第52話 ランダック調査紀行

 遠く王城を望む景色はくすんだすすに遮られ克明に映らない。

 夕暮れに染まる街中で疲れた顔の男たちが家路を渡る。


 ――ここはブリスタル王国、王都ランダック。


 アーツとオビターは戦いを取り止めたあと、ヘキラルで聞き込み調査をしたのだが、結局クローヴィア男爵家のルーツをはっきりと辿ることはできなかった。屋敷も案の定燃え落ちていて、何ら手がかりはなかった。その為二人は新たなる手がかりを求めてこのランダックにやって来たのだった。何でもこの都市には王立図書館があるそうだ。


 二人は街の入口から西の方角、海沿いへと風景を見渡しながら歩いていく。マリンブルーとスカイブルーが連れ立って歩く。


 王城とそれに近い城下のエリアは石造りの歴史を感じさせる街並みが続くが、王城から離れた港湾近くまで来るとガラッと風景が変わる。物々しい工場群が立ち並び、武骨に屹立する煙突は濛々と黒い煤だらけの煙を巻き散らしている。海沿いの潮風の中、ここまで息苦しい思いをするのはアーツは初めてだった。


「空気悪いな、ここ」

「仕方ないさ。半世紀ぐらい前からどんどん工業化していった都市だからねー」


 やがてアーツの腹の虫が鳴る。

 ランダックを目指して日中はずっと馬車に揺られていたので、空きっ腹を抱えていた。


「なんか食うか」

「あー、じゃああれなんかどうかな。よく労働者の男たちが買っていくし、人気のある食べ物なんだと思うよ」


 二人は立ち並ぶ工場群から少し隔たった簡易な飲み屋が立ち並ぶエリアに居る。オビターは場末の屋台を指差している。ちょうど労働者風の男が魚と芋のフライを購入しているところであった。


「まあ、あれでいいか」


 アーツは屋台で先ほどの男と同じものを購入した(というかそれしか売っていなかった)。日頃相手にしている粗末な服を着た労働者とは違う、小奇麗な服を着た二枚目の男がやって来たので店主は少し興味深げな眼をしていた。


 近くの適当な石段に腰を下ろして食事を始める。白身魚とじゃが芋を油で揚げたものが新聞紙に包まれている。彼はその包みを軽くほどいてかぶりつく。塩とモルトビネガーで多少の味が付けてあるようであった。


「……まあまあだな」


 褒めるべきか、けなすべきかを幾許か逡巡しゅんじゅんした末の言葉であった。


「へえー、魚とじゃが芋のフライだったんだねー、それ」

「お前、知らずに俺に薦めたのか」

「そりゃあねー。ボクら眷属は食事とか必要ないからねー」


 オビターだけでなく、モンローやレイシオにも言えることだが、彼らに食事は必要ない。基本的に眷属は、主神から供給される神力で己の存在を保持しているのである。


「しかし、凄い光景だな……ラグナレークにもフランチャイカにもポルッカにも、こんな景色は存在しない」


 海沿いで煙を噴き上げ続ける煙突を眺めながらつぶやく。


「四半世紀ほど前から工業の革新が始まったようだよ。それも薪でなく石炭をエネルギー源として動力を生み出す、蒸気機関の誕生が大きい。人力から動力への転換。大規模な生産体制を敷くことが可能となり、出荷に適した海や河沿いに工場が立ち並ぶに至った。初めは繊維、紡績工業が中心だったけど、今目の前で濛々と煙を放っているのは主に鉄鋼の生産工場だね」

「発展の輝きというには、いささかモノトーンがすぎるな」



 アーツは食事を終えると、不意に街の片隅でエールを飲む男たちに目が止まった。


「なんだか疲れ切った、生気の無い目をしているやつらが多いな」

「まあそうだろうね。長時間ロクな休憩も無く働かされてるみたいだから。おまけに賃金も安いみたいだし、機械に巻き込まれての事故死も絶えない」

「それだとみんな辞めていくんじゃないのか?」

「これでも人手が足りなくなることはないようだよ。国の農地改革で職を失った人々が都市部に流入している状況だからね。国から見れば農地改革はでき、工業発展も進められる一挙両得の状態なのさ。ただ、今まで以上に貧富の差が広がっている。身分制度とは違う新たな格差が生まれ始めている」


