第4話

  第4章・雪光



   プロローグ


 …これがもともと僕ら三人だけだった「ギターショップ」が、ついに現在の形へと変貌する、その兆しが見えてきた瞬間であった…。



     ♩



 幼馴染である三人の中で、一番最後にギターを手にしたのは僕だった。

 僕には最初、音楽をやる気はなかった、聴くだけでじゅうぶん満足だったからだ。いずれ一将と新矢は音楽の方向へと進み、僕一人だけが取り残されて行くだろうと思っていたのだ。しかし一将のエキセントリックでサイケデリックなギターの音色には、ある種の麻薬のような力があった。鼓膜を通過して細胞の中へと忍び込み、僕の身体に「もうそれなしでは生きていけない」と叫ばせる何かが。しかしだからといってそれが「本物の麻薬」のように僕の身体を蝕むわけではない。そんな謂わば「パーフェクト・ドラック」が欲しいのなら、今ならまだ間に合う、少し前を走っている一将と新矢を追いかけるのも良いのではないか? そう思い始めていたある日、天使は突然僕に微笑んだ。僕の兄が「ほらよ」とギターを持って来てくれたのだ。

「お前も本当はやりたいんだろ?」

 それこそまるで麻薬を進める悪友のような台詞であった。

「ギブソンのレスポール。知り合いから安く売って貰ったんだ。形が武骨でネックも太いから弾きにくい、それに重たいから弾きこなすには少々体力も必要らしい。でもその分パワーがあるから音が伸びる男性的なエレキギターなんだと。どうせやるなら最初からいい物を持った方がいいよ。金は、高校になったらバイトでもして返せ。いつでもいい」

 形が武骨と聞く割には、まるで僕を知り尽くしているかのようにレスポールはピタリと身体に吸い付いてきた。そしてそれを手にした瞬間、「これしかない」という衝撃が僕の身体の中を雷のように駆け巡った。

 三人の中でもっとも後進になった僕は、だからこそギターの習得に総力を注いで二人の背中を追いかけた。ところが皮肉な事に、三人の中で一番最初に作曲をしたのは他でもない、この僕だった。音楽の神様とサンタクロースが、名曲「ハートエイク」のメロディーをプレゼントしてくれるまでに起きた様々な出来事をまず始めに書き記そうと、僕は思う。



 僕ら三人が初めて人前での演奏を経験したのは中学二年の秋、学校の文化祭の時の事だった。

 演奏する曲がギターのインストルメンタル曲、それも洋楽ばかりという僕らの出演が承認を得るまでには少々時間がかかった。「歌謡曲とか邦楽とか、もっと分かり易い曲にして欲しい」という反対意見が多数を占めていたからである。ほとんどの者が、「音楽が好きだ」と言っておきながら実際にはボーカルしか聴いていないし、楽器の上手い下手なんて全く分かっていない、「全部のパートを同時に聴くのが本当の聴き方だ」なんて言っても、恐らくその言葉は外国語のように右の耳から左の耳へとすり抜けていっているのだろう(職業柄、一般の人から、"どうすれば楽器の上手い下手が分かるようになるのか教えてください"と聞かれる事がままあるが、僕はそういう時、決まってこう答える事にしている。"誰かがこのバンドはギターが上手いだのドラムが上手いだのと言ったなら、取りあえずはそういう耳で聞いてみる事ですよ"、と)。ともあれ、その反対意見を躱すために、僕は折衷案を出したのであった。

「それなら洋楽のインストはやめにする、その代わり邦楽のインストをやらせて欲しい」、と。

 話し合いが終わった後、

「危なかったな」

 教室を出ると一将がひとりごとのように呟いた。新矢もすぐに同意した。

「ああ、危なかった。下手したら俺たち三人の出番はなかったかも知れない。さすが雪光、いざって時に一番頼れるのはやっぱお前だよ」

「あんなの別に危なくもなんともないよ、ああいう時はまず先にこちらが譲歩する事だよ。そうすればあちらも譲歩してくれる。それが話し合いの常道さ」

 澄ました声で僕は答えた。

「でもさ、もしここでオレたちの参加が認められてなかったなら、雪光の計画だってパーだったんだぜ」

 実はその頃、僕にはものすごく好きだった女の子がいた。学年でも一・二を争うような美少女だった。名前は市川美樹。彼女の誕生日が学園祭の日と同じだった事にかこつけて、僕は「ぜひ見に来て欲しいんだ」と以前から自分をアピールしていた。…演奏が終わったら誕生日プレゼントを渡す気でいたからだ。一将の言う計画とは、つまりその事であった。

「悔しいけど雪光は背も高いしイケメンだし、市川とだったらお似合いなんじゃないの。まあとにかく頑張ろうぜ」

「ところでさっき言ってた"邦楽のインスト"って、『シャムシェイド』の事だよな?」

 新矢にそう言われ、僕は「もちろん」と答えた。

 僕は以前から「シャムシェイド」という邦楽のロックバンドが非常に好きだった。世間的には「1/3の純情な感情」というシングル曲のせいでひどく誤認され過小評価され過ぎている不遇なロックバンドだ。シングル曲を2、3聞きかじった程度で何もかも全てを分かったかのような気になり、"似たような曲ばかりだ"と吐き捨てる、というのがシャムシェイドへの過小評価の典型的なパターンの一つだった。だがしかし、これこそがまさに、新矢がよく口にする「勝手に答えを作って分かった気になっているだけだ」という言葉の典型的な例といえよう。…事実、「シャムシェイド」は、メンバー全員が超絶的な演奏テクニックを持っている非常にレベルの高いバンドだからだ。

