第2話

  第2章・歌祈・1



   プロローグ


「…私を産んでくれてありがとう」 

 母からの返事はなかった。しばらくすると、母の寝息が聞こえて来た。いや、あるいはあれは泣き声だったのかも知れない。自分の娘が芸能人になった事に、きっと本当は様々な葛藤を抱えていたに違いない、…ちょっと考えたら解るはずの答えに、今更になって初めて気づいた自分がいた。



     ♩



 私は昔から歌を唄う事が何よりも大好きだった。

 そして、私は自分の歌声に強い自信を持っていた。

 中学三年生の時、合唱コンクールについてクラスで話し合いをした際に、

「他のクラスと同じように、みんなでただ合唱するだけじゃつまらなくない? ワンパートだけソロで唄う所を作ったらどうかな?」

 と提案した事もあった。それだけではなく、

「それも、歌い出しからいきなりソロで始めるの。初っ端からインパクトを与えて観客を引き込むのよ…」

 と付け加え、更に、

「…もちろん、ソロは私に唄わせて」

 と言い添える事も忘れなかった。反対意見を口にするクラスメイトは一人もいなかった。私たちのクラスはその年コンクールの賞を総ナメにした。

 初めてロックバンドを組んだのも中学三年の時だった。当時人気絶頂だったザードのコピーバンドだった。バンド名は「桃色ウインドベル」。ドラム担当の、日米ハーフでボーイッシュな容姿の女の子から、ステージ衣装として貸してもらう事になった水色の生地にピンク色の風鈴が描かれた可憐な浴衣が由来だった。私はそれをひと目見て非常に気に入ってしまい、「バンド名は、ピンクの風鈴じゃダサいから『桃色ウインドベル』にしようよ」と言ったのがきっかけだった。

 ドラムを担当していた女の子は、名前を美樹本宇宙みきもとコスモといった。コスモは私の親友だった。そして、私もコスモも、人と深く付き合う事が決して得意なタイプではなかった。コスモとは中学二年のとき初めて同じクラスになった。同じクラスになるとすぐ、「あの美樹本さんって子、お父さんの酒癖がものすごく悪いんだって。美樹本さんの方もキレると危ないから気をつけた方がいいわよ」と聞かされ、私は最初、何とはなしにその噂を信じていた。…別の言い方をするなら、噂話の真偽を確かめもせずにそれを正しいと思い込み、鵜呑みにしていたのだ、…もう少しだけ正確に言うなら、新矢君が常々言っているように、勝手に答えを作って分かった気になっていたのだ。

 意外に思われるかも知れないけれども、最初に話しかけたのは実は私の方だった。授業中、消しゴムを家に置いてきてしまった事に気づいた私は、前の席にいたコスモに、

「悪いんだけど消しゴム貸してくれる?」

 と声をかけたのだ。コスモはいったん前を向くと、消しゴムを手に持ち再びこちらに向き直り、なんと私の目の前でブチッと音を立てて半分に引き千切ったのだ。そして、

「これあげる」

 と言ってその半分をそのまま私に差し出してきたのである。その、まさにルックスどおりの男の子のような、あるいはアメリカ人のような粗雑なアクションに、私は呆気に取られてしまった。するとなぜか彼女は笑い出したのだった。つられて私も笑ってしまった。そんな些細なやりとりが、私たちの交際のきっかけとなった。いざ話をしてみると、アメリカの血を引いているせいか、彼女の冗談はいちいち大袈裟で面白くて、とても楽しい気分になれたのだ。

 消しゴムのやりとりからちょうど一ヶ月ぐらいたった頃…。クラスで中心的な立ち位置にいた女子が、学校に持ち込んできたハローキティーのピンク色の化粧ポーチを紛失してしまった事があった。それがきっかけで女子の間でいざこざが起こり、それ以来、私とコスモの親交はいよいよ本格的になっていったのだった。

 コスモにはひじょうに仲の良い男子がいた。名前は清水優太。後に「桃色ウインドベル」のギターを担当する事になる、名前のとおりのたいへん優しい性格をした優等生だった。彼は中学二年の春、大都会・渋谷から、私が生まれ育った神奈川県は三浦半島にある海沿いの観光地・葉山へと引っ越してきた。コスモの話によると、優太君の一家は何やら理由わけありで引っ越してきたとの事だった。しかしその理由を、コスモは決して話そうとはしなかった。何とはなしに、「知りたいのなら本人に聞いて」という気配を発していたのだ。しかしそれを詮索しようという気に私はなれなかった。なぜなら、「あの二人は付き合っている」、という噂がクラス中でしょっちゅう話題になっていたからである。事実、二人は毎日のように登・下校をしていた。本人たちは、それを「たまたま家がすぐ近くだったからだ」とか、「お互い洋楽が好きだから」とか、あるいは「俺が迎えに行ってやらないとコスモ(…どういうわけか二人はいつも下の名前を呼び捨てで呼び合っていた。それが『付き合っている』という噂に更なる拍車をかけていたのは言うまでもない…)はすぐに学校をサボろうとするから」などと弁明していたのだが、その言い分はどこからどう見ても不自然でしかなかった。二人はまるで兄妹のように仲が良かったからだ。

 ハーフであるが故に生まれ持った、中学生離れしたグラマラスな身体と長い四肢、光の加減で時折エメラルドグリーンに輝く事もあるヘーゼルの瞳、そしてミルクティーのような色をした髪の毛を持ち、しかも当時の女子高生たちの間で流行していたミニスカとルーズソックスを中学の時点ですでに身につけ、おまけに学校で平然とピアスまでつけていたコスモ。そして学年でも一位二位を争うほどの秀才で、何やら意味深なかげと、同い年の男子にしては不自然なくらい大人びた雰囲気を持つ寡黙な優太君。この奇妙な取り合わせがクラスで噂にならない日は皆無と言ってよかった。私自身、化粧ポーチの件の後、二人だけのたまり場となった放送室で、

「ねぇ、本当は優太君の事好きなんでしょ?」、と、昼食を摂りながら尋ねた事があった。

「もういい加減好きだって事を認めようよ?」、と、笑いながら問い詰めた事もあった。しかしコスモはただただあの非常に良く通るハスキーな声で笑うだけで、何も答えてはくれなかった。「二人が付き合うようになるのはきっと時間の問題だろう」、私はそう思った。そして、遅かれ早かれ私の親友と付き合うようになるであろう優太君の渋谷での理由ありの過去を詮索しようという気持ちに私はなれなかったのだ。…優太君は、大学を卒業した後それはそれは優秀なカウンセラーになり、なんでも今は家庭問題の本を執筆しているとの事だった。

「桃色ウインドベル」のベーシストは、コスモの従兄弟・毅さんだった。セックス・ピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャスにどことなく似ている風貌の持ち主で、バンドのメンバーの中で唯一の年長者(三歳年上)だった。なんでも彼は中学の頃相当ヤンチャだったらしく、どこの学校にでもいるであろう悪ぶった男子たちから、カリスマ的な人気を欲しいままにしていた、まさに不良漫画の主人公そのものといった人物だった。毅さんは高校を卒業し社会人になった数年後、エレキベースをウッドベースに持ち替えてロックからジャズへと転向した。そして彼の父親が経営する車の整備工場を手伝いながら、週末は横浜にある本格的なジャズ・バーや、横須賀の米海軍の兵隊さん達が来るような飲み屋さんで演奏するセミプロのミュージシャンになった。そんな彼のジャズバンドに、私は今でも時間さえ合えば飛び入りで参加しセッションをさせてもらっている。ロックとジャズ、ジャンルが違うからこそ味わえる未知なる刺激が、更なる創作意欲をかき立ててくれるからだ。



 母親から同窓会の連絡を受けたのは、「ギターショップ」のメジャーデビュー曲「やさしくなりたい」が収録されたマキシシングルが大ヒットし、それと共にダウンロード数もうなぎ上りで上昇し、更に数ヶ月後、ファーストアルバム「EVERYTIME 〜いつか誰かを好きになる〜」も好調に売り出されて私たちが一気にスターダムへとのし上がった2008年の夏の日の事だった。

「…とにかく、"歌祈さんを同窓会に誘いたい"って毎日のようにお店に客が来るのよ。ちゃんと飲み食いはしてくれてるからお母さんも強くは断れないし、あなたもう三年も葉山こっちへ帰って来てないじゃない。いい加減親に顔を見せなさい」

「だからねお母さん、今新曲を作ってる真っ最中でスタジオに籠りっぱなしなの、忙しいのよ。同窓会には行くよ。でもその前に家に寄るのだけは無理。本っ当〜に、無理! だいたいお店が営業してるまっ最中に私が顔を出したら一体どんな騒ぎになるかお母さんだって分かるでしょ? もう一度言うから良く聞いて。合唱コンクールと『桃色ウインドベル』のライヴのビデオは私のマンションに郵送して。仕事が終わったらシャワー浴びてメイクして、その足で横浜の同窓会の会場のホテルに向かうから。で、それが終わったら必ず家に帰る。約束するから。いったん電話切るよ」

 父も母も、私が音楽をやる事を反対し続けていた。ところが、である。私たちがメジャーデビューして数ヶ月すると、「葉山の海岸沿いにある『シーサイドメモリー』という名のカフェは、『ギターショップ』のボーカルの生家だ」という情報うわさがどこからともなく漏れ伝わり、シーサイドメモリーは急激に売り上げを伸ばし出した。あんなに反対していたくせに、そうなった途端嬉しい悲鳴をあげて喜び出した親を、私は最初軽蔑していた。売り上げとともに親戚も増えた。

「会った事もない遠い遠い親戚が菓子折りを持って挨拶に来たよ」と、父から聞かされた事もあった。その事をチーフマネージャーに相談すると、

「最初の頃には良くある話だ。でも、次第に落ち着くよ…」

 と言われた。

「…B'zのボーカルの稲葉浩志君の実家が化粧品の店をやってるって知ってるかい? 最初の頃はやっぱり賑わったらしいよ。でも、今ではそんな騒ぎもなく平常運転、店にはいつも新曲が出るたびデカデカとポスターが貼られる、でももう近所の人たちは誰もあまり気にしてないって」

 有名になった途端、「同窓会に来てくれ」という連絡が「シーサイドメモリー」経由でしつこくやって来るようにもなったと相談すると、「人気商売である以上、同窓会には参加するべきだ。稲葉君の実家の話と同じでいずれ沈静化するから…」としつつも、いくつかの対処法を伝授された。

「…まず、電話番号は絶対に教えるな。あまりしつこく教えろと言われたら、"用があるなら事務所を通して連絡してくれ"と言え。それでもダメなら"事務所の専属弁護士に相談してくれ"と言って弁護士の名刺を渡せ。そうすれば相手はまず間違いなく諦める。それでもダメなら"マネージャーに相談する"と言ってすぐに俺に電話するんだ、俺が出なければ副マネージャーでもいい。とにかく連絡しろ」

 どうせ「同窓会」とは言いつつ、同窓ではなかったよそのクラスの人たちや、下手すれば学年すら違う人たちが来るかも知れない。私は半ば本気でそう危惧していた。「桃色ウインドベル」の中で一番の人気者はコスモだった。顔つきこそボーイッシュなのに、体型は白人の母親譲りでグラマラス、なおかつ長い四肢とミルクティーのような色の髪の毛とヘーゼルの瞳、おまけに美樹本宇宙みきもとコスモというまるで宝塚の女優のようなド派手な名前とドラムの演奏が上手いという解りやすい能力まで併せ持つ日米ハーフの美少女に、下級生の女子たちはいわゆるカジュアル・レズ的な憧れを抱いていたのだ。学年の違う彼女たちが物珍しさでやって来る可能性は否定できない。 そう断言できるほど、「三年生お別れ会」での私たちのライヴは、主に一年の女子たちのおかげでたいへんな賑わいを見せた、たかが中・高生たちのザードのコピーバンドだったのにも関わらず、だ。そうでなくとも、「同窓会」は建前で、「有名人に会いたい」という本音を満たしたくて連絡して来ているのは明白だ、…私はそう考えて警戒していたのだった。

