第63話

気が付くと、私は部屋着のまま鍵もかけずに飛び出していた


冬弥の姿を追って夢中で走った


大通りに向かって走ると、タクシーに乗り込もうとしてる冬弥を見つけて思わず叫んでいた


『あ、ま、待って!』


私の声に気付いてくれた冬弥は、タクシーを断って不思議そうに私を見つめた


「どうした?」


『それ』


「ん?」


そんなに時間は経ってなかったはずなのに、結構な距離を走った私は息を切らしながら話した


『その、どうした?って聞いてくれるところ』


「…は?」


『私のこと、からかう意地悪なところ』


「…」


『電車で…人混みから守ってくれたところ』


止まらなかった


『頭を撫でてくれるところ』


『寝てる顔が嫉妬するくらい綺麗なところ』


『優しく微笑んでくれるところ』


自分の好きなところだって気付いた顔してる冬弥の顔を見て、次から次へと出てくる気持ち


『何でも言ってって言ってくれるところ』


『毎日連絡くれるところ』


『私のこと、すごいって褒めてくれるところ』


『好きってちゃんと言ってくれるところ』


走りだした私の気持ち


『そういう…』


もう止まらない


『そういう冬弥が大好き』


走ってきた暑さか、好きだと言った照れか

顔が熱い


「…初めてだよ」 


『?』


「俺の好きなところに歌を入れなかった女」


もちろん冬弥の歌声は好きだ

でも、だから好きなわけじゃない


「さっきちょっとビビった」


『え?』


「芸能人って肩書がなかったら、友梨は俺と付き合ってないんじゃないかって少しだけ思って」


『そんな…』


「わかってる。友梨はそんな人間じゃないって思ってる。だから惹かれたのに。今まで関わってきた女はさ、真っ先に歌って出てくるんだよな」


フードを深く被った冬弥が空を見上げる


「まぁ褒められるのは嬉しいけど、じゃあ俺が歌えなくなったら好きじゃなくなるんじゃねぇの?って皮肉がでてくるんだよ」


『冬弥…』 


「だから友梨に、歌って言われたらショックだなって思ったら、聞かないほうがいいかもって」


『そんなこと…』


「わざわざ伝えに走ってきてくれたの?」


『うん…』


「ハハ。たまんねぇな。どこまで夢中にさせれば気が済むんだよ」


『伝えなきゃいけないと思っ…っ!』


どこで誰が見てるかわからないのに、強く抱き締めた冬弥の温もりに目を閉じた


「…もう無理。今日泊めて?」


『…うん』


断れなかった


一緒にいたくて仕方なかった

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