「シャムシェイド」をろくに聴いた事もないくせにナメきった事ばかり言う知人に、"洋楽だ"と嘘をついて英語で歌唱されているシャムシェイドのハードコア調のアルバム曲、「JUMPING JUNKIE」を聴かせた事があった。その知人は僕の計略にまんまと騙され"洋楽"という嘘を完全に信じ切ってしまった。その後当初の計画どおり、「実はこれも『シャムシェイド』の曲なんだ」と種明かしをしたのだが、むしろ逆になかなか信じて貰えなかった。…むろん最終的には信じてくれたのだが、ここまで策を弄しないと正しく評価して貰えないバンドも珍しいのではないのだろうか? ちなみに、海外で初めてトリビュートアルバムが制作された邦楽のロックバンドの名が「シャムシェイド」である事は日本ではあまり知られていない。また、日本人で初めてG3のステージに立ち、あのスティーヴン・ヴァイと共演したギタリストの名が「シャムシェイド」のDaitaである事もまた日本ではあまり知られていない。

 …例えばの話、自分が興味を持っていない競技でも、日本人がオリンピックで金メダルを取ったら嬉しいと思うのが普通の反応なのではないだろうか?

 …同じ日本人として、音楽では二十年遅れていると言われている日本のミュージャンが世界で高く評価されている事を嬉しくは思わないのだろうか?

 なお、テクニカル系ギタリストとしては日本最高峰と言っても良いDaitaの超絶的な演奏テクニックと対等に渡り合えるだけの神の腕を持つ男の名を、僕はもう一人だけ知っている。

 …一将だ。

 一将には、Daitaと同じように複雑な変拍子を難なく弾きこなせるだけの技量があった。タッピングも非常に冴えているし、何より彼の出す音色はサイケデリックかつエキセントリックだった。なお、一将の音が特徴的な事について、マスターはこのような見解を示していた。曰く…。

「ひと言で言うなら、弦を逆さまにして張ってるからだよ。これはジミヘンにも言える事なんだけど、逆さまに張ってるせいで、ペグとナットの距離が通常とは変わってしまった、結果、音の鳴り方も変化してしまったのさ。それにポールピースも、本来それぞれの弦にちょうど良いように出力や弦との距離をメーカーで微調整しているのに、それをまるきり無視して逆さに張ってもいるし。更に言うとリアのピックアップだって通常とは向きが逆さまだ。これだけ条件が違えば鳴り方が変わるのも当然だよ」、と。更にマスターはこうも付け加えていた。

「知ってるかい? ジミヘンの音はそのまま再現するとレコードの針が飛んで壊れちまうという理由から、意図的に音域をせばめてレコーディングされているんだよ。でも現代の技術ならその心配はない、言うまでもなくデジタル化されてるからだ。したがって一将の音を意図的にパワーダウンさせて録音する必要もない。時代がジミヘンのやり方にようやく追いついたんだよ」

 …ともあれ、僕は二人にお願いして、僕ら三人のレパートリーの中に「シャムシェイド 」のインスト曲を入れて貰っていた。曲名は、「Virtuoso」「Solomon's seal」そして「Triptych」の三曲。この曲をステージで演奏すれば、「あれは誰の曲なの?」と興味を持つ者が現れるかも知れない、そして「シャムシェイド」への偏見は薄れ正当な評価をする人の数も少しは増えるかもしれない、…という淡い期待が僕の中にあった。

「とりあえず、学校も終わったしマスターの所行こうぜ! 『電話ボックス』で練習だ」

 一将は、僕ら三人が生まれ育った団地のアーケードにある楽器屋「ギターショップ」の中にあるただひと部屋だけのスタジオを「電話ボックス」と呼称していた。電話ボックスとは、言うまでもなく最近ではあまり見られなくなった公衆電話用のガラス張りの個室の事だ。そう呼ばれても仕方がないぐらいそのひと部屋だけのスタジオは狭かったのだが、僕ら三人は当時はまだ中学生で、もっと広いスタジオを借りられるだけのお金がなかった。「ギターショップ」の店長は、そんな僕ら三人だけに好意で安く貸してくれていたのだ。したがって本来なら「電話ボックス」などという失礼な呼び名をつけるべきではないのだが、口の悪い一将にそれは無理な相談だった。そもそもその楽器屋は、スタジオを室内に取り入れられるよう設計されていなかった。その楽器屋は最初模型店として営業していた、それが店主の老齢を理由に閉店した後、新しく開業してできたのだ、…つまり、そもそも設計の時点で店内が防音されていなかったのだ。どうにか機能していたのは、ただスタジオがひと部屋のみかつ狭いため、ごまかしが効いていたからに過ぎない。

 楽器屋「ギターショップ」に着くと、店内からマスターの恋人、育美いくみさんが現れた。育美さんは声を出す事ができない。当時はまだ詳しい理由を知らずにいたのだが、声帯を裂傷した過去があったからだ。彼女は常にその白く細い喉をハンカチーフに包み込んでいた。むろん傷痕を隠すためだ。

「マスターは?」

 一将が聞くと育美さんは手話で「商工会議所へ行った」と答えた。手話には大きく分けて二種類ある。一般的に知られているのは様々なジェスチャーに、単語のように意味を持たせて意思表示をするタイプだ、そしてもう一つは、一つ一つのハンドサインに、「あ・い・う・え・お」の音を当てて意思表示するタイプだ。僕ら三人は、この比較的シンプルな後者の手話を完璧にマスターしていた。