 私は同じ「桃色ウインドベル」のメンバーだった優太君のケータイに連絡をした。すると彼は、

「同窓会には参加する予定だよ」

 と返事をした。同じバンドのメンバーで、なおかつ二年・三年とずっと同じクラスだった彼なら、当然の事ながら参加する権利はあると思った。そして、私を有名人としてではなく、かつてのクラスメイトとして見てくれるのはきっと優太君だけだろう、とも思った。

「毅さんも来るみたいよ。地元の悪ガキだった連中とのタテヨコの繋がりで同窓会の話を聞いたんだって」

 その話を聞き、同窓会に来る人たちの中で、信用できるのは優太君と毅さんだけだなと心底からそう思った。ついでに言うと、私にとって信用できるクラスの女子は唯一コスモだけだった。そしてそのコスモは、今はアメリカで幸福な結婚生活を送っている。もう二度と、日本の土を踏む事はないだろう。その、信用できると思える数少ない人間の一人である優太君の事でさえ、私はコスモの結婚式にて彼とロサンゼルスで再会するまで一方的に誤解し毛嫌いしていたのだ。

 …そんな優太君や毅さんが、「有名になっても変わらないね」とか、「有名になって変わったね」と言うのなら受け止める事も理解する事もできる。しかし反対に、東京へ移り住んでから一度も同窓会の連絡を寄越して来なかったかつてのクラスメイト達にそんな事を言われても困る、私は本気でそう思っていた。「変わらないね」とか「変わった」とか、そんな事を言い切れるほど私を正しく理解しているクラスメイトなんているわけがないと考えていたのだ。この事についてもマネージャーと相談したのだが、

「それに関してはそんなもんだと割り切るしかないよ…」とあっさり否定された。

「…例えばの話なんだけど、俺が通ってた高校、野球の名門校だったんだ。いや、俺自身は野球とは関わってなかったんだけど、一年の時同じクラスに未来のエースピッチャーになるやつがいて、そいつが言ってたんだよ。"練習が辛いと言って一緒に入ってきた同期の奴らほとんどみんな逃げちまった。最初は五十人いたのに今じゃ五人だ"って。ところが三年になってうちの高校が甲子園に出場する事になったとたん、逃げた四十五人が戻って来たんだと。なんでだと思う?」

「さぁ」

「甲子園のアルプススタンドで応援するためだよ。ゲンキンな奴らだよなぁ。まあでも人間なんてそんなもんさ。だから同窓会の連中の事なんか逃げた四十五人と同じようなもんだと思って割り切りな。…あ、ちなみに、その時のエース今でも西武で投げてるよ」

 と言って最後に彼はそのピッチャーの名を口にしたが、私にはその人物の事も、西武という野球チームの事も全く分からなかった。甲子園のたとえ話の意味だけはちゃんと理解できてはいたが、私の置かれている状況を正しく理解した上でのアドバイスだとは到底思えなかった。

 私の親友・コスモは、クラスの中で少し距離を置かれていた。酒癖の非常に悪い父親と、金髪碧眼の白人女性を母親に持っていたため、やや浮いた存在として認知されていたのだ(それとコスモの人間性は全く別の問題なのに)。そんなコスモと、人と深く付き合う事が昔からあまり得意ではなかった私は、互いに人と深く付き合う事が得意ではなかったからこそ唯一無二の親友になれたのだ。さらに言うなら、そんなコスモとの友情を貫いたせいもあり、ただでさえ友達の少なかった私は、更に友達の少ない中学校生活を送る事になってしまった。後悔はしていないし、ましてコスモを恨んでもいない、むしろ逆にコスモと共に過ごした中学での二年間は、私にとって何物にも変えがたい貴重な財産となった。しかし、それはそうだと割り切れたとしても、有名になったとたん「同窓会に来い」と言われれば、

「有名になったとたん態度が変わったのは一体どっちよ、そんなアンタたちを信用しろと言う方が無理な話だって事がなんで分からないの?」と思うのは当然の事なのだ。

 …まだ「トリップ・トゥ・ザ・ムーン」で美容師として働いていた頃、店長からきつくこう言われた事もあった。

「いいか、客とは絶対に友達にはなるな…」

 新興カルト教団「想新の会」の会員だった客にしつこく勧誘され、困り果てていた時の事だった。その悩みを打ち明けると、店長は客に「うちの店員への勧誘行為はやめて下さい」と強く進言してくれたのだった。その一件が落着した後、店長からこの様な注意を受けたのだ。

「…客と友達になると、"じゃあ店で会ってる時の関係は何なんだ?"って話に必ずなるんだ。"この前ご飯奢ったでしょ? サービスしてよ"って言われたらキリがなくなるだろ? だから客とは絶対友達にはなるな。分かったな?」

 それと同じで、今日会う優太君と毅さん以外の人たちは友達ではないし、これからも友達になる事はない。私は自らの胸の内に固い決意を秘めて同窓会の会場へと向かった。

 …ところがこの同窓会は、そんな当初の警戒を、良い意味で裏切る方向へと大きく展開していったのであった。



 ホテルに着くと、入り口には「葉山中学校御一行様」と書いてある立て札が置いてあった。話に聞いたとおり、その立て札には二階の食堂が会場だと示されていた。通路をエレベーターに向かって歩くと、

「あのサングラスかけてる女、『ギターショップ』のボーカルにそっくりじゃない?」という男性の声が聞こえてきた。私はそれを完璧に無視した。今までの経験上、ほんの少しでも反応すると感づかれてしまうと知っていたからであった。

 二階の食堂に入ると、立ち食い型式の会場の中、沢山の女性たちに囲まれている私の恩師・音楽担当の星野先生の姿が見えた。私がまだ中学生だった当時、売れっこだったアイドルに非常に良く似ているという理由で、彼女は男子生徒たちから強い人気を集めていた。また身長が低かったため、

「同じ制服を着て私たちの間に紛れたら分からないんじゃない?」と、女子たちからも支持されていた。先生というよりは憧れのお姉さんとでもいうべき存在で、彼女の愛用していたシャンプーが女子の間で大流行した事もあった。私が「合唱コンクールでソロで唄うパートを作りたい」と提案した時、一番最初に「あらそれいいじゃない!」と賛成してくれたのも星野先生だった。その星野先生が、当時とほとんど変わらない姿のまま、かつて中学生だった女性たちに囲まれている。その理由は、星野先生がベビーカーに赤ちゃんを乗せていたからであった。

「星野先生」

 コスモのロサンゼルスでの結婚式の時以来、ずっと愛用し続けているレイバンのサングラスを外しながら声を出した。すると会場中の人たちが一斉に私に視線を浴びせてきた。

「おおっ! 稲田さんだ!」

「本物だ!」

 会場中が拍手に包まれた。しかし、まずは何より星野先生と赤ちゃんに会いたかった私は、女性たちの輪の中へと真っ直ぐに向かって行った。すると星野先生の斜め後ろから、背の高い男性が現れた。伊藤さんだった。伊藤さんは私がまだ中学生だった当時、楽器屋さんでギターの講師をしていた。伊藤さんと星野先生は、その当時男女の交際をしていた。私が彼の事を知ったのは、中三の夏休み、週に一度優太君にギターの個人レッスンをするため学校の第二音楽室に伊藤さんが来ていたからである。私もその個人レッスンの様子を見るためにわざわざ夏休みだというのに学校へ行った事があり、それが理由で伊藤さんと面識を得た。私が高校へ進学してから二人はめでたく結婚したと噂に聞いてはいたが、実際に会うのは中学の時以来であった。

「星野先生、伊藤さん、お久しぶりです」

 私が丁寧にお辞儀すると、

「私が音楽教えた子がプロのミュージシャンだなんてもう最高!」

 星野先生はそう言って目から大粒の涙をひとすじ流した。

「赤ちゃん可愛いですね」

 私はタンデムのベビーカーに乗った双子の女の子を見た。美男美女の彼女たちに相応しい、玉のように美しい肌をした姉妹が静かに寝息を立てていた。

「ありがとう。でもね、なっかなか妊娠しなくて困ってたのよ。不妊治療とか必要かしらって悩んでたらある日突然生理が来なくなって産婦人科医に行ったら、"おめでたですよ"って」

「やっぱ赤ちゃん産むの痛かった?」

「痛かった、もうホントすっごい痛かった。でもね…」

 星野先生は姉妹に目をやりながら言葉を継ぎ足した。

「…産まれた時すごく嬉しかったの。"産まれて来てくれてありがとう、私もやっとお母さんになれた"ってすっごく思ったの」

 姉妹を見つめる星野先生の目を見た。子どもたちが発信している情報サインを少しでも多く読み取ろうと、瞳孔が目一杯開いているのがありありと見て取れた。そんな痛みに耐えて一人前の母となり女性となった星野先生が、この時の私にはひどく眩しく見えた。

「なあ歌祈ちゃん、今度うちの店に遊びに来てくれないか?」

 伊藤さんが話しかけて来た。きっとそう言われるであろう事はある程度予測していた。

「いいですよ。すぐってわけにはいきませんけど、今度一度時間を作ってゆっくりお邪魔させて頂きます」

「ホントに来てくれるの? 口約束じゃヤだよ?」

「大好きだった恩師の旦那さんからの願いをむげに断るなんてできませんよ。私たちが使ってる楽器のメーカーとの折り合いもあるし、今度事務所を通して正式に話し合いましょう」

 私がそう言うと、周りの人たちが「おおお〜っ!」と声を出した。

「歌祈ちゃんよ、また俺ともセッションしてくれないか?」

 今度は毅さんが話しかけてきた。前述したとおり、私には毅さんのジャズバンドで何度かシンガーを務めさせてもらった事があった。…そう、また一緒にセッションすれば私の名声にあやかって更に名を上げられるという野心が彼にはあるのだ。しかし私は毅さんの野心をいやらしいとはこれっぽっちも思わなかった。もしも立場が逆だったなら、きっと私だって同じ事を望むはず。それに異なるジャンルのバンドで唄う事には、それはそれで新鮮な感触を味わえる。つまり私としてもむしろ有り難かったのだ。そして何より、私たちはコスモを通して性別を超えた強い友情で結ばれてもいた。断るなんてできるわけがなかった。

「いいですよ、また時間を作ってやりましょう」

 私はそう答えた後、

「それはともかくとして、とりあえずはこのビデオ、みんなで観ませんか?」

 私は合唱コンクールと「桃色ウインドベル」の演奏の様子が収録されているDVDをみんなに見せた。

「よっ、待ってました!」

 三浦半島全域に悪名を轟かせた伝説の元不良少年・毅さんが大きな声を出しながら手を叩いた。すぐ隣には、学年でも一位二位を争った優等生・優太君がいた。普通に考えたら、人種が違い過ぎて付き合いが成立するだなんてあり得ないはずの二人だった。ところが、である、絶対に生まれる事はなかったであろうはずの友情で、この二人は強く結ばれていたのだ。彼ら二人が人種と三歳という年の差を越えて親友として結ばれたのは、中学の卒業式の直前、コスモが家庭の事情で急遽アメリカへと去って行ってからの事だった。

 私はデザインの専門学校を卒業した後、そのままイラストレーターになったお兄ちゃんがわざわざ仕事で使う機材を利用して編集を施してくれたというDVDをケースから出した。

「なんかこう、プロのミュージシャンがディスクを扱う姿って様になってるよね」

 たまたま近くにいた同窓の女性がそういった意味の言葉を口に出した。私は、「大袈裟だよ」と言いながら再生ボタンを押した。最初は合唱コンクールの映像だった。曲はサーカスの「アメリカン・フィーリング」だった(今になって思うと、私とコスモの未来を暗示しているかのような選曲である)。プロジェクターから投影された映像がスクリーンに映し出される。兄は今回のために、私たちのクラスが歌唱している所だけをディスクに編集し収録し直してくれていた。電気を消した薄暗い食堂の中で、一同が注視するスクリーンに光が灯った。するとピアノの前奏の後、「インパクトを与えるため」に、いきなり私一人だけが全員よりも一歩前に進み出て独唱する姿が映し出された。


