第1話

  第1章・一将



   プロローグ


 最初の頃、酔っ払ってた親父から、「お、ジミヘンの真似か? まあ頑張れや」と冷やかされた事もあった。ところが一ヶ月もすると、「こりゃあいよいよ本物だ! もっと早く一将かずまさにギターを教えてやれば良かった」と言い出した。もともと音楽好きだった親父が、オレの才能をはっきりと認めた瞬間だった。



     ♩



「お前ら『ギターショップ』がどうやって日本一のロックバンドに成り上がったか、本にまとめて出版しようという企画が持ち上がったんだがどうする?」

 チーフマネージャーからそう言われた時、我が「ギターショップ」の優秀なるベーシストであり、同時にほとんどの歌詞を手掛けている読書家の新矢しんやが、すかさずこう返事したんだ。

「どうせ本を出すんなら自分の手で書きたい。前々からずっと思ってたんだ、幼少の頃から『ギターショップ』が現在の形になったあの夏の日までの様々な出来事を書きたいなって」

 ってね。で、オレたち全員で、

「それはいいアイデアだ! 特にあの夏新矢には、やれ親父をブン殴るわ家出するわと色々とあったもんな!」

 と意見が一致したのさ。で、その事をリズムギター担当の雪光ゆきみつ(蛍の光・窓の雪が名前の由来なんだと)の親父さんに相談したんだ。親父さんは高校で国語の先生をしていて、しかも若い頃、小説家を目指していた事もあるらしくて、相談するにはうってつけだったのさ。すると彼はこうアドバイスしてくれたんだ。

「メンバー全員、それぞれの立場から自伝的な手記を書いて、それを連作短編集のように一冊の本にまとめるっていうのはどうだ?」

 更に、

「もし本当に書くのなら、キャラクター的に言ってトップバッターは一将君が最適だと思うよ」

 とも指摘され、そのアドバイスどおりに手記を書いた後、親父さんに監修してもらって出来上がったのがこの本ってわけよ。特にオレは、メンバーの中でも幼い頃からずっと一緒だった新矢や雪光と違ってお勉強の方はイマイチだったからさ、親父さんには随分と面倒を見てもらう羽目になっちまったよ。ま、でも、おかげさまで我ながらとても良い本が書けたよ。



 ファンのみんな相手に今更言うまでもない事なんだけど、改めてここでオレたち「ギターショップ」のメンバー紹介をさせて貰おうと思う。

 まずはボーカル&キーボードの歌祈かおりさん。名は体を表すという諺どおりの歌唱力と美貌を持つ、うちの紅一点だ。まだオレと新矢と雪光の三人でギターのインストルメンタルの曲ばっかりやっていた頃、ライヴハウスでこう言って話しかけて来てくれたんだ。

「あなた達がインスト曲をやる時、私がキーボードでバックアップしてあげる、その方が音色にバリエーションが増えていいでしょ? その代わり私の作った曲を歌うときの伴奏をして貰えないかしら」

 ってね。

 歌祈さんは神奈川県の出身だ。親から、「音楽をやりたいなら手に職をつけてからにしなさい」と言われて美容師の免許を取った後、そのまま通っていた美容学校が経営している美容院にエスカレーター式に就職。ところがその美容院がものすごく忙しくて、なかなか音楽活動ができないのが当時の悩みだったらしい。…そんなある日、知り合いから、「西東京の秋島市(オレたちが生まれ育った街の事だ)って所に、親戚が個人で経営している美容院があるんだ。そこの奥さんが妊娠してしばらく働けなくなっちゃったから代わりの従業員を探してるって聞いたんだけど、そんなに音楽をやる時間が欲しいならそこに相談してみれば? 仕事さえきちんとやっていれば計画的に休む分には文句言わないらしいし、条件は悪くないかもよ、ただしお給料は期待しないで」という意味の話を聞かされ、東京へ来る事を決意したんだとか。…オレたち三人が歌祈さんと「運命的な出会い」を果たしたのはそのすぐ直後の事だった。

