第53話  不穏な女

 ここからはマグナ不在時のアースガルズでの出来事について綴る。マグナがフランチャイカ王国でロベール・マルローと遭遇した後のことであり、オビターがアーツ・ドニエルトとの調査活動を終えた頃である。


 ◇


 王都アースガルズの居住エリア奥地に存在する桃華料理店、好飯販ハオファンファン

 つい一月ほど前までは閑古鳥の鳴くことが多かった同店だが、近ごろはそれなりの賑わいを見せている。それにはフェグリナによる圧政の終了や神聖ミハイル帝国との戦争が終結したことで市民に心的ないし経済的な余裕ができたことが関係しているだろうし、もしかしたら常連であるハレーの口コミも影響しているかもしれない。


 ともかく、かつては柳美麗リウメイリー独りだけで店を回していたのだが、今ではそれも難しく、ハレーと同じく店の常連と化していたラヴィア・クローヴィアが店を手伝うようになっていた。


 初めは注文取り、後片付け、食器洗いに掃除とごく簡単な手伝いしかしていなかった。しかし暇なタイミングでラヴィアはメイリーに料理を教わるようになり、いつの間にか店の手伝いに関しても仕込みや調理補助にまで及ぶようになっていった。ラヴィアはもはや店員の一人として周囲に認識されるに至っていた。


 午後七時頃、夕食時であり一番忙しくなる時間帯である。

 厨房内ではメイリーとラヴィアが忙しなく動き回っている。


「メイリーさん、青椒肉絲チンジャオロースー用のピーマン切り終えました!」

「ありがとー、ラヴィアちゃん!次はこの麻婆豆腐マーボードウフ持っていってくれる?」

「はい、分かりました!」


 ラヴィアは麻婆豆腐の盛られた器を盆に載せて運んでいく。香辛料と辛味噌で煮込まれた芳ばしい香りが鼻孔をくすぐる。ラヴィアは既に店の全メニューを実食済みであるが、この麻婆豆腐こそ彼女のお気に入りであった。豆腐という大豆の加工品は初めこそ食べ慣れないものであったが、今ではすっかり馴染んでしまっている。


(いつもながら美味しそうですね。今度私も自分で作ってみたいな)


 作り方については普段からメイリーの調理する様を見ているし、調理の補佐もしている関係上あらかた把握していた。自分のお気に入りを自らの手で作ってみたい、そう思うようになっていた。



 夜も更けて、営業終了の時刻が訪れる。ラヴィアはメイリーの店で夜食と言って差し支えない夕食を済ましてから、後片付けを終えて帰途に着く。


 今日も今日とて忙しい一日だった。朝から夕刻までは波海蘭ポーハイランの元で格闘の修行を受け、夕刻から夜遅くまでメイリーの店で働く。とても体力の要る暮らしであったが、フェグリナ討伐から一月以上が経った今、ラヴィアはこの暮らしをほぼ問題なく続けられるようにまでなっていた。以前のお屋敷暮らしの頃の自分ではきっと耐えられまい、随分と成長したものだと我ながら思った。慣れというのもあるだろうが、やはり彼女自身の意志の強さ、目標に至らんとするその願いのひたむきさこそが肝要であった。


 いつか彼の隣に戻る……ラヴィアはその日に至るまで自分と向き合い、高め続ける。


(今日も修行きつかったなぁ、早く帰って熟睡しなきゃ)


 ラヴィアが借りている寝屋に到達するにはまず店を出て、河沿いの高台となっている場所を経由してそこから北上していく。好飯販ハオファンファンと同じく居住エリア内にあるのだが、位置としては北の軍部エリアに程近い。


 もはや見慣れた高台を歩く。ラヴィアが初めてメイリーと出逢った場所である。それももう一月前、つい最近のことのはずだが、遠い昔の出来事のようにも思える。それほどまでにこの一ヶ月間は、彼女にとって濃密な時間であったのだ(言うまでもなく、それ以前のハレイケルの騒動やフェグリナ討伐の旅だって負けじと濃密であったが)。


 涼やかな夜風に吹かれ、夜空を見回しながら歩くラヴィアは、ふと不審な女の姿に気付いた。

 その女は高台の欄干近くに佇んでいた。髪はミルキーブロンドのショートボブ、そして黒いファー付きのドレスを着用しており、首から下は夜の深い闇に同化していた。ちょうど髪だけが黒いラヴィアとは正反対であった。暗くてよく見えないが、どことなく愛想の無い表情であった。


 ラヴィアが不審に感じたのは、その女がやたらじっとりとした視線を向けてくるからだった。自分に何か用だろうか?どことなく機嫌の悪そうな表情……自分が何かしたのだろうか?ラヴィアが色んな思いを巡らせていると、その不審な女がのしのしと近づいてきた。


「ようやくお仕事終わり?こんな遅くまで、待つ方の身にもなってほしいわね」


 開口一番、仕事の帰りの遅さに文句を言われてしまった。この人は一体誰なのだろうか、ラヴィアには知る由も無い。当然知らない人との間に落ち合う約束などあるはずもないので、ラヴィアにはこんな文句を言われる筋合いなどなかった。


 しかし女はラヴィアの気などまるで構わずに話を続ける。


「アンタがラヴィア・クローヴィアよね?アンタに話があんのよ、さっさと付いて来なさい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る