 勝手知ったる常連客である僕らは、育美さんに料金を支払うとすぐさま「電話ボックス」の中へ入った。新矢がDTMに打ち込まれているドラムの音を再生する準備を始める。更にアンプとエレキギターおよびベースギターをシールドで繋ぎ、三人共にギターの調律をチェックした。そして新矢がドラムの音を再生すると、いつもどおり僕らにとっての準備体操の曲であるジェフ・ベックのインスト曲「ギターショップ」の演奏を始めた。更にシャムシェイドの「Virtuoso」「Solomon's seal」「Triptych」の三曲を、最初から申し合わせていたかのように練習し始めた。

 スタジオから出てくると、商工会議所から帰ってきたマスターが、「よっ」と声をかけてくれた。育美さんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、僕らは中学の文化祭で人生初のステージに立つ機会を得た事をマスターに報告した。

「そうか、ついにお前ら『ギターショップ』も公式戦デビューだな」

 マスターは、まるで成長した我が子を見るかのような笑顔を浮かべた。

「言っとくけど、バンドの『ギターショップ』って名前はあくまでもジェフ・ベックの曲から取ってるんだからな。だいたいギター売ってる店に『ギターショップ』って名前を付けるなんて一体どんだけセンスがねぇんだよ。捻りなさすぎ。ダサい!」

 一将がいつもどおりの悪態を吐く。本当はこの店の名前がそのものずばり「ギターショップ」だから、それを僕らのバンド名としても使っているのだが、マスターに対してだけはあくまでも「ジェフ・ベックの曲から取った」と公言していた。僕ら三人はこの店から多大なる恩恵を受けて育ってきた。電話ボックスを格安で使わせて貰っている事はもちろん、音楽の相談事はすべて必ず、まずはマスターに持ちかけていた。入手困難な海外のミュージャンの楽譜も、欲しいと言えばいつも必ず、どこからともなく持って来てくれた。…一将の悪態は、要するに照れ隠しなのだ。

 この店は僕らが小学六年生の時、開業した。入り口の窓ガラスの内側に貼ってあるジミヘンのポスターを見た一将が、「ちょっとこの店寄ってみないか?」と持ちかけた事が僕ら三人の運命を変えたのだ。生まれつき左利きであった一将が、ジミヘンのように右利き用のギターをレフティーで練習し始めてからしばらくすると、新矢はベースギターを手に取った。そして僕も兄からギブソンのレスポールを貸してもらうと、今度は三人で音を重ねてみたいという欲求が生まれてきた。僕たち三人は、幸いな事に皆ギターを演奏する才能に恵まれていた。いざやり始めて見ると、日本の歌謡曲のような物は、僕たちにとってあまりも簡単すぎてみるみる刺激が足りなくなっていった。そして、難しい物を演奏したいという欲求を満たそうと思うと、どうしても海外の曲に目が行ってしまう。そんな僕らのわがままを、マスターはいつも嫌な顔一つせずに受け入れてくれていたのだ。

 当時すでに難易度の高い曲をマスターしていた僕らだったが、三人ともに実は唄が非常に下手だった。

「構うもんか!」

 と一将は言った。

「オレたち三人だけ、インスト曲だけで突っ走ろうぜ!」

 ボーカルを伴うポピュラー音楽はやらない、それがリーダーである一将の結論であり美学だった。そしてそのスタイルをそのまま学園祭で貫こうとした。結果、委員会で「あまりみんなが聴かないような洋楽や難しい曲はやらないで欲しい」と言われ、そこで僕が出した折衷案が、「邦楽のインスト曲」だったというわけだ。そして邦楽の難しいインスト曲となるとまず始めに浮かぶのは「シャムシェイド」しかなく、一将も新矢も、僕がそう思っている事を見抜いていたのだ。…別の言い方をするなら、僕は委員会の「難しい曲はやらないで欲しい」という要求を呑んだフリをして欺き、「シャムシェイドの超絶的に難しいインスト曲」という切り札を隠し通したまま、まんまと自分たちの要望を認めさせたのだ。頭のお固い生徒会の連中も、お固いからこそいざ決まってしまえば反対意見は言わないはず。僕らは学園祭当日まで、電話ボックスの中で「シャムシェイド」の三曲だけをひたすら練習し続けた。

 失敗は絶対に許されなかった。



 本番当日、僕らがステージに立つと、最前列に市川美樹が来てくれているのが見て取れた。約束どおり目の前に来てくれたのだ。

 演目である、「Virtuoso」「Solomon's seal」そして「Triptych」。新矢とマスターがDTMに打ち込んでくれたドラムの音と、それに合わせて育美さんに演奏してもらって録音したキーボードの音を後ろで流しながら、僕ら三人はほとんどノンミスでプレイした。演奏が終わると、しばらくの間、まるでクラシックのコンサートのように会場が完璧な無音に包まれた。全員の表情が呆然としているのがステージから見て取れた。手応えは十分だった。恐らく皆、どう反応していいのかすら分からなかったのだろう、拍手の音が鳴り出すまでにはだいぶ時間がかかった。そして、何を隠そう、一番最初に拍手してくれたのは市川美樹そのひとであった。彼女は満面の笑みで僕を見つめてくれていた。僕は学園祭が終わった後、用意していたセサミストリートのぬいぐるみをプレゼントした。彼女はひじょうに喜んでくれた。

 次の日学校へ行くと、後ろから声をかけられた。

「おいジミヘン!」

 振り向くと、昨日の学園祭でトリを務めた三年生たちが立っていた。

「他の二人もそうだけど、昨日めちゃくちゃ上手かったな。俺も『シャムシェイド』は好きなんだ。だから分かるんだけどあんなに難しいのをノンミスでやるなんてハンパじゃねぇよ。お前らならきっとプロになれるよ。頑張りな」

「ありがとうございます」

 僕らは丁寧にお辞儀をした。…もちろんそれ以降も僕らは楽器の練習を欠かさなかった。

 僕は時間を見つけては市川美樹に話しかけた。しかし僕の方から話しかける事はあっても、彼女から話しかけてくれる事は一切なかった。

 学園祭の時、一番最初に拍手してくれたのは何だったのだろう?