 それからドラムでバンマスのサトルさん。サトルさんも相当訳ありな過去を持つ人物だ。なんと言っても「最終学歴は少○院」というとんでもない過去を持ってるぐらいだからね。初めて彼を紹介された時、サトルさんは本人の言う「空白の七年間」を過ごした後、車の解体屋で働いていた。そしてその父親が経営していた解体屋の敷地内にカラオケボックスとして使われていた小屋を持ち込み、それをそのままワンルームのリビングのようにして暮らしていたんだ。小屋の隣には、水道屋の仕事をしていた時に世話になっていた親方から都合して貰ったバスルームを設置し、水とガス、更にはなんと電気まで通電させていた、…つまり全てのインフラを自前で構築するという人並み外れたバイタリティの持ち主だったというわけだ、頼れる兄貴分兼バンマスとしての地位を不動のものとするのも当然だよな。しかもカラオケ小屋の中にドラムセットを始めとする全ての機材を持ち込んでスタジオ代わりにもしていたから(元がカラオケボックスだったから、周囲に騒音で迷惑をかける心配をしなくて済んだ)、彼と知り合ってからスタジオを借りるお金の工面には困らなくなった。小屋にはサトルさんが生活するための家具や家電もあったから、スタジオとして利用するのにそこはものすごく手狭だった、…けど、スタジオ代がタダになる事を思えば全然気にならなかったよ。

 なお、この本を手に取ってくれたファンの中で、「BECK」という音楽漫画の事を知っている人はきっと少なくないはず。あの漫画には、主要人物の南竜介が住み込みで働く釣り掘を、バンドのメンバー達がたまり場にしているシーンが幾度となく登場しているよな。サトルさんの解体屋は、まさにあの頃のオレ達にとって、「BECK」の釣り堀のような機能を果たしていたんだ。…そしてあの夏、新矢が心置きなく家出する事ができたのも、あそこに人が寝泊りできる倉庫を兼ねたキッチンがあったからでもあるんだ。

 幼なじみのベーシスト・新矢は子どもの頃から大のミリタリーマニアで、戦闘機にやたら詳しく、あの頃はホープというブランドの迷彩模様(正確にはタイガーストライプと言うらしい。アメリカ軍の兵隊がベトナム戦争の時に着ていた戦闘服の迷彩なんだと)のボトムスを気に入っていて毎日のように履いていた。幼い頃から軍用機のプラモデルを作っていて、手が器用だった。

 新矢の母親はオレたちが産まれる前から、「想新の会」という名の新興宗教を信仰していた。そしてそのせいでいつも帰宅が遅かった。彼女の役職が上がるにつれて次第にそうなっていったそうだ。結果、当時まだ小学校高学年だった新矢はもちろん、まだ低学年だった弟や保育園児だった妹への飯の準備が次第に疎かになっていってしまった。仕方なく、新矢は弟や妹に飯の準備をするようになった。そして、それをいい事に母親の帰宅はますます遅くなり、飯の用意も更に疎かになっていくという悪循環が生まれた。しかし中学に上がる少し前ぐらいから新矢は母親に反抗し出して飯を作らなくなった。

 新矢の母親は料理が非常に下手だった。一度遠足の時に彼女の握ったおにぎりを食べた事があったが、信じられないぐらい塩っぱくて涙が出そうになった。

「なんだこのおにぎりは!? 通常の三倍は塩っぱいぞ! 赤いモビルスーツかよ!」

 と言って新矢をひどく怒らせてしまった事もあったよ。しかし反対に新矢は非常に料理が上手かった。中学の時、家庭科の答案用紙に、「自分よりも料理の下手な奴に採点されるなんて屈辱だけど、点数が欲しいので仕方なく解答を書きます」と書いて問題になりかけたなんて事もあった。でも事実、新矢にはそう言い切れるだけの料理の腕があったんだ。もしミュージシャンになっていなかったら、きっと新矢は料理の道に進んでいただろうとオレは思っている。もっとも本人は、

「親のせいで身についたスキルを職業にしようとは考えないと思うけどね」と言ってやんわりそれを否定しているのだが…。

 そんなこんなで新矢は、母親とはもちろん、父親とも仲が悪かった。父親も父親でかなりの石頭だったからだ。困った事に、新矢の父親は、オレと雪光を悪友だと決めつけていたんだ(…ま、確かにそう決めつけられても仕方のない前科がオレにはあったんだけどね)。新矢の弁によると、「お前はあの二人にむりやり付き合わされているんだ」と常々主張していて聞く耳を持たなかったのだそうだ。母親も母親で、宗教を信じ込んでいただけあってオレと雪光を悪友だと思い込むパワーも半端なんてもんじゃなかった。反抗して飯を作らなくなったのも、オレたちからの悪影響だと固く信じて疑っていなかったらしい。確か「想新の会」のお偉いさんが、

