第47話 普通な暗殺者

 放たれた凶弾はトリエネの左肩をかすめる。彼女は銃口がこちらを狙っていることに気付くと、すぐに退避行動を取ったために致命傷を受けることはなかった。


「痛ったぁい!」


 着用しているメイド服のポケット部分をまさぐり、暗いグレーの暗器を取り出す。間延びしたクナイのような小型の暗器である。トリエネは銃撃を受けた直後に間髪入れず取り出したそれを投擲した。

 あまりにも早い反撃、射撃した人物はまだ退却の行動を取れていなかったので、投擲された暗器は見事肉体に突き刺さった。屋敷から叫び声が聞こえた。男の声であった。


(よくもまあ、この距離から暗器を投げつけられましたね)


 スラは驚きで舌を巻く。そして流血していたトリエネの肩の負傷がみるみる修復していくのを見て二度驚いた。


「トリエネさん、今のは一体……?」

「ああ、これのおかげよ」


 トリエネはメイド服の首元に手を入れると、ネックレスを引っ張り出した。菱形の、例えばトランプのダイヤと同じような形状の装飾が付いている。ダイヤは全体の下半分ほどが翠玉色に、上半分は暗い色に染まっている。翠玉色の境目はまるで水面みなものように揺れていた。


「あちゃー、今ので残り半分切っちゃったわね」

「それは何なのですか?」

「これは”ピッグマリオンの秘石”っていう量産型の神器よ。マルクスが調達してくれてるんだけど、これには神の能力をストックしておく効果があるの」

「能力をストック……つまりそれさえあれば、別の誰かでも能力の行使ができるということですか?」

「そうよ、今これにはリピアーのタナトスの能力が入っているの。リピアーの肉体を不死たらしめている”死から遠ざかる力”がね」

「なるほど、ですから先ほどのトリエネさんの傷も瞬時に治ってしまったのですね」

「アリーア聞こえる?残量が半分切っちゃったから、リピアーに伝えておいてね」


 トリエネはスラに対して声を掛けている。スラは今、アリーアの”眼”になっている状態だからだ。アリーアは裏世界のアジトから、スラの視覚・聴覚を通して状況を把握していた。


(「承知したわ」って、トリエネに伝えてもらえるかしら?スラ)


 スラの頭の中にアリーアの声が聞こえてきた。”眼”になっている人間に対して、遠隔で思念を送ることができるのだ。


「承知したとアリーアさんから思念が送られてきましたね」

「オッケー、なら問題ないわ」


 トリエネはネックレスを服の内側にしまい直す。


「ちなみに、リピアーさんに伝える意味とは?」

「リピアーにきつく言われているからよ、半分を切ったらすぐに連絡しなさいって。まあ、アリーアに任せたからもうその件は大丈夫よ」


 話をネックレスから、先ほどの銃撃の件へと戻す。


「銃撃されたのは、やはりトリエネさんが暗殺・密偵任務を帯びて潜入していることがバレてしまったからでしょうか」

「おそらくそうでしょうね」

「しかし私が見る限り、貴女は上手くやっていました。あまり目立つような情報収集の手段は取りませんでしたし、聞き込み活動も貴女の人柄上ただの喋り好きのメイドとしか映らない。貴女の行動を見て、疑惑に至れる勘の良い人はいるかもしれませんが、確信にまで至るのは難しいかと」

「そうね、屋敷の人に看破されたとかじゃないと思う。多分情報がリークされてる」

「リーク?一体誰が」

「ドゥーマに決まっているでしょ!そんなの!」


 驚くスラに、トリエネは憤りの表情を浮かべる。


「ドゥーマさんが……?しかし、同じ裏世界のメンバーである彼女が、何故情報をリークするのでしょうか?」

「アイツは私のことが気に入らないのよ、何の力もないのにナンバーズの一員であることが。自分の手を汚さずに私を死なせる為に、わざわざ暗殺依頼を取って来て私に押し付けて……挙句の果てには情報をリークして殉職する危険性を上げたりして、こんなことは今回が初めてじゃあないのよ」

