帰り
お店を出る少し前に黒部さんがタクシーを手配してくれた。
タクシーが着いたタイミングで店を出て2人でエレベーターに乗り込む。私達以外誰も乗っていなかった。
不意に黒部さんがネクタイを緩める。
男性にしては白くて長い綺麗な指先で器用にネクタイにひっかける。外す時にシュッっという音が小さく響いた。
「暑くて。お酒入ってるからさ」
私の視線に気づいたのか黒部さんが告げる。素早くネクタイを畳みカバンにしまうとワイシャツを第二ボタンまで外す。
ただこれだけの動作に色気が詰まっている。
露出する肌。見える鎖骨。
「会社の飲み会では常にきっちりスーツを来てますよね」
これ以上余計なことを考えたくなくて話しかけた。
「自分より上司がいたらね。多少は気を張るよ」
苦笑いされた。
「まぁそうですよね」
上司がいると飲み会ですら仕事みたいに緊張する。
「平手も今日気を使った?」
顔だけ横を向いて私の方を見る。その時に首筋の骨のラインが強調されよりセクシーに見えた。
こんな不埒なことばかり考えてしまう私が気を張っているわけはない。
返事を返さずにいる私に黒部さんが気遣う。
「答えづらいよな。俺は平手といる時はリラックスできるんだけど」
1階に到着し黒部さんは少しだけ先を歩く。それでも歩調は緩めてくれている。
「私も黒部さんといる時はリラックスしてますよ。黒部さんは安心感がある人だから」
「安心感?」
「黒部さんは仕事でミスしてもフォローしてくれる。庇ってくれる。入社した時、どれ程仕事が辛くても黒部さんがいるから大丈夫だと思いましたよ」
時には日付が変わるまで仕事に付き合ってくれた。
明らかに私のせいなのに文句1つ言わず、ただ安心させるように温かい言葉をかけてくれた。
優しく部下を包み込んでくれるような存在。
黒部さんは困ったように笑いながらタクシーに合図する。2人で乗り込んだ。
「平手の家どこ?」
住所を告げるとまずそこに行くようにドライバーにお願いした。
「部下の私が先に家に帰るなんてありえないですよ」
「俺が付き合わせたんだから当然の配慮だろ。それよりさっきの話だけど俺が平手のミスをフォローしたって何年前の話だよ」
「2〜3年前ですね」
新人の頃はよくミスをした。覚えることが一杯で余裕がなく多大な迷惑をかけた。
「懐かしいな。今ではウチのNo.2だからな」
「黒部さんに追いつくのは難しいそうですけどね」
営業部では毎月、誰がどれだけ契約を取れたか発表される。私が知る限り黒部さんは一度もNo.1の座を逃したことがない。
「それでも同期の中では契約数トップだろ。平手はもう少し俺を頼ってくれてもいいんだけど優秀すぎるんなよな」
ちなみに黒部さんは全国9位だ。営業部だけで2000人近く従業員がいることを考えると凄い成績だ。
「優秀になりますよ。私が誰から直接仕事を学んだと思っているんですか」
この人の足を引っ張るのが嫌だった。少しでも力になりたかった。自分が後輩や部下を持つ時は黒部さんみたいに頼りになる存在と思われたかった。
そんな思いからひたむきに努力を続け、今では会社の戦力になれている。
「俺だな。優秀なるか」
2人で顔を見合わせてくすくすと笑い合った。
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