第48話 道化の如く

 ジョゼと名乗る伯爵の用心棒は、両腰に差していた一対の短剣を引き抜くと、暗殺者を通すまいと立ちはだかる。


 トリエネは己の服をまさぐり始める。彼女はメイド服に改造を施していた。腰あたりにポケットとは別に穴を空け、外側から服の内側をまさぐれるようにしていた。メイド服の内側から、細長いクナイ状の暗器を複数本取り出す。指と指の間に挟み込むようにして片手で四本、両手で合わせて八本の暗器を持つ。まるで両手に巨大な爪が生えたかのようだった。


 トリエネは地を蹴り勢いよくジョゼに迫ると、腕を振り暗器の斬撃をお見舞いする。しかしジョゼもまた短剣で弾き返すと距離を取って体勢を立て直す。何度か同じような攻防を続けた後、トリエネは後方に急転して距離を取ったかと思えば手にしていた暗器を一斉に投擲した。しかしジョゼはいくつか弾いてこれもやり過ごした。かなりの手練れだ。


「嬢ちゃんなかなかやるな、暗器を近接攻撃にも遠距離攻撃にも使い分けてやがる」

「貴方こそやるわね、ここまで蹴散らしてきた兵士たちとはワケが違う」

「当然よ、俺様はベテラン用心棒だからなぁ」


 ジョゼは短剣を持ち直して不敵な構えを取る。トリエネは再び服をゴソゴソとまさぐり始めた。一体どれだけの暗器を仕込んでいるのだろうか。ジョゼがそう思うや否や、彼女が取り出した暗器に驚いてしまった。


 それは形こそ先程まで使用していた暗器と同じなのだが、色がおかしかった。実にカラフルで目を引く鮮やかな赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、茶の八色。当然のことだが暗殺者アサシンは目立たように努めるのが鉄則であり、服装も暗器もことさら地味な配色にするのが普通である。あんなカラフルな暗器を目にするのはジョゼは初めてであったし、そもそもそんな色にする理由がまるで分からなかった。


「なんだそりゃ、なんでそんな派手な色をしてやがる?」

「ふふ、お近づきのしるしに占いでもしてあげようかと思って……名付けて”暗器占い”!」


 トリエネは先程までと同様に片手に四本ずつ持っていたその色鮮やかな暗器を、あろうことか空中に放り投げると高速でジャグリングし始めた。ジョゼは何が何だか分からず当惑した表情で様子を見ている。


 姿を消して脇で観戦しているスラにも彼女の行動はまるで読めていない。しかしよくもこれだけ器用にジャグリングできるものだ。刃の部分を持つと当然手をケガするので、上手い具合に持ち手だけが手に当たるように計らい、それを八本の暗器でやっているのだから驚嘆に値する光景だった。


「さあさあ、まず何色の暗器が飛んで来るかなー?飛んで来る色で今日の運勢が分かるよー♪」

(いや、暗器が飛んで来る時点でどれもバッドだろ……)


 ジョゼは戸惑いながらも脳内でツッコミを入れた。


 不意に二人の眼が合う。ここで彼は、トリエネが手元を一切見ることなくジャグリングをしていることに気付く。繁華街で大道芸として披露すれば一儲けできそうな程の技術力だ。


「えへへ……今、眼が合っちゃったね」


 トリエネは照れくさそうにはにかんだ。彼は思わず気恥ずかしくなって視線をどけてしまった。


(なんつーやりづれぇ女だ)


 ジョゼがそうぼやいた直後、トリエネはジャグリングをしている状況から、肉眼で捕らえられるかもあやしい恐るべき速度で暗器を一本投擲した。青色の暗器がジョゼに向かって飛んでいく。彼はそれを短剣で弾くが、次から次へとまるで連発式の銃砲のように暗器が投擲される。しかし彼はなんとか飛んで来た七本の暗器をすべて防ぐことに成功した。


(なるほどな、ジャグリングの意味がようやく分かった。おそらく狙いを定めることと素早い連投を両立するためだ。一本一本取り出して、狙いを定めて……じゃあ隙がでかすぎるからな。しかしその解決策がジャグリングってのもおもしれえ。まあいい、七本ともすべて防ぎ切った……!)


 ジョゼはおや?と疑問に立ちつくす。七本?敵がジャグリングしていたのは、虹の七色に茶色を加えた八色だったはずだ。しかし自分が弾いた暗器の数は七本だったような気がする。では残りの一本はどこへ消えたのか?よく見ろ、アイツはもうジャグリングをしていないじゃないか、初めは八本だったというのが実は記憶違いだったのだろうか?


 答えはすぐに示される。トリエネは素早く首の後ろ側に手を持っていくと、最後に残された藍色の暗器をジョゼ目掛けて勢いよく投擲した。彼は驚きながらも、弾き落として事なきを得る。


(こいつ……!ジャグリング中にこっそり一つだけ服の襟元に隠していやがった!腕を高速で動かしているどさくさに紛れて!投げ終わって相手を油断させてから、隠した最後の一本を投げつけてきやがったんだ!)