 ただの社交辞令だったのだろうか?

 僕は悩みながら毎日を過ごした。やがて僕の誕生日である十二月二十四日がやって来た。

 誕生日の前日、僕は彼女に電話をかけた。

「明日、会えないかな? クリスマスプレゼント買ったんだ。僕ね、実は明日誕生日なんだ。いや、別に僕もプレゼントが欲しいとか催促するわけじゃないんだけど、どうしても明日話したい事があるんだ。だから東の原駅の前の改札で、17時に待ち合わせたい。来てくれるよね?」

「うん」

 と言って彼女は電話を切った。

 明日、自分の誕生日に市川へ告白する気でいる事を、僕は「ギターショップ」の店内で二人に告げた。「邪魔はしないよ。頑張りな」と一将は言ってくれた。

 当日、改札前のベンチに座って、ロータリーの中心に飾られたクリスマス・ツリーの電飾がキラキラ輝いているのを眺めながら市川を待った。とおり過ぎる車や、電車が来るたび乗り降りする人々を見ながら、ひたすら僕は待った。しかし、待てど暮らせど彼女はやって来てはくれなかった。

 18時まで待った後、駅の公衆電話から市川美樹に電話をしてみた(当時はまだケータイなんてごく一部の中学生しか持ってなかった、つまり公衆電話はまだマストなアイテムだったのだ、そして、友達や好きな女の子の家の電話番号は暗記している事が当たり前の時代でもあったのだ。ともあれ…)。彼女の答えは、「ごめん、やっぱり行けない」だった。

「昨日来てくれるって言ってたじゃん」

「うん。一度はそう言ったけど、でも、やっぱり行けない。ごめんなさい」

 後になって告白される可能性に気づいて、それで来てくれなかったの? 

 そうだとしても約束は約束、ちゃんと守るべきじゃないの?

 あの時の一番最初の拍手は何だったの? 

 満面の笑みで見つめてくれてたじゃない?

 どうして思わせぶりな事をするの?

 僕は改札前のベンチで、人目を憚らず泣いてしまった。しばらくしてからもう一度公衆電話に向かった。新矢に電話するためだった。しかし電話に出たのは妹の麻美ちゃんだった。

「新矢兄ちゃんならまだ帰ってないよ」

 それが麻美ちゃんの返事だった。一将に電話しようかとも思ったが、その時の自分に一将のギラギラした性格は少し重く感じられる気がして、やはり電話はやめることにした。もう家に帰ろうかと考えた時、

「雪光!」

 新矢が駆けつけて来た。

「やっぱりいた。麻美が電話切った直後なんだよ、俺が家に着いたの。で、ほら、昨日駅前で市川と待ち合わせてるって話してたから、もしかしてダメだったのかなぁと思ってすぐにまた家を出たんだ…」

 新矢はしばらく息を整えた後、

「…ところでどうなったの、市川」

 と尋ねてきた。

「来てくれなかったんだ」

「ドタキャンか、ひどいな」

「うん、そこの公衆電話から電話したら、"やっぱり行けない"って言われて。きっと僕が今日告白する気でいたのを後になって見抜いたんだと思う」

「そっか」

 僕は涙で滲んだクリスマス・ツリーを見ながら、

「一将にも電話しようかと思ったんだけど、今の僕にはアイツはちょっと重すぎると思って、で、やっぱ帰ろうかなって思ってたらお前が来たんだ」

 小さくため息をついた。

「一将はオレ様気質だからな。別にそれが悪いってわけじゃないけどさぁ。ギターの才能は認めるけど、ギターの音と同じぐらい性格が尖りすぎてんだよなぁ…」

 そう言って新矢はククッと笑った。

「…ま、一将は元気がいいのが取り柄なんだけど、確かにこういう時は重たいよ、俺が今の雪光だったとしても、きっと一将は呼ばないと思う、あっ、そうだ…」

 新矢はポケットからホッカイロを取り出した。

「…親父が仕事で使ってるやつ。家出る前にパクってきた。寒いだろ? 使いな」

「ああ、ありがとう」

 踏切のカランカランという音とともに、再び電車が近づいてきた。帰宅の時間だ、電車の本数が増えるのは当然である。遠くの方から暴走族のバイクの音も聞こえてきた。暴走行為のいったい何が楽しいのか、僕には全く理解出来ない。どうせ爆音を出すならエレキギターの方がずっといい。

 僕はホッカイロの封を切って両手で握りしめた。次第に熱を帯び始めてきた頃、新矢がおもむろに口を開いた。

「こんなこと言って慰めになるかどうか分からないけど、なんかこう、俺よりも先にそういう切ない思いとかを経験しちゃってる雪光が、ちょっとうらやましい」

「いや、僕的には今めっちゃ辛いよ」

「ごめん。でもホントそう思うんだ。ま、いくらこっちが好きでもさ、だからって相手の気持ちを自分の思いどおりにするなんてできないし、乗り越えるしかないんだろうね。まあでも、いつか市川が後悔するぐらい、俺たち三人でデッカくなってやろうぜ!」

「そうだね」

「それにしても女ってホント分かんねぇよな。文化祭の時のあの最初の拍手はなんだったのって話?」

「僕も今、そう思ってちょっと泣いてたんだ」

「うん、泣け泣け、ただし家でな、人前で泣くなんてみっともないよ。とにかく今日は寒いからもう帰ろう。今夜はとっとと寝ちまえ」

 僕らは二人連れ立って家路に着いた。



 その夜、僕は夢を見た。

 雪が降っていた。そして、クリスマス・ツリーが光っていた。

 場所は東の原駅の改札前で、愛器のレスポールを演奏している自分自身の姿を見る夢だった。夢の中の自分は、珍しい事にリードのパートを弾いていた。今までに一度も聴いた事のない、とても美しいマイナー調のメロディーだった。

 夢うつつに僕は疑問を感じていた。

 なんでリズムパートの僕がリードを弾いているのだろう?