   あなたからのエアメール

   空の上で読み返すの


 私がソロで唄った後、今度は一人の男子がやはり一歩前に進み出て、


   窓の外はスカイ・ブルー

   かげり一つない愛の色


 この部分を私に合わせてハモってもらう姿が映し出された。そしてそのパートが終わると、いよいよ全員による合唱が始まるのだった。楽曲が終わるとそこでいったん映像が途切れ、わざと巻き戻して私のソロだけがもう一度繰り返された。きっとお兄ちゃんのアイデアだろう。絵としてはなかなか面白かった。

 ソロのシーンが終わると、「優勝した六組の皆さん、再演をお願いします」と、昔からやけに滑舌の良かった国語の糸井先生の声が聞こえて来た。拍手とともにステージに立つかつての私たちの姿を見た。他の女子はみんな泣いていた、…しかし私だけは泣いていなかった。その映像を見ていたかつてのクラスメイトの一人がこう言い出した。

「あたしね、この時実は涙を流さない歌祈さんを見て、血も涙もない人なのかな? って正直そう思ってたの。でも違ったのね。もうこの時から、歌祈さんはプロの歌手だったんだよ」

「泣いたって良い声は出ない。泣くのは歌が終わってからだ」、そう思っていた私には、むしろ逆に泣きながら唄う女子たちの気持ちが全く理解できなかった。そして、そういった歌に対するストイックなまでのこだわりが、私を周囲から孤立させていたのだと気づいたのは、高校に進学し軽音楽部に入部してからの事だった。

 映像がいったん途切れた。しばらくすると、横書きで書かれた「桃色ウインドベル」という文字がスクリーンに投射された。「桃色」がピンク色、そして「ウインドベル」という文字が青で描かれたロゴだった。しばらくすると入道雲が浮かんだ青空を背景に、ピンク色の風鈴が映し出された。若草色をした風鈴の帯が風に揺らめいたかと思うと、派手な効果音とともにそこだけが一瞬金色に光り、すぐに元の艶やかな若草色に戻った。そしてその帯には、それまでなかった文字が縦書きで書かれていた。


   ボーカル&キーボード・歌祈

   ギター&ボーカル・ユータ

   ベース&ボーカル・毅

   ドラムス・コスモ


 なかなか凝った演出だなと思った。きっとお兄ちゃんは今回の同窓会を良い機会だと考えて、自分の仕事っぷりをアピールしたかったのだろう、

「いつかオリジナルのアニメの監督になりたい、その時には歌祈、主題歌を歌ってくれよ」。それがお兄ちゃんの口癖だった。

 スクリーンに我が母校の体育館の様子が映し出された。私たち「桃色ウインドベル」の面々がステージに立つと、一年の女子たちが「コスモ先パ〜イ!」と口々に叫びながら、自前で染めたと思われるピンク色の風鈴を鳴らし始めた。

「…しかしこの時の美樹本さんの人気っぷりったら半端じゃなかったよね」

 会場にいた女性陣が口々に言い出した。

「…嘘か本当かは知らないけど、一年の女子たちの間に美樹本さんのファンクラブが結成されたって噂があったよね?」

「…美樹本さんってちょっと近づきにくいイメージがあったけど、今になってこれを見ると、果たして当時のあたしたちは美樹本さんをちゃんと正しく理解していたんだろうかなって疑問に思えてくる」

「…美樹本さんのお父さんって、酒癖がものすごく悪かったんでしょう?」

「…でも今になって考えたら、それと美樹本さんの人格は別の問題なんだよね」

「…その点清水君はすごいよね。周りから何を言われても美樹本さんとの愛を貫いたんだもん、ま、これは歌祈さんにも言える事なんだけど」

「まあでも…」

 と、優太君が口を開いた。

「…確かにあの性格は日本ではちょっと浮くよ。それに、コスモもコスモで自分から壁を作って人を遠ざけてたような所があったのも事実だし。…ところで俺、実はコスモの結婚式に参加するために当時まだ婚約中だった自分の彼女を連れてアメリカへ行ってるんだ」

 優太君がそう口にすると、一同が「えええ〜!?」と声をあげた。

「…えっ、今の空耳じゃないよね? 元カノの結婚式に今カノを連れてアメリカへ行ったって言ったんだよね?」

「…あり得ねぇ!? そんな話は初めて聞いた」

「…事実は小説より奇なりとはまさにこの事だね!」

 コスモは中学の卒業式を迎える直前、家庭の事情で急遽アメリカへ行く事になった。そしてそのままロサンゼルスに永住する事となった。それが理由でコスモと優太君は別れた。しかし、優太君はその直後、西田という名の別の少女と付き合い始めたのだった。しばらく時間が経ってから新しく彼女ができたというのなら分かる。しかし別れた直後に別のひとと付き合い始めた優太君の事がどうしても許せなくて、せっかく毅さんが新しいドラムを連れてきてくれたのにも関わらず、私は「桃色ウインドベル」を脱退したのだった。優太君は三ヶ月ほどで西田さんと別れた。駅のプラットホームで西田さんが、

「あんな女の何がそんなにいいって言うのよ!」

 と泣き叫びながら、優太君の胸を振りかぶった腕で叩いていた、という噂を耳にした事もあった。私はコスモの結婚式の時、そんな優太君と遥か海を越えたロサンゼルスの地で七年ぶりに再会し、そして彼と和解した。その時優太君は新しく交際し始めていた由美という名のフィアンセを連れて来ていた。しばらくして優太君はそのままその由美さんと結婚した。私はそこまでの経緯を箇条書き的に説明した。

「…元カノの結婚式に今カノを連れてロサンゼルスへ行く。何度も言うようだけどすごい話だね」

「…てゆーか、やっぱり清水君が美樹本さんと別れた直後に西田さんと付き合い始めたって噂は本当だったんだ」

「…あの頃けっこう噂になってたんだぜ。"清水ばっかりオイシイ思いをしやがって"って」

「ああ、ちょっとごめん…」

 優太君が右手を上げてこう言い出した。

「…それについては詳しくは話せない、そんな事をしたらこの問題で深く傷つけてしまった西田さんを更にもう一度傷つける事になる。あの時の俺は本当にひどい男だった、その事に関しては全面的に認めるよ。ただし、お願いだから、とにかくこの問題にだけはもうこれ以上触れないで欲しいんだ」

 毅さんが優太君の肩を抱きながら会話に割って入ってきた。

「誰にだってそういうほろ苦い経験の一つ二つあるだろ? むしろ逆にそういうのがなかったら人間は味のある大人にはなれないんだよ。ま、とにかくそういう事で、この問題には触れてやるな」

「ああ、ええっと、いいかな?」

 肩を抱かれたままの状態で、優太君はもう一度右手を挙げた。

「…さっき言いたかった話の続きなんだけど、結婚式に参加するためロサンゼルスへ行ってつくづく思った事があるんだ。コスモは、アイツは、日本よりもアメリカの方が幸せに生きていける性格してたんだなぁ、ってね」

「確かにそうかも…」という声がどこからともなく聞こえてきた。

「しかしなぜ元カノの結婚式に今カノと一緒に行く事になったの?」

「まあ、とりあえずはこれを観ようぜ!」

 毅さんがビールジョッキを傾けながらスクリーンを指で示すと、会場はしばらく無言に包まれた。

 私たちの演目は、ザードの「マイフレンド」「きっと忘れない」「君がいない」「心を開いて」「サヨナラは今もこの胸に居ます」の五曲だった。全部私の好きな曲ばかりを選曲していた。それが終わると映画「トップガン」で使われていたギターのインストルメンタル曲「アンセム」が流れ出した。さらにその後、いったん袖に帰った私たちは、主に一年女子たちが繰り返すアンコールの声とピンク色の風鈴の音で再びステージへと呼び出される様子が映し出され、ザードの「負けないで」が流れ出した。体育館のボルテージは最高潮になり、私たちの演目は終わった。ところがその直後、当時の私たちはまったく予想だにしていなかった事態に遭遇したのだった。…本来予定していなかった二度目のアンコールが、主に一年の女子たちによって沸き起こったのである。

 しばらくするとステージには優太君ただ一人だけが舞い戻った。「俺一人なら、もう演目がないんだと理解して諦めてくれると思う」。これがこの時の優太君の狙いだった。その狙いは良くも悪くも大成功し、コスモの出番を固く信じて疑っていなかった一年女子たちの「えええ〜っ」という残念そうな声が会場中に響き渡った。

 スクリーンに映っているステージ上の優太君が、

「皆さん、本当にごめんなさい、でももう演目がないんです…」

 と謝罪した後、

「…実はこのギター、僕の私物ではありません。とある亡くなられた方の大事な形見なんです」

 と語り出した。

「ねぇ、これって…」

 スクリーンを見ていた一人が声を出した。

「…美樹本さんって、噂では確か死んじゃったお兄ちゃんがいたんだよね? もしかしてこのギターって、そのお兄ちゃんの形見だったって事?」

「ご名答…」

 毅さんがそう言い出した。

「…ユータがわざわざアメリカへ行ってコスモの結婚式に参加したのは、大地ガイアの形見のギターを返すためだったのさ」

「"ガイア"って、美樹本の兄貴の名前っスか?」

 毅さんの近くにいるかつて不良少年だった男性の一人がそう尋ねた。「ああ」と答えてから、毅さんは再び語り出した。

「コスモの旦那がこの形見のギターを結婚式の時にどうしても弾きたいんだって言い出して聞かなかったらしくて、コスモが俺の所に連絡して来たんだ。で、それをユータに伝えたんだ。つまり、ユータが元カノであるコスモの結婚式に今カノを連れて行ったのはあくまでもついでであって、本来の目的はこの形見のギターを返却する事にあったってわけよ」

「俺、このギターを借りっ放しのままコスモと別れちゃってるから。ほら、コスモの家、火事になったでしょ。その時のドサクサでけっきょく返せず終いだったから」

 優太君が毅さんの説明を補足すると、

「…なるほどねぇ」

「…なんか、現代的というか国際的というか、すごい話だね」

 という声がどこからともなく聞こえてきた。更に優太君が、

「ちなみにコスモのやつ、旦那さんと一緒に俺の結婚式を見に日本へ来てくれてもいるんだ」

 そう話すと、「それもそれですごい話だ」と言う声が、やはりどこからともなく聞こえて来た。

「コスモの旦那さん、スラムダンクが好きで、前々から鎌倉の方を聖地巡礼したがってたって言うからさ、俺の結婚式のついでに案内してあげたんだ。コスモのやつも、"これで日本は見納めかな"って言ってたよ」

「ちなみにそのコスモの旦那の愛読しているスラムダンクは、俺が日本から郵送してやった物なんだ。コスモの旦那の日本語の教科書ってわけだ。"安西先生、日本語が勉強したいです"ってな」

 毅さんがスラムダンクに登場する三井寿の有名な台詞をパロディーにして披露すると、彼のそばにいた元不良少年たちがいっせいに笑い出した。

 スクリーンには、「形見の話」をし終えた優太君が、エリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘヴン」の弾き語りを始める姿が映し出されていた(なお、この形見のフェンダーのストラトキャスターは、何を隠そうクラプトンのシグネチャー・モデルのブラッキーであった)。

「どうりでなぁ…」

 伊藤さんが、腕を組みながらウンウンと頷き、そして、ほんの少し微笑んだ。

「…中学生にしちゃまた随分といいギターを持ってるなってずっと疑問だったんだ。この時のMCで"形見"って言ってたから、なんか訳ありなんだろうなって思ってはいたんだけど、その謎がよぉ〜やく解けたよ」

「えっ、これってやっぱり高いんですか?」

「高いよ。約三十万」

 楽器屋さんの副店長である伊藤さんが即答すると、

「…高っ!」

「…えっ、あれってそんなにするの!?」

「…そりゃあ確かに中学生の持ち物にしちゃあずいぶんな高級品だわな!」

 会場中がほんの少し騒がしくなった。

「…ところで、このライヴのすぐ後なんだよね」

「…美樹本さんの家が火事になって」

「…火事の原因は美樹本さんのお母さんの放火」

「…お父さんの酒癖の悪さに愛想つかしてそうしちゃったんだってね」

 会場のみんなが口々にそう言い出した。すると優太君が三度みたび挙手してこう言い出した。

「今さ、喫煙者ってどんどん肩身が狭くなってるじゃない? 今この会場でお酒を飲んでる人たちも良く聞いてほしいんだ。あと二、三十年もしたら、きっと飲酒もそうなると思うよ?」