「……それが本当だとしたらなかなか問題では」

「そうよ!でもアリーアに証拠を見つけてもらって問い詰めても、貴女を鍛える為にやったのよぅとか言って、いっつもしらばっくれるんだから!」


 憤りをそのまま力に変えたかのように、トリエネは屋敷の方に向き直るとメイド服のまま駆け出した。スラもそれに続いていく。


「結局、任務はどうされるおつもりで?」

「まあ密偵調査は大体終わっていたし、予定より早いけどもう切り上げることにするわ。さっさと伯爵様を始末して、かっぱらうモンかっぱらってズラかりましょう」


 ◇


 トリエネは屋敷内に舞い戻ると、三階のジャンダック伯爵の居室を目指して疾駆する。傍らを同じようにして走るスラが声を掛ける。


「突き当りを曲がったところ……いますね何人か」

「うん、分かってる。スラは手を出さなくていいわよ、姿を消しておいて。大丈夫、心配いらないから」


 彼は言われた通りにヘルメースの能力で姿を消した。この任務はあくまでトリエネ一人で達成するものであるからだ(それを言っていたドゥーマが情報をリークした為に今の状況があるのだから、スラも言いつけを破ってトリエネと共闘してもよさそうではある。しかしトリエネはこんな目に会うのは初めてではなかったし、この状況をあまり危惧していなかった)。


 突き当りを曲がって進むと二階への階段に至るのだが、そこを曲がり始めたところで三人ほどの男たちが剣を振りかざして襲い掛かってきた。伯爵に暗殺者を排除するように言われている兵士たちだろう。トリエネは華麗に剣撃を潜り抜けると、くるりと回るように動きながら男たちに当て身や蹴りをお見舞いして昏倒させていく。五秒とかからずにケリをつけると、再び走り出した。


 二階から三階に至るには、この要塞じみた屋敷をぐるりと取り囲む外縁部を通る必要があった。外縁部に出ると既に多数の兵士たちが待ち構えていたが、トリエネは攻撃のことごとくを躱していく。そして兵士たちをあるいは蹴り倒し、あるいは一階部分へと蹴落としていく。まさに大立ち回りであった。


 気質が一般人過ぎる、暗殺者アサシンのような仕事ができるようにはとても見えない、それがスラのトリエネに対する率直な感想であった。ところが今の彼女の姿はどうだ?立ちはだかる男たちを手慣れたことのように蹴散らしていく。これほどの技量を身につけるには、並々ならぬ死線を潜り抜ける必要があっただろう。


(そのようにして技量の研ぎ澄まされた暗殺者アサシンは、えてして実力と引き換えに人間らしい心を失っていきます。しかし驚くべきことに、彼女はそれを失っていない……!)


 スラが驚いていたのは、トリエネの実力だけではなかった。それよりも驚嘆に絶えなかったのは、これほどの実力を身につけるような経験をしておきながら、街角を渡る少女のような、ありふれた感性を失わずにいたことであった。ケーキを笑顔で頬張る可愛らしい姿と、今の大立ち回りが同じ人物によるものとはこの目で見ていても信じ難かった。



 三階に至る扉の近くまで来た。扉の前は少し広い空間になっているのだが、そこに一人の男が立ちはだかっていることに気付く。帽子を目深にかぶり、どこかスレた目をした無精ひげの男であった。


「悪いな、可愛い暗殺者アサシンさん。ここを通すわけにゃいかないぜ」

「貴方、兵士じゃないわね。伯爵様の用心棒ってところかしら?」

「俺様の名はジョゼ。その界隈じゃあちっとは知られた存在だ。あんたにゃ恨みはないが仕事なんでな、大人しく死体に変わってもらうぜい……!」

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