「息子さんがご飯を作ってくれなくなったのは、信仰を妨げる悪い働きを悪友たちから受けているからなんです。だからその友人たちとは交際しないように教育しなさい」とかなんとか言ったらしくて、その話をガチで真に受けていたんだとか。馬鹿みたいな話だよな、ふつう中坊にもなったらそんな事逆らってやらなくなるに決まってるじゃん(笑)。

 もう一人の幼なじみ、リズムギター担当の雪光は、前述したとおり父親が高校で国語の先生をしていて、雪光自身も新矢に負けないくらいの大変な読書家だった。口数こそ少ないが、ここぞという時に的確なアドバイスをしてくれる頼れる参謀タイプの男で、ピンチになると打開策を打ち出すのはいつも決まって雪光だった。「背も高いし美形だし、名前もお洒落でカッコいい」と、女子からの人気は悔しいけど三人の中で一番高かった。矛盾した話をするようだけど、中ニの時にそれはそれは手痛い失恋をした事があり、その直後に三人の中で初めて作曲をしたという過去を持っている。曲のタイトルは「ハートエイク」、…名付け親は何を隠そうこのオレさ。この本を手に取ってくれたアンタなら当然知ってるだろうけど、ファーストアルバム「EVERYTIME 〜いつか誰かを好きなる〜」にも入っているギターのインスト曲だ。自分で言うのもなんだけど、あれは本当に名曲だよな。まあ、どういった経緯で作曲したのかについては本人が手記で詳しく書いているからそれを読んでやってくれや。

 オレたち三人は、試験前の勉強をいつも雪光の家でやってたんだ。親父さんが高校教師で、雪光の兄貴も当時現役の大学生だったから、何かと勉強が捗ったんだよ。特にオレはお勉強の方はあまり得意じゃなかったから、親父さんや兄貴はもちろん、国・英・社は新矢に、そして理数系は主に雪光に、ずいぶんと助けてもらってたんだ。ちなみにあの頃オレたちは、雪光の家で勉強をする事を「合宿」と称していた。

 …なお、新矢の父親はその「合宿」の事でさえも、オレ達に無理やり付き合わされていると思い込んでいたらしい。それについて新矢はいつも、「家に居ても落ち着いて勉強ができない、でも雪光の家でなら落ち着いてできる、だから雪光の家でやってるんだ」と弁明していたのだが、新矢の父親は聞く耳を持たなかったのだそうだ。…新矢は、そんな両親たちとの関係にそれはそれは強いストレスを感じていて、家ではいつも神経をすり減らしていたんだ。でも新矢の両親は、まさか自分たち親の方に原因があるからこそ雪光の家で勉強しているのだとは夢にも思っていなかったのだ。…もっとも、本当はその事に薄々気づいてはいたのだが、それを認めたくなくて「不都合な真実」から目を背けていたという可能性もある。また新矢の両親が、オレや雪光を悪友だと決めつけ、「むりやり付き合わされている」と主張していたのも、実は自分たち親の方にこそ原因があるという「不都合な真実」から目をそらすには、それが一番手っ取り早くて楽だったからという可能性もある。…少なくとも新矢はそう考えていた、そしてオレもそれは正しかったのではないかと思っている。いずれにせよ、この話はこの話で、後に出てくる新矢自身の手記(…夏休みの始まる直前、溜まりに溜まっていたストレスをついに爆発させ、父親をブン殴って家出し、サトルさんの解体屋へと身を寄せるまでの経緯いきさつ)を読んで貰うのが一番の近道だろう。



     ♩



 ところで、ファンのみんなからよく聞かれる質問がある。

「どうして一将さんはジミヘンと同じスタイルでギターを弾いてるんですか?」ってね。

 一言で答えるならオレが生まれつき左利きだったからだ。でも詳しく話すとちょっとばかり長くなる。ま、まずは初めにその辺りから話すよ。オレが左でギターを弾くようになったきっかけと、オレたち三人が音楽を始めたきっかけは表裏一体なんだ。「あの夏の日」の様々な出来事は他のメンバーに語ってもらうとして、もうしばらくはオレの話に付き合ってくれや。