 優太君はひどく悲しそうな顔をしながら、更にこう語り出した。

「確かにコスモは誤解されていた。そして彼女がクラスで孤立していた最大の原因は、当時まだ社会がアルコール依存症という病を正しく理解していなかったからなんだ…」

 優太君はグラスの中の烏龍茶を飲み干すと、「もう少しだけ長話を続けていいかな?」と更にもう一度手を挙げて断った上で話をし始めた。

「…十年前はまだメンタルヘルスなんてほとんどの人が正しく理解していなかった。例えばうつ病は怠け病じゃない、脳内麻薬のセロトニンの機能的な欠如が原因のれっきとした病気なんだ。どんなに速いスポーツカーも、ガソリンがなかったら走れない、うつ病は、それと同じでセロトニンの機能的な欠如が原因で活動したくてもできなくなる病気なんだ。ところがその事を正しく理解しようとしない親御さんが少なくなくてさ、子どもがうつ病で苦しんでるのに、やたらめったら励ましたり厳しく叱り飛ばしたりして追い詰めるケースが非常に多いんだよ。"そういう事をしたって余計に病状が悪化するだけです、変わらなきゃいけないのは、うつ病の子どもじゃなくて親なんです"って何度教えても、"怠けるな、働け"って子どもに辛く当たる事を止めないんだ。事実、うつ病を正しく理解しようともしない親に追い詰められて自殺してしまった若い子を一人知っててさ、その事を元にした本を今書いてるんだよ…」

「…てゆーか清水君ってもっとこう、無口な人だと思ってた。意外とよく喋るんだね」

 どこからともなくそんな声が聞こえてきた。事実、私も普段寡黙な優太君にしては、ずいぶん珍しく冗長だな、…心底からそう思っていた。しかし、本当の優太君は胸の奥に熱いものを隠し持っている人間なのだという事を私は知悉してもいた。そしてそれは私とコスモと毅さんしか知らない、優太君の真の姿でもあった。

「…いや、できれば俺もペラペラ余計な事をお喋りしたくはないんだ。でも、実はその自殺した若い子なんだけど、長い遺書を遺しててさ、その中に俺の事も出てるんだ。それでつい色々と話したくなってしまったんだ。その子の死に責任を感じててさ、せめてもの罪滅ぼしにと思って、実は今その遺書を元にした本を執筆している最中なんだよ。あ、湿っぽい話で申し訳ないんだけど、もう少しだけ続けてもいいかな?」

 恐らく彼にとって、こういった話題を口にするのは仕事のうちなのだろう、そしてこういう機会だからこそ、メンタルヘルスへの正しい見識を深めたいと考えているのだろう、…私は優太君の気持ちをそんな風に推察した。

「飲酒で肝臓に負担がかかると、セロトニンが肝臓から分泌されなくなってうつ病になりやすいって事が医学的にも立証されてるんだ。そして、コスモの情緒が不安定で"危ない女だ"と認知されていたのも、そもそも家庭が不安定だったからなんだ。実際俺は医療ボランティアとしてアフガニスタンに行った事があった。アフガンの子どもたちは、明らかに日本の子どもたちより情緒が不安定だった。でもね、本当の意味で子どもが大事にされるような社会になればそんな子たちはいずれいなくなるよ。事実、戦争っていうのはね、過剰なまでの防衛本能から起こる物なんだよ。大袈裟な話じゃない、アリス・ミラーの『魂の殺人』という本を読んでみるといい。前書きにこういう意味の言葉が書いてあるんだよ、"本当の意味で大事に育てられた子どもには、巨大な兵器産業を作り上げずにいられなかった過去の人々の気持ちなんてきっと理解できないだろう"ってね」

「…まるでテレビに出てるコメンテーターみたい、言う事が違うね」

「まあ、メンタルヘルスの知識を正しく理解してもらう事は仕事のうちだからね」

 思わず私は、「やっぱりそう言うと思った」と、思わず一人ごちてしまった。

「…ま、でも、できればこのまま『桃色ウインドベル』としてプロデビューして欲しかったな。そうすればメンバー全員が知り合いなわけじゃん?」

 誰とはなしに、「確かにそうだね」、と言ったやや寂しげな声が聞こえて来た。

「…ねぇ、美樹本さんが、"これで日本は見納め"って言ってたって本当なの? もし、もしだよ、もしまた日本に来ることがあったら美樹本さんも同窓会に呼ばない? "今さらもいいとこだけどちょっと誤解してた、ゴメンね"って謝りたい」

「分かった。コスモには私の方から必ずそう伝えておくよ」

 私は皆にそう宣言した。すると優太君が、

「そう言えば歌祈ちゃん、新矢君とは上手くいってるの?」

 と尋ねてきた。優太君と新矢君は、私たち「ギターショップ」がプロデビューする前から面識があった。それはコスモの結婚式が終わった後、日本に戻る飛行機の中での事であった。その頃新矢君は家出をしていた。身に覚えのない嫌疑を両親にかけられ、カッとなった彼は父親を殴って家出し、ドラムのサトルさんが働いていた車の解体屋へと身を寄せていたのだった。そんな新矢君の事を優太君に相談すると、

「その新矢君って子は、『ハイリー・センシティブ・パーソン』なんじゃないかな?」

 彼はそう言ったのだ。

「…Highly sensitive person.略してHSP。"繊細過ぎる人"って意味の言葉。心理学者のエレイン・アーロン博士によって提唱された概念なんだ。五人に一人は生まれつきそういう人がいるんだよ…」

 新矢君の親に対する不満はその時になって突然生まれたものではない、それまでに積もり積もって来たストレスが爆発した結果が暴力だったのである。その事の真意を職業がら見抜いていた優太君は、

「…子どもが親を殴るだなんてよほどその親に問題があるって事だよ…」

 とキッパリそう言い切ったのだ。更に優太君は、

「…今度その新矢って子に会わせてくれないか?」

 羽田空港での別れ際、そう言ったのである。そして、まだ私たちがインディーズだった頃のライヴを観にわざわざ東京へ来てくれた優太君に彼を紹介したのである。新矢君を観る彼の様子は、どことなく実験用のモルモットに相対する学者のようであった。

 …あの当時の一連の出来事を、それとはなしに連想していた私は、会場の人たちの質問の声を耳にしてふと我に返った。

「…新矢って『ギターショップ』のベースの人だよね?」

「…『ギターショップ』の歌詞はほとんど全部その新矢ってヤツが書いてるんだろ?」

「…あの歌詞、男の人が書いたとは正直ちょっと思えないんだけど、本当にその新矢って人が書いてるの?」

「…てゆーかあの歌詞、人から言われるまでてっきり歌祈さんが書いてるんだとばかり思ってた。私も正直、男が書いたと思えない」

 皆が口々に疑問を投げかけてきた。

「アイツ、女の子の気持ちを書くのが異様に上手いのよ。小学生の時から作文も上手で、目の不自由な人を助けてあげた時の事を作文に書いて市役所で警察に表彰された事もあるんだって」

「…その新矢って人、確かあたし達より歳下なんだよね」

「歳下」

 芸能人のゴシップに興味を持たない人なんているわけがない事を経験上熟知している私は、極めて事務的に返事した。すると優太君が、

「もし新矢君と結婚するなら、その結婚式にコスモを呼ぶってのもありじゃない?」

 と言い出した。

「確かにありかもね…」

 ゴシップとしてではなく、あくまでも友人として提案してくれた優太君に私はニッコリと微笑んでみせた。

「…その足で同窓会にも参加してもらえれば一石二鳥だもんね」

 やがて「桃色ウインドベル」のライヴのビデオは終了し、私たちの同窓会もお開きとなった。私はこの同窓会に参加して良かったと心から思った。この同窓会がなかったら、コスモが正しく評価される機会は永久に訪れなかったかも知れない。

 それぐらい、コスモはクラスで孤立していたのだった。



 同窓会が終わった後、私はホテルの従業員にお願いしてタクシーを呼んでもらった。タクシーが到着すると、みんなが出入り口まで私を見送りに来てくれた。

「やっぱり横浜の夜景とか海とかが見えるセレブなホテルにでも泊まるの?」

「ううん、実家に帰る。お母さんが帰って来いってうるさいのよ。だいたい何がセレブなホテルよ。ロックミュージシャンって、みんなが思ってるほど高給取りじゃないのよ」

「ウッソだぁ〜!」

 全員が口々にそう言った。しかし私はお金の話に辟易していた。やれ「印税って幾らぐらい貰えるものなの?」とかなんとか、そういった問題に関してアレコレ詮索される事に疲れ果てていたのである。

「私ね、別にお金持ちになりたいとか、有名になりたいとか、音楽で一発当ててやるとか、そんなつもりで音楽をやったわけじゃないの。ただ音楽が好きだったの、音楽で感動する事が好きだったの、そしてただ感動するだけじゃ物足りなくて感動させられる側の人間になりたくて頑張ってたら結果的にこうなっちゃったってだけの話なの。だからお願い、お金の話はもうやめて。ごめんね、いっぺんに色々あり過ぎて疲れた。今日はもう帰る」

 私は手を振りながらタクシーの後部座席に乗り込んだ。そして走り出した車の後部座席で、ファンデーションのコンパクトミラーを使って後方をチェックしてみた。尾行してくる車はないように見えた。正直、少しホッとしていた。



「ただいま」

 海沿いのカフェである「シーサイドメモリー」の二階が、私たち家族の居住スペースだった。お店の裏側にある階段を登って実家のドアを開けると、母から、

「もぉ! バカ娘がや〜っと帰ってきた!」

 熱烈なる抱擁を受けた。少し遅れてお風呂から上がったばかりの父が石鹸の匂いをさせながら玄関にやって来た。

「お帰り。歌祈」

「歌祈」という名を授けてくれたのは父だった。そして、私が音楽をやる事に一番反対したのも父だった。「だったらどうして私にこんな名前をつけたのよ?」、と、私は強く反発し続けた。でももう、顔を見た瞬間そんなわだかまりはどこかへ消え失せてしまっていた。

 お風呂に入り、歯を磨いた後、私は吸引器を吸って薬を声帯に浴びせかけた。すると母が、

「あれ? アンタ喘息持ちだったっけ?」

 と言い出した。

「違うわよ。これはノドの炎症を予防するためのお薬」

 と私は答えた。

 父と母の寝室である四畳半の部屋に、私はわざわざ自分の布団を持ってきて床に引いた。布団からはお日様の匂いがふんわりと漂っていた。きっと母はわざわざ今日のために布団を干してくれていたのだろうと思った。

「お父さんはお兄ちゃんの部屋へ行って寝て。今夜は私お母さんと二人きりで寝たい」

 私は父に動物を追い払う時のような仕草をして見せた。これが本当は私なりの愛情表現であることを見抜いているのであろう父は、フンと笑ってドアを閉じた。

 夜のしじまの中で、私は母に話しかけた。

「ねえお母さん。音楽の星野先生って覚えてるよね?」

「覚えてるよ。アイドルの何とかって子に似てたひとでしょ?」

「うん。その星野先生が、"私の育てた生徒がミュージシャンになって嬉しい"って、泣いて喜んでくれたの。でね、星野先生、産んだばっかりの双子の赤ちゃん連れて来てたの。二人ともすごく可愛い女の子だった。でもね、出産するときすごく痛かったって。やっぱりお母さんも、私を産むとき痛かったの?」

「まあね、でもあなたは二人目だったから、お兄ちゃんの時に比べたらまだ楽だったけど…」

 私が父を追い払ったのは、何を隠そう、母と二人、女同士で出産の話をしたかったからであった。

「…そういえば週刊誌で見たけど、アンタ『ギターショップ』でベースを担当してる新矢ってコとお付き合いしてるって本当なの?」

「うん。まあ、もっとも、ず〜っと前から付き合ってるんだけどね…」

「新しい矢で『新矢しんや』って、カッコいい名前よね。それってやっぱり芸名なの?」

「ううん、本名」

 新矢君は自分の名前に対し、それはそれはデリケートな悩みを抱えていた。特に、「カッコいい名前だね」と言われる事を酷く嫌っていた。なぜなら新矢君の母親は「想新の会」の熱心な信者で、彼の名は会の指導者である「山雄大覚」が発言した言葉に由来していたからだ。新矢君は、「想新の会」に対し子どもの頃から疑問と不信感を感じながら育ってきた。そんな彼にとって、「新矢」という名はまさにコンプレックスそのものだったのだ。