 そもそもそのギターを弾いているのは本当に僕自身なのだろうか?

 そう思った瞬間、そのレスポールを持っている人物は僕ではなく市川美樹に変化していた。僕はビックリして目が覚めてしまった。時計は3時半頃を指していた。いつもどおりの僕の部屋の中で、夢の中で聴いた今までに一度も耳にした事のない美しいメロディーが、まだハッキリと記憶に残っている事に気づいた。

 今なら書けるかも知れない。

 僕はすぐに引き出しの中の真っさらな楽譜を取り出し、ラジカセの録音用のマイクのスイッチを入れた。



「まだ所々納得いってない部分があるにはあるんだけど…」

 冬休みに入って四日ほど過ぎた頃、僕は「ギターショップ」で待ち合わせた一将と新矢に、さっそく録音してきた曲を聴いてもらう事にした。

 聴き終えると一将が、

「これ本当にお前が作ったの!?」

 目をパチクリさせながら尋ねてきた。

「これめっちゃいいじゃん! 編曲アレンジ次第で相当化けるぞこの曲!」

「うん、閃いたのはちょうど誕生日の次の日だったんだ。寝てる時に夢の中で聴いたメロディーなんだ。でも、こうして実際の音にするまでには四日かかった。今が冬休みで良かったよ」

「誕生日って、そういやお前、市川はどうした?」

 一将にはまだ話していなかった。

「ダメだった。来るって言ってたのに来てくれなかったんだ。だからもう追いかけない。諦めるよ」

「なんかそれじゃあまるで山下達郎の『クリスマス・イブ』みたいだな。ま、でも、いい曲作れたんだし、かえって良かったんじゃない? とりあえずこの曲、もう少し煮詰めて三人で物にしようよ。『ハートエイク』ってタイトルはどう? 市川にドタキャンされた時のお前の気分にぴったりじゃね?」

 一将がそれを、皮肉で言っているのか本気で言っているのかは分からなかったが、皮肉だったとしてももうそれを受け流せるぐらいの力が心に満ちていた。音楽のおかげで、僕は傷心から回復し始めていたのだ。

 やがてその時のメロディーは、三人のアレンジ、そして新矢とマスターがDTMに打ち込んでくれたドラムの音によって一つの楽曲へと完成されていった。

 三人で力を合わせて作った初めてのオリジナル曲だった。



     ♩



 歌祈さんとの運命的な出会いを果たし、そして本人の言う「空白の七年間」を過ごしたサトルさんが僕らの前に姿を現したのは、僕ら三人が高校三年生になった2005年の春の日の事であった。

 その頃にはもう、僕はレスポールの金を兄に全て返金していた。一将は、それまで弾いていた中古のストラトをサブギターへと降ろしていた。そしてサブと同様、マスターに左きき仕様へと改造してもらったフェンダーの新品のストラトをもう一本増やしていた。弦を逆に張り替えて演奏するという彼独自のスタイルの特性上、もし万が一の場合、他人や店からギターを借りるという事が一将にはできない。そのためどうあっても予備が欲しいという理由から彼は本数を増やしていたのだ。新矢もアイバニーズの五弦ベースを新たに「ギターショップ」で購入していた。そして新矢は、DTMのプログラミングをしているうちに、見よう見まねでドラムを叩けるようになっていた。むろんベースの延長で、ギターも普通に弾く事ができた。話は前後するが、歌祈さんと交際するようになってからキーボードまでマスターしてしまった、むろん歌祈さんからの個人指導のおかげである。さらに言うと、「いつまでも甘やかさない」という理由から、「ギターショップ」のマスターに支払う「電話ボックス」の料金は正規の金額へとシフトしていた。

 僕と一将はその頃すでにオリジナルのインスト曲を数曲書き上げていた。その中でも僕の処女作「ハートエイク」は、そのマイナー調のメロディーと一将の哀愁たっぷりの鳴きのギターとの相性の良さからライヴハウスでの反応も良く、「ギターショップ」のライヴの最後を締めくくる代表曲として客から認知され始めていた。その点新矢はどうも作曲はあまり得意ではないらしく(あれだけ色々な楽器を器用に弾きこなす事ができるのになぜそうなのか多いに疑問だった)、反対に、よそのバンドに歌詞を提供するようになっていた。子供の頃から作文を書くのが上手だった新矢にとって、それはいい気分転換になるらしく、「これはこれで楽しい」と喜んでいた。

 そんな僕らが初めて歌祈さんに出会ったのは、インスト曲オンリーの三人組、「ギターショップ」の人気と知名度がライヴハウスでもそれなりに高まり始めていた頃の事だった。全ての演目が終わった後、客席でジュースを飲んでいた僕たち三人の所へ、ポカリスウェットのCMに抜擢されてもおかしくなさそうな圧倒的な透明感を持つ女性が一人で近寄って来たのだ。

