身着のまま追い出されたオレは、食いつなぐために様々な仕事をこなして来た。住み込みで働ける水道屋、ガス屋、電気屋、できる事はなんでもこなして来た。

 幸いオレは人一倍強い肉体を持ってこの世に生を受けた。若い頃から常にエネルギーを持て余し続けていたオレは、それを発散させる手段としてドラムの演奏を選んだ。親父からは、

「うるさい! そんな物を叩いている暇があったらもっとサンドバッグを叩け!」と言われ続けたが、オレは構う事なくドラムを練習し続けた。親父は俺を日本人初のヘビー級の世界チャンピオンへと育てるために英才教育を施そうと企んでいた。しかしサンドバッグは、俺にとってドラムに飽きた時の浮気相手でしかなかった。オレの本妻はあくまでもドラムだった。

 オレを家から追い出した親父が、どこでどう調べたのかオレの住処を見つけてやって来たのは、田中からアイツらを紹介されるより半年ほど前、オレが二十五歳になってすぐの頃の事だった。

「サトルの過去はもう問わない。一緒に暮らそう」

 過去を問うもへったくれもない、そもそもオレが「あそこ」で一年もの間暮らす事になったのは、親父がオレに格闘技を仕込んだせいでもあるのだ。それが突然そんな事を言いにやって来たのだ。オレは当然の事のように親父を訝しく思った。ともあれ親父と共に家に帰ると、なんて事はない、親父は解体屋を始めていたのだった。オレを連れ戻しに来たのは、単に日本語の通じる働き手が絶対的に不足していて、困っていたからに過ぎない。

 何はともかく、オレは親父と共に働く事を選んだ。近くの空き地にカラオケボックスとして使われていた小屋が放置されたままになっているのを見つけ、オレは夜中にそれをトラックに積み込んで解体屋の中へと持ち込んだ。むろんそれをワンルームの部屋のようにして暮らすためだ。小屋の横に、ユニットバスその物を設置し、満点の星空の元に「露天風呂」を作った。水道屋で働いていた頃世話になっていた親方から都合してもらった物を利用したのだ。脱衣所のないユニットバスを、衝立で覆って最低限のプライバシーを守れるように配慮した。当時付き合っていた、飲み屋で働くタイ人の女が、オレの所へと転がり込んで来るなり強く要求してきたからだった。それさえなかったらオレは別に「露天風呂」のままでも良かったのだが、自分の女がバスタオル一枚羽織ったままの姿で、カラオケ小屋とむき出しのユニットバスとの間を行き来するのはあまりいい気分がしない。タイ人の女は、さらにキッチンも欲しいと言い出したため、オレは隣の倉庫の中にガスコンロと流しを用立ててやった。するとヴィンセントという名の料理が抜群に上手い黒人が、そこにベッドを持ち込んでそのまま寝泊まりするようになった。

 カラオケ小屋の中に、オレはドラムセットを設置した。パールのツーバスだった。そうこうするうちにかつての音楽仲間たちが、一人二人と解体屋へ遊びに来るようになった。うちに転がっているパーツや道具を使えば、メンテや修理やチューンナップが、格安で、ただし自己責任でできるからであった。さながらオレはマンガやら何やらによく出てくる便利屋のように皆から重宝された。「あそこ」で一年、そして更に六年、その間に音楽をやめちまった奴らがかつて愛用していた、マーシャルやオレンジやヴォックスやメサブギーのプリメインアンプがカラオケ小屋に持ち込まれた、むろん車をタダ同然で見てやったり、生活する上での様々なトラブルを解決してやった礼としてだ。音楽をやめる気など更々なかった俺にとって、それは非常に有難い置き土産となった。「あそこ」での一年間は、オレにドラムの演奏を許してくれなかった。音楽を鑑賞する機会さえまともに与えられなかった。あったとしても慰問に訪れた三流アイドルの耳が腐りそうな歌謡曲ばかりだった。音楽をやりたくてもできなかったあの頃の苦い思い出が、オレを貪欲にしていたのだ。元がカラオケボックスだった事もあり、深夜までドラムを叩いても近所の住民たちから苦情が来る事は一切なかった。

 オレが「空白の七年間」を過ごしている間に楽器屋を始めていた田中から連絡がきたのは、そんなある日の事だった。

「面白いガキが三人いる。みんなギターの演奏が抜群に上手いんだ。唄の上手い女の子もいる。まるで昔の育美みたいにきれいな声をしてるんだ。あの時の事を、オレも育美も恨んでいない。あれはお前の落ち度じゃないんだ。無理に責任を背負い過ぎるな。とりあえずそっちへ行くように話したから相手してやってくれ」

 言われたとおり、その四人をカラオケ小屋へと案内してやった。すると新矢が「叩いてもいいですか?」と言ってドラムを叩きだした。それを見た歌祈が、

「新矢君ってドラムも叩けるんだ。すごいね」と、ピッチャーをやっている彼氏をヨイショする弱小野球部のマネージャーのような台詞を口にした。が、オレに言わせればその音は、一発ごとにムラがあり過ぎてとても聴けたものではなかった。

「どきな」

 オレは即興のドラムソロを演奏してみせた。すると全員、口をポカンと開けたまましばらく押し黙った。

「てゆーかマスター、なんでこんなすごい人の事を今まで紹介してくれなかったんだ?」

 しばらくすると一将がそう言い出した。

「アイツが俺を紹介しなかった理由? そりゃお前、俺が前科持ちだからだよ」

 オレがそう言うと、その一将という男は、

「すげえ! 前科? 前科ならこいつにもあるぜ! 警察の取り調べ室でカツ丼を食ったという前科が!」

 と言い出した。どうやらそのネタは三人の間ではお約束らしく、

「取り調べ室じゃねぇ! 署長室だ! だいたいてめーだってエアガンで女の子を襲ったじゃねーか!」

 新矢が一将の頭を平手で叩いた。ガキの頃の悪さをネタにしているのは明白だった。しかし様子を見る分にはそんなに大した悪さではなさそうだ。一将も少しは喧嘩慣れしている風に見えたが、所詮、喧嘩は喧嘩、格闘技とはまるで別物だ。

「ところでこの小屋ってカラオケボックスですよね?」

 歌祈がそのさして音量が大きいわけでもないのにやたらとよく通るマイク乗りの良さそうな声で尋ねてきた。

「スタジオってこれの事?」

 オレは田中がこの四人を寄越してきた理由を理解した。

「お前はまだ二十五歳だ、今ならまだやり直せる、これを最後のチャンスだと思ってコイツらと一緒にメジャーを目指せ! お前ならできるはずだ!」

 きっと田中アイツはそう思っているのに違いない。周りから音楽をやる奴がいなくなり、その頃オレは退屈していた。聞けば「いるかロックグランプリ」なる催しもあるらしい。それまでの間ぐらいなら、このガキどもの面倒を見てやるのも悪くはない。育美が声を失ったのはオレのせいだ、そのせめてもの罪滅ぼしの意味で、田中の話に乗ってやる事もまた悪くはない。…あの頃のオレには、メジャーをめざす気は正直なかった。オレがいればそのバンドの看板に傷がつく。だから「いるかロックグランプリ」が終わるまでは支えてやってもいい、しかしそこから先はお前たちだけでやっていけ。…決して口には出さなかったが、オレは腹の底でそう考えていた。これが当時の偽らざる本当の気持ちだった。そしてもちろん、この思いは最終的には覆される事になった。


 …オレがこの手記で言いたいのはこれだけだ…。

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