第3話

  第3章・新矢・1



   プロローグ


「たとえ何がどうだったとしても万引きは良くないな」

「秋島警察署の署長はそうは言ってなかった」

「警察がそんな事を言うわけないだろっ!」



     ♩



 いま俺は、「第一回いるかロックグランプリ」で、俺たち「ギターショップ」が優勝した後に撮った写真を見ながらこの手記を書いている。

 撮影したのはステージの裏に設置されていた簡素な楽屋だ。あの頃流行していた、ミニスカを彷彿とさせる丈の短い浴衣を着た歌祈さんが、メンバー達の中心で満面の笑みを浮かべながらピースをしている。ボーイスカウトシャツを羽織り、愛器・アイバニーズの五弦ベースのベルトを肩にかけた俺が、歌祈さんのすぐ右横(半ば強引にこのポジションを奪い取った!)で、今見ると自分でも笑いたくなるような緊張した面持ちで屹立している。一将と雪光が、俺と歌祈さんの前でうんこ座りをしながら肩を組み、自信に満ちた笑みを浮かべて親指を立てている。左斜め後ろにはサトルさん、反対側の右斜め後ろ側には、俺たちを幼い頃から支え続けてくれた楽器屋のマスター、そして実はこの写真を撮ったちょっと後にマスターからプロポーズを受ける事となる、育美いくみさんの涼しげな微笑が映っている(ものすごく歌が上手かったのに、とある不運な事故で声帯を裂傷してしまい、声を失ってしまったという悲しい過去を持つ人物だとはとても思えない、とても明るく綺麗な笑顔だ)。…今にして思えば、「ギターショップ」の夏バンドというイメージや方向性は、この夏祭りで大成功を収めた時すでに始動していたのかも知れない。

 この写真を撮影した時よりさかのぼること約二ヶ月前、俺は両親と大喧嘩して家出した。そして着の身着のまま、サトルさんの親父さんが経営していた車の解体屋に身を寄せる事となった、…いわゆる居候というやつだ。一学期の期末テストが終わり、もうじき始まる高校最後の夏休みを、今か今かと待ち続けていた日の朝、身に覚えのない嫌疑を両親にかけられた俺は、思わずカッとなって親父を殴ってしまったのだった。

 俺だって、暴力が良い事だとはこれっぽっちも思っちゃいない。むしろ逆に殴った事それ自体は親父にきちんと謝罪もした。しかし「盗っ人にも三分の理」という諺が示すように、殴った俺には俺なりの理由があったからそうしたのだ(…なお、カウンセラーとして働いている、歌祈さんの中学時代からの友人・優太さんから教わった話によると、欧米で「家庭内暴力」の事を扱った本を読むとまず始めに出てくるのは老人に対する暴力なのだそうだ。そしてその後に出てくるのは、女性や子どもに対する暴力で、親に対する子どもの暴力なんてものは最後にほんのちょこっとだけしか出てこないらしい)。

 なぜ親父を殴っちまったのか、それも含めて、自分の生い立ちを幼少の頃にまで遡ってこの手記を書こうと思う。当時の出来事をファンのみんなに正しく理解してもらいたい、という気持ちは当然ある、…が、天秤にかけるなら、「あの夏の日」の心情を文章にまとめて自分の気持ちを整理したい、という思いの方が正直に言うと少々重いし、強い。…もう少しだけ正確に言うと、「自伝的な本を書いてみたい」、という気持ちを俺は以前からずっと持ち続けていて、構想を練ってもいた。しかし、エリック・クラプトンのように世界的に有名で、なおかつキャリアも長い偉大なミュージシャンの自伝ならともかく、俺の様にまだ若く、この先も長く音楽を続けていけるのかどうかすらもまだ分からない奴の自伝を読みたいなんて物好きがそうそういるとは思えない(もちろん若いうちだけチヤホヤされて終わりにならないようベストは尽くすつもりだが…)。その意味でも、チーフマネージャーから、

「『ギターショップ』がどうやって日本一のロックバンドに成り上がったのかを本にして出そう」と提案された後に俺が出した、

「どうせ書くなら自分の手で書きたい」という意見がメンバー全員で可決され機会を得られたのは、俺にとって非常に幸運な出来事だったというわけだ。これを読んだみんなが何を感じ何を思い、そしてそれをどう受け止めるか、それは俺には分からない、しかし少なくとも、きっとこの手記は読むに値するだけの価値があるという自負が俺にはあるのだ。

 そのためにも、前述のとおり、まずは俺の幼少期にまで遡って話を進めたいと思う。



     ♩



 昔から、俺の本心を知ろうともしない周囲の人たちから言われ続けてきた言葉がある。

「新しい矢、と書いて新矢しんや、カッコいい名前だね」

 そう言われるのが、俺は何より嫌だった。もっとも今ではこの字面が目立つのをいい事に、それをそのまま芸名にしているのだから、なんだかんだ言いつつ俺も、転んでもタダでは起きない逞しさを持った人間なのだろう。…ただし、非常に大事な事なので、確認の意味でもこれだけはまず先に一つハッキリと言っておく。


 俺は「宗教」なんてものをまるで信じちゃいないからね。


 俺のお袋は「想新の会」という、日本で一番有名な新興宗教の熱心な信者だった。「想新通信」という音楽的なセンスをまるで感じさせないダサい名前の新聞を、信者はもちろん信者以外の人たちに押し売りしたり、誰彼構わず入信するよう勧誘して入会金を要求したり、年に一度「一番福徳がつくのは財務ざいむです」と信者たちを騙してお金を支払うよう要求したり、選挙になると「公民党」という政党を支持し選挙活動をするあのカルト教団の事だ。

 誓って言うが、俺は「想新の会」を信じた事はただの一度だってない。にも関わらず、実は俺もあの会の信者、という事になっている。矛盾していると思われるだろうけれども事実本当にそうなのだ。なぜそんな事になっているのかというと、お袋が勝手に信者として登録してしまったからだ。まだ赤ん坊で言葉も分からず目も見開いていなかった俺を、俺自身の意思とは無関係にサイン一つで入会させ、俺の人権を侵害したのだ。ちなみに俺には弟と妹がいるが、そんな目に遭わされたのは俺だけだ。どうしてだろう、何故か昔から、俺ばかりが親から酷い仕打ちを受けてきているのだ。ひがみだなんて思わないで欲しい、事実本当にそうなのだから…。たとえば俺が忌み嫌ってきた新矢という名前だって、「想新の会」の三代目の会長をやっている「山雄大覚やまおだいかく」という名の胡散臭いオッサンの指導に由来があるのだ。俺が産まれた年の産まれた月、月に一回開かれている「想新の会」の「本部総会」にて、

時代へ向けてを放て!」とか何とか指導したそうで(そもそも何が"指導"だ、偉そうにしやがって!)、それにちなんで俺は名付けられたのだ。初めてそれを知ったのは、小学生の頃、「親から名前の由来を聞いて明日それを発表しなさい」と先生から言われた時の事だった。宗教が由来だったと知らされた俺は、次の日授業で尤もらしい嘘を言ってごまかした。「山雄大覚」の指導が由来だなんてとてもじゃないが恥ずかしくて言えなかったからである。なお、弟と妹の名前は賢一と麻美だ。子どもの頃、俺はそういった普通の名前を羨ましいと心底から思っていた。

 幼い頃、俺はお袋に連れられてよく「想新の会」の会館に連れて行かれた。弟と妹は歳が離れていて、その頃まだ産まれていなかった。そして会の中堅幹部達の長い話に付き合わされたり、仏壇に向かって「お祈り」をさせられたりした。そこで何人か顔見知りの子ができたが、俺はそいつらと仲良くしようとも、熱心に宗教活動をしようという気にもなれなかった。「想新の会」に対し、上手く言葉にはできないモヤモヤとした疑問を、子ども心にも感じ続けていたからであった。しかしお袋の見解は真逆だった。

「本当の友達は『想新の会』の中にしかできないの。『山雄先生』がそう指導されてるの。だから新矢、一将君や雪光君たちとは遊ばないで『想新の会』の子たちだけと遊びなさい」

 そう言われれば言われるほど、俺の中のモヤモヤとした疑問は膨らむ一方だった。心の底から楽しいと思える時間を共有できていたのは、「想新の会」の連中と一緒に居る時ではなく、一将や雪光と一緒に居る時だったからだ。そもそもそれ以前に、俺の知らないところで、俺の事を知らない「山雄大覚」がそう指導したのだからそれが正しい、と安易に結論してしまえるという事それ自体が、すでにもう完璧にイカれているとしか思えなかった。

 俺が産まれる直前、「新矢」という名を提案された親父は、「カッコいいな」と喜び賛成したらしい。ところが、実はそれが「山雄大覚」の指導に由来があったのだという事を、学校で「名前の由来を聞いてきなさい」と言われた時になって初めて知り、激怒した(もっとも、親父は親父で相当問題のある人間なのだが)。親父は「想新の会」には一切関わっていなかった、むしろ逆にハッキリと嫌っていた。親父のお袋、つまり俺にとってのおばあちゃんが実は「想新の会」の信者で、それを見て育った親父は俺と同様、会に疑問を抱きながら成長したからであった。高校卒業と同時に家を出た親父は、やがて、その頃はまだ「想新の会」の信者ではなかったお袋と知り合い交際を経て結婚。あくまでこれは推測なのだが、恐らくその間に、「想新の会」の話題は一切出なかったのだろう、…出なかったからこそ、お袋は俺を妊娠した直後の精神的に不安定な時期に勧誘されて信者になってしまったのだろう。この推測が全て正しかったとして、なぜその話題が出なかったのか大いに疑問である。でもその疑問の答えを知りたいという欲求はない。疑問と言っておきながら知りたいという欲求がないなんて矛盾しているが、興味がないのだから仕方がない。

 お袋の話によれば、活動にのめり込む妊婦を、親父は相当激しく非難したらしい。そして、非難されればされるほど、お袋はますます信仰に傾倒していったというわけだ。もし胎教という思想が本当なら、俺はそうとう悪い影響を受けてこの世に生を受けた事になる。そんな親父の口癖は、

「こんなにいい家庭を作ってやっているのに」、だった。お袋が活動に精を出すたび、

「こんなに幸福な家庭を作ってやってるのに、なぜ宗教を信じたって生まれるはずもない幸せを高望みするんだ」と言い、俺が雪光の家へ試験前の勉強をしに行くと、

「こんなに居心地の良い家庭を作ってやっているのに、なぜそうして他所の家に勉強しに行くんだ」、決まってそう言うのだった。しかし俺はあの家庭を居心地がいいと思った事はただの一度だってなかった。石頭の親父と、宗教を信じ切っているお袋を見ると、神経がピリピリして気持ちが落ち着かなくなったからである。

 一度、親父から、

「親には子どもの事なんてみんな分かるんだ。お前はあの二人に無理やり付き合わされてるだけなんだ。勉強なら家でもできる、雪光君の家には行かないで家でやりなさい」

 と言われて家から出して貰えなくなった事があった。しかも、なんと、家から抜け出していないかどうかを確認するため、三十分に一度わざわざ部屋を確認しに来たのだ。終いには足音だけで、「あ、また親父が確認しに来た」と分かるようになってしまった。やり辛くてやり辛くて、勉強にまったく集中できなかった。挙げ句の果てにはお袋の「お祈り」の声が隣の部屋から聞こえてきてますます頭に入って来なくなり、その時のテストは散々な結果になってしまった。しかしその事を、親父は決して認めようとはしなかった。自分に都合の悪い情報をスルリと躱してスルーするのは親父の昔からのやり方だった。皮肉な事に、その姿はまるっきり、自分たちにとって都合の悪い情報には一切耳を貸さず、ひたすら「自分たちの宗教は正しい」と主張する「想新の会」の連中と同じであった。つまり、親父は親父自身が嫌っていた「想新の会」の連中に、俺に言わせればまるきり瓜二つなのであった。…事実、優太さんから薦められたスーザン・フォワードというカウンセラーの「毒になる親」という本にもこのような事が書いてあった、曰く…。


 「毒になる親」は、自分の考えが間違っていることを示す事実には必ず抵抗する。そして自分の考えを変えるのではなく、自分の考えに合うように周囲の事実をねじ曲げて解釈しようとする。


 初めてこれを読んだ時、俺は思った。これはまるっきりうちの両親の事ではないか、と。また、この「毒になる親」の部分を「カルト教団の信者」に置き換えれば、宗教の問題を指摘する文章へと応用する事も可能だとも思った。


 「カルト教団の信者」は、自分の考えが間違っていることを示す事実には必ず抵抗する。そして自分の考えを変えるのではなく、自分の考えに合うように周囲の事実をねじ曲げて解釈しようとする。