「その子って確か歌祈よりも歳下なのよね? いいひとなの?」

「うん。もの凄く頭が良くて料理も上手で…」

「あら、お料理上手なの? だったら歌祈と二人でお店継いでもらおうかしら?」

「あはは。バンドが売れなくなっちゃったらそれありかもね。そうそう、それととても繊細で、ちょっと甘えん坊ちゃんなとこがあるの。反対に気の短いところもあって、昔から親と仲が悪くて子どもの頃いつもイライラ・ピリピリしてたんだって」

「それじゃまるで中学の頃のコスモちゃんみたい…」

 そう言って母は笑い出した。

「…きっと歌祈はそういうタイプの人ばかりがそばに寄って来ちゃう星の元に産まれついちゃったんでしょうね」

「私たちが『いるかロックグランプリ』で優勝した夏、父親を殴って家出した事もあるのよ。…でも弟や妹には優しかったみたい。どんなにカッとなっても自分より弱い人に暴力振るうようなタイプじゃないから、その点は信用してる。…ねえお母さん」

「なぁに?」

「今日ね、星野先生のお産の話を聞いてからお母さんにずっと言いたかった事があったの…」

 私は歌を唄う時のように大きく息を吸った。

「…私を産んでくれてありがとう」 

 母からの返事はなかった。しばらくすると、母の寝息が聞こえて来た。いや、あるいはあれは泣き声だったのかも知れない。自分の娘が芸能人になった事に、きっと本当は様々な葛藤を抱えていたに違いない、…ちょっと考えたら解るはずの答えに、今更になって初めて気づいた自分がいた。


 …その夜、私は中学・高校時代の頃の事や、親に騙されて学費の安い美容学校へ入学させられた事、そして「ギターショップ」の草創オリジナルメンバーである三人と初めて出逢った日の事を思い出しながら眠りについた…。



     ♩



 クラスで中心的な立ち位置にいた女子が、「化粧ポーチがない!」と言って騒ぎ出したのは、前述したとおり私とコスモが消しゴムの件を経て親しくなり始めてからおよそ一ヶ月後の事だった。体育の授業が終わった後だったため、教室には女子しかいなかった。トイレに寄ったため、少し遅れて教室に戻った私は、

「化粧ポーチを盗んだのは美樹本さんでしょ? 返してよ!」

 とヒステリックに叫ぶその女子を見て、いったい何が起きたのだろうかと少し怖くなってしまった。

他人ひとの化粧ポーチなんてるわけないでしょ! 変な言いがかりをつけるのやめてくれる!」

 コスモはあのひどく良く通るハスキーな声で激しく反駁していた。

「化粧ポーチって、もしかしてキティーちゃんの描いてあるピンク色のやつ?」

 私が口を挟むと、クラス中の女子の視線が私に集中した。

「それだったら理科室に落ちてたよ。先生に預けてあるから取りに行きなよ」

「ひょっとしてアンタ、ポーチの中を見たの!?」

 彼女は稲妻のような早さでそう尋ねてきた。いったい何をそんなに慌てふためきながら詰問してくるのだろう、私は少々疑問に思いながら、

「いや、見てないけど?」

 そう答えた。すると彼女はなおも慌てふためきながら、

「見てないならどうして化粧品が入ってるって言ったのよ!?」

 更にそう尋ねてきた。ポーチに入っている物が化粧品であろう事は、外皮に触れた瞬間、女の本能で直感できた。わざわざ中身をあらためるまでもなかった。そもそもキティーちゃんのピンク色のポーチが男子の持ち物であるはずがない。そして、理科の先生は女性だった。…つまり、それを先生に預けることは常識的に考えて間違いではないと判断し私はそうしたのだった。

「とにかく、見てないものは見てないし、今言ったとおり先生に預けてあるから取りに行きなって」

 中を見ていないという話はどうやら嘘ではないようだ、と判断したのであろう彼女は、再び怒りの矛先をコスモへと向け、激しく罵るような口調でこう言い出したのであった。

「美樹本さんが私の化粧ポーチを盗んでないって事はあるいは本当なのかもね。でもさ、うちの兄貴に聞いたんだけど、美樹本さんがいつも持ち歩いてるその大きなヘッドフォン、確かボーズっていうメーカーのす〜っごく高いヤツなんでしょ? それにアンタずいぶんとたくさんCD持ってるわよね、昼の休憩のとき放送室から音楽を流してるけど、あれだって全部アンタの私物でやってるんでしょ? みんな知ってんのよ。それも古い洋楽ば〜っかり、ま、別にアンタの趣味をどうこう言う気はないけど、ヘッドフォンとかCDとか、どうせホントはおじさん相手に遊んでやったお礼に買って貰ってんでしょ!」

「そうよそうよ」と、賛同する他の女子の声があちこちから聞こえてきた。その勢いを追い風にし、彼女は更にコスモを激しく非難した。

「アンタは本当にいいわよね。お母さんがアメリカ人で金髪なのを隠れ蓑にして髪の毛染めても先生からのお咎めナシだし、ああ羨ましい!」

 それはただのやっかみだ、本当は染めていないと知ってるくせに、コスモの髪が綺麗なのを羨ましく思っていてその反動でわざとそういう言い方をしているのは明白だ、私は即座にそう思った。

「あの、いい加減にしないと本気で怒るよ! あたしは盗んでもなければ援交もしてないし、髪の毛だって地毛なんだから」

 もしコスモが噂どおりの乱暴な事をしたなら間違いなく心象が悪くなる、…盗んでいない物さえ盗んだ事になる可能性すら考えられる。そう思った私はコスモの肩を抑えた。

「じゃあ一体どうやってそれを手に入れたって言うのよ!? 答えてよ!」

「…」

 押し黙ったコスモを見て、私は一瞬「もしかして?」と彼女を疑ってしまった。しかしもし仮にそうだったとしても、こんな不毛なやりとりに一体何の意味があるというのだろう。私はコスモの肩を抑えながら声を出した。

「てゆーかこの話もう止めない? 化粧ポーチは確かに先生に預けてあるんだし、次の授業もう始まっちゃう、男子来ちゃうよ」

 私は何とかその場を収めた。化粧ポーチを盗んだのはコスモではない、それはもう分かり切っていた。しかしそれはそうだとしても、コスモの心象が悪くなるような事態だけはどうしても避けたかったのだ。

 私はその日のお昼ご飯を、コスモと一緒に放送室で食べる事にした。その時私はまだ放送部員ではなかった。しかしコスモと二人きりで話がしたかった私は、彼女に断った上で共に放送室に入ったのだった。狙いどおり、そこで私たちは二人きりになる事ができた。コスモがCDで校内に音楽を流すと、私がいる放送室のとなりの機材置き場にも、スピーカーを通してエリック・クラプトンのレゲエ調の甘く切ないギターの音色が流れ出した。ボブ・ディランの「天国のドア」のカヴァーのイントロだった。そしてそのワウペダルで軽く歪ませたギターの音に被せるようにして喋る、コスモのハスキーな声が聞こえてきた。

「ではお聴き下さい。次の曲はエリック・クラプトンの『Knockin' On Heaven's Door』です」

 毎度の事ながらコスモの英語の発音は非常に流暢だった。アナウンスを終えた後、マイクのスイッチを切ると、すぐにコスモはお弁当のある機材置き場のテーブルに戻り席に着いた。

 私は正面に腰を下ろしたコスモの目を真っ直ぐに見た。

「何?」

 コスモは怪訝そうな声を出した。私は歌を唄う時のように大きく息を吸った後、意を決して、「大事な話があるんだけど(なぜかやたら不自然な棒読み口調になってしまったのを今でもハッキリと覚えている)…」と声を出した。

「…あのね、私はコスモを誤解したくないの。でも、気を悪くしないで欲しいんだけど、クラスでコスモを良く思ってない人、少なくないのはコスモも知ってるよね。さっきの話にも出てたけど、コスモってほら、CDたくさん持ってるじゃん? いつも持ち歩いてるそのヘッドフォンだってやっぱり高いんでしょ? 本当の事を言うとそれに関しては私も前々から不思議に思ってたんだ。正直に答えて。一体どうやってそれを手に入れたの?」

 コスモはしばらくの間下を俯いていたが、やがておもむろに口を開いた。

「実はあたしね…」

 やはり本当は援交か何かしていたのだろうか? そうだったとしても、それを理由にコスモへの態度を変える気はない、ただし、今後もう二度とそういった事をしないと誓ってくれるのであれば。…私はそう思いながら、椅子の上で姿勢を正し、身構えた。しかしコスモは私の予想とは全く違った返答を寄越してきたのだった。

「…実は死んだお兄ちゃんがいるんだ…」

 全くの初耳だった。普通死んだ兄がいるならクラスで話題にならないはずがない、しかしクラスで孤立していたコスモなら、むしろ逆に話題にならない方が自然な事のようにも思えた。それに、酒癖の悪い父親とアメリカ人の母親という二人のキャラクターのインパクトが濃すぎて兄の存在が霞んでいた可能性もある。そう思いながら私はコスモの話に耳を傾けた。

「…ある日突然お腹が痛いって言い出して、病院に行ったんだけどその時にはもう手遅れだって医者に言われたの。病名はガン、…ガンって、若い身体の方が早く転移するんだって。それからすぐに入院したんだけど、一ヶ月も保たなかった。で、ヘッドフォンもCDも、全部お兄ちゃんが遺してった物なの。お兄ちゃんもう働いてたから…」

 コスモは、「曲が終わるから新しいのをかけてくる」、と言って一旦席を立った。しばらくすると今度はレッドツェッペリンの名曲「天国への階段」が流れ出した。そしてコスモは再び私の前に向き合って椅子に座った。

「…優しくて真面目で、本当の意味での勇気があって、おまけにギターが上手くてさ、いいお兄ちゃんだったんだ」

「そっか…」

 ほんの少し時間を置いた後、私は再び重い口を開いた。

「…じゃ、援交はしてないのね。なら良かった。たださ、乱暴な事は良くないと思うよ、心象悪くするよ。それと、小学生の時に男子を張り倒して怪我させたって噂を聞いた事があるんだけどそれは本当なの?」

「うん」

「そのあと馬乗りになってグーで殴ったって聞いたんだけど?」

「なんか影でそう言われてるらしいね、"まるでドラクエの会心の一撃のようだった"って言われてるってのも知ってる。…でも誓って言うけど"馬乗りになってグーで殴った"はだよ。ま、確かにたった一発で張り倒して怪我させちゃったってのは本当なんだけどね」

 一緒に登校してきたコスモと優太君を教室の窓越しに見た男子が、「清水ってクリフトに似てねえか!」と大声で言っていた時の事をふと思い出した。そしてその意味が私には突然理解できてしまった、…クリフトってドラクエ4のクリフトの事を言ってたのか! と。お兄ちゃんの影響で、私もドラクエが好きだった、にも関わらず、どうしてこんな簡単な事に今まで気づけなかったのだろう、…今更ながらに私はそう思った。確かにコスモのおてんばっぷりはまるでドラクエ4の武闘家・アリーナのようだったし、常にコスモを思いやる姿勢を隠そうともせず、なおかつ同い歳の男子にしてはやけに落ち着き払って優等生然としていた優太君は優太君で神官のクリフトに瓜二つだった。

「ところでなんでビンタなんかしたの?」

「"外人"って言われてキレたから。たとえママがどうだろうと、あたしは日本産まれの日本育ちなのにさ…」

「そっか。まあ、とにかく乱暴な事は本当にもう止めようね。そんな事をしたらもう、たとえ何をどう言い繕ったところでコスモが一方的に悪いって事になるんだから。それと、これはあくまで私の推測なんだけど…」

 私はコスモの目を見ながら、その「推測」を口にした。

「…援交やってるのは本当はあのなんじゃないかな? で、化粧ポーチの中には実はその証拠になるような何かが入ってて、万が一それが先生にバレた場合、"それは自分の物じゃない、美樹本さんの物だ"って言ってコスモに罪を擦りつけたくて、それが理由であんな風にクラスのみんなに聞こえよがしに喋ってたんじゃないかな?」

「確かに一つの推測としては成り立ってるよね。それにしても、あたしって裏で援交やるような女だと思われてたなんてね。ショックだな」

 そう言い終えるやいなや、コスモは突然激しく泣き始めた。

 …まさかこの子にこんな繊細な一面があっただなんて!