 卵型のきれいな輪郭フェイスライン

 いい匂いのする真っサラな黒髪。

 ほんの少しだけ眠そうにも見えるトロンと色っぽく垂れた大きな目と、そしてそれを更に強調する深い二重。

 もし街ですれ違ったら、間違いなくドキッとして振り向くだろうと思うようなとびっきりの美女だった。

「三人とも、上手いのね」

 唐突な美女の訪問に、僕と一将はほんの少しニヤけた笑顔を交わし合った。

「どうも」

 まず一将が挨拶をした。

「話に聞いたんだけど、三人ともまだ高校三年生なのよね? 私ね、名前を稲田歌祈って言うの。歌祈さんって呼んでくれて構わない。ところで左手でギターを弾いてる彼、名前は確か一将君だっけ? 右利き用のギターを左で弾く人をリアルで見たのはこれが初めて。ちょっとビックリ。しかも音が尖ってていいね。気に入った。ところでいくつか話したい事があるんだけど…」

 歌祈さんは、僕ら三人の顔を交互に見やると、

「…単刀直入に言うね。どうかしら、実は私も音楽やってるの。希望のパートはボーカルとキーボードなんだけど、あなた達がインスト曲やる時はキーボードでバックアップしてあげる、シーケンサーの音よりも生演奏の方がいいでしょ? 音色だって幅が広がるし。その代わり、私が唄う時は後ろで伴奏やってくれないかしら?」

 それはそれは真剣な眼差しで、ゆっくり、しかしハッキリとした口調で語りかけてきた。

「どうかなぁ…」

 一将が少しだけ首を傾げた。

「…オレたち今までずっと三人だけでやって来てるんですよ。それもインスト曲ばっかり。俺ら三人ともあんま唄が上手くないんで、三人だけ、インストだけ、ドラムもプログラミング、ずっとこのスタイル守って突っ走ってやるぜって意気込みで音楽やってきたんです。それを突然"私も混ぜて"って言われてもすぐには返事できませんよ」

「もちろんそれはそうよね。私がどこの誰かなんてまだ分からないのにいきなりこんな事を言われても戸惑うのは当然だと思う。だから簡単に自己紹介させてもらうね…」

 歌祈さんは、リーのブーツカットに包まれた細長く綺麗な脚を立ったまま交差させた。

「…私は神奈川県の生まれで、東京には先月引っ越して来たばかりなの。美容師をしてるんだけど、お店の事情でどうしても自由に身動き取れなくて、それでこの春やっと東京こっちに来れたってわけ。あなた達三人の事は新しく入ったお店の人に聞いたの。"とにかく上手な高校生の三人組がいる"って。で、興味があって今日ここに来たんだけど、本当に上手だった。ところでこのお店、看板の下に"週末、ジョン・レノンがやってくる"って書いてあるわよね?」

「あるけど?」

「あれを見たとき、運命的なものを感じたの」

「運命?」

 初対面の僕らに対し、物怖じせずにガンガン話しかけてくる歳上の女性に、その時僕は正直少し警戒心を抱き始めていた。「運命」などという大袈裟な言葉まで使ってきたのだから警戒するのも当然である。

 …何か上手い事を言って僕たちを騙そうとしているのではないか?

 それが理由で「運命?」と僕は聞き返したのだが、しかしそんな僕の警戒をよそに、歌祈さんは更に熱っぽく語りかけてくるのだった。

「そ、運命。私の友達に日本とアメリカのハーフの子がいるの。中二の時からずっと一緒だったんだけど、家庭の事情でアメリカ行っちゃって、でも今でも大事な友達で文通してるの。でね、私たちがよくバンドの練習してたガレージがあって、そこにそのハーフの子が、英語でこう落書きしてたのよ。"Weekend,come hear to the john lennon."って。で、今日このお店の看板に同じ事が日本語で書いてあるのを見て、今日会うあなた達三人とは、きっと運命的な縁があるって予感を感じたってわけ」

 …東京と神奈川、離れた所に日本語と英語の同じ意味の言葉が書いてあったから運命を感じた?

 …いくらなんでも話が出来過ぎてやしないか?

 …まさか自分の事をジョン・レノンの代わりにやってきたリードボーカルだとでも言いたいんじゃないんだろうな?

 一将と目が合った。そして、アイコンタクトで全く同じ事を考えているのを互いに感じ合った。しかしこの時、僕ら二人の視界の外側にいた新矢だけがまるきり違う想いを胸に抱き始めている事には全く気づいていなかった。

「なるほどね、話は分かった。でもさすがに今ここでいきなり返事ってわけにはやっぱいかないっスね」

 一将が待ったをかけるのは当然だった。

「大丈夫、私も今すぐ答えを出してと言う気はないし。そこで提案。私が作ったオリジナル曲の入ってるこのCDと、中学の時にやったザードのコピーバンドのライヴの映像が入ってるこっちのDVDを渡すから、これを見て判断してくれないかしら。それでダメって言うなら諦める。私の働いてる美容室の場所教える、だからこの二つ、ダメならダメで構わないから返事のついでに返しに来て」

 その物言いには、自分の歌唱力に対してもの凄く強い自信を持っているのであろう事がはっきりと感じ取れた。

「そこまで言うのなら考えますよ」

 一将は渋々返事しながらディスクを受け取った。

「ちなみに、このDVDに写ってるドラムの女の子が、その英語の悪戯書きの主なの。とにかく見て。お願いね」

 そう言い残すと歌祈さんはお店の名刺をテーブルの上に丁寧に置いて去って行った。そこには先ほど聞いたとおり、「稲田歌祈いなだかおり」という名が書いてあった。彼女の名前が「カオリ」である事は耳で聞いて分かってはいたが、まさかそれが「歌祈」だとは夢にも思っていなかった。それがゆえに一将は、