 オレは秋島市にある古い団地で生まれ育った。団地のすぐ近くには、JR東の原駅やスーパーがある。団地の一階は道路に面してアーケードが敷設されていて、交番に本屋、クリーニング屋、飲食店、薬屋、八百屋、おばさんが営む古風なブティックといった店が並んでいる。大抵の物は雨に濡れる心配なく、徒歩で行ける範囲内で手に入るし、通勤の足にも困らない生活ができるってわけだ。因みにこの一帯の道路の名前は「いるかロード」。なんで海のない西東京の郊外・秋島市にそんな名前の通りがあるのかというと、戦争が終わった後、この秋島市でいるかの化石が見つかって、ここは太古のむかし海だったんだってことが判明したのが由来なんだとか(ちなみにそのいるかの名前をアキシマイルカと呼ぶらしい。ホント安易な名前だよな。しかもその『いるかロード』にはいるかのオブジェまで作られてるんだぜ)。更にそれに端をなし、毎年夏になると「いるか祭り」という名の祭りが行われるようになった。場所は秋島市にある清和公園の陸上競技場だ。トラックのオーバルコースを取り囲むように様々な出店が並ぶこの祭りが始まると、他所の街からも人々が集まって来て二日間秋島市はたいへんな賑わいを見せるようになる。やれ塾だ野球だサッカーだ、色々な習い事をしていると、とうぜんよその学校の子たちとも仲良くなるよな、で、よその学校の子たちがまだ見知らぬ友達の友達を連れて「いるか祭り」にやって来ると、そいつを通して更に交流の幅が広がってゆく。だからオレ達秋島市の子どもたちは(そしてもちろん大人たちも)毎年この祭りを心の底から本当に楽しみにしていたんだ。そう、秋島市といえば「いるか祭り」、と言い切っても良いぐらい、地元の人達から非常に強く愛されているのがこの祭りなんだ。

 なお、元々オレたち三人だけだった「ギターショップ」が、歌祈さんとサトルさんを新メンバーに迎え入れて現在の形になった後、初めてステージに立ったのはこの「いるか祭り」での事だった。ついでに言うとオレたち「ギターショップ」は、この長い歴史を持つ「いるか祭り」で初めて行われた「第一回いるかロックグランプリ」で見事優勝を果たし、栄光の座を掴み取ったん事もあるんだ。

 この清和公園には、初夏になると甲子園の予選が行われるかなり本格的な野球場にテニスコート、体育館に室内プール、果てはちょっとした小動物や蒸気機関車SLのD51(通称デゴイチ、もちろん本物)とかも観れる広場もあり、近所の子どもたちは皆ここで遊んで育つ、むろんオレもその一人だった。オレはそんな街に建てられた団地で、新矢と雪光の二人とともに生まれ育った。

 団地内の公園で、ちょっとした悪さをしちまって自治会で三人まとめて槍玉に挙げられたなんて事もあった。学校でも同じ問題を散々追及された。あの時はすごく反省したよ、事故とはいえ取り返しのつかない事をしちまったって。

 三人で遊んでたんだ、エアガンでの戦争ごっこ。男なら誰しも経験あるだろ? その事故が起きた時に使っていた得物エアガンが、実は十八歳未満は所持しちゃいけない物だったってことが後になって判明して更に強く問題視されたんだ(商店街の模型屋の親父がこっそり売ってくれたんだ、特に新矢は大常連だったからね)。そう、まさかエアガンでの戦争ごっこがあんな事になるなんてあの時は夢にも思ってもいなかったんだ。

 ああ、今思い出しても罪悪感で胸がいっぱいだよ、運悪く、オレの持ってたエアガンの流れ弾がその時ブランコに乗っていた女の子の前歯に当たって欠けちまったんだよ。よそ見しながら歩いていたら石に蹴っつまずいちまったんだ、んで、言い訳がましいのは百も承知なんだけれども、その弾みでオレの人差し指が自分の意志とは全くの無関係だったとはいえ引き金を引いてしまったんだ。「カッ!」という、小さいけど確かな音がハッキリ聞こえたんでその方向へと振り向いたんだ。そしたら一瞬遅れて女の子が「痛い!」と叫んで激しく泣き出したんだ。その泣き声を聞きつけた団地の大人達が慌てて駆け寄ってきたのは言うまでもない。

 オレたち三人は、団地内にある自治会の話し合いやら何やらが行われている建物に直ちに連行された。アーケードにある交番のお巡りも来た。親を呼び出されて散々怒られ、やれ治療費だ慰謝料だって話になった。オレ、思わず泣いちまったよ。とんでもない事をしちまったって。人前であんなにガン泣きしたのは後にも先にもこの時だけだ。何度も何度も謝った。自治会の会長さんも、