「この本を読んで、『毒親』の問題と、『カルト教団』の問題って非常によく似ていると思いました」

 優太さんに感想を伝えると、彼はこう言い出した。

「なるほどねぇ、それは非常に興味深い視点だ。次の学会で論文に書いて出してみようかな」、と…。



 …両親が、一将と雪光をあまり良く思わないのには理由があった。三人でエアガンを使って遊んでいた時、一将の撃ったBB弾が運悪くブランコに乗っていた女の子の前歯に当たり欠けてしまった事があった。団地の中にある公園での出来事だった。女の子は悲鳴をあげて泣き出した。そしてすぐさま団地内で問題になった。俺たち三人は団地の集会所に連行され、さんざん槍玉に挙げられた。その時俺たちが持っていたエアガンが、十八歳未満は所持してはいけない物だったことが後から発覚し、この問題は更にエスカレートした(俺は団地のアーケード街にある模型屋さんの大常連だったため、店のオヤジがこっそり売ってくれたのだ。一度、俺の作ったプラモをその模型屋にしばらく飾って貰ったなんて事もあった。自分で言うのはなんだが非常に良い出来で、店に持って行って見てもらったらそうなったのだ。作ったモデルは『陸軍三式戦闘機・飛燕』。日本で唯一、水冷エンジンを搭載していた美しいシルエットを持った戦闘機だ)。もちろん、俺たちのしたことは決して許されることではない。一将も泣きながら心から非を詫びていた。自治会の会長さんも、

「だからといって罪が軽くなるわけではありませんが、幸い欠けた歯は乳歯でした。本人たちも本当に反省しています。許してやってください」という意味のことを言ってその場を収束してくれた。だがしかし、その出来事が親父とお袋の態度を決定づけてしまった。二人は俺の親友たちを、悪友認定してしまったのだ。

「そのエアガンの一件に限ったことじゃない、新矢は本当はいい子なのに、いつもあの二人に無理やり付き合わされて悪い影響を受けて新矢まで悪くなっちゃっているだけなのよ。『想新の会』の集会に参加しなくなったのもそれが理由よ」

 お袋はそう主張するようになりだした。俺が集会への参加を拒否していたのは、「想新の会」の活動を子ども心にも何かおかしいと本能的に感じていたからなのだが、お袋にはそれが全く理解できていなかったのだ。…そう、俺が本能的に違和感を感じているという事実を、お袋はカルト教団を信じていたがゆえにねじ曲げて解釈していたのだ。

 俺たちにエアガンを売ってくれた模型屋は、その一件が落着してから約半年後、店長の老齢が理由で閉店した。しばらくすると同じ場所に今度は楽器屋さんが開業した。一将はそこで中古のフェンダーのストラトを購入し、マスターに左利き仕様へと改造カスタムして貰い、それはそれは熱心に練習を重ねた。一ヶ月もすると、当時はまだ音楽は聴くばかりで楽器にはほとんど触った事のなかった俺が見てもハッキリと分かるぐらい上手くなった。俺もやってみたくなり、昔から低い音が好きだった事もあって同じ店でエレキベースを購入した。練習に夢中になる俺の事を親父は、「また一将君から悪影響を受けた」と言って非難し始めた。あれは「お祈り」の声が嫌でヘッドフォンを被って練習していた時の事だった。親父は問答無用とばかりに、背後からやって来るやいなやいきなりヘッドフォンをむしり取ってこう言い出した。

「まったくあの店はロクなものを売らないな」

「あの店」とは一体どの店の事を言っているのだろうかと俺は思った。俺たち三人に十八歳未満が所持してはいけないエアガンを売った模型店は閉店している。そしてその時練習するために所持していたベースギターは、その模型店が閉店した後、新しく開業した楽器屋で購入した物であり、場所こそ同じだが全く違う店だったからだ。

 それ以降、俺は楽器の練習を一将の家でやらせて貰う事にした。一将のおじさんはオーディオマニアで、音楽に理解があった。それに、勉強はいつも雪光の家でやらせてもらっているのに、その上更に練習まで世話になるのはさすがに図々しいと思ったからでもあった。

 …やれ「親には子どもの事なんてみんな分かる」だの、「こんなにいい家庭を作ってやっているのに…」だのといった考えに合うように、「…お前が家に居着かないのは、一将君や雪光君に無理やり付き合わされているだけなんだ」、と事実を捻じ曲げて解釈する父。そして、勝手に答えを作って分かった気になっている父親に対し、ふつふつとした不満を感じながら、「居心地の悪い家庭」にいる時間を可能な限り減らすため、勉強や練習をよそでやる「少しも親に分かって貰えない」息子の俺。

 …次第に俺は親父の期待に一切応える事のない「出来の悪い子ども」として成長していったのだった。



     ♩



 あれは小学校六年生の時の事だった。

 自慢するわけではないのだが、俺の書いた作文が先生に高く評価された事があった。その作文を雪光のおじさんに添削してもらった後、もう一度先生に読んでもらったところ、ケイサン新聞の「子どもの作文」というコーナーに掲載される事となり、ついには警察にまで表彰された事が俺にはあった。そしてその事を発端に、様々な出来事が立て続けに起きたのであった。

 ある日の事。一人で歩道を歩いていたら、杖をついているおじさんが、車道を挟んだ反対側で砂利を敷き詰めた駐車場のようなスペースにはまり込んでウロウロと彷徨さまよっているのを見た。その様子から、彼は目が見えないのだろう、そして自分が今どこにいるのかが分からなくて怯えているのだろうと俺は思った。すぐそばを車がビュンビュン走っているのだから、怖いと思うのは当然だ。俺はその人を助けようと左右を確認してからガードレールを飛び越えて道路を渡り、彼に駆け寄った。「大丈夫ですか?」と声をかけようとした瞬間、俺の気配に気づいたおじさんはこちらを振り向き、

「すみません、助けてください」

 と、それこそまさに藁をもすがるような勢いで俺にしがみついて来た。

「大丈夫ですよ。いま反対側から見てたんです。助けようと思って渡って来たんです」

 本来なら、安全な歩道に案内さえすれば当初の目的は果たされるはずだった。しかしそのおじさんはどうも寂しかったようで、ああでもないこうでもないと話しかけてくるため離れるタイミングを完全に失ってしまい、気づけばおじさんの家のすぐ目の前まで付き添う事になってしまった。目の不自由な人って可哀想だな、そもそも社会は目の不自由な人にとって暮らしにくいのかも知れないな。…そんな事を子ども心にも思った。

 次の日。国語の授業で作文を書くように言われ、俺はその人を助けた事と、自分がその時感じた事をありのままに書いた。するとその日の授業が終わった後、担任の先生にこう言われたのだ。

「この作文、すごくいいね。でも所々文章が読みにくいところがある。どこがどう悪いのか自分でよく考えてもう一度書き直してみない?」

 すっかりいい気分になってしまった俺は、学校からの帰り道、小さい頃からいつも一緒に登下校していた一将と雪光にこの話をした。一将からは「すげえじゃん」と言われ、雪光からは「僕のお父さんにも読んでもらったら?」と提案された。雪光のおじさんは高校で国語の先生をしていて、若い頃は小説家を目指していた事もあるという筋金入りの文学者だった。書斎には大量の蔵書が所狭しと積み込まれていて、よくその重さで床が抜けない物だと常に思っていた。しかもその本を、

「読みたければ勝手に持って行っていいよ、ちゃんと返してさえくれればね」と、常に開放する姿勢を示してくれていた、…要するに凄くいいおじさんだったのだ。そんな環境で育った雪光は、口数こそ少ないが常に的確なアドバイスをしてくれる頼れる参謀としての地位を三人の間で不動のものとしていた。そんな雪光の提案を受け、俺たちはそのまま彼の家に直行した。幸いその日おじさんは休みだった。彼は俺の作文を二度繰り返して読むと、「ちょっと赤を入れていいかな?」と一言断った上で、問題のある部分に線を引いた。

「この線を引いた部分、どこをどう間違っているのか自分なりに考えて書き直してみなさい。出来上がったらまた持ってきて」

 俺は言われた通り赤を入れられた部分を自分で読み直してみた。確かに書いてある事が文法的におかしい、とはっきり気づきその部分を書き直した。二日後の日曜日、再びおじさんに作文を持って会いに行った。そしてもう一度チェックしてもらい、俺はそれを新しい原稿用紙にていねいな字で書き直した。そして一番最後の一行に、

「僕も将来きっと車を運転するようになるでしょう。でも、目の不自由な人が困っているのを見たら、車を停めて助けてあげられるような大人になりたいです」と付け加えて月曜日担任の先生に見せた。この作文は校長先生からも非常に高い評価を受け、朝の全校朝礼の時にマイクを使って音読するよう命じられた。更に数日後、新聞社の記者とカメラマンがやって来て、校舎の前で俺は写真を撮られた。すると新聞に掲載される事を知った悪ガキどもから体育館の裏に呼び出され、「ええかっこしいだ!」と言いがかりをつけられ殴られた。クラスに戻ると一将から、

「お前アイツらに殴られたのか?」

 と聞かれた。俺が「うん」と答えると、一将は「あの野郎!」と叫んで教室を駆け出して行った。

 午後の授業が始まると、俺を殴った連中のうちの何人かが風邪を理由に早退していた。クラス1の悪ガキは、早退こそしなかったものの右目に眼帯を着けていた。そして一将は、顔は全く無傷なまま、利き手である左の拳に包帯を巻いていた(こういった事も承知の上で、うちの親は一将を正しく理解していると思っていたのだろうか? 大いに疑問である)。

 なおこの作文のおかげで、俺はその後市内でちょっとした有名人になってしまった。なんと、「ドライバーの安全意識を啓蒙する素晴らしい作文を書いた」という理由で、秋島市役所に招待され、秋島警察署の署長から表彰状を授与される事になったのだ。俺は、わざわざその授与式に訪れてくれた、「お父さんに見てもらったら?」と提案してくれた雪光と、快く協力してくれた雪光のおじさん、そして連中にやり返してくれた一将たちに心から礼を言った。みんながみんな、まるで自分の事のように喜んでくれた。

「表彰された作文を、『想新の会』の会館でも読んでみない?」

 母親からそう提案されるのは時間の問題だ、俺はかなり早い段階から予測していた。信仰していたわけではないが、人から誉められて悪い気分になる者がいるはずもなく、俺はその提案を受けることにした。「想新の会」の施設である「秋島平和会館」へ行くと、何人かの顔見知りと久しぶりに会う事となった。まだ幼かった頃、何度か母に連れられてこの会館に来た時に知り合った同年代の連中だった。彼らがそこへ来ていたのは、むろん彼らの親も信仰しているからである。親の影響で信仰している子どもの事を、「想新の会」では未来少年・少女と呼称していた。更にそれを、小等少年、中等少年、高等少年(もしくは少女)と分けていた。もちろんそれぞれ、小・中・高校を意味している。

「…すごいじゃん。新聞に載って警察にも表彰されるなんて!」

「…久しぶりに新矢君も未来少年の会合においでよ!」

 顔見知りの連中は、俺の事を熱心に活動へと誘い込んだ。しかし宗教活動をしたいという気持ちにはなれなかった。会館へ来たのは、前述のとおり、誉められて気分が良かったからに過ぎない。

 壇上でマイクを使って作文を読んだ。読み終えると、会場中の人達から熱い拍手を受けた。「想新の会」の人たちの行動パターンの一つである。何かあるととにかく誉めて持ち上げるのだ。恐らくはそうする事で、自分たちの信仰へのモチベーションを高めてもいるのだろう。壇上でスピーチをする幹部達はきっと気分が良いに違いない。

 朗読が終わると、未来少年部の担当をしている浦野という名のまだ若い男を紹介された。

「素晴らしい作文だね」

 と言って彼は握手を求めてきた。

「本を読むの好きかい?」

「はい好きです」

 そう答えると、その浦野という名の幹部は今度はこう尋ねてきた。

「実は僕も、中学の時国語の先生に誉められた事があるんだ。井伏鱒二の山椒魚って知ってるかな?」

「名前しか知りません」

 俺は正直に答えながら、帰ったら雪光のおじさんに山椒魚を読ませてもらおうと思った、…この軽い思いつきが、後日この浦野という男の浅薄な人間性や、「想新の会」の信仰が実はどれだけいい加減な物なのかに気づくきっかけになるとは露とも知らずに…。ともあれ浦野は滔々とした口調で語り続けた。

「井伏鱒二は山椒魚の書き出しに、『山椒魚は狼狽・・した』と書いているんだ。それに対して井伏鱒二の弟子である太宰治は、走れメロスの書き出しに、『メロスは激怒した』と書いている。その類似点を中学の時に指摘して先生に誉められた事があったんだ。因みに僕はその時に狼狽という言葉を覚えたんだ。分かるかい? 弟子は師匠の真似をするんだよ…」

 まるで、「だから新矢君も師匠である僕を真似しなさい」とでも言わんばかりの偉そうな態度だった。これが「想新の会」はおかしいと感じる部分の一つである。彼らは「想新の会の幹部」という、社会的に見てなんの担保にもなっていない役職を持っているという事を根拠に、"自分は別格の人間だ"と思い込んでいるのだ。なお、俺はこの手記を書くにあたり、取材の意味も込めてカウンセラーの優太さんにこう質問した事があった。