 かなり激しく驚いた私は、慌てて椅子から立ち上がり、そして彼女を背中から優しく抱きしめた。その瞬間、「あ、この子は私にやっとできた親友なんだ」、という思いが、まるでテトリスの細長いブロックのようにストンと真っ直ぐ私の意思の中に落ちてきたのだった。しばらくして泣き止むと、コスモは「ありがとね」と言って深呼吸をした。

「言いたい事ひととおり言って、それで泣いたらすっきりした。ホントありがと。ところで前から思ってたんだけど、歌祈っていつもお菓子みたいな甘い香りがするよね。なんで?」

「アナスイのスイ・ドリームって香水つけてるの。ハンドバッグみたいな形をした水色の瓶に入ってる可愛いやつなんだ。私の従姉妹のお姉さんがね、"香りがおさなすぎて自分の歳で使えるような香水じゃないから"って、私にお下がりしてくれたの。そのままズバリ、お菓子系って言われてる香水なんだって」

 この日の放課後、友情を誓い合った私たちはすぐさま共に百均へと向かった。そして放送室を私たちだけの楽園にするため、B5サイズのホワイト・ボードと赤のペンを購入した。 

 

   Girls only

   Do not enter to men


 コスモに赤でそう書いてもらい、それを放送室のドアノブにぶら下げ、そしてそこで毎日昼食を共にするようになったのだった。

 またこの一件があってから、私は女子の主流派から距離を置かれるようになってしまった。しかし、女の先生に預けたという判断が間違っているとは到底思えなかったし、本当の事を言った結果こうなってしまったのなら仕方がない、そう思ってこの問題は諦めることにした(もっとも、主流派の女子たちと特別仲が良かったわけではないので、特に何か困る事もなかったのだが)。

 私とコスモ、女同士の狭いけれども深い交流は、こうして始まったのであった。



 コスモはたびたび学校を休んだ。酒癖の悪い父親に、あれやこれやと振り回されていた事が主な理由だった。そして、それが遠因でコスモは、英語と体育以外の成績は非常に悪かった(音楽の成績もまずまずだった。彼女は音符の読み書きに関しては何の問題もなくこなせていた。酷い音痴でさえなかったら音楽の成績も全く問題はなかっただろう)。

「親父がうるさくて勉強なんかしたくたってできない。きっとあたしが高校に行く事はないと思う。努力するだけ無駄ってもんよ。だからせいぜい今のうちに、ミニスカとルーズ履いて派手にやってやるんだ」

 それが彼女の口癖だった。まるで映画「スタンド・バイ・ミー」で、リバー・フェニックス扮するクリス・チェンバーズが、家庭の悪さを理由に将来を悲観しているのとまるきり同じだと私はいつも思っていた。そして何より、その口癖を聞かされるたび、私はもの凄く憂鬱な気分になるのだった。

 それは一月、ひどく寒い日の事だった。コスモが肺炎で入院する事になった。泥酔した父親に深夜突如叩き起こされ、家の外に放り出された事が原因だったそうだ。私は次の日の放課後、習い事の都合をつけるとコスモを見舞うため病院へ向かった。

 病室に着くとコスモは、

「昨日、ユータに病室ここで告白された」

 と語り出した。

「そっか、良かったね。で、オッケーしたの?」

「ううん、まだしてない。でね、一緒にM高へ進学しないかって言われたの」

「M高?」

 思わず私は首を傾げてしまった。優太君は私立の進学校へ行くと聞いていたからであった。そして、M高は優太君ならともかく、失礼ながらコスモの成績で行けるとは正直とても思えなかったからでもあった。

「M高って、私の親戚の家のすぐ近くなんだ。で、ユータから、"あの家には居ない方がいい。最悪の場合、親戚の家から学校へ通え。むしろその方がいいぐらいだ"って言われたの。それと、"コスモの成績が悪いのはコスモのせいじゃない、コスモの親が悪いからなんだ、その事をコスモの親やコスモを見捨てているとしか思えない先生たちに証明したい。勉強は俺が教えるから"とも言われたの」

 それはものすごく壮大な計画のように思えた。果たして本当に実現可能なのだろうか? しかし秀才の優太君が、何の勝算もなくそんな事を言い出すとはとても思えなかった。そして何より、そのいかにも優等生らしい反抗の仕方を、私は最高にかっこいいと思った。

「優太君の家で勉強するのね?」

「うん」

「そっか、頑張ってみたら?」

「でも、あたしなんてユータと全然つり合い取れてないし、迷惑じゃないかな?」

「つり合い取れてないと思うんなら、取れるように努力すればいいじゃん。それに迷惑だと思うならそもそもそんな提案したりなんかしないと思う。とにかく、頑張りなよ、応援する。でも、これからしばらく遊べなくなるね」

「一生遊べないわけじゃないし。うん、そうだね、あたしやってみる」

 こうしてついにコスモと優太君は付き合い始めたのだった。幸運な事に、三年になってもコスモと優太君は同じクラスだった。「運も実力のうち」という諺の意味を、これほど強く実感したのは後にも先にもこの時だけである(ついでに言うと私も同じクラスになった)。コスモは優太君の隣に座るため、席替えのクジに様々な細工を施した。よくもそれだけ次から次へと悪どい事を思いつくなと呆れるくらい、コスモは細工が上手だった。そして授業で何か解らない事があると直ちに優太君に質問し、貪欲なまでに勉学に励んだ。

 二人の交際はクラスで色々と囁かれた。黒板に、相合傘の悪戯書きが描かれているのを目にした事もあった。


   優等生

   不良娘


 しかし優太君は、鮮やかなまでに完璧に無視して席に着いた。そんな彼を私は最高にクールだと思った。

 コスモの真剣な努力と、優太君の個別指導のかいあって、コスモの成績は見る見る上昇していった。二人は毎日のように優太君の部屋で共に勉強し続けた。そんな二人を、男子は皆、「部屋に連れ込んでヤリまくってる」と言っては冷やかし続けた。優太君の母親は身体が非常に悪かったため、滅多な事で家を留守にする事はなかった。それを知った上でなお、「ヤリまくってる」と言い続ける男子たちを、私は心底から軽蔑した。また、女子も女子で、「劣等生のコンプレックスだ」と言ってはわらい続けた。劣等生がコンプレックスを克服するために努力する事の一体何がいけないのというのだろうか? 私はやはり心底から、そんな女子たちを激しく軽蔑した。そしてそんなクラスメイト達の批判などものともせずに、コスモはコツコツ努力を重ねた。私は次第に成績を上げていくコスモに軽い嫉妬を覚えた。そんな気持ちを知ってか知らずか、一学期の期末テストが終わった後、コスモがトイレで席を外した際に、優太君は私にだけ聞こえるように小さな声でこう話しかけてきた事があった。

「コスモはいつだって、人の話をちゃんと最後まで注意深く聞いてるし、特に女子がやりがちだけど、人の話を途中で変に遮って自分の言いたい事をベラベラ喋り出したりもしない、…つまり『会話泥棒』をしない、音楽の事で質問しても、ワンテンポ置いてちゃんと考えてから明解に答えてくれる、…つまり地頭はもの凄くいいんだよ。そんなの知り合ってすぐの頃からとっくに気づいてたんだ」

 やはり優太君は、勝算があると踏んでM高を勧めていたのだ!

 夏休みが終わり、二学期になると、むしろ逆に私の方が遅れを取るようになっていった。いっそ私も優太君の部屋で勉強させて貰えないだろうかと思った事すらあった。性格の優しい優太君の事だから、きっと「NO」とは言わなかったろう。しかし二人の時間を邪魔するのはとても酷い事のように思えて、私はそれを言い出せなかった。それに、そもそも私の家はコスモと違って勉強がしたくてもできないような環境ではなかった。私はコスモのように優太君という「救い」を必要とする特殊な事情を持ち合わせてはいなかったのだ。

 そんなある日、いつものように放送室でお昼を食べていた時の事だった。

「昨日の事なんだけど…」

 コスモは優太君の部屋で起きた出来事を話し始めた。

「…ユータのおばさんが町内会の用事で数分だけ家を留守にしたのね。おじさんも居なくて、家でしばらく二人きりになったの。そしたらユータのやつ、"なあコスモ、お願い、ちょっとでいいからおっぱい触らせて"って言ってきやがってさ、仕方ないから服の上から触らせてやったんだ…」

 私たちは化粧ポーチの件以来、ずっと一緒に放送委員をやっていた。三年になってから、コスモは委員長、そして私は副委員長に就任していた。委員会なんて厄介な仕事を立候補してまでやりたがる物好きな生徒など他にいるはずもなく、先生は、

「本当なら男女でやってもらいたいんだが、自分でやると言うのなら致し方ない」と、渋々ながら承認してくれていたのだ。

 気づけば放送室そこは、私たちが持ち込んだCDやカセットテープはもちろん、りぼんやマーガレットや明星といった少女向けの雑誌、二人で撮ったプリクラ、ブラシに鏡にヘアバンド、香水のアトマイザー、お菓子の袋、ぬいぐるみ、ザードやレッドツェッペリンの楽譜スコアブックなどといった本来なら学校に持ってきてはいけないはずの物で埋め尽くされるようにまでなっていた。そんな室内でコスモが優太君の事をあれこれ話して惚気のろけるのはむしろ必然ですらあった。

「…んで、キスしたらユータのおばさんが帰ってきちゃってさ…」

「あ、そこから先は何もなかったんだ?」

「うん、なかったはなかったんだけど、しばらくしたらユータのヤツこう言い出したんだ、"俺、ちょっとトイレ行ってくる!"」

 思わず私は爆笑してしまった。コスモもコスモで、ドラムスティックでテーブルを連打しながら大笑いした。

「それって見え見えじゃ〜ん。やっぱ優太君も男なんだね。てゆーかコスモおっぱい大きいから優太君よけいにコーフンしたんじゃない?」

「やだぁ! てゆーかおっぱいって赤ちゃん育てるための物じゃん。それを思うとなんかユータが可愛くてさ」

 いくら目的が勉強であっても、年頃の男女が同じ屋根の下にいて、全く何もないなんて事の方がむしろおかしい。…そう思うのと同時に、私よりも先にそういった事を経験し始めている同い年の少女に、やはりほんの少しだけ嫉妬してもいた。

 やがて三学期、二人は見事M高に合格した。合格発表の次の日、放送室で優太君にヴァージンを捧げたとコスモから告げられた。

「最初だけちょっと痛かったけど、ユータの触り方が優しかったから怖くなかった」

 その頃にはもう、コスモに嫉妬するという感覚を私は殆ど喪失してしまっていた。コスモがもう、届かないぐらい先にいる、大人のひとのようにすら思えた。その日私は、シーサイドメモリーの余り物である賞味期限切れ間近のプリンを、他の人たち(特に女子)に気取られぬようこっそり二つだけ放送室へと持ち込んでいた。添加物をいっさい使用せずに、卵とオーブンの力だけで焼き固めた葉山の名産品・マーロウのプリンは、何故か不思議といつもよりほろ苦く感じられた。

 やがて三年生お別れ会に向け、ザードのコピーバンド、「桃色ウインドベル」が結成された。星野先生は嫌な顔一つせずに、第二音楽室を使わせてくれた。私たちの練習する音が漏れ伝わるのを皮切りに、あのコスモに対する一年生女子たちの熱狂的なまでの人気っぷりが突如勃発し始めた。その頃コスモはすっかり明るくなっていた。その瞳は自信に満ち、キラキラと宝石のように輝いていた。優太君の言う、「コスモの成績が悪いのはコスモのせいじゃない、コスモの親が悪いからだ」という事が証明された結果だったのは言うまでもない。そしてその輝きが、一年の女子たちからの人気の追い風となっていたのだ。第二音楽室には毎日のように、お菓子や飲み物が届いた。私や優太君がお裾分けに与かろうとすると、

