第12話

森で魔術を使いながら暮らしていたある日、リィラは川へ向かう途中で子どもが倒れているのを見つけた。

自分より5つほど年下だろうか。

まだ少年だ。息はあり、恐らくは空腹か疲労で倒れたのだと察した。森に迷い込んだのだろう。服は薄汚れていた。特に靴なんかは湿って汚れていて、少し奥まったところにある湿地帯、というか沼地に足を踏み入れてしまったのだろう。

「家出かしら? 迷子になると教わっていたでしょうに」

少年の身体を観察していると、足の一部分に少し深めの切り傷があるのを見つけた。

「うーん。このままだと傷が膿んで治らなくなりそう」

どうしようかと考えた末に、リィラは家に帰って治療をすることにした。

「《浮遊》」

安定して浮かしているのが苦手だった《浮遊》の魔術も、日々使えば慣れてくるものだ。今はもう安定して使うことができる。

リィラは少年に《浮遊》の魔術をかけ、その場に浮かばせる。

それから進ませたい方向に押せばその対象は軽い力で動かすことが出来る。

そうして家まで移動し、靴や身体の汚れを水で流した後、ベッドに横たえた。


少年の目が覚めたのは治療を終え、さらにリィラの本来の目的だった魚の捕獲を終えた後だった。

少年は目を開き、周りをきょろきょろ見回して、現状を理解した後、すぐさま飛び起きた。

「あ、起きたの? おはよう。足は……」

「誰だ、おまえ」

目を覚ました少年に言葉をかけようとしたリィラを睨み付け、警戒を解かないまま彼は尋ねた。

「私の名前はリィラ。……うーん、それ以外に紹介することがないわ」

「……ここは?」

「ここは私の家よ」

「それはわかってる」

「そう? もしかしたら病院かもしれなかったでしょ。あなた、怪我をしていたから」

「怪我……?」

リィラは少年の足を指差す。少年は初めて自分の身体を見た。足に巻かれている包帯はリィラが巻いたものだ。

「治療は得意じゃないの。下手でごめんなさい」

人体は破れたカーテンのように《治れ》の一言では治らない。あくまで治癒の補助をするという形で魔術での治療は存在する。まず治療として薬を調合して、患部に貼付する必要がある。

その薬の調合の仕方も魔術の本に書いてあった。リィラが少年に使ったのも、切り傷に効果的な薬だ。

「これは……おまえが?」

「うん」

「どうやって? 病院じゃないなら、ここは……。だって俺は森に……そうだ! 俺は森に入ったはずだ! ここに人間がいるのはおかしい」

「そんなにおかしいかしら」

「は?」

「だって私、その森で暮らしてるもの」

少年は目を見開いてベッドから退いた。リィラはその背に慌てて駆け寄ろうとする。

「急に起き上がったら傷が開いてしまうわ。あなたはその森で倒れていたのよ。怪我をして……」

「どうやって! どうやってあの森で……」

「最後に仕上げをするから、少しだけじっとしていて」

真剣な声色で言ったリィラに、少年は思わず黙り込む。リィラはいつものように手を合わせ、指を絡ませ、目をつむった。額の前に黒い球体が浮かぶ。

「──《治癒れ》」

リィラがそう言う前に、少年は後ずさる。黒い球体は治療すべきところへ向かず、空中で霧散する。

そして少年はリィラから距離をとるように、リィラをじっと観察しながら一歩一歩後ずさっていく。

「やっぱりそうだ! やっぱり、やっぱり……」

警戒されているとはわかっていたがここまで剥き出しにされるとは思わず、リィラは目を白黒させた。

敵意そのものの視線。

少年が叫ぶ。

「魔女だ……!」

「……魔女?」

そんなことを言われると思っていなかった。リィラは少年に近付こうと試みる。少年は後ずさる。

「もしかしておまえ、その、魔術を俺に使ったのか?」

「え? ええ。そうしないとその傷をすぐに……」

「どうして……じゃあ、俺は、俺は……」

「何? どうしたの? 落ち着いて」

「来るな! 触るな! うわあああああああ!!」

混乱を重ねる少年に駆け寄ろうとすると、少年はついに走り出し、家を飛び出してしまった。

「待って!」

足を怪我しているというのに、その痛みを感じないかのように少年の足は速い。必死に追い付こうとして、リィラも後を追う。

「待って……!」

背中は遠い。この森に慣れているのはリィラのほうなのに、到底追い付けない。

「どうして……。待って、だって、その先は……!」

不意に、少年の声が途切れた。一瞬して。再び叫び声。それも急速に遠ざかっていく。

「……間に合わなかった」

リィラは崖になっているその縁から下を眺め、膝を着いた。

そう、少年が走っていった先には高低差が30メートルはある崖があった。混乱と興奮をしながら全力で走っていたらきっと気が付かない。気が付かないまま足を踏み外して、そのまま。

「ねえ、どうして……?」

少年が落ちただろうその先は、森の暗さのせいでよく見えない。声も音も何も聞こえない。木々がざわめくだけだ。

きっと、駄目だろう。

「……どうして……」

リィラは自分の両手を見つめた。少年の怪我が治るように祈った手。

何の意味もない。

リィラの答えのない問いが森の中に取り残された。

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