「なんで『想新の会』の連中って、みんな例外なくあんな風にそれはそれは偉っそうな態度をしてるんですかね?」

 すると彼はこの疑問に対し、ネクタイを緩めながら、気怠そうに、と同時にシニカルに微笑みながら次のように答えてくれたのであった。

「彼らは『想新の会』の言いなりになっちゃってるからね。だからその分、違う誰かを自分の言いなりにしない事には心の均衡が保てないような精神状態になってしまっているんだよ。そしてそれがそのまま態度に現れちまってるのさ」

 この見解を聞き、俺は非常にすっきりしたのを今でも昨日の事のようにはっきりと覚えている。

 浦野と別れた後、俺はすぐさま雪光の家に行き山椒魚と走れメロスを読んだ。ところが、山椒魚の書き出しには、「山椒魚は狼狽・・した」ではなく、「山椒魚はしんだ」と書いてあったのだ(ただし、フェアじゃないので正直に書くが、読み進めていくと途中には確かに「狼狽」の二字が書いてはあった)。その事を確かめた数日後、浦野が俺の家にやって来た。

「お母さんが会の活動の時、お母さんの代わりにご飯を作ってるんだってね。偉いね」

 浦野はそう言って俺を車に乗せ、ラーメン屋に連れ出した。俺は別に「想新の会」で活動するお袋を支えるために飯を準備していたわけではない。お袋が何もしてくれないせいで腹を空かせている弟と妹が可哀想だと思ってそうしていただけなのだ。しかしそうは考えないのが「想新の会」の連中のお決まりの思考パターンだ、つまり、あくまでも「想新の会」に都合がいいように物事を解釈するのだ。そしてそれが都合のいい解釈であると指摘すると、まるでスイッチが入ったかのようにキレて文句を言い出し、あくまでも都合がいいように解釈させようとし始める。俺はそういう状態の事を、「幹部病」、あるいは「宗教依存性神経症」と心の中で呼んであざ笑っていた。そんな病名が本当にあるのかどうかは知らないが、あながち間違った見立てではないだろう。

 注文したラーメンが来るまでの間、浦野は「想新の会」の会員で芥川賞を受賞した「宮城和輝」という作家について長々と喋り続けた。しかし彼の話し方は非常に独りよがりで、「宮城和輝」の著作を読んだ事のない者にも分かるような言い方をしていなかったため、俺の頭にはちっとも入って来なかった。そもそもそれ以前に、俺は「想新の会」にも「宮城和輝」にも全く興味を持っていなかった。しかし浦野は喋っている自分に酔っていたからなのか、俺が興味を持っていない事にはまるで気づいていないようだった。

 ラーメンを食べ終えると、浦野は再び山椒魚の話を滔々と語り出した。「作文の事があったからって自惚れるな、別に文才があるのは君だけじゃないんだからな」とでも言いたかったのだろうか? むしろ逆に同じ話ばかりで引き出しの少ないつまらない奴だと冷めた思いで俺は話を聞いていたのだが…。そして例の「弟子は師匠の真似をするんだ」というオチを聞き終えた後、

「前にもその話してましたよね…」

 と、以前確認したばかりの誤りを指摘してみせた。

「…俺もその後すぐに山椒魚を読んだんですけど、確かに途中に狼狽という言葉があるにはありました、でも書き出しには『山椒魚は悲しんだ』と書いてあったんです」

「そんなはずはない…」

 浦野は自信に満ちた表情で反論し始めた、実際には、それは自信ではなく過信、否、慢心であるという事も知らずに…。

「…僕は山椒魚の書き出しで狼狽という言葉を覚えたんだ。間違いない」

「いやだから、それが悲しんだだったんだよって話をしてるんです」

「いや、狼狽だ、僕は山椒魚の書き出しで狼狽という言葉を覚えたんだ」

「もし俺が井伏鱒二だったとして、やはり悲しんだと書くと思うんですけど?」

 俺はこの時、あくまでも感覚的にそう思ってこの言葉を口にしたのだが、この直感もまた正しかったという事が後になって裏付けられた。

「いや、狼狽だよ」

 浦野はあくまで、正しいのは自分だと主張し続けた。このままでは埒が開かないと思った俺は、折衷案を出す事にした。

「あの、この話もうやめにしません? 俺たち二人とも、記憶を頼りに言ってるわけでしょう? 原典を確認してみない事にはどっちが正しいかなんて本当の事は分からないじゃないですか」

 浦野は俺の事をあからさまに見下した表情で見ながら更に同じ主張を繰り返した。

「いや、狼狽だ。俺は山椒魚の書き出しに狼狽という言葉が書いてあるのを読んで覚えたんだ、だから間違いない」

「だから、どっちが正しいかなんて今の時点では分からないんだから、確認するまでこの話はやめましょうよ」

 俺は本心からこの言葉を口にしていたのだが、これを「逃げ口上」だと判断したのであろう浦野は何度も何度も、「正しいのは自分だ」と繰り返し続けた。しかし言ってしまった以上、引くに引けなくなった俺も俺で、「確認するまでやめましょう」と繰り返すより他なくなってしまった。そして、「確認した結果、もし狼狽だったという事が判明したなら、きっと浦野は俺と顔を突き合わせるたんびに事あるごとにこの話を蒸し返して俺を見下すんだろうな」、俺はそう思い不安になってしまった。しかし不安を感じている俺を見て、「自信がないから逃げているのだ」という推測に更なる確信を抱いたのであろう浦野は、高慢な笑みを浮かべながら「狼狽だ」と偉そうに繰り返した。「これってまるきりイジメだよな。『想新の会』の人って自分たちで主張しているほど人柄良くないよな」、俺はそう思いながら更にもう一度、「確認するまでやめましょう」と口にした。すると浦野は、

「じゃあ確認してみなさいよ!」

 それはそれは偉そうな態度でそう言い放ったのである。自分が間違っている可能性を少しも考えようとしない浦野の態度に、「ここまで偉そうな物言いをする奴も珍しいよな」、俺は心底からそう思いながら、

「ええ、確認しますよ」

 と返事をした。すると浦野は更に、

「確認したら報告してね」

 と、ますますもってして偉そうに畳みかけてきたのであった。なので俺も、

「ええ、報告します」

 と答えて浦野と別れた。俺はすぐに雪光の家へと行き、山椒魚を確認してみた。すると案の定、そこには「山椒魚は悲しんだ」と書いてあった。「顔をつき合わせるたび事あるごとにこの話を蒸し返されて見下される可能性はこれでなくなった」、そう思った俺は心底からホッとした、…と同時に、雪光のおじさんが書斎に入ってきた。

「あれ? また山椒魚を読んでるの?」

 そう尋ねてきた雪光のおじさんに、俺は浦野とのやりとりを一から順々と説明した。すると彼は、

「新矢君の歳で大人の言う事を鵜呑みにせずに何が本当に正しい事なのかをキチンと思考する力をすでに持っているなんてすごい事だと思うよ…」

 と言いながら、俺に「ソクラテスの弁明」と書かれている本を差し出してきた。

「…頭が良いって、どういうことか知ってるか?」

「あ、それってひょっとして、"無知の知"って話ですか? 『ソフィーの世界』って本で読んだ事がある」

 雑誌「ダヴィンチ」を本屋で立ち読みした時、広末涼子が「『ソフィーの世界』を読んでいる」と語っていた事が書いてあったので、興味を持った俺は図書館から本を借りてきて読破したばかりだった。雪光のおじさんは、「正解」、と言ってこう語り出した。

「"真の賢者とは、自分が何を知らないのかという事を知っている人の事を指す"これはソクラテスの言葉だ。この言葉を応用すると、新矢君は、"山椒魚の書き出しを知らないという事を知っていた"から確認するまでやめにしようと言ったんだろ? 反対にその『想新の会』の幹部は、"知らないという事を知らなかった"から正しいのはあくまで自分だって主張したってわけだ。…賢者の反対は何だ?」

「愚者」

 雪光のおじさんは、再び「正解」という言葉を口にした。

「小六の新矢君にはちょっと難しいかも知れないけど、『ソフィーの世界』で概要を知っているなら読めるだろう」

 と言って、「ソクラテスの弁明」の文庫本を俺に手渡ししてくれたのであった。

「本田宗一郎の本で読んだ事があるんです。"人間の知っているという感覚って案外いい加減なんだ。例えば日本人に松の木を知っているか? と質問すると、ほとんどの人が知っていると答える。しかしスケッチを描いてみろと言うと、ほとんどの人が特徴を描けない。それぐらい知っているという感覚はいい加減なんだ"って。だから本田宗一郎は、常に実証する事をもっとも重要視してたそうです。部下に対しても、"本当にやったのか? 本当に自分でやって確かめてみたのか?"って、何度も聞いたそうですよ。これも"無知の知"って事ですよね?」

「全くそのとおりだ。それに『山椒魚は狼狽した』より『山椒魚は悲しんだ』の方がリズミカルだし修辞技法レトリックの観点から見ても美しいぞ。試しに音数を数えてみよう…」

 雪光のおじさんはいかにも文学者らしい事を言うと、一音一音声を出しながら指を折った。

「さ・ん・しょ・う・う・お・は、…七音!」

 おじさんはそれはそれは楽しそうな声を上げながら、再び最初から指を折って数え始めた。

「か・な・し・ん・だ、…五音!」

「あっ! 俳句と同じだ!」

「俺がもし井伏鱒二だったとしても悲しんだと書くと思う」と直感した理由がこれで判明した、と思った。もしこれが「狼狽した」なら六音になるからである。

「それに、『さ』も『は』も『か』も『だ』も母音は全て『あ』だろ? そこに「狼狽」が入ると、一音だけ『お』になってなんとなく湿った感じの文章になる」

「確かに」

 修辞技法の事をもっと勉強しよう、俺は強く思った。またこれは、僭越ながら、「やはり自分には文章を書く才能があったのだ」と悟った瞬間でもあった。…そう、今の俺が「ギターショップ」で作詞家として活躍できているのは、他でもない雪光のおじさんの薫陶のおかげなのだ(…ついでに言うなら浦野という反面教師が居てくれたおかげでもあるのだ。『我以外皆我師』とはよく言ったものである)。「まったく、うちの親父もこれぐらい教えてくれるなら俺も大人しく自分の家で勉強するのにな」と思いながら、俺は更なる疑問をおじさんに投げかけてみた。

「俺ね、ちょっと確かめてみたい事があるんです。その時の浦野っていう幹部なんですけど、俺の事をあからさまに見下してたんですよ。その態度を見て、もし狼狽だったなら、きっと俺と会うたんびに事ある毎にこの話を蒸し返して馬鹿にする気でいるんだろうなって思ったんです。でも、これだって勝手に答えを作って分かった気になっているだけで、本当にそうなのかどうかは確かめてみなくちゃ分かりませんよね? そこで質問なんですけど、どうやったらそれを確かめられますかね?」

「そんなの簡単だよ…」

 雪光のおじさんは、ニヤニヤ意地の悪そうな顔をしながら語り出した。

「…"確認したら報告する"って約束したんだろ? わざと報告しないで相手の出方を待つんだよ。もし新矢君の推測が正しかったなら、その浦野って奴は間違いなくまたその話をし出すよ」

「あ、なるほど!」

 機転を効かせたり相手の裏をかいたりといったアイデアを軽々と思いつくおじさんを見て、やはりこの人は雪光を産み育てた人なんだなとつくづく思った。

「しかしな…」

 雪光のおじさんは、難しいことを考える時のように顔を歪めながらこう言い出した。

「…俺も学生の頃、『想新の会』の連中とちょっとだけ付き合いがあったから分かるんだが、アイツらとはあまり関わらない方が身のためだぞ。すぐにやれ新聞代だ入会金だってお金を要求してくるんだ。実際『想新の会』を辞めた人からも聞いたけど、もし本当に入会したなら、もっともっと金を要求されるようになるらしいしな。その人、年に一度多額のお金を振り込むようにって言われたり、同じ新聞を二部も三部も取るようにって言われているうちに疑問を感じるようになったって言ってたよ。特に、経本がリニューアルされたから新しく買い直すようにって言われた時いよいよ疑問に感じたらしくて、"供給が伸び切っちゃったから新しい需要を掘り起こしたくて、それでああでもないこうでもないともっともらしい理由をつけて経本をリニューアルしたんじゃないんでしょうか?"って言って幹部と揉め事になったとも言ってたよ(俺が思うに、恐らくその幹部は、『不都合な真実』を突き付けられて『宗教依存性神経症』を起こしたのだろう)。彼らのやってる事は宗教に名を借りたビジネスなんだ、もっと言うなら、"世界平和に貢献しましょう"という名目でお金をボッたくってる詐欺なんだよ。…もっとも新矢君の場合、親が『想新の会』だから距離を置くのは難しいかも知れないけどね」