「これはあくまでもコスモ先輩への差し入れなんです。そのつもりで食べて下さい」と厳重に抗議された。

 コスモについて根掘り葉掘りと質問された事もあった。ちょうど第二音楽室に私一人だけしかいなかった時の事である。様子を見に来た一年の女子たちは、コスモがいないのを確認すると、チャンスだと思ったのだろう、

「あの、ここだけの話なんですけど…」

 と断りを入れた上で、

「…コスモ先輩って、二年の時まで成績すごく悪かったって本当なんですか?」

 と尋ねてきたのだ。

「本当だよ」

 と私が答えると、

「ユータ先輩の部屋で毎日猛勉強して、それでM高に合格したんですよね?」

 彼女たちは更なる質問を投げかけてきた。

「そうだよ」

「ユータ先輩って、本当は私立の進学校へ行くつもりでいたのに、コスモ先輩の進学を全力でサポートするために本来の学力よりも下のM高を選んだって聞きました。それも本当なんですね?」

「うん」

 私がそう答えると、彼女たちは口々に、

「…愛だ!」

「…愛だよ!」

「…愛じゃん!」

「…すごいよねぇ、本物だよ!」

 と言い出した。今まで様々な非難を浴びてきたコスモと優太君が、ようやく公認され始めた兆しを目の当たりにした瞬間だった。私は誇らしい気持ちで胸がいっぱいになるのを感じた。

 …数週間後、二人の栄光の日々が儚く散ってゆく事になるとも知らずに…。

 本番当日、三年生お別れ会はピンク色に染めあげられた風鈴の音色とコスモの名を呼ぶ一年生女子たちの黄色い声でたいへんな賑わいを見せた。ライヴが終わると、一年の女子たちに囲まれたコスモは不自然なほどの饒舌でみんなを笑わせ続けた。

「始めたばかりのコイツにギターを教えたのはあたしなんだ。最初はホントに下手くそでさ、一時はどうなるかと思った。一弦と六弦を逆に張るヤツなんて初めて見たよ」

 コスモの性格を知り尽くしていた私は、「そんな馬鹿な」と吹き出してしまった。

 女子たちはコスモと優太君に、

「ツーショットの写真を撮ってもいいですか?」と言って断ってから、二人並んで微笑んでいる姿を写ルンですで撮影した。毅さんも毅さんで、やはり悪ぶってる三年の男子たちに囲まれて一緒に写真を撮ったり、ベースギターに興味を持った男子に自らの愛器を貸し与え演奏の仕方を教えるなどして和んでいた。そんなコスモと毅さんを見て、私は優太君に、

「どうもこの家系には同性のファンを惹きつける独特の魅力があるみたいね」と話しかけた。すると優太君も、

「実は今、俺も同じ事を思ってたんだ」と言って笑い出した。

 放課後、「シーサイドメモリー」にて、私たち「桃色ウインドベル」のメンバーのみでの打ち上げが行なわれた。茶菓子を飲み食いしながら、お兄ちゃんが撮影してくれたライヴの映像をお店のテレビで観賞した。夜の帳が降りる頃、コスモと優太君は、毅さんの車に乗り込んでシーサイドメモリーを後にした。私は手を振りながら、海岸沿いの国道134号線を長者ヶ崎の方へと走り去って行く初心者マークをつけた白いワンエイティーを見送った…。

 …しかし、である。その日を境にコスモは私の前から姿を消したのだった。ライヴが終わった日の夜、コスモの家は火事になって全焼した。そして翌日、コスモは急遽アメリカへと発って行ったのだ。

 火事が起きた次の日、教室に着くとコスモの安否を知りたがっていた一年の女子たちが私たちのクラスへ押しかけてきた。その日優太君はコスモの家が焼けた事にショックを受けて学校を休んでいた。教室の中に優太君が居ないのを確かめた一年の女子たちは、すぐさま私を見つけ出し、「歌祈先輩!」と、口々に私の名を呼び求めた。しかし何も知らないのは私も同じだった。彼女たちに対し、答える言葉を何も持ち合わせてはいなかったのだ。学校から帰宅した後、私はすぐに優太君の家に電話をかけた。

「昨日の夜、家の近くのコンビニまで送ってもらった後、俺は自分一人だけで車から降りたんだ。その後毅さんとコスモがどこに行ったのかは知らない。何も聞かされてないんだ。だから俺にももうそれ以上の事は答えられない」

 優太君はそう答えた。そして最後に、「明日は学校へ行くよ」と言って彼は電話を切った。

 次の日優太君が学校へ来ると、一年の女子たちは再び私たちのクラスへと大挙し押しかけて来た。優太君は昨日私にしてくれたのと同じ説明を女子たちにした。

 結局コスモは卒業式にもやって来なかった。しばらくするとアメリカから、一通のエアメールが届いた。送り主は言うまでもなく、コスモだった。

「今まで友達で居てくれて本当にありがとう。でもあたしはもう日本には戻らない。ロサンゼルスで一からやり直そうと思ってる。さようなら」

 といった内容の手紙だった。私はすぐに返事を書いた。

「これからも友達でいようよ。ずっとアメリカだったとしても、私と文通していれば日本語の読み書きを忘れずに済むよ」

 義務教育を修了した人に対し、「読み書きを忘れずに済むよ」なんて今思うと大袈裟な話だが、とにかく私はコスモとの関係を繋ぎ続けたくてそう書いた。返事はなかなかやって来なかった。そうこうするうちに優太君は西田さんと付き合い始め、私は「桃色ウインドベル」から脱退した。ゴールデンウィークを過ぎ、コスモからの返事を諦め始めた頃、それは突然やって来た。

「返事遅れてごめん。学校の準備やら永住ビザの取得やらなんやらで忙しくてなかなか書けなかったの。アメリカの学校って、九月から新学期が始まるんだ(リバー・フェニックスの『スタンド・バイ・ミー』って映画があるよね。あれってほら、新学期が始まる前の出来事を描いてるでしょ。原作の小説のタイトルは、『THE BODY 恐怖の四季〜秋冬編〜』の秋。あの映画って夏ってイメージがあるけど、意外な事に本当は「秋」の話なんだって。ま、もっともこれはユータからの受け売りなんだけどね)。で、それまでの間、移民の子どものための英会話スクールに通うことになったの。私のおばあちゃんが見つけてくれたんだ。私もそんな英語ペラペラ喋れないからちょうどいいやって」

 そういった内容の手紙だった。コスモの英語は流暢で、私なんかじゃ全く歯が立たなかったのだが、とにかくコスモはそういった理由で新しい生活を始めていたのだ。手紙にはまだ続きがあり、更にその先の近況を報告してくれていた。

「実はロスのスターバックスで氷室京介に会ったんだ。英会話スクールの友達と一緒にお店に入ったら、サングラスかけた氷室京介がいたのよ。で、"私は中学まで日本に居ました。だからあなたの活躍を知ってます。私もドラムを叩いているんです。日本にいる私の親友のお兄さんがボウイ時代からあなたの大ファンなんです"って話しかけたの…」

 つまり、私とお兄ちゃんの話をしたのだ。

「…そしたら氷室京介さん、"いやぁ嬉しいねぇ。ドラムやってるんだ、俺も君を応援するよ"って言ってくれたんだ。氷室京介ってなんかこう、秘密のヴェールの向こう側にいるようなイメージがあるけど、実際にはめっちゃフレンドリーな人で、話が超面白かった。サインもらって写真も撮って貰ったんだ。そっちに送るね。ちなみに一緒に写ってる黒人の子は、ロサンゼルスでできたあたしの友達第一号。それと、これからも仲良くしようって言ってくれてありがとう。あたしの一番の友達は誰がなんと言おうと歌祈だよ」

 封筒には、氷室京介のサインと写真が入っていた。サングラスをかけ、気障なポーズを取る男性は、紛れもなく氷室京介その人であった。そんな彼を中心にし、右側には相変わらず元気そうなコスモと、そして左側にはものすごく痩せている黒人の女の子が写っていた。私は優太君が西田さんと交際し始めた事を伏せたまま、コスモとのエアメールによる文通を始めたのだった。

 …なお、コアなファンなら知っての通り、コスモは「ギターショップ」に最後に加入して来た、言わばサポート・メンバー的な存在で、パーカッションの音はコスモの手によって演奏された物が使われている。私の強い要望でそうして貰っているのだ。私はコスモの陽気だが、そこはかとなく哀しげな性格がそのまま表れているかのような独特なサウンドが大好きで、彼女の音をレコーディングの時に落とし込んで貰っているのだ。また、それが私たち「ギターショップ」のレコーディングがロサンゼルスで行われている理由の一つでもある。



 高校に入ってすぐ、私は軽音楽部に入部した。

「希望はボーカルですがピアノも弾けます」

 と自己紹介すると、

「楽器ができる上でボーカルをやりたいって人はいるようでなかなかいないんだよな。ただ唄うだけなら誰にでもできるし、それにボーカルは一番目立つからね。まあ、とにかく君を歓迎するよ」

 と先輩たちから言われた。しかしその歓迎はあっという間に手のひらを返された。理由は主に二つ。一つ目は、私の唄が上手すぎるため、先輩の女子たちからの反感を買ったからであった。

 軽音楽部のみんなでカラオケに行った時の事である。私は最初、「桃色ウインドベル」ですっかり慣れていたザードの「マイフレンド」を唄いあげた。皆から「上手い」と言われていい気になってしまった私は、カラオケの採点装置のスイッチをオンにし、難易度の高いドリカムの歌を何曲か唄いあげた、そして立て続けに高得点ハイスコアを叩き出した。その場にいた全員が、まるでちびまる子ちゃんの家族のように青く引きつった表情で私を見た。私にとってそれは、ちゃんと集中してさえいればできて当たり前の事だった。しかしそれが先輩の女子たちには、「自分の才能を鼻にかけたイケスカナイ奴」といった風に見えてしまったようだった。…女子トイレの個室へ入った後、遅れてやって来た先輩たちの影愚痴を耳にし、私はそう確信した。

「…アイツさぁ、ただ唄が上手いだけだったら、あるいは可愛いだけだったら許せるんだけど」

「…そうそう、その両方ってのが気に食わないのよね」

「…しかも痩せてるし」

 カラオケからの帰り道、私は明らかに皆から距離を置かれてしまっていた。

 二つ目の理由は、軽音楽部の部長をしていた三年生の男子から想いを告げられ交際を始めたからであった。それが先輩女子たちからの更なる妬みを買ってしまったのだ。なお、初めての彼氏となった部長との関係は、三ヶ月と続かずに破局してしまった。軽音楽部に居づらさを感じ続けていた私がいよいよ決意をかためて退部を申し出ると、彼はすぐに別の女の子に声をかけ始めたのだ。「これじゃ優太君と全く同じじゃない!」、私は強くそう思った。私が初めて経験した、マーロウのプリンよりもはるかにほろ苦い恋の思い出である。

 私はやはり人と上手に関わる事ができない人間なのかもしれない、特に私は歌の事になると、どうも変に自己主張が強くなり過ぎて周りから引かれてしまうようだ。…そんな悩みを抱えながら高校へ通った。当時の女子高生たちと同じように、いつしか私もミニスカートとルーズソックスを身につけるようになっていた。私は日本人としてはスタイルが良い方だという自覚があった。そんな自分を自室の姿見に映しながら、そこにかつて毎日目にしていたコスモの残像を重ねた。ミニスカから覗き見えるただでさえ長かったコスモの白い脚は、ルーズソックスの遠近法に逆らったブーツカットのジーンズのような美しいシルエットのせいで更に長く見えていた。そんな派手な格好をするばっかりに、コスモはいつもクラスで孤立していた。しかしそれは彼女なりの強がりであり、寂しさの裏返しでもあった事を私は見抜いていた。そして、そんなコスモは日本にもう居ない。この事実を、鏡を見ながら私は改めて痛感した。

