10/10 過去の存在「幸せ」と「辛さ」
みんなにとっての幸せとは、一体なんだろうか。
今日はそれについて持論を語ろうと思う。
人は何を持ってして幸せと感じるのだろうか、それは当然人によって違うだろう。自分がまだ彼女がいた約半年前だったら間違いなく幸せだと言っていただろう。自分の好きな人と一緒にいることが幸せでないはずがない、それは心が満たされているからだ。
心が満たされているかどうかがなにより重要なとこじゃないかと思っている。ゲームをするでも、音楽を聞くでも、それで満たされるなら幸せと感じるのかもしれない。ただそれだけで幸せだ、充実してると思えるなら今の自分のようにここまで苦しむことはないはずだ、ならなぜこうもうまく行かないのか。寂しい、辛いという幸せとは真逆の考えが浮かんできて邪魔をするからである。
この寂しさは辛さは簡単に消せるものではない、特に昔が幸せであれば幸せであるほど、その落差の分だけ寂しさを感じてしまい、幸せと感じることができなくなるのである。自分にとって愛していた彼女と別れることは、今にも続く寂しさ辛さを与え、気分を病ませるには十分な出来事だった。前より楽になったとはいえそれでも辛くなることはあるし、まだ全然治りきっていない。
幸せでありたいと思うと同時に、大切な人には幸せであってほしいと願うのは普通のことであろう。いまでも僕の幸せを祈ってくれてるみたいだが、期待に答えられるかどうかは…わからないね。ただそう言ってくれてるならやるしかないんだよな、辛くても。それほどまでにその子の存在は特別だった。あの子以上に純粋無垢で、他人のことを考えられて、寂しいときはめいっぱいかまってくれるような存在がこの世にいるのかとはだはだ疑問に思う。いくら希望が持てなくとも、それでも前を向いて進んでいかなきゃならないのだから、この世は残酷である。
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