 俺はすぐに「ソクラテスの弁明」を読み始めた。正直かなり難解で、途中何度もつっかえては読み返すを繰り返しはした。しかし、難しくはあったが非常に面白かった(ゲーテも次のような意味の言葉を残している。曰く、『世の中は粥やスープのように柔らかい食べ物ばかりが溢れているわけではない、硬い食べ物だってある、なんとかそれを咀嚼して自分のものにするか、噛み切れずにへこたれるかのどちらかだ』という意味の言葉を。そう考えると、今の時代はなんと柔らかな食べ物ばかりが溢れているのだろう。やっぱり人間たるもの、本は読むべきなのである)。

 …なお、ここで少々紙面を割いて、「ソクラテスの弁明」という本について簡単にではあるが説明をさせてもらおうと思う(なぜならこの手記を書くにあたり、この本のテーマを理解してもらう事は非常に重要な事だからだ)。この「ソクラテスの弁明」という本には、一言で言うなら、それはそれはみっともない「逆ギレ裁判」の様子が描かれているのだ。自分で自分の事を勝手に頭が良いと思い込んでいる人たちに対し、ソクラテスが、

「アンタ世間に対して自分の事を、"オレは偉い、オレは頭が良い"と主張しているそうだけれども、その物事について本当のところどこまで知ってるの?」と追及した結果、その人たちが実はほとんど何も知らなかったという事が判明する。そしてソクラテスによって実は何も知らなかったのだという事を白日の元に暴露された人たちが、恥をかかされたと逆恨みし法廷に訴え裁判になる。…その裁判の様子が、ソクラテスの死後弟子のプラトンの執筆によって再現されたのが、「ソクラテスの弁明」という本のなのであった。

 確かめもせずに勝手に、「オレは偉い、オレは頭が良い」と思い込んでいる人たちを追及するソクラテスの姿が、当時の若い人たちには最高のショーに見えたらしく、

「おい見ろよ、ソクラテス先生がまた大して偉くもないのに偉いと思い込んでいる人をとっちめてるぞ」と、彼は人気者であったらしい。しかし偉いとされてる人たちは、その「不都合な真実」を、「若者たちを煽動している」とねじ曲げて解釈する。結果それが裁判の争点になるのだが、「そんな事実はない、ただ『無知の知』を提唱していただけだ」と、ソクラテスは弁舌さわやかに言い切る。しかしソクラテスは僅差で敗れ死刑判決を受ける。が、ソクラテスは、

「死後の世界があるのかないのかなんて私は知らない。死んだ事がないのだから知らないのは当然だ。知っているのは神だけだ」と、あくまでも「無知の知」を貫き、

「もし死後の世界があるのなら、私はそこで今度こそ正当な裁きを受けるだろう、そして死後の世界で過去の偉大な哲学者たちと大いに語り合う事になるだろう」と、死をすら恐れない彼の雄弁な姿を最後に描いてこの本は幕を閉じるのであった。…俺は思った、きっと雪光のおじさんは、暗に「ソクラテスと同じ事を浦野に対してやってみろ」と言いたくてこの本を貸してくれたのに違いない、と。紀元前の大昔ならともかく、この時代に「無知の知」を追及したぐらいで死刑になんかなるわけがない、…やってみようと俺は思った。

 そのチャンスは数日後、突如訪れた。塾へ行く前にファミレスで腹ごしらえをしたいという雪光に付き合って店に入った時の事だった。そこには一人で食事している浦野の姿があったのだ。

「やあどうぞ、ここへ来なさい」

 浦野は僕らを席に誘った。正直手元が不安だった俺は、小遣いを使わずに済むと思って少々安堵した。しばらく俺たちはにこやかに談笑をし続けた。ところが浦野は、いつまでたっても山椒魚の事を言いださない俺の様子を見て、「やはり狼狽だったに違いない」と踏んだのだろう、なんの脈略もなしに、突然、あのものすごく人を見下した卑しい笑顔を浮かべて三度みたび同じ話をし始めたのだ。俺は事情を知らない雪光にもきちんと理解してもらえるよう、浦野の言い分が終わるまでただひたすら沈黙し、好きなだけ喋らせてやった。掌の上の孫悟空のように泳がされてるとも知らずに、浦野は自慢げに滔々と喋り続け、そして最後に例のお決まりの台詞を口にしたのだった。

「…弟子は師匠の真似をするんだ」

 浦野の話を最後まで聞き終えた後、俺は手を挙げて、

「…これで浦野さんが俺とツラを付き合わすたびに事あるごとに、"狼狽だ"と蒸し返して俺を見下す気でいたのが明白となりましたね」

 と勝利宣言をしてみせた。ところが浦野は、自分の置かれている状況がまるで読めていなかったようであった。相変わらず俺を見下しているのが見え見えの、それはそれは気持ちの悪いニヤけた面をしたままこう言ったのである。

「でも、書き出しは"狼狽"だったんでしょ?」

「いいえ。"悲しんだ"でしたよ」

「悲しんだだった!?」

 お袋から聞いた話によると、「想新の会」の教義には、「修羅の命」という物が人間にはあるとされているのだそうだ。曰く、「弱い奴には威張り倒すが、強い奴にはペコペコする生命状態」の事を言うらしい。その時の浦野は、それで言うならまさに「修羅の命」である。会の幹部も大した事ないな、俺は心底からそう思いながらいっきに浦野へたたみかけた。追撃の手を緩める気はさらさらなかった。

「一度だけ、アンタの師匠である『山雄大覚』が本部総会で行ったスピーチを真剣に読んでみた事があったんですよ」

「なっ! 呼び捨てはないでしょう! 『山雄先生』と呼びなさい!」

「嫌です!」

 俺はきっぱり断った。

「どうして公人を呼び捨てにしちゃいけないんですか? 納得いきません。…とにかく、テーブルに置いてあった『想新通信』に『山雄大覚』のスピーチが掲載されていたのを見て、ふと読んでみたくなったんです。でも正直なところ、結局『山雄大覚』が何を言いたいのか、俺には全く理解できませんでした。誓って言いますけど、それは決して俺の頭が悪いからではありません。ただひたすらに、過去の大文豪の名文や偉人の名言を引用して継ぎ接ぎしているだけで、彼自身の主義主張なんて皆無に等しかったからです。こうして見ると、確かに浦野さんはあなたの師匠である『山雄大覚』にとても良く似てますよね。自分の事を、殊更に、頭良く見せよう、頭良く見せようとふるまってばっかりで、内容のある事なんかこれっぽっちも喋っちゃいない」

 言いたい事をひととおり言い終えると、怪訝そうな顔をした雪光が、

「どういうこと? 話にぜんぜんついて行けないんだけど」

 と質問してきたので、俺は今までの経緯いきさつを全て話した。そしてもちろん、確認した結果、正しいのは自分の方だったと分かったのにも関わらず報告をしなかったのは、雪光のおじさんに入れ知恵されたからだと種明かしする事も忘れなかった。

「それはちょっと傲慢じゃないかな…」

 浦野の表情からは、見下していた相手から、むしろ逆に見下されていたのだという事実に気づいて苛立っている様子がはっきりと見て取れた。

「…普通この状況で報告がなかったら正しいのは自分の方だって誰しもがそう思うでしょう? 違うかい?」

「お言葉ですけど、傲慢なのは先輩の方じゃありません?」

 雪光はいたってクールにこう話し出した。

「確かめもせずに正しいのは自分の方だって思い上がって研鑚を怠ったから手痛いしっぺ返しを食らったってだけの話でしょう?」

 まるで狙い澄ました狙撃手スナイパーの一撃のような弁だった。俺は思わず「ナイス!」と膝を打ってしまった。これが雪光の凄いところだった。三國志を読んだ時、もし戦争になったなら、もっとも敵に回したくない相手は喧嘩慣れしている一将ではない、雪光だ、俺は心底からそう思った事もあった(事実、誰も諸葛孔明には勝てなかったのだ)。更に雪光は冷たい表情のまま、

「僕たち、この後塾があるんでもう行きますね。ご馳走さまでした」

 とあまり抑揚のない声で言い放ち席を立った。きっと浦野は最高に面白くなかっただろう。俺は最後に、

「俺はこれからも知らない事は知らないと素直に認める事にします。あなたの真似はしませんし、あなたを師匠だと思う事もありませんから」

 と言い残し、雪光の後に続いて席を立った(この時の出来事を、"小学生にしちゃあまたずいぶんと出来すぎじゃないか? そういう新矢、お前の方こそ自分の事を頭良く見せようとして誇張して書いていないか?"と思う輩が、特に『想新の会』の信者の中にはいるのではないかと正直俺はそう思っている。確かに、この時の出来事を可能な限り精密に描写しようと丁寧に描いたがために、その反動で、結果、出来すぎに見えてしまう危険性もまた生まれてしまっているであろう事ぐらい俺だって嫌というほど分かっている、…この点についてだけは素直に認めよう。その代わり、『想新の会』の幹部が、小学生よりも劣っているという点についてだけは認めて頂きたいのである。事実、今時、仏壇を拝んだら幸せになれるだなんて話を信じる小学生なんているわけがないのだから)。

 それから数日後、一将はギターを練習し始めた。本人の手記にあるとおり、マスターの楽器屋でジミヘンのポスターを見て強い衝撃を受けたのが主な理由だった。しばらくしてから俺もお年玉をはたいて中古のフェンダーの四弦ベースをマスターの店で買った。中学へ入学する直前、二月中旬の日の事だった。するとお袋から楽器を始めたと聞かされた浦野が、懲りずに再びやってきた。

「ラーメンでも食いに行かないか?」

 正直あまり浦野とは付き合いたくなかったが、そう言われるとなんだか無性にラーメンが食べたくなり、俺は同行する事にした。浦野の車に乗ると、カーステからジミヘンが流れ出した。今度は音楽で知ったかぶって何か偉そうな事を言い、「教えてあげている自分」に酔おうとしているのだろうと予測した。残念ながら、雪光のおじさんから文学や哲学を教えて貰っているのと同じくらい、俺はマスターや一将のおじさんから音楽の事をいろいろと教えて貰っていた。デタラメな事ばかり言う「愚者」などまるきり必要としていなかったのだ。

「ベースギター練習してるんだって?」

「はあ…」

 俺は曖昧に返事した。

「この曲のボーカルとギターをやってるのはジミヘンって言って…」

 浦野は滔々と喋り出した。そんな事も知らないと思っているのだろうか、「俺も随分とナメられたもんだ」、と思いながら「無知の知」でやり返すチャンスを虎視眈々と待った。…今にして思うと、この浦野という男は、たかだかまだ小学生でしかなった当時の俺に、むしろ逆に見下されている事に気づいていたのではなかろうかという気がしてくる。しかし実力はないくせにプライドだけは一人前の浦野には、どうしてもその「不都合な真実」は受け入れられなくて、それが理由でなんとかして自分の偉大さを認めさせてやろうとしていたのではないか、と。しかし、いくら知ったかぶりで押し切ろうとしても、知ったかぶりは知ったかぶり、いつか必ず露見する嘘なのだ。俺に認めて貰いたいのなら、「知らない事は知らない」と素直に言えば良かったのだ。が、浦野は決してそうしようとはしなかった。あくまでも自分を大きく見せようとする事をやめなかった。浦野に限った話ではない、「想新の会」の連中は、程度の差はともかく皆そうなのだ。なぜそうなのか、その答えはいたって簡単である。


 …宗教のせいで心を病んでいるからだ。


 なぜ、宗教のパンフレットには、尋常でないほどの満面の笑みで教祖を見つめている信者たちの写真とか、荒廃した世界を救済するためにやって来た天使の絵とかいった胡散臭い物しか描かれていないのだろうか? 「この器具を使うとO脚が矯正されて背が高くなり女にモテる」とか、「魔法のナイトブラで寝てる間におっぱいがグングンおっきくなってアナタの彼氏も大喜び♡」とかいった類のチラシも同様の事が言える。必ずと言っていいほどやや胡散臭く描かれているではないか。俺が思うに、あれはわざとそういう描き方をする事で、入り口の時点で相手をふるいにかけて選別しているのだ。もちろん、あからさまに胡散臭く描いたら誰も騙されてはくれないだろう。しかし、ある程度の胡散臭さで騙せるという事は、すなわち法に触れない範囲で騙せるという事でもある。とどのつまり、「想新の会」の熱心な信者とは、搾取する側である組織の中枢の人間たちに、めでたくも「騙されやすい認定」され金蔓にされた哀れな人たちの事を意味しているのだ。

 事実、俺はお袋にこんな質問をした事があった。

「どうして想新通信は、"どこそこに新しく平和会館がオープンしました"と大々的に書くくせに、"どこそこの会館が近所の住民の苦情を受けて閉館しました"とは決して書かないの?」と。お袋は、答えになっているようで全くなっていない回答を口に出した。

「そんな事が気になるのは、アンタに信仰心がないからよ」

 信仰心がない事は認めよう。しかしお袋のその返答は、「閉館した事実を載せない理由」に対する回答としては完全に不適切である。そもそも「組織に都合の良い事しか書かない、そして都合の悪い事は書かない」という事それ自体がまさに、「やや胡散臭く書く事で相手をふるいにかけて選別している」という説の顕著な例と言えるのではないのだろうか? 