「本人もこう言って反省しています。だからといって罪が軽くなるとは言いませんが、欠けた歯は乳歯です、いずれまた生えてくるのです。どうか許してあげて下さい」

 ってオレのために頭を下げてくれた。でも話はそれだけで済まなかった。十八歳未満が所持してはいけないエアガンを売った罪で、模型屋の親父も文句を言われたんだ。なんたって団地の商店街だからね、当然自治会からの苦情もくるわけだ。親父もオレも、あれから一週間くらいの間、とにかく散々文句を言われ続けた。…そしてオレは新矢の親から悪友認定を受ける事となった。

 歯の治療が済んで半年くらいすると、その女の子の一家は団地から引っ越していった。理由は分からない。やっぱオレのせいかな、こんな治安の悪いとこには居られない、とでも考えたからなのかな、とか思うと気持ちは暗くなった。その女の子の一家が引っ越して更に半年くらい経つと、その模型屋も閉店しちまった。あの時もやっぱりオレのせいなのかなって気分が暗くなったよ。でもどうやらそれは本当に違ったみたいで、しばらくして模型屋の親父は歳が歳で店を続けられなくなったらしいって新矢から聞かされた。

 閉店した後、やっぱり半年ぐらいして、今度はそこに楽器屋が出来た。主にロックで使われる楽器を扱い、注文に応じてコーヒーやら軽食やらを出してくれるような店だ。その店がオレたち三人の運命を変えたんだ。

 初めてその店を見たとき、入り口のガラス扉の内側に黒人のギタリストのポスターが飾ってあることに気づいた。察しのいいアンタなら分かるよな。オレはその時産まれて初めてジミヘンをマジマジと見たんだ。一目見て、「何かおかしい」って思った。そしてそれが理由でそのまま通り過ぎようとしている新矢と雪光を「おい」と呼び止めたのさ。

「見ていかないか?」

 二人は渋々付き合ってくれたよ。店の中に入り、窓越しではなく、直にジミを見た。ああ、左手で弾いてるんだ、と気づいたよ。オレは左利きだからそういうのには敏感なのさ。でもそれだけじゃない、ギターの形もなんだかおかしい。

「いらっしゃい」

 お店のマスターが近づいてきた。だからオレ、思い切って聞いてみたんだ。

「この人、ひょっとして右利き用のギターを左手で弾いてませんか?」

「よく分かったね。そのとおり。この人はジミヘン、正確には、ジミ・ヘンドリクスって言うんだ」

「その名前聞いたことある」

「ところで君はどうしてこれが右利き用のギターだって気づいたの?」

 マスターが尋ねてきた。

「弦が貼ってある長いところ(正確にはネックと言う)とボディーのつなぎ目の形に、違和感を感じました」

「ここね?」

 マスターは、カッタウェイと呼ばれる、ネックとボディーのつなぎ目の凹んだ部分を指差して微笑んだ。

「普通高い音を出すなら、凹んだ部分が下に来ている方がやり易いと思ったんです。でもこれ、上より下の方が凹んでない」

「ついでに言うとヘッドのペグも下に着いてるだろう?」

 そういって、マスターはヘッドに着いているツマミを指差した。

「あっ、ホントだ!」

「こっちへおいで」

 マスターは僕ら三人を店の更に奥へと案内してくれた。そしてレジカウンターの奥から一本のエレキギターを取り出した。均整の取れた女性のウエストラインを彷彿とさせる、美しいプロポーションをしたギターだった。思わずオレは「カッコいい!」と叫んじまったよ。

「いいかい、これはストラトキャスターと言って、あのジミヘンが持っているのと同じタイプのギターなんだ。さっきも言った通り、右手で弾くように構えると、カッタウェイのより凹んでいる方が下に来る。従って高い音が出しやすい…」

 マスターはそう言って、フレッドの中で一番ボディーに近い指板を弦押しして実際に音を出してみせた。

「…それにヘッドのペグも上に来るから調律もし易い。ギターっていうのは難易度の低い楽器なんだが、反面調律が狂いやすいという欠点を持つ楽器でもある…」

 マスターは、左手で弾く時のようにギターを逆にして構えた。

「…ジミヘンはこのようにわざと逆にして構えていたんだ。するとペグが下になるから調律がやり辛くなる。他にもさっき言ったとおり、右で構えるのに比べて、カッタウェイがあまり凹んでいないのが分かるだろう? つまり今言ったように高音が弾きにくいんだ。でもこれにはこれで利点もある…」