「コスモ助けて! 私また一人ぼっちになっちゃったよ!」

 鏡に向かって私は一人ごちた。そして激しく涙した。



 高校二年の春、私は産まれて初めて曲を作った。そして愛用していたローランドのキーボードで伴奏をつけ、カセットテープに録音した。一度作ってみると、「作曲をする」という事がどういう事なのかが自分の中でカチッと見えてくるような思いがした。三年生になる頃には、すでに十曲以上の楽曲が出来上がっていた。

「高校を卒業したら音楽をやりたい」

 私は両親に強く訴えた。しかし両親から強く反対された。

「どうしてもやりたいというのなら、手に職をつけてからにしなさい」

 母にそう言われ、私は美容学校へ通う事にした。母の勧めで、「学費の安い学校へ行って欲しい」と言われ、言われたとおりの学校を選んだ。しかしこれは罠だった。その美容学校の学費が安い事には、実はトリックがあったのだ。その美容学校は、神奈川県全域で「トリップ・トゥ・ザ・ムーン」という美容院も経営していて、安い学費で通学するコースを選択した場合、その美容院で二年間、それはそれは安い給料で働き続けなければならないという規則があったのだ(もしどうしても辞めたい場合は、安かった分の学費を一括で返済しなければならないという厳しいペナルティーがあった)。私に音楽をやらせたくなかったがために、両親はその規則を知った上でそれを伏せてそこへ入学させたのだ。美容学校を卒業した後、私はエスカレーター式に「トリップ・トゥ・ザ・ムーン」へ就職した。最初の一年間は、ひたすらシャンプーと閉店後の勉強会に時間が費やされた、…結果、駅の構内で自慢の歌声を響かせる時間は相対的に減っていった。シャンプーやパーマや毛染めの薬害で皮膚が荒れ、キーボードを弾こうにも、赤切れがしみて指が思うように動かない夜すらあった。給料が安かった事もあり、私は実家でもある「シーサイドメモリー」から美容院へと通った。キーボードを弾かなくなった私の事を、両親は「音楽を諦めた」と判断し安堵していたようだった。しかし私は諦めてはいなかった。一年目を過ぎ、後輩たちが入店してくると、ようやくハサミを持つ事を許されるようになった。結果、相対的に薬品に触れる時間は減っていった、そして閉店後の勉強会は自主参加となった。肌荒れが治った指と、自由に使える時間を取り戻した私は音楽活動を再開し始めた。

 拘束期間である二年間を終えようとしていたある日、西東京は郊外にある「秋島市」という名の街で、個人経営をしている美容院の話を仕事仲間から伝え聞いた。そこで働いている婦人が妊娠してハサミを持てなくなったらしく、その代わりを求めているとの事だった。私はすぐに履歴書を郵送し、その店に愛車である白いインテグラ・タイプRを走らせた(このクルマは、実家の整備屋で働いていた毅さんに、"燃費が良くて運転しやすくて音楽の機材を運ぶのに便利なクルマが欲しい"と相談して選んでもらった)。

「仕事はちゃんとやります。ただし、音楽だけは自由にやらせてください」

 私は面接でそう訴えた。東京なら良いメンバーが見つかるに違いない、親に干渉される心配もない、といった期待に胸を躍らせながら…。すると主人である店長は、

「きちんと計画的に休む分には構わないよ」

 と私を採用してくれた。結果、私は殆ど家出同然で実家を後にする事になった。愛用していたローランドのキーボードと、録音するための機材、そして、もっとも敬愛していた歌手・坂井泉水が使用していたと知ってただちに購入したノイマンのマイクを、インテグラ・タイプRの広いハッチの中に積み込んだ。当時付き合っていた、「トリップ・トゥ・ザ・ムーン」で働く二つ年上の彼氏は、

「遠距離恋愛なんてどうせ生殺しみたいな終わり方を苦しむようになるだけだよ。歌祈の事は好きだけど、ここでスッパリお別れしよう」

 引っ越しの荷をインテRに積み込むのを手伝ってくれた後、私を気持ちよく送り出してくれた。

 秋島のお店に入店した日、歓迎会と称して行く事になったカラオケで、私はミーシャの「包みこむように」を熱唱した。イントロのホイッスルボイスを発声した瞬間、お店のみんなは呆気に取られたと言わんばかりの顔で私を見た。立て続けに軽々と高得点を叩き出す私の事を、お店のみんなは「すごいね」と言いながらマジマジと見た。しかし皆は高校の時の軽音楽部の部員たちとは違った。ここにいるみんなは音楽をやるライバルではない、つまり私と競合していなかったのである。皆はあくまでも私を歓迎してくれていたのだ。

「そういえば音楽やってる俺の友達から聞いたんだけど…」

 先輩店員の一人が非常に興味深い話を口にし出した。

「…高校生の三人組で、ギターのインスト曲ばっかり演ってる奴らがいるんだって。三人ともすごく上手で、とくにリーダーのヤツは右利き用のギターを左手で弾けるようにカスタムしてるんだって…」

 それではまるきりジミヘンである。私はすぐさま話に喰いついた。

「… 国川って駅のすぐ近くのライヴハウスに出演してるってよ。バンドの名前は『ギターショップ』。インスト曲ばかりでボーカルはいないらしいし、とりあえず一度観に行ってみたら?」

 私は週末、すぐにそのライヴハウスへと向かった。入り口に設置してある、レストランのメニューボードを彷彿とさせる黒板には、彼から聞かされた「ギターショップ」というバンドの名が書いてあった。その黒板のすぐ真上の看板には、ライヴハウスの名前とともに、このような煽り文句が書かれていた。


   週末、ジョン・レノンがやって来る!


 それを見た瞬間、私は雷が落ちる時のような激しい衝撃を受けた。コスモの書いた悪戯書きを思い出したからである。毅さんの実家の車の整備工場の片隅には、スタジオとして利用されていた小部屋があった。そこはまるで不良漫画のたまり場のようにひどく汚れていたため、私たちはまずそこを徹底的に大掃除した。その上で、私たち「桃色ウインドベル」は三年生お別れ会へ向けての練習を行ったのだ(ちなみコスモは小学生の頃から、死んだ兄と一緒に週一でそこへ通ってドラムの練習をしていたそうである)。その小部屋の壁には、コスモが赤いスプレーで描いた筆記体の落書きがあった。


   Weekend,come hear to the john lennon.


 …そう、ライヴハウスの看板の下に書かれた日本語の煽り文句は、この英語の落書きと全く同じ意味を持っていたのだ!

 今日出逢うであろう三人には、きっと何らかの運命的な縁があるに違いない、…私はそんな限りなく確信に近い予感を胸に抱きながら店内へ入った。やがて「ギターショップ」の三人がステージに躍り出てきた。私は三人の高校生とは思えない超絶的なテクニックに強い感動を覚えた。特に左ききのリードギター担当・一将君の、まるで悪魔と禁断の契約を交わし寿命を削る事で手に入れたかのようなサイケデリックかつエキセントリックな音色に、私は激しく圧倒された。この三人の伴奏で唄いたい、反対に、もし彼ら三人が私をメンバーに迎え入れてくれるのならば、彼らのオリジナル曲であるインスト曲を私のキーボードでバックアップしてあげたい、私は強くそう思った。


 …私はその日のライブが終わると、すぐさま三人に話しかけた。これが元々彼ら三人だけだった「ギターショップ」に、私が押しかけ女房のように加入したきっかけである。2005年、5月上旬の日の事だった…。



     ♩



 明け方、私はかなり早い時間につと目を覚ました。隣で寝ている母を起こさないよう、静かに布団から這い出た後、洗面所へ向かい、常温のポカリスウェットでうがいをした。その日の喉のコンディションを確かめるための大切な習慣だったからだ。

 外の空気を吸いたくなったので、ドアを開け、海沿いの国道134号線をほんの少しだけ歩いた。あの日、コスモを乗せた毅さんのワンエイティーが走り去っていった長者ヶ崎の方を眺めながら、潮の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。すると、「私は毎日、この景色を眺め、この空気を吸いながら自転車に乗って学校へ通ってたんだ」、そんな想いがふと胸の奥に込み上げてきた。もし、今が仕事中でカメラマンを連れていたなら、朝の海を背景にすごく綺麗な写真を撮って貰えるだろうにな。…真夏の風の中で、水平線を見ながら私はふと思った。

「どこ行っちゃったかと思った」

 振り返ると、母が二階の窓から顔を出していた。そのほんの少しだけ不安そうな表情を見やった後、シーサイドメモリーの看板に目を向けた。

「あれ? 看板が変わってる」

 そこにはサーフボードを持った三頭身のカップルが、水着姿のままキスをしている絵が描いてあった。そして、アルファベットの「e」だけがオレンジ色で、その他は青で染め上げられている、「Sea Sied Memory」と描かれた文字を見た。「e」の上側の半円がオレンジ色で塗りつぶされているのを見て、きっとこれは水平線に沈む夕陽を表現しているのに違いないと思った。

「ああこの看板はね、お兄ちゃんが描いてくれたの。アンタのおかげでうちのお店は大繁盛。で、いい機会だからって看板と店内をリニューアルしたのよ。店内のリフォームも、お兄ちゃんの職場の知り合いに腕の良いデザイナーさんを紹介してもらったの」

「お兄ちゃん、昔から夏とか海とか空とか、そういうのをモチーフにした絵が得意だったもんね」

 私は上を向きながら二階の母に話しかけた。すると母は、

「アンタの作った『やさしくなりたい』って曲だってそうじゃない」

 と言って微笑んだ。

 私は室内に戻ると、洗面所へ行き声帯の炎症を予防するため吸引器を口にした。するとそこへ母がやってきた。

「あら、アンタいつから喘息になっちゃったの?」

 言い出した。

「昨日も言ったじゃない。これは声帯の炎症を予防するための薬。プロの歌手はみんなこれぐらい当たり前のようにやってるの」

「あれ、そうだったっけ?」

 私はリフォームされたと聞かされたばかりの店内を見るため、洗面所からお店の方へと向かった。すると壁には「ギターショップ」のデビューアルバム、「EVERYTIME 〜いつか誰かを好きになる〜」の販売を告知するポスターが貼ってあった。アッカンベーをしている私の顔がどアップになっているポスターだ。舌の上には真っ赤なサクランボが、頭の上には猫の耳が、そして頬には水色の大きなティアドロップが、それぞれ幼稚園児がクレヨンで塗りたくったかのようなタッチでわざとらしく描かれている。何を隠そう、筆記体の「EVERYTIME」という赤い文字は、実はコスモの手によって描かれた物だった。

 コスモがアメリカへ発つ直前、「桃色ウインドベル」の打ち上げが行われた時に彼女が座っていた場所に腰を降ろした(リフォームこそされているが、椅子やテーブルの位置だけはそのままになっていた)。晴れた日の夕方になると、この店の窓から見える海と空は水平線に沈む夕陽で一面オレンジ色に染まった。コスモはこの席から見えるオレンジ色に輝く海と空が大好きで、店に来るといつも決まってこの位置に腰を降ろし窓から相模湾を眺めた。同じ位置に座り、頬杖をつきながら私はしばらく物想いに耽った。すると母が惚けたような顔をしながらこう尋ねてきた。

「そういえばアンタ、週刊誌で見たけどバンドのメンバーの新矢って人とお付き合いしてるって本当なの?」

 と言い出した。

「それも昨日言った。もう、お母さん、自分で質問しておきながらその答えを忘れるだなんて失礼だよ」

 私はそう言って悪態をつきながら椅子から立ち上がった。そういえば、母が忘れっぽいのは昔からだった、今に始まった事ではない。これが我が家での日常なのだった。

「その、新矢って人とはどうなの? 結婚の話とか出ないの?」

 その質問は初めてだった。しかし私はそれをごまかすために、アッカンベーをしている私自身のポスターを背にしながら、

「その質問にも昨日答えました」

 嘘をついてからリアル・アッカンベーをしてみせた。すると、「結婚」という言葉を聞きつけたのであろう父が、少し落ち着きのない表情をしながら近寄ってきた。私は微笑みながら、

「おはよう」

 話しかけた。

「おはよう」

 と、父も苦笑いしながら返事をした。

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