 また、高校の時、こんな質問をした事もあった。

「『想新の会』の信仰をすると真実を見抜くまなこが培われるってよく言うけど、だったらどうして公民党の神山代表は、イラクに大量破壊兵器が無い事を見抜けなかったの? 『想新の会』の幹部は当時、"普通戦争の指導者は安全な場所からああしろこうしろとしか言わない、しかし神山代表は現地へ行った、これは素晴らしい事なんだ"って言ってたらしいけど、イラクが大量破壊兵器を持っていない事を神山代表が真実を見抜く眼でもってして見抜いて、『山雄大覚』に報告して、それで『山雄大覚』がブッシュ大統領に会談しに行っていたらあの無駄な戦争はなかったんじゃないの? これでどうして"山雄先生は私たちのお金を世界平和のために使って下さっているのよ"と言い切れるの?」

 この時もそうだった、お袋からまともな答えは返っては来なかったのだ。

「『山雄先生』の本当の思いはそこにあると思うの、でもね(以下省略…)」

 意味不明な事をひたすらまくし立てるだけだった。あたかもその姿は、

「でも、世の中ちっとも平和になってないよね?」と言われるのが怖くて、攻撃は最大の防御とばかりに言葉で弾幕を張っているかのようだった。事実、たとえ本当の思いがどこにあろうとも、「山雄大覚」がブッシュ大統領と会見し、「イラクに大量破壊兵器はありません、だからこんな無駄な戦争はやめなさい」と言ってはいないのだ。そして、何をどう言い繕ったところでこの事実は動かないのだ。

 ところがその一方で、平和に貢献した功績を称えてという理由で、「山雄大覚」はやれ「名誉博士」だ「名誉教授」だと、頭に「名誉」が付く勲章を貰って見栄を満たす事にだけは余念がないのである、それも、爆弾が落ちてくる心配など全くない安全な日本で行われる本部総会にて…。なお、雪光のおじさんから教わった話によると、頭に「名誉」がついていない博士号の方が本当は遥かに価値が高いのだそうだ。反対に、頭に「名誉」がついている博士号は、学術的な貢献などなくとも、図書館や校舎を建ててあげたとかいった、言わば金銭的な援助という実績だけで授与できてしまえる物なのだとも教わった。結果、援助を受けた貧しい国の大学の人たちは喜んで、「世界平和に貢献された功績を称えて(以下省略…)」と、「想新の会」から望まれたとおりのリップサービスを本部総会にて行うというわけだ。つまり、本部総会にて信者の前で行われている「山雄大覚」の「名誉博士号授与式」とは、金の力で行っている自作自演のショーに過ぎないのだ。ところがこの話をお袋にしたところ、「それは違う」と言い出したのである。

「日本の社会が山雄先生の偉大さを決して認めようとしないのは、山雄先生があまりにも偉大過ぎて理解が追いついていないからなの。その偉大な山雄先生から直接指導して頂ける立場にいながら新矢ったら雪光君のお父さんの言い分なんかを鵜呑みにして(以下省略…)」

 百歩譲って「山雄大覚」が偉大過ぎたとして、それが理由で彼を正しく評価できないほど日本の社会が歪んでいるだなんて俺にはとても思えないのだが…。

 ともあれ、こういった体験を幾つか重ねていくうちに、「想新の会」を信じている人たちが、「不都合な真実」に対してまともに答えられないのは一体何故なのかという事を俺は真剣に考えるようになった、そして一つの答えにたどり着いた。…宗教というものは、信じるという大前提なしでは成り立たないようにできているのだ、裏を返すなら、疑われたり反論されたりするなんて事はそもそも最初から想定していないのだ、…もう少しだけ正確に言うなら、信者の疑問に対する答えなど最初ハナから用意する必要はないと考えているのだ、…更にもう少しだけ言うなら、どうせ信者なんて簡単に騙し通せるとでも思っているのだ、…人を馬鹿にするのにも程がある。ソクラテスの「無知の知」が示すように、答えを知らない質問に正しく回答する事はできない。そして、「想新の会」が自らに不都合な疑問に対する回答を信者に出す事もない。…だから彼らはまともに答えられないのだ。言える事があるとするなら、

「とにかく『想新の会』は正しいんです、だから『想新の会』を信じなさい、疑うとバチが当たりますよ」

 せいぜいこれぐらいである。だがしかし、これこそがまさに、

「『想新の会』の言いなりになっている分、違う誰かを言いなりにしない事には心の均衡が保てない精神状態になっている」

 という優太さんの見解の顕著な例と言えよう。そもそも「罰が当たる」と言って人を脅して言いなりにしようだなんて、「今すぐ返さないとお前の家に火を着けるぞ!」と言っている借金取りのヤクザと同じではないか。しかし実際に火を着けるヤクザはいない、…言うまでもなくそれは犯罪だからだ。また、宗教を批判したり疑ったりして罰が当たるなどという事もまたあり得ない、…なぜなら宗教とは人間の想像力から生まれたフィクションだからだ。…戦争映画を観ても命の危険を感じないのは、それがフィクションだと解っているからだ。そして同じく宗教もまた妄想フィクションであり、罰に怯える必要なんてないのだ。…更に言うなら、そういったたぐいの人たちにとって一番困るのは、相手が怖がってくれない事なのだ。…高校の時、同じクラスの奴に、「ちょっと音楽ができるからって調子に乗るんじゃねぇ! ブチ殺すぞ!」と脅された事があった。俺は直ちにこう言い返した。「殺せよ、さあ、早く殺せよ」と。ちょっと脅せば怯むとでも思っていたのだろう、相手は舌打ちをし、あからさまに苛ついた表情をして見せた。…これが脅すという事の本質であり、また「想新の会」の連中がやっている事の本質でもあるのだ、…つまり、脅しは脅しだと見破れば脅しではなくなるのだ!

 世の中のほとんどの人たちは、騙されているという事実を無償で教えてあげられるほど暇人でもなければお人好しでもない。したがって、実際にはカルト教団の金儲けのためにいい様にコキ使われているだけなのに、その事に気づく機会をそもそも最初から喪失してしまっている彼らは、入会した時点で自動的に自分以外の騙されやすい哀れな奴を探し求めて毎日ヘトヘトになるまで歩き回される事になる。探し出さない事には、前述のとおり他の誰かを自分の言いなりにする事ができないからだ。そしてもし、運よく騙されやすい誰かを見つけようものなら、ここぞとばかりに相手を自分の言いなりにし、「想新の会」の言いなりになっている自分の心の均衡を保とうとする、という事に相成るわけだ。浦野が未来少年の担当として俺にちょくちょく会いに来ていた事にしてもそう、けっきょくのところ俺を自分の言いなりにして従わせたかったからなのだ。ところがどっこい、俺は言いなりにはならなかった。山椒魚を確認する事をやめなかったし、その山椒魚の書き出しには「悲しんだ」と書いてあった。浦野にとっては二重の意味で屈辱だったに違いない。しかしもし俺が浦野の言いなりになり、「浦野さんがそう言うのだからきっと『狼狽』に違いない」と思い込んで確認していなかったなら、浦野が自分の間違いに気づく機会は恐らく永久に訪れなかっただろう。むしろ逆に鵜呑みにしなかった俺に対し感謝して貰いたいぐらいである。

 実際にはどこかの誰かを自分の言いなりにしようとしているだけなのにも関わらず、「自分たちの宗教が社会にもっと広まれば世界は必ず平和になる。その正しい教えを伝えなければならないという尊い使命が自分たちにはあるんだ!」と思い込み、宗教団体という限りなく狭い閉じた世界の中でヒロイズムに酔っている姿の、なんと哀れな事よ! そしてあくまで、「自分たちは正しい思想を実践して人々を教化してあげている、上の立場の人間なんだ」と思い込んでマウンティングし、「不都合な真実」には目を閉ざして日々を生き抜く姿の、なんと愚かな事よ!


 …一体これでどうして心を病んでいないと言えるのだろう? 


「…と、いうわけで…」

 心を病んだ哀れな子羊・浦野は、教えてあげなければならないという尊い使命が自分にはあるのだと思い込んでそれに酔い、滔々と語り続けるのであった。

「…ギターの演奏テクニックのほとんど全ては、ジミヘンが確立したって言われているんだ」

 そういうアンタこそ、「能ある鷹は爪を隠す」という諺を知ってるのかい? 俺は心の中で浦野をあざ笑いながら、伝家の宝刀「無知の知」という名のカマをかけた、…つまりソクラテスのように空とぼけてみせたのだ。

「ライトハンド演奏法を確立したのもジミヘンですか?」

 俺のカマにまんまと引っかかった浦野は、

「うんそうだよ」

 と知ったかぶった。俺はすぐさま、

「違いますよ…」

 と発言した。浦野の眉がピクンと跳ねあがった。

「…ライトハンドを確立したのはヴァン・ヘイレンです。もっとも、ジャズの時代からあるにはあったテクニックらしいですけどね。ともあれそれを完全に確立させたのはヴァン・ヘイレンです、ジミヘンじゃありません。だいたいなんでジミヘンがライトハンドなんですか? ジミヘンは左手にピックを持って右手で弦押ししてるのに…」

 ファンのみんななら知ってのとおり、一将は、「レフトハンド演奏法」という、俺が知る限り恐らくジミヘンですらやった事のないオリジナル技を習得している。オリジナル、とは言っても厳密には、左手にピックを持って弦を弾くのと同じように、左手の指先で弦を爪弾つまびいているだけなのだが、一将の出す音は全て、タッピングに関わらずまるで魔法がかかっているかのようにサイケデリックかつエキセントリックだった。

「…と、いうわけで、車から降ろしてください」

 俺は強く要求した。

「いや降りる必要はないよ」

 浦野は慌てたような様子をみせた。

「いや、降ろしてください。『想新の会』の信仰で人間性が革新されるなんてやっぱり嘘なんだって事がこれではっきり分かりました。事実、あなたの知ったかぶりの命の傾向性は山椒魚の一件以来全然革新されてませんし、したがってこれ以上は時間の無駄です」

 俺に「不都合な真実」を突きつけられた浦野は「宗教依存性神経症」を発症し、

「いや、それは違う。『想新の会』の指導にもあるんだけど、君の目に僕がそう見えたのは、君にもそういう命の傾向性があるからであって(以下省略…)」

 信者にしか通じない宗教上の教義を、まるで弱い仔犬のようにキャンキャン吠え始めた。

「黙れ!」

 俺は誤作動を起こしてエアバックが飛び出してもおかしくないぐらいの勢いでダッシュボードをぶっ叩いて一喝してみせた。

「指導してやってンのはこっちの方だ! 有り難く思え! そんな命の傾向性がどうとかなんて観念的な話は『想新の会』のやつらにしか通用しない妄想なんだよ! 社会でンな事を言ってみろ! 笑われるか馬鹿にされるか相手にされないかのどれかだ! とにかく早く車を停めて降ろせ! でないと誘拐だって騒ぐぞ!」

 浦野はようやく車を停めた。

「とにかく、ラーメンでも食べながらゆっくり話し合おう」

「そもそも『想新の会』が正しいとか間違ってるとかいう以前に、俺がアンタなら警戒するよ、"山椒魚の事もある、もう新矢君相手に知ったかぶるのはやめよう"って。相手は自分よりも物事を知らないに違いないとでも思い込んでるんだろ。人をナメるのもいい加減にしろ。バ〜カ!」

 俺はそう言い捨てて車から降りた後、中指を立てながらそれはそれは乱暴に車のドアを閉めた。

 そしてそのまま徒歩で家に帰った…。



 …この出来事があって以降、俺と浦野の関係はほぼ完全に没交渉となった。

 ところが、である、それから数年後、ひょんな事から、その後の浦野がまるで進歩していない事を知る機会を俺は偶然にして得たのであった。それは我が「ギターショップ」がプロデビューしてまだ本当に間もない頃の事である。とある新宿の楽器屋にたまたま一人でフラリと立ち寄った時、見知らぬ女性から、

「『ギターショップ』のベースの新矢さんですよね?」と声をかけられたのだ。その昔、「想新の会」の未来少女だったと名乗るその女性は、俺が目の不自由な人の事を書いた作文を「秋島平和会館」で朗読した時あの現場に居たらしく、それ以来ずっと覚えていたと言うのだ。だがしかし、ただでさえ、プロデビューしたばかりで少々ピリピリしていた俺は、面倒な話は御免とばかりに、