 ボディーに着いているダイヤル式のツマミやスイッチを指差した。

「…左で構えるとコイツが上に来る。つまり演奏しながら音色トーン音量ボリュームを弄ったり、ピックアップを切り替えたりができるようになるんだ…」

 マスターは、ギターを降ろすとジミヘンのポスターに向かって歩いた。

「…ジミヘンがなぜこのような弾き方をしていたのかについては諸説ある。当時はまだ左利き用のギターなんて殆どなかったから仕方なくそうしていたとか、本当は右利きなのにあえてこうしていたとか様々だ。いずれにせよ、この弾き方であの特徴的な音を出していた事は事実だ。聴いてみるか?」

「聴いてみたい!」

 マスターは、すぐさまCDを取り出して音を再生してくれた。ウッドストックで録音された、「星条旗よ永遠なれ」のライヴ音源だった。音が鳴り出して少しすると、ミリタリーマニアの新矢がポツリと呟いた。

「これ、ひょっとして戦争の音を表現してるんですか?」

「正解!」

 マスターは言った。

「戦闘機や機関銃、爆弾の音、逃げまとう民衆の悲鳴を、アメリカ国家のメロディーに合わせて表現することで、アメリカと戦争を批判したんだ。1969年、ベトナム戦争がドロ沼化していた時の録音だ。こんな音を出せたのは、後にも先にもジミヘンだけさ」

 オレはしばらく考えた後、思った事をそのまま口にしてみた。

「オレ、左利きなんですけど、同じ事できませんか?」

「難しい質問だね…」

 マスターはしばらくの間、腕を組んで目を閉じた。

「…今は左利き用のギターだって普通にあるし、わざわざ右利き用のギターの弦を逆に張ってまでしてやる必要があるのかと言われると微妙なところだ。こんな弾き方をする人はなかなかいないからお手本になる相手もいないし…」

 むしろ逆に望むところだとオレは思った。

「…他にも困難な事はあるよ。左手で弾けるようにギターの仕様を改造カスタムしなきゃならない。まあでも、もし本気でやりたいと言うのなら、俺がいくらでもやってあげるよ。作例がないわけじゃないしね。事実ジミヘンもそうしていたんだから」

「他に利点は?」

 オレはすかさずそう尋ねた。するとマスターはニヤリと笑った。

「こんな弾き方をしているヤツはまずいないからな、…目立つぞ!」

 オレはすぐさま郵便局へ行き、貯め込んでいたお年玉を全額降ろした。そして中古のフェンダーのストラトをマスターの手で改造してもらい、売ってもらったんだ。…小学六年生、一月の十四日の事だった。

 これがジミヘン・スタイルで弾くようになった理由さ。少しでもジミヘンに近づきたくて毎日必死で練習しまくった。爪が剥がれそうになってもひたすら弾きまくった。最初の頃、酔っ払ってた親父から「お、ジミヘンの真似か? まあ頑張れや」と冷やかされた事もあった。ところが一ヶ月もすると、「こりゃあいよいよ本物だ。もっと早く一将にギターを教えてやれば良かった」と言い出した。もともと音楽好きだった親父が、オレの才能をはっきりと認めた瞬間だった。

 そういや小学校の卒業式の時、ステージで「将来の夢はジミヘンになる事です!」って言おうとしたら担任に反対されたなんて事もあったよ、「"ジミヘンのような偉大なギタリストになる事です"に変更しなさい」ってね。でもどうしてもそう言いたかったオレは卒業式本番でまんまと先生を欺いて、「将来の夢はジミヘンになる事です!」と言って体育館中の人たちをアッと言わせてやったよ。校長先生も呆気に取られたみたいで、「君のような生徒は初めてだ」って言うもんだから、「初めてなんて光栄です!」って大声で言い返してやった。あの時は最高にいい気分だったぜ! 中学の時も、美術の授業で自画像を描けと言われてジミヘンの顔を描いたら放課後先生に呼び出されて、

「どういうつもりでこれを描いたの?」って聞かれたなんて事もあったさ。だから言ってやったんだ。

「アンタ美術の先生のクセしてそんな事も分かんねーのかよ?」ってね。

 な! これでオレがトップバッターに最適だって言われた理由がアンタにも分かってもらえただろ?



 …というわけで、オレの話はこれで終わりにしようと思う。ファンのみんな、最後まで読んでくれて本当にどうもありがとう、心から礼を言うよ。次は歌祈さんと、「ギターショップ」のサポートメンバーとしてレコーディングの時にパーカッションを担当してくれている、歌祈さんの中学時代からの大親友・コスモさんとの、美しく、そしてほんの少しだけ切ない女同士の思い出話を読んでやってくれや…。

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