「…歌に祈ると書いて"カオリ"か、すげえ、見るからに歌が上手そうな名前だな」

 と呟いた。僕も僕で、

「…まさか、偽名って事はないよね?」

 と一将に囁いた。そんな彼女の細い背中を、新矢はただただいつまでもいつまでも、惚けたように見つめ続けていた。



 歌祈さんとの奇妙なやり取りの後、僕らは一旦電車でマスターの店に向かった。むろん彼に相談するためである。

「まあ、話は分かった…」

 ひと通り話を聞き終えたマスターは、目を瞑ってしばらく考えた後、

「…まずはとにかく、一度それを見てみるとするか」

 と言い、お店のプレーヤーにセットした。するとテレビには学校の体育館が映し出された。垂れ幕には「三年生お別れ会」と書いてある。ステージに、歌祈さんを始めとする四人の人物が現れると、体育館にいる一部の女子生徒たちが、ピンク色の風鈴を鳴らしながら「コスモせんぱ〜い!」と叫び出した。このインパクトに溢れた光景に、僕らは全員、「これはどういう事だ?」と首を傾げた。

「今、確か、"コスモ"って聞こえたよな。コスモって聖闘士星矢のコスモか?」

「しかも風鈴?」

 これが現在「ギターショップ」のサポートメンバーとしてレコーディングの時にパーカッションを担当してくれているコスモさんの事を僕ら三人が初めて目にした瞬間であった。

「きっとこのコスモっていう名前の女の子が、話に聞いた日米ハーフの子なんだろうね」

 僕がそう呟くと、

「なんだかよく分かんねぇけど、すごいなぁ」

 今度は一将がそう呟いた。むろん一将は、画面に映るコスモさんが、下級生の女子たちからの人気を欲しいがままにしている様子を指してそう言ったのだが、新矢はまるきり見当違いな事を言い出した。

「うん、すごいね。中学の時の歌祈さん、超かわいい」

 新矢の目は、どうやら水色の生地にピンク色の風鈴が描かれている浴衣を身につけた歌祈さんに釘づけになっているようであった。

 やがて演奏が始まった。演目は、「マイフレンド」「きっと忘れない」「君がいない」「心を開いて」「サヨナラは今もこの胸に居ます」、そしてラストは、トップガンのインスト曲「アンセム」だった。その後、主に風鈴を持つ少女たちの大きなアンコールの声に呼び出された彼女たちは再びザードの「負けないで」を演奏し始めた。そこで終わりかと思いきや、二度目のアンコールの声が再び風鈴を持つ少女たちの声で湧き上がり、しばらくするとギターの少年が一人だけステージに出てきた。そして、「もう全員で演奏できる演目がない」という意味の言葉を口にした後、

「実はこのギター、亡くなられた方の大事な形見なんです」

 と発言し、体育館中がザワザワと騒がしくなる様子が画面に映った。そしてそのMC後で、クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘヴン」の弾き語りを演奏し始めた。ギターも唄も、決して下手だとは思わなかった。特に、まだ中学生なのにも関わらず、洋楽をソラで唄っている事に関してだけは正直、素直にすごいと思った。しかし言っては失礼だが、ただ楽譜を正確になぞっているだけにしか感じられない、良くも悪くも優等生的で無個性なギターには、あまり心が動かなかった。ただし歌祈さんの唄だけは明らかに違って見えた。中学生のレベルなんか遥かに超越しているとはっきり分かったのだ。

「で、こっちがオリジナルの入ってるCDね」

 と言ってマスターが再生の準備を始めた。するとハワイアン・ミュージック風に色づけされたキーボードの音が聞こえて来た。直後、「テスト、テスト」と、今度は歌祈さんの声が聞こえてきた。少し間を置き準備が整ったのか、今度は完成された音楽のイントロだとハッキリ分かる音が流れ出した。

 …これが、後の「ギターショップ」のメジャーデビュー曲となる、「やさしくなりたい」を僕ら三人が初めて耳にした瞬間だった。



   二人乗り 自転車で急降下

   海と空の 目が覚めるような

   青すぎる青の中へ Dive!

   「もう二度と恋なんてしない」と

   言って泣いた 去年の夏

   不思議ね 今笑い飛ばしてる


   泣いたりもしたけど

   やっぱ恋する 気持ち! 素敵! 無敵!

   次の夏 その先の夏も

   ずっと変わらず 二人で居たい


   やさしく なりたい

   これからも ずっと

   終わらない夏よ hold me tight!

   大好き 大好き

   これからも ずっと

   一緒に居ようね darling!



 ここで一番のサビが終わり間奏が始まった。

「どう思う?」

 僕が尋ねると、すかさず一将が、

「このBメロの"やっぱ恋する気持ち! 素敵! 無敵!"のところ可愛かったな。きっとわざとそういう唄い方をしてるんだろうけど、決して嫌らしくないし、むしろいい意味でアイドルっぽくて好感が持てた。唄い方が下手で、それこそアイドルぐらいのレベルだったら、ただチープに聴こえてオシマイだったろうね」

 新矢も新矢で、「賛成!」と言いながら手を挙げ、いかにも作詞家らしい事を語り出した。

「しかもこれ、『キモチ・ステキ・ムテキ』の『キ』の所だけ音が高くなってるじゃん。ちゃんとアクセントになるように韻を踏んで歌詞を書くなんて凄いよ。この歌い方やメロディーは間違いなく耳に残ると思う。しかも四分三連符だぜ、よくこんな難しいメロディーをキチンと音程取って滑舌良く唄えるよな」

「さすが普段から歌詞を書いているだけあるわ。"韻を踏む"なんて言う事が違うなぁ。雪光は?」

「この清涼飲料水のCMソングみたいな爽やかな感じは好感持てるね。このひとのコケティッシュな声と、夏とか海とか空とかいったモチーフは相性いいし、やっぱり神奈川県出身なんだなぁって思わせる何かがあるよ。歌謡ロックとオペラ歌手のいいとこ取りのような唄い方も好感持てる」

 僕がそう言い終えるやいなや、間奏が終わって二番の唄が始まった。僕らは再び耳を澄ました。



   二人きり 日焼けした肌に

   降り注ぐ 気まぐれな

   火照った肌を冷やす Squall!