「『想新の会』の話なら聞く気ありませんよ」

 キッパリと突き放す姿勢を示してみせた。ところが彼女は、

「違うんです。私も今はもう『想新の会』とは距離を置いているんです。私の弟が新矢さんと同じ歳なんで、新矢さんが『想新の会』の活動を熱心にやってない事は前から知ってました…」

 と言い出したのだ。そういう事なら要件ぐらいは聞いてやろうかと思い、俺は彼女の話に耳を傾けた。すると彼女はとんでもない事を言い出したのであった。

「…ずっと前に未来少年の担当をやってた浦野さんって覚えてます? 私一年くらい前にお母さんから"浦野さんと結婚しない?"って言われた事があったんです。で、それを断ったら親との関係が悪化しちゃって…」

「ちょっと待った!」

 因縁浅からぬ男の名を耳にし、俄然興味を持ってしまった俺は、

「その話、詳しく聞かせて下さい」

 その女性を近くのファミレスへと誘ったのであった(誓って言うが、下心は一切なかった)。

「私にはあの人、気持ちが悪いんですよ…」

 ティースプーンをカチャカチャ音を立てて廻しながら、その女性はそう切り出した。

「…なんかすぐに知ったかぶって頭良さそうにふるまうんで、昔から一部の女性部の子たちの間で気味悪がられてたんです」

「その話、すごく良く分かります。会話泥棒するようで悪いんですけど、先に二つだけこっちの話を聞いてくれます?」

 俺はそう断ってから、山椒魚とジミヘンの件を話した。するとその女性から「分かる分かる!」と激しい賛同を受けた。

「その山椒魚の件とそっくりな話を知ってるんです。私がまだ『想新の会』で活動していた頃の事なんですけど、当時付き合ってた男性部の元カレからこんな話を聞いたんです。その元カレ、社会人になって本当にすぐの頃、世話になってる上司のお母さんが急に亡くなっちゃった事があったそうなんです。で、入社したてのホヤホヤの頃でまだ喪服を持ってなかったもんだから、浦野さんに貸してもらって葬儀に参加したらしいんですよ。ところがその喪服、後日ちゃんと返したのに、それから更に数日後『秋島平和会館』でばったり会った時に"喪服を返して"って言われたそうなんですよ。当然、"えっ、この前返しましたよね?"ってなりますよね。ところが浦野さん、"いや、まだ返して貰ってないよ"って言ったらしいんです。浦野さんがあんまり強く"返して貰ってない"って言うもんだから、その元カレ不安になっちゃったそうなんです。"もしかしたら返したつもりになってるだけで返してないのかも、家に帰って確かめてみよう"って」

 俺は腕組みをしながら思わずため息をついてしまった。

「確かに、それじゃあまるきり、山椒魚の書き出しが狼狽だったらどうしようと思って不安になってしまった時の俺と全く同じですね」

「そうなんですよ。でも浦野さんは、不安がっている元カレを見て勝手に疑惑を膨らませちゃったみたいで、大勢の前で"喪服返せ喪服返せ"って何度も言ったらしいんです。元カレ、家に帰ってすぐに確かめたら、やっぱり喪服はなかったんでホッとしたって言ってました」

「その気持ちはすごく良く分かります。山椒魚の書き出しが"悲しんだ"だったと確認した時と全く同じですもん」

「ところが浦野さん、元カレに二回も電話したそうなんです。"喪服がない、返せ"って。三回目の電話でようやく、"よく探したら車の中に置きっぱなしになってた。疑って悪かった"って謝罪を受けたんですって。でも、元カレは疑われた事よりも大勢の前で泥棒のように扱われて恥をかかされた事の方が許せなかったらしくて、"あなたの言いたい事はそれだけですか?"って詰め寄ったらしいんです。そしたら浦野さん、"それだけとはどういう意味?"って聞き返したそうなんです。で、元カレが、"尊い同士であるはずのオレの事を、借りパクしようとしていると思い込んで大勢の前で誹謗中傷して恥をかかせておきながら、謝る時だけは電話でコソコソですか? あの現場にいた全員に事の端末を自供する気はないんですか?"って言ったら、浦野さん、ずいぶん苦しい言い訳をしたみたいですよ」

「何て言ったんですか?」

「"もちろん、みんなにはちゃんと言う気でいたよ。でもまさかその事を確認されてるとは思わなかったんだ"」

「うわぁ、絶対それ嘘だ。てゆーか確かめもしないで正しいのは自分だって主張するあたり、昔から全然進歩してないんですね。まだ小学生だった俺にコテンパンにやられているのに何も学ばなかったんでしょうね。やっぱり『想新の会』で人間性が革新されるだなんて嘘だって事なんですよ。だいたい身内の人間を信用していない人が自分たちの宗教を信じろと主張するだなんて矛盾もいいところじゃないですか」

 彼女はおもむろにティーカップを口にしてから、再び話し始めた。

「その元カレとはしばらくして別れたんですけど、風の噂ではもう『想新の会』とは距離を置いてるみたいです。浦野さんとの結婚の話を持ちかけられたのは、その元カレと別れてから数ヶ月後の事でした。でも私にはあの人を受け入れるだなんて到底できなくてキッパリ断ったんです。そしたら両親と仲が悪くなっちゃって…」

「そもそも何なんですかね、縁談を断ったら親との関係が悪化したって、…明治時代の話かよっ!」

「ホントですよ」

 と言ってその女性は笑い出した。…彼女の話は家出した後の心境の変化にまで及んだ。なんでも家を出てすぐ、ネットで「想新の会」について調べてみたところ、昔「想新の会」で活動していたが辞めてしまった人が開いているアンチブログをいくつか発見したらしい。それを読んだ結果、今まで感じていた疑問がみるみる氷解していったと聞かされたのだ。

「『想新の会』に対する疑問を幹部にぶつけても、幹部なんてけっきょく会に都合の良い事しか言わないし、外部の人に言っても分かっては貰えないし…」

 これは俺も同感だった。一将や雪光に話しても理解して貰えないという点に置いては彼女と全く同じだったからだ。

「…でも、そういったサイトで疑問や不満を吐露するとみんな理解してくれるから心が軽くなるんです。ああ、『想新の会』に疑問を抱いていたのは私だけじゃなかったんだって…」

 なるほどねえ、と俺は相槌を打った。

「…なんでもマインド・コントロールから回復するには信じていた期間と同じぐらいの時間がかかるらしくて、そう考えると私なんてまだまだ回復した内には入らないのかも知れないけど、でも、私はまだマシな方だったと思ってもいるんです。騙されて振り込んでしまったお金だってタカが知れてるし、失った友人も数人で済みました。親との関係は、親が『想新の会』を辞めない限り回復しないでしょうけど、こればっかりはもう仕方がないと諦めているんです…」

 そもそも最初からおかしいと思っていた俺からすれば、それでも彼女が失った物は途方もなく大きいように感じられたのだが、恐らく彼女はアンチブログでもっともっと酷い話を知っているからこそそう言っているのだろう、…俺はほろ苦いコーヒーを啜りながらそう思った。

「…私もう見破っちゃったんですよ。『想新の会』の言ってる事なんてみんな嘘だって。…厳密には、嘘というより、効きもしない薬をあたかも完璧な万能薬かのように主張して売りつけてお金をボッたくってる詐欺と同じなんです。そして効きもしない薬を、ああでもないこうでもないと都合よく解釈して効いてると思い込んで他人にもそれを押し売りする、それが信者のやってる事なんです、…しかも困った事に、信者の人たちは、効きもしない薬を効いてると思い込んじゃってるがゆえに善意でそれをやっちゃってるんです、『想新の会』に騙されているなんて夢にも思っていないんです。『想新の会』の嘘はそれだけじゃありません…」

 彼女の目が、正義感のためか少し赤くなっているのを俺は見逃さなかった。

「…たとえばよく『本部総会』で大々的に"訴訟を起こしました!"って言ってますけど、裁判の事をちゃんと調べて客観的なデータを集めた方がネットで情報を公開してるんです、なんとその訴訟、実は敗訴しまくってるんですって。しかも、結果を報告するのは勝訴した時だけで、敗訴した事や、逆転負けした事は報告してないそうなんです」

 思わず俺は、

「それじゃあまるで戦時中の大本営発表みたいじゃないですか! もう『想新の会』という名を改めて、『新の会』と名乗るべきですね」

 と笑ってしまった。

「さすが作詞担当の新矢さんですね! 座布団一枚です! そもそもそれ以前に、訴訟をたくさん抱えてるって時点ですでにもうじゅうぶん過ぎるほど穏やかじゃありませんしね…」

 俺は更に笑ってしまった。

「…しかもその客観的なデータを集めた方のブログによると、『山雄大覚』を始めとするトップクラスの幹部の人たちって、相当な額の税金を納めているそうなんです。その納税額から推測すると…」

 俺は手のひらで彼女の話を遮った。

「…いや、皆まで言わなくていいです。車の税金を幾ら納めているかでおおよその車種が分かるのと同じ理屈ですからね。ま、きっとそうだろうと思ってましたよ。見事に信頼を裏切りませんでしたね…」

 すると彼女は「あはは」とそれはそれは楽しそうな声をあげて笑い出した。そして更にこう続けるのであった。

「…『山雄大覚』にしたって、八十代の老人が全然表舞台に出て来ないんですよ、その理由を"執筆活動に専念しているからだ"って言ってるんですけど、どう考えたって怪しいじゃないですか?」

「あ、そうだったんですか。俺はそこまで詳しく会の事は知らないからアレなんですけど、まあ普通に考えたら寝たきりとか痴呆症とかって線が浮かびますよね」

「ネットには死亡説まで出回ってるくらいなんですよ。"『山雄大覚』のカリスマ性や威光がなければ体制を維持できないから、執筆活動に専念していると尤もらしい事を言ってごまかしてるだけだ"って。そんな嘘がいつまでも保つわけないのに…」

 大して内容のない原稿をスピーチしているだけなのに、信者たちからあれだけ強く支持されているのだから、確かにカリスマ性だけは人後に落ちないのだろう。

「…アンチブログをやってる方で、近畿地方に住んでる人がいるんです…」

 彼女はウェットティッシュの入っているビニール袋を手の中でもて遊ぶようにしながら、更に話し続けた。

「…ほら、ちょっと前に、近畿地方で鳥インフルエンザが流行しかけた事がありましたよね。ちょうどその頃、その人こんな内容の記事をアンチブログに上げてたんです。"『想新の会』の幹部が「会合に来い」と我が家に言いに来た。みんな外出を控えているこのご時世に会合とは何事だ。もし『想新の会』のせいで鳥インフルエンザが本格的に流行したら一体どう責任を取るつもりでいるのだろう。鳥インフルエンザが蔓延する事よりも、会員に暇を与えてマインド・コントロールが解けてしまう事の方がよほど怖いと見える"って。ちょうどそのタイミングで『想新の会』の熱心な信者が、アンチブログにフラリとやって来たんです」

「へぇ、アンチブログに『想新の会』の人が来るなんて意外ですね」

「ええ、でも、まれにそういう事があるんですよ。でも、いつも決まってそうなんですけど、私たちアンチと会話がまるで噛み合わないんです。その人、やれ"マインド・コントロールでできる信仰じゃない"だの、"戦えば福徳があるからやるんです"だのって『想新の会』に都合の良い事しか言わないんです。だから私尋ねてみたんです、"福徳があるから、鳥インフルエンザが蔓延する危険性を無視してまで活動するんですか? もしそうなら『想新の会』の人たちって相当なエゴイストだって事になりますよ?"って。ところがその人、けっきょく『想新の会』の公式見解みたいな言い分を受け売りするばかりで、こっちの疑問にはちっとも答えてくれなかったんです。アンチブログにやってくる『想新の会』の人たちって、みんな必ずと言っていいほど同じような反応を示すんですよ」

「それってある意味においては当然の反応ですよね。『想新の会』が会にとって不都合な事を信者に言うはずがないし、信者は信者で『想新の会』の主張を信じ切って疑ってない、結果、話が噛み合っていようといなかろうと、ただオートマチックに『想新の会』の公式見解の受け売りを話す事しかできなくなってしまうんでしょう」

「ええ、全くそのとおりだと思います…」

 そう言いながら彼女はウェットティッシュの入っているビニール袋を切った。

「…私思うんです。『想新の会』の人達って、自分の事を"分かっている側の人間だ"って思い込むあまり、分かってない事まで分かった気になって勘違いしちゃってるようなところがあるんじゃないかなって」

「確かに…」

 思わず俺は呟いてしまった。そして普段から常々考えていた事を口にした。

「…宗教じゃなくて親子の問題なんですけど、似たようなところがありますよね。分かってないのに分かった気になって、その結果子どもの事を勘違いしちゃう、みたいな。それに、仕事なんかでもよく"上の人って見てるんだ"って軽々しく言う奴がいますけど、俺にはそういう人が信用できないんです。だって俺の経験上、そういう事を言う奴に限ってなんにも分かってないんですもん。だいたい、見てるのは下の立場の人だって同じじゃないですか。浦野の口からこの言葉を聞かされた記憶はないんですけど、でもきっと浦野はそういうタイプだと思うんですよねぇ」