 アーツの眉がぴくっと動く。


「ちょっと待て、正義の神はそれを知っているのか?」

「ンフー、知らないよ。だって報告してないからね」


 オビターは深刻さとは程遠い表情で話す。


「お前はそれでいいのか?」

「まあ、マグナ様は今フランチャイカ王国の方で忙しいからね。それにこの世から完全に不自由や不平等を無くすなんてムリなんじゃないかなーってボクは思うよ。貴族の横暴がなくなっただけでも昔よりは良くなったはずだしねぇ。あまり一つのことに注力し過ぎると終わりなんて永遠にやって来ないよ」


 この男は本当に正義の神の眷属なのだろうか?それがオビターと過ごしていてアーツが抱いた率直な感想であった。善良、実直、誠実……それがアーツが正義の神やその眷属に対して持っていたイメージだった。しかし目の前の男は終始飄々としており、状況をあまり深刻に考えない性格に見える。


「お前は何というか、正義の神の眷属って感じが全然しないな」

「アハハー!そうかもねー!」


 オビターが楽しそうに笑った。気分の読めない男だと思った。


「まあマグナ様はちょっと夢見がちでこだわり屋さんなところがあるからねー。他の二人の眷属はマグナ様に盲目的なまでに従順だし、ボクみたいなのがひとりくらいいた方がいいんだよ。立ちはだかる問題をいちいち対処していたら、マグナ様がブリスタルから出られないまま寿命を迎えちゃうだろうし。産業化もまだまだ黎明期だから放っておいても勝手に変わっていくだろうしね」

「……」


 一見気分屋のように見えるが、案外そうでもないのかもしれない。むしろ適度に正義と距離を置いているからこそ、かえって状況がよく見えているようにも感じられる。


 アーツが思うのは、このような眷属が生まれるのは、正義の神が純粋な正義の心だけを持っているわけではなく、ひどく人間臭い心のままなのだろうということだった。

 正義という人間の為にあるべき概念……それが人間とは遠く隔たった超然とした心によって司るべきか、それとも人間らしい心によって司るべきか、アーツには分からなかった。



 二人はやがて城下のエリアまで踵を返すと、安宿に泊まって一夜を明かした。


 明くる日、朝食を済ませた後、目的地の王立図書館に向かう。都市の中ほどに位置するそれは、かなり立派なレンガ造りの古めかしい建物であった。二人はそこで日がな一日中資料を漁り続けた。一日では目ぼしい資料を見切れないので、三日がかりでオビターとアーツは協力して調査を進めてゆくのだった。


 ……結局、たいしたことは分からなかった。


 クローヴィア男爵家のルーツについてはある程度判明した。何でも三百年前までは伯爵家だったそうなのだが、同時期に大陸の東部でタオ族が他部族を殺戮して桃華とうか帝国を築いた動乱――桃華の大乱が起きていた。遥か遠く大陸の西方にまで逃げ落ちて来た当時のシン族を、クローヴィア伯爵家は国王の許可なく迎え入れた。その結果、男爵家に凋落し今に至っているのだという(そして今やそのクローヴィア男爵家も、デュローラ公爵家と共に消えて無くなってしまった)。


 シン族は夜の闇のように黒い髪色をしており、やはりラヴィア・クローヴィアの髪が黒いことについてはアリーアの予想通りの真相であった。残念ながら、アタナシアに繋がる情報を新たに獲得することはできなかった。


(結局ブリスタル王国ではアタナシアに繋がる情報は得られなかったか……まあいい、俺は自分の調査をやり遂げたまでだ)



 こうしてアーツとオビターの共同調査は終了した。

 オビターにはアーツを手伝う義務や道理など無かったのだが、彼の持ち前の人懐こさと気ままさが大いに発揮され、結局最後まで調査を手伝う運びとなった。


 王立図書館での調査を終えた翌朝、アーツはブリスタル王国を発つため馬車の発着所に向かう。宿の入口を出たところで、オビターが去り往くアーツに手を振る。


「君と過ごすのもなかなか面白かったよ!また暇があったら来てねー!」


 元気のよいオビターの声を背中で聞きながら、アーツは何故自分が正義の神の眷属と親しくなっているのだろうかと、今更ながら疑問に思った。だがそもそも彼には正義の神と敵対する理由なぞなかったし、独り寂しく調査に明け暮れるよりかは充実さのあるひと時であった。


 アーツは振り返らず、オビターに向けて背中越しに左手を上げた。小指に嵌められた繊細な装飾の指輪が、朝の柔らかな陽光に滲むように光った。

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