   「もう二度と海なんか来ない」と

   言って笑って 雨宿り

   不思議ね もう雨が止んでいる


   変わりやすい天気は

   やっぱ夏だね 視界! 陽ざし! 眩し!

   今日のデートは終わりだけれど

   ずっと変わらず あなたと居たい


   やさしく なりたい

   夏を過ぎ 秋と

   終わらない冬を 迎えても


   今すぐ 会いたい

   デートの後は 会う前より寂しいって

   やっぱりホントだったね



 二番の唄が終わった後で、僕は再び口を開いた。

「この歌祈さんって人と一緒にやるとなると落ち着くところはやっぱりプログレ系かな。ドラムの手数とベースの音数は多めにしてハードロック調、リズムギターはレゲエ風に二泊と四泊にアクセントをつける、それも捻りを効かせてテクノっぽい音色でね。リードは、ボーカルが唄ってるときはミュートのリフに徹してギターソロで一気に真夏っぽく盛り上がる、みたいな」

「同意だね」

 CDには他にも数曲収録されていて、どれも皆良い曲ばかりだった。

「やるか?」

「やろう!」

 僕ら三人の意見は完全に一致した。

「しかし例の"運命感じた発言"がどお〜にも引っかかるんだよなぁ。雪光、美容室への交渉はお前が行ってくれないか? そういうのは雪光が一番上手いから」

「分か…」

「待った!」

 稲妻のような早さで、新矢が掌を上げて遮った。

「俺に行かせてくれ!」

「まあ、新矢も口が上手いから別に構わないけど、…でも何で?」

「いや…、あの…、まあ…、その…、ほら…、なんつーか、さ、お前ら二人とも、『運命感じた発言』がどうとか言って訝しがってるけど、俺はむしろ逆にチャンスなんじゃないかと思ってるんだ。だってさ、あんなに美人で歌の上手いお姉さんが、ジョン・レノンの代わりに週末来てくれたんだぜ?」

「なあ新矢、お前、ひょっとして歌祈さんに惚れてんじゃねぇだろうな?」

 新矢の上半身がピクンと跳ね上がった。僕と一将は目を合わせ、「あ、やっぱりそうだったか」と思っていた事を互いに確信し合った。

「それならそれで別に構わねぇけどよ、ちゃんと仕事はしてくれよな」

 一将が不安を感じるのは当然だと思った。しかしそれは全くの杞憂であった。結果的に全員にとって最高の形で話がまとまったからだ。何故なら新矢には作詞の経験があったからである。この事が歌祈さんとの意思の疎通に良い化学変化をもたらしたのだ。

「ところで、どうせメンバー増やすのならそろそろDTMのドラムは卒業したらどうだ? 前々から言ってるとおり、お前たち三人の即興性の高い音にデジタルドラムじゃ、ロックというよりはフュージョンに近くなるんだって」

 マスターの主張に対し、一将が腕を組んで反対意見を口にした。

「確かにどうせやるならドラムも生演奏の方がいいとは思う。でもだからってオレたち三人の技量に対応できるドラマーなんておいそれとは見つからないよ」

 するとマスターが満面の笑みを浮かべながらこう言い出した。

「実はな、もうめ〜っちゃくちゃにドラムが上手い奴を一人知ってるんだ」

「マジで!?」

「だったらどうして今までその人の事を教えてくれなかったの!?」

 一将と新矢は口々にそう叫んだ。

「実はソイツ少々わけありでな、7年間ずっと行方不明だったんだ」

「わけありで7年間行方不明? ドラムで武者修行でもしてたの?」

「ま、そんなとこだ。それが最近ひょんな事から居所が分かってな、ともあれそんなこんなで俺もまだゆっくり話をしてないんだ。とりあえず、新矢はこの歌祈って子と会ってこい。俺はその間にソイツと連絡とっとくから。それとな、実はもう一ついい話があるんだ…」

 マスターは何やらものすごく楽しそうに僕らの顔を見やると、

「…お前らみんな、もし『いるか祭り』でロックグランプリをやるって言ったらどうする?」

「やりたい!」

「やりたい!」

「やりたい!」

 僕らは同時に大きな声を出した。

「また正式に決まったわけじゃないんだ。だから口外はしないと約束して欲しいんだが、俺もいつか、何もフジロックフェスみたいなバカでかいやつじゃなくていいからライヴを主催してみたいと前々から思っててな、商工会議所で以前から意見は出してたんだ。そしたら今回話が通ってな、今年の夏実現しそうなんだ」

「ウンウン」

「で、まだ五月だから時間はじゅうぶんあるし、その新メンバーを加えた『新生・ギターショップ』で是非諸君に頑張って貰いたいのだよ。いやらしい話だけど、俺の育てたお前ら三人がもしフェスで優勝だなんて話になったら、俺も店も知名度あがって商売繁盛ってもんだしな。とにかく、まずはこの歌祈ちゃんって子から攻略だ、新矢頼むぜ」

「分かった!」

「なんだか楽しくなって来たな」

「うん、頑張ろうね」

 僕ら三人は互いに顔を見やって、そして、微笑んだ。


 …これがもともと僕ら三人だけだった「ギターショップ」が、ついに現在の形へと変貌する、その兆しが見えてきた瞬間であった…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る