 彼女はカップについた赤い口紅をウェットティッシュで拭った。

「『想新の会』を支持母体にしている『公民党』の事にしても…」

 口紅を拭ったため日の丸のようになったウェットティッシュを、それはそれは丁寧に折り畳み、今度は政治について語り出した。

「…『想新の会』の人たちは、政治の事なんてちっとも分かってないくせに、分かった気になっちゃってるような所があると常々思っているんです。『公民党』が、別名・平成の治安維持法って言われている『人権侵害救済法案』とか、『外国人参政権』とかを支持してる事、ご存知です?」

「もちろん知ってますとも! 『公民党』は日本の利益にならない法案を平気で支持してる危険な政党なんです。事実、北海道の肥沃な土地が、いま少しずつ中国人の手で買収され始めています。この時点ですでにもうじゅうぶん過ぎるほど危険なのに、そこへ来て『外国人参政権』なんかが施行されたら、北海道はたちまち中国人の意のままになってしまいます。そしてもし『人権侵害救済法案』が施行されたら、ちょうど今言っているような特定の外国人や宗教団体に対する正当な批判ですら、やれ差別だ人権侵害だって言われて取り締まりの対象になる危険な社会になってしまう可能性が生まれるんです。そして『公民党』がそんな法案を支持しているのは、他でもない支持母体である『想新の会』に対する正当な批判を事前に封じ込めたいからなんです。事実、『想新の会』には自身に批判的な本の出版を事前に妨害しようとしたというそれはそれは立派な前科がありますしね。そんな日本に不利益しかもたらさない法案を支持するなんて、『公民党』って一体どこの国の政党なんだって言いたくなっちゃいますよね」

「そう、そうなんですよ。それなのに『想新の会』の人たちって、"政治の事は『公民党』に任せとけば大丈夫"くらいにしか考えてないんですよ…」

 イラク戦争の時に感じた疑問をお袋に問いただしても、まともな答えが返ってこなかった理由がこれで良く分かった。

「…尖閣諸島の事にしたって"日本の領土だ"って何度も何度も主張してるのに中国ってホントしつこいじゃないですか」

「中国は限りなくフィクションに近い『歴史』を何度も何度も書き直す事になんの罪悪感を持たずに発展した過去を持ってる国ですからね。よその国の領土を少しずつ少しずつ書き換えて都合良く自分の物にしてしまうなんて事もまたお家芸のうちなんでしょう。自民党も自民党です、もういい加減、『公民党』とは縁を切るべきなんです。『公民党』の組織票欲しさに連立を組むなんて、そんなのは依存症の人が麻薬を欲しがるのと同じで、けっきょく自分の身体を蝕むようになるだけなんです。麻薬をやめれば身体は健康になります、それと同じで『公民党』とは縁を切った方が多くの保守派の支持層が戻って来て党としての運営はかえって健全になります。事実、中国が今どんどん台頭してきているのに、未だに自民党は自衛隊を国防軍に格上げできずにいます。あれは組織票欲しさで『公民党』の言いなりになってしまっているからなんです。もし自民党が単独で与党を運営していたなら、国防軍に格上げする事も不可能ではないでしょう。でも僕は間違っても、戦争がしたくてこんな事を言っているんじゃないんです、逆なんです、中国の侵略から日本を護るためにはそれしか方法がないからそう言っているだけなんです」

「私も同じ意見です」

「そしてもう一つ大事な事があります。『想新の会』の組織票の力を弱めるためには、選挙に行かない人たちの投票率を少しでも上げる必要があるんです。なぜならそういった人たちの投票率が上がればそれに反比例して『想新の会』の組織票の比率が下がるからです。投票に行かない、政治に関心を持たない、それは決してあってはならない事なんです」

「もちろん、私たち一人ひとりがそう言ったところで大局が何か変わるわけじゃないんですけど、でも、そうだとしても、こういった事に問題意識を持つのって大事な事なんだって、『想新の会』から距離を置いて初めて気づいたんです。…ていうか新矢さんって音楽ばっかりじゃなくてちゃんと社会の事を学んでる方だったんですね」

「当然ですよ。僕は本やニュースをちゃんと読んでる人間ですから」

「政治の話をするとあからさまに嫌そうな顔をする人がいますよね。私そういうの良くないと思ってるんです。音楽とか映画とか、エンターテイメントを直ちに悪いと言う気はありません、けど、ただそればかりで政治の事を考えようともしない人って私には信用できないんです。でも、こうやって音楽に携わっている新矢さんのような方がちゃんと政治の事も理解していたんだと知って安心しました」

 俺のケータイが鳴り出したため、そこでいったん話が途絶えた。しかし、俺も彼女も、すでにもうじゅうぶん言いたい事を言い合ってスッキリしたという気配を互いに感じ合っていた。

「ところで…」

 ケータイの通話を終えると、彼女は違う話題を口にし始めた。

「…実は私『ギターショップ』のライヴに何度か足を運んだ事があって…」

「ありがとうございます!」

 俺は心から礼を言った。

「インディーズ時代のCDも持ってるんですよ」

「ああ、本当にありがとうございます!」

「いえ、いいんです、ところで新矢さんみたいに、才能あるのに偉ぶらない人って素敵ですよね」

「いやいやそんな、俺、才能ないっす」

 口でこそそう言ったが、内心ではちょっぴり嬉しかった。

「そんな事ないですよぉ。それにまさかの超がつくぐらいの砂糖対応だし…」

「それはあくまでもお姉さんがまったく無関係な人じゃなかったからであって…」

「そうだとしても砂糖対応である事に違いはないですよ。それに『ギターショップ』はちゃんと音楽だけで勝負してますもんね。やれ握手券だ選挙権だでCDの売り上げをかさ増ししてもいませんし」

「そもそも選挙権って言うのは、議会制民主主義の国家において、自分と政治信条を等しくしている人物を選ぶために国民に等しく与えられている権利の事を言うんです、つまり本来なら『人気投票権』と言うべきなんです。あんな売り方をしてる奴らといい、あんな音楽をありがたがって聴いてる奴らといい、ただでさえ欧米に比べて二十年遅れていると言われている日本の音楽を衰退させて何が楽しいのやら。本気で音楽やってる俺たちの足を引っ張らないで欲しいですよ」

「ホントそのとおりだと思います…」

 彼女はテーブルの上で人差し指をクルクル回しながら上目遣いで尋ねてきた。

「…ところで今、お付き合いされてる方っているんですか?」

「いますよ」

「ボーカルの歌祈さんですか?」

 俺はグラスの中の氷を噛み砕いてから、

「どうして知ってるんですか?」

 と聞き返した。

「やっぱりそうだったんですね。なんとな〜く、ステージでの立ち振る舞いからそんな風に感じてたんです。あのひと透明感があってとても素敵だし、それに歌も本当にお上手ですもんね。ああ、お話できて良かったです。ありがとうございました。バンド活動頑張って下さい」

「こちらこそありがとうございました。有意義な話ができて良かったです」

 彼女との会話はここで終わった。俺は二人分のコーヒー代を持った後、二人で一緒に店を出た。そして共にCDショップへと向かい、デビューアルバムの「EVERYTIME 〜いつか誰かを好きになる〜」を購入して貰った後、そのCDにサインをした、むろん彼女に望まれたからである。

 そして手を振り合って彼女と別れた…。



 …さて、ダッシュボードをぶっ叩き、

「指導してやっているのはこっちの方だ!」と一喝した後、浦野の車を飛び降りた小学生の頃の俺は、前述したように本当に徒歩で家に帰った。そしてまさにちょうどその時活動に出かけようとしていたお袋に、「もう飯は作らない」とハッキリ宣言した。お袋は「それでは困る」と言ってゴネ始めた。

「私が活動してる時だけでいいからご飯を作って」

「それじゃあ俺まで『想新の会』の活動に協力してるみたいだから嫌だ!」

 俺はあくまで反発した。

「あなた、一将君からまた何か言われたんでしょう? そうでしょう? それでご飯作りたくないって言うんでしょう?」

 お袋は泣きそうな顔をしながらそう言い出した。俺は「違う」と言ってさきほどの浦野とのやりとりをひととおり話した。そして、

「『想新の会』の信仰で人間性が革新されるなんて嘘だ」

 と結論づけた。するとお袋は、

「嘘よ、浦野さんは頭が良くてとてもいい人よ!」と、やはり「宗教依存性神経症」を発症し、ああでもないこうでもないと宗教上の教義を弱い子犬のようにキャンキャン吠え始めた。

「うるさい! そんな話聞いてられるか! とにかくもう作らないったら作らない!」

「じゃあ、賢一と麻美の食事はどうなるのよ?」

「アンタがあくまでも作らないで活動に行くって言うならスーパーで万引きする」

「親に向かってアンタとは何よ! もういい、好きにしなさい」

 万引きなんてハッタリだ、そう踏んだのであろうお袋は、活動へ出かけて行ってしまった。しかし俺は本当にスーパーへ行き万引きを実行した、しかも、犯行が露見するように、わざと目立つよう行動した、…ショッピングカートに食料を山のように積み、サービスカウンターの前をニコニコ笑いながら歩いて見せたのだ! なぜそうしたのかというと、盗む事が目的ではなく、捕まる事が目的だったからだ。カウンターの中の店員たちは、「アンビリーバボー!」と言わんばかりに、口をポカンと開けたまま店外へ出ようとする俺をしばし凝視した。店の外に出ると直ちに店員に呼び止められた。そしてすぐさま裏の事務所に連行された。

「名前と、親の連絡先を教えなさい」

 俺はあくまで黙秘し続けた。行ける所まで行ってやると意地になっていたのだ。

「もし、親を呼んで反省と謝罪をするなら、今回だけなら見逃してあげる。でもそうしないなら警察を呼ぶ事になるよ」

 俺はあくまでも突っぱねとおした。何を隠そう、「母親が『想新の会』の信者である事」、そして「活動にのめり込んで食事を用意してくれない事」を理由に万引きしたと警察に話す事がこの時の俺の真の作戦だったからだ、…ただし、本当は自分で料理できる事だけはひた隠しにして…。

 黙秘する俺に対し、店長は少し苛立ったような顔をしながら言った。

「最終通告だよ、もう一度だけ言うからよく考えなさい。親と連絡を取るのなら今回だけは許してあげる。あくまでも反抗するなら警察に通報だ。君の未来にも良くない経歴が残るよ」

 脅しのつもりなのだろうか、たかが小学生の万引きで経歴に傷など着くわけがないのに。…思わず俺はあざ笑ってしまった。それを挑発と見なしたのであろう店員は警察に電話をかけた。しばらくすると、黒い制服を着たむくたけき男たちが事務所へ数人やってきた。俺はそれでも黙秘を貫いた。むろん可能な限り事を大きくし、少しでも多く親と「想新の会」に迷惑をかけたかったからである。やがて、ついに作戦の最終目標であった秋島警察署へと連行される運びとなった。俺は両腕を警官に抱えられ、そのままパトカーに乗せられた。

 秋島警察署に着き、両腕を抱えられたままの状態で通路を歩くと、見覚えのある中年の男とすれ違った。

「君は、あの目が不自由な人の事を作文に書いた少年じゃないか?」

 なんとその中年の男は、俺に賞状を授与してくれた秋島警察署の署長だったのだ。

「なぜ彼がこんな所にいるんだ?」

「万引きです」

「そんな馬鹿なっ!」

 署長は叫んだ。

「彼は心根の良い非常に優しく勤勉な少年だ! 万引きなんてあり得ない!」

「でも本当なんです。防カメでもはっきり確認しました!」

「だとしたら何か理由があるはずだ。さあ、私にわけを話しなさい」

 俺は署長室へと「VIP待遇」された(…なお、次の日学校でこの話をすると、"それじゃあまるっきり刑事ドラマみてぇだな"と一将は爆笑し出した)。フカフカのソファーに座るよう勧められ、俺は素直に従った。すると署長は、

「お腹は空いてないか?」

 と尋ねてきた。

「空いてません」

 俺は首を横に振って突っぱねてみせた。

「嘘をつけ。意地を張るな。お腹がグウグウ鳴ってるのが聞こえてるんだぞ…」

 もし浦野との間にジミヘンの一件がなかったなら、俺はラーメンを奢って貰っているはずだった。しかし一連の出来事で昼から何も食べていなかったため、事実俺はグウグウいうほど腹を空かせていた。そんな署長の優しさに、不覚にも俺は激しく涙してしまった。手の甲で涙を拭うのとほぼ同時に、署長はポンと俺の肩を軽く叩いた。そして、それこそまるで刑事ドラマのような台詞を口にしたのだった。

「…カツ丼でも食うか?」

 署長は部屋の電話で出前を取ってくれた。あともう少しの辛抱で空腹が満たされるのであろう事に、俺は心底から安堵していた。

「母さんは、子どもより、『想新の会』の方が大切なんですよ」

 まるでガンダムの主人公・アムロのような台詞を切り出してから、俺は事の経緯いきさつを説明した。しかし頭の中のある一部分だけは、どういうわけかやけに冷静だった。この事に関しては、署長には本当に申し訳ない事をしたと今でも強く思っているのだが、俺は当初の作戦どおり、「実は自分でご飯を作れるんです」という事実だけを伏せて自供したのだ。

 やがてホカホカと湯気を立てるカツ丼がやって来た。俺は空きっ腹にカツ丼をかき込むようにして食べた。丼の底に残った、タレに浸って涙のように塩っぱくなった飯をひと粒残さず全部箸でかき込むと、署長は、

「つまり、こう言う事だね?」

 と言って今までの話を総括し始めた。

「君のお母さんは『想新の会』の熱心な信者で、それなりの役職を持ってる幹部だと。しかもお父さんはこの問題に関してあまりにも無力で頼りにはならず、で、君は宗教活動にのめり込んでご飯を用意してくれない母親の代わりに、弟と妹の空腹を満たすためにやむを得ず盗みを働いた、…と?」

「はい」

「こりゃあ君のご両親に問題があるね」

 署長は沈痛な声を出した。俺は署長と数名の警官に連れられ、パトカーで「秋島平和会館」へ向かった。警官たちはもう、俺が逃げ出さないよう両腕を抱えたりはしなかった。警察署と会館は車で五分ぐらいの距離だった。会館に着くと、お袋は壇上でマイクを握ってそれはそれは偉そうにスピーチをしていた。しかし俺が警官に連れられてやって来たのを見るやいなや、あっという間に青ざめた顔をして黙りこくってしまった。

 平和会館の事務室へ行くと署長は、お袋を始めとする「想新の会」の幹部たちを前に説教を始めた。

「お母さん、確かに信仰は自由です。しかしその自由は子どもをないがしろにしても良いという性質のものではない、これは常識です。活動をする前に、まずは子どもに食事を用意しなさい。いいですね」

 うな垂れたお袋は、「はい」と情けない声で返事をした。署長の登場こそ良い意味で計算外だったが、概ね描いた作戦どおりに事が進み、俺は大いに満足だった。だがしかし、シナリオどおりに事が運んだのはここまでだった。話が終わると俺たちは「想新の会」の幹部の車で家まで送って貰うことになった。車に乗っている間、お袋はずっと無言のままだった。ところが家に着くなりいきなり狂ったように怒り出したのだった。

「なんでアンタはそうやって『想新の会』に迷惑をかけるような事ばかりするのよ!」

「迷惑なのはこっちの方だ! 逆ギレするのも大概にしろ! だいたい本当の事を言って一体何が悪いって言うのさっ!」

 俺はすぐさま逆らった。するとちょうどそのタイミングで仕事から帰ってきた親父が、

「何だ何だどうした?」

 と話に割って入ってきた。

「この子スーパーで万引きをして警察に捕まったの」

 親父はその話を聞いただけで何もかもを理解した気になり(そんなのは実際にはただの早とちりであり、勝手に答えを作って分かった気になっているだけなのだが)、意味不明な事を質問をしてきた。

「何だ、一将君や雪光君たちと一緒にやったのか?」

 なんでそうなるの? その質問はあまりにもシュール過ぎて、俺の思考は一瞬完全に停止フリーズしてしまった。

「ううん、捕まったのは新矢だけ」

 確かに捕まったのは俺一人だけだが、その返答を聞いた親父は更に事態を誤認してこう言い出した。

「つまり、一将君と雪光君は新矢を見捨てて逃げたんだな」

「ちょっと待て! なんなんだよそれ! 全然違うんだけど!」

「たとえ何がどうだったとしても万引きは良くないな」

「秋島警察署の署長はそうは言ってなかった」

「警察がそんな事を言うわけないだろっ!」

 そう怒鳴って親父は一方的な見解で俺を激しく叱り始めた。しかしそんな事態を全く把握していない説教なんかに従えるわけがない。俺は激しく傷ついた(果たしてこれでも、"こんな事で傷つく子どもの方が悪い"と言えるのだろうか?)。もし今回の事態を正しく理解していたなら、そんな事は間違っても言わないはず、俺はそう思いながらその見当違いの説教を聞き流した。もう、何を言ってもコイツはダメだ、そう思って何も言い返さなかった。

 その夜、俺は布団の中で声を押し殺してシクシク嗚咽し続けた。



     ♩



 やがて俺は中学生になり、「想新の会」での立ち位置も、小等少年から中等少年へと自動的にシフトされた。小等少年部の顧問だった浦野が、中等少年部の顧問を紹介するため再び家に連れだってやって来た。

「紹介するね、君の新しい顧問だ、野田というんだ」

 浦野はそう言ったが、

「もううちには来ないでください」

 俺はそう言って二人を門前払いした。しかしその野田という名の見るからに女にモテなさそうな不潔な容姿をした男は、月に一度必ずや、未来少年部の会合があると誘いに来た。俺がどういう人間なのかを知ろうともせず、ただただひたすら「会合に来い」としか言わない野田を見た俺は、「これじゃナンパと同じじゃないか。俺がそんなやり方に従うような安っぽい人間だと思っているのなら大間違いだ、作文が評価された事や、ベースギターを練習し始めた事をリサーチした上でやって来ていた浦野の方がまだマシだった」、心底からそう思い、野田を軽蔑した。そして、これがきっかけで「想新の会」に対する不信感はいよいよ頂点へと達していったのだった。

 …なお、今回の手記を執筆するにあたり、カウンセラーの優太さんに「『想新の会』の事を徹底的に批判する気でいるんです」と相談したところ、彼はたいへん貴重なアドバイスを与えてくれたのであった。

「まだ十分な判断力のない子どもに、カルト教団の思想を教え込む事を、暴力や体罰といった肉体的な虐待、暴言を吐いたり無視したり愚痴を聞かせるなどといった精神的な虐待、性的な虐待、そして食事の用意をしないとか病院へ連れて行かないとかいった育児放棄ネグレクトに続く第五の虐待、『スピリチュアル・アビューズ』と言うんだ。つまり『想新の会』は、組織ぐるみで児童チャイルド虐待アビューズを行なっている、…もう少し正確に言うなら、組織ぐるみで保護者としての権力を誤用している非常に危険な団体だという見方をする事もできるんだよ…」

 優太さんは更にこうも付け加えていた。

「…事実、僕は『想新の会』の芥川賞作家、『宮城和輝』の『草原の雪』という小説を読んだ事があったんだが、その内容があまりにも酷すぎて目を白黒させてしまった事があったんだ。その小説には、実の親に捨てられた虐待児が登場するんだよ。で、主人公である男性がその捨てられた子を知り合いの婦人に一時的に預ける事になるんだけど、なんとその婦人、その子どもに対してとんでもない事を言い放つんだ。"こんなけったいな子の面倒は見れない"ってね。この時点ですでにもう十分すぎるほど酷いんだが、その一言で塞ぎ込んだ子どもに対して今度は主人公の男性が、"そんな事で傷つく子どもの方が悪い"って更に追い討ちをかけるような事を言い出すんだよ。ところがその直後、主人公の男性が、"こんなけったいな子の面倒は見れない"と言い放った婦人に対してお説教をするというシーンが登場するんだ。僕はそれを読んだ時、『目くそ鼻くそを説教する』という、もし笑点なら座布団が貰えるであろうアイロニーを思いついたよ。酷いのはそれだけじゃないんだ。主人公の男性とい仲の女性ヒロインが、雪の降る草原で、その捨てられた子どもの親代わりになる事をお互いに誓い合うという、なんともご都合主義的なオチで物語が幕を閉じるんだよ。無茶苦茶な話だよな。"こんなけったいな子の面倒は見れない"だって? 子どもの面倒を見ない事を育児放棄って言うんだ。それから、"そんな事で傷つく子どもの方が悪い"、こんな暴言で子どもの心を傷つけるような事を精神的虐待と言うんだ。そんな事を平気で言い放つ人に他人の子どもの親代わりなんて務まるわけがないし、そんな台詞を平気で執筆するような人が児童虐待を正しく理解しているわけがないんだ。『宮城和輝』の周囲には、そういった発言をする事それ自体がすでに虐待だって事を指摘してくれる人はいなかったのかな? あるいは師匠である『山雄大覚』と同じようにすでにもう裸の王様にでもなっちまっているのかな? それともまわりの人たちは『想新の会』を批判すると罰が当たると思い込んでいるのと同じように、『宮城和輝』を批判すると罰が当たるとでも思い込んでいるのかな?」

 喉が渇いたのか、優太さんはペットボトルのお茶を一口美味しそうに飲み干すと、さらにこう言うのであった。

「例えばの話だが、どんなに注意していたとしても、車を運転する者には皆例外なく、事故を起こしてしまう危険性って必ずあるよね、…それと同じように、児童虐待を行なってしまう危険性はすべての親にあるんだ。ところがあの『草原の雪』を読む限り、どうも『宮城和輝』がそう思っているようにはこれっぽっちも見えないんだよ。むしろ逆に児童虐待は頭のおかしい特殊な親がやる事だ、と思っているようにしか見えなかったんだ。さすがは組織をあげて児童虐待を行なっている宗教団体の信者なだけあるわな。恐らく、『宮城和輝』は他でもない自分自身にも虐待を行なってしまう危険性があるだなんて夢にも思っていないんだろう。つまり、『宮城和輝』は児童虐待の定義を理解していない癖に児童虐待をテーマに小説を書いた不勉強かつ取材不足な作家だと結論せざるを得ないんだよ。これでどうして目を白黒させずにいられると言うんだろう。ただでさえ児童虐待の事を正しく理解できていない大人は沢山いるというのに、あれじゃあ余計に児童虐待への誤解や偏見が深まるばかりだよ。きっと『宮城和輝』を愛読している『想新の会』の信者は少なくはないのだろうし、たとえ信者じゃないにしても、『草原の雪』には世間の親たちの児童虐待に対する誤解や偏見をますます強めてしまう危険性が過分にある。これはもちろん半分は冗談だが、もし僕が時の権力者なら、間違いなくこの本を禁書に指定するだろうね。事実、『想新の会』には、自身に批判的な本の出版を事前に封じ込めようとしたというそれはそれは立派な前科がある。だったらこっちにも相手の言論を事前に封鎖する権利もまたあるという事になる、違うかい? それだけじゃない、真実に目覚めた末端会員が脱会するのを未然に防ぐために、『想新の会』はテレビを初めとするマスメディアに上手いこと取り入って、自分たちに批判的な意見を報道させないように根回ししてもいるんだ。これは良識のある人ならみんな知ってる事なんだ。事実、今、『家庭統一キリスト会』と政党の問題がメディアであれこれ言われてるよね。でも『公民党』とその支持母体である『想新の会』の関係性についてはほとんどと言っていいぐらい出てこないだろう。あれは『想新の会』がメディアの頬を札束で引っ叩いて情報操作をしているからなんだよ。野放しにしてはいけないんだ、危険なんだよ、『想新の会』は。どうかこの事もきちっと書き加えておいてくれないか。よろしく頼むよ」



 その後も俺は食事作りを拒否し続けた。お袋は仕方なしに料理を再開し始めたが、相変わらずお袋の手料理はひじょうに不味かった。俺の身体に、この女の遺伝子が半分だけ乗っかっているだなんてとてもじゃないが信じられなかった。妹の麻美も、ポツリと一言こう呟いた事があった。

「やっぱり新矢兄ちゃんの作るご飯の方がず〜っと美味しい」

 その寂しそうな声を聞いた時、俺の胸はさすがに傷んだ。俺はお袋の目を盗み、麻美の好物であるオムライスをこっそり作ってやる事にした。

 まだ熱していないフライパンに油を引き、みじん切りにしたニンニクを入れてから火を点け炒め、香りが立ってきたらやはりみじん切りにした玉ねぎを投入し飴色になるまで炒める。更に一口サイズに切った鷄肉も一緒にフライパンで炒め、火が通ったら炊飯ジャーの中のご飯にまぜ込み、ケチャップと塩コショウで味付けしてチキンライスを作る。そしてそれを生クリームを混ぜて焼いた玉子でくるみ、お手製のデミグラスソースで猫の絵を描いてから麻美に渡した。すると麻美は「食べるのがもったいないぐらい可愛い!」と言ってたいへん喜んだ。

「美味いか?」

 俺はテーブルに肘を立て、手の平の上に顎を載せて麻美に微笑んだ。すると麻美は、

「うん、すごく美味しい!」

 オムライスを頬張りながらそう答えた。俺は、たいへん満足であった。

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