 ジョゼは自分の額に汗が流れるのを感じた。正直危なかったのだ。


(戻したのはおそらく俺と視線が合ったタイミングだな。こちらを注視して視線が向くように誘導して、その隙に一本隠す……ふざけているように見えてかなり考えられているな)


「ありゃ、防がれちゃった。ドシロート相手なら、今のでやられてくれるのに」


 自分の戦術がすべて防がれたことにトリエネは驚いた。しかし、この驚きは意外という意味合いのものでしかなく、そこには焦燥も狼狽もまったくなかった。



「アンタの器用さは認める。確かに経験の浅い奴ならやられてくれるだろうさ。だが俺様には通用しないことが分かったはずだ。こんな小手先のやり繰りで相手を攪乱しなきゃ戦えない程度の実力なら、俺様には勝てねーゾ?」

「攪乱しなきゃ戦えない……?あー、そうね、そういう捉え方になるのがきっと普通なのよね」


 トリエネはさも見当はずれのことを言われたかのような微妙な顔つきをする。先程の奇行と言って差し支えない振る舞いが攪乱目的でないなら何だと言うのか?


「そうやって相手を翻弄しなきゃ勝てないからやってんじゃねえのか?」

「違うわよ、まあ最初期はそうだったんだけどね。今は違うわ。攪乱したいのは相手じゃない、むしろ私の方なの」


 トリエネの話しぶりが、急にどこかしんみりとした声音に変わった。


「はっきり言って私嫌いなの、暗殺とか密偵とかこんな仕事。もううんざりなの。いちいち心をごまかしごまかししていかないとやってられないのよね」


 戦闘中に急に相手がボヤき始める。ジョゼにとってはこれもまた初めての経験だった。

 トリエネは若干伏し目がちになりながら暗い声で言葉を続ける。


「始めはしばらく我慢していればいつかは離れられる……そう信じて頑張ってきた。人殺しなんてしたくもないのに、来る日も来る日も人を殺め続けた。握っている暗器もいつかはパレットナイフに変わればいいなと思ったけれど、何も変わることなくただただ時ばかりが過ぎていった……」


 トリエネの瞳がどんどんくすんだ色に変わっていく。


したたるものは赤い血ばかり……どうせならベリーソースなら良かったのに」


 急に顔を上げジョゼに目線を向けたかと思えば、いささかヒステリックに声を荒らげて叫ぶ。


「私、この仕事嫌い!お菓子とか作る仕事したーーい!」

「……すればいいんじゃねえの?」

「それができないから、苦労してるんでしょーー!分かってよぉ、もーー!」


(初対面の相手にいきなり理解を求めるなよ……)


 戦闘中にいきなりボヤき始めたかと思えば、いつの間にか愚痴を聞かされていた。ジョゼは奇妙な気分に陥っていた。



「なら、ここで俺様にやられてくれや。仕事できない体になっちまえばもう戦わなくて済むだろうよ」

「うーん、それはそれで嫌かなぁ。結局、私には戦う道しか残されていないのよね……」


 トリエネは急に元の調子に戻った。どうも感情の起伏が激しい性分になってしまっているようだった。そしてまたもや服をまさぐり始める。


「あんまりモタモタしていると応援とか来ちゃいそうだし、貴方には安全重視のじれったい戦法じゃ勝つのは難しいことも分かったから、ここからはおふざけなしの本気マジモードでいくよ」


 メイド服の内側から暗器を取り出す。それは先ほどまで使用していた小型の暗器とは別物であった。大振りで逆手持ち用の造りをした一対の短剣。片方は白く、もう片方は黒い。トリエネは、白い方を持った右手は顔の左上方向に、黒い方を持った左手は顔の右下方向にそれぞれ伸ばし、両腕をクロスさせるような謎のポーズを取った。


「エクレール・オ・ショコラー!」


 やっぱふざけてるじゃねえか、とジョゼは思った。


 トリエネは暗器に名前を付けている。白い方がエクレールで、黒い方がショコラ。合わせると大好物のフランチャイカ銘菓の名となる。


 間の抜けるような掛け声の後、打って変わって力強い動きで床を蹴るとジョゼに急接近した。そして短剣を持つ手を大きく振り下ろす。ジョゼはこれを躱すが、トリエネはすぐさまもう片方を振り下ろし、次から次へと絶え間のない連撃を繰り出す。


 ここでジョゼはようやく、彼女が攪乱など勝つ上で必要としていないことを実感とともに理解した。防戦一方だった。このままでは押し切られる!


 彼はたまらず距離を取り、体勢を立て直そうとする。

 しかしすぐに距離を詰められた。そして間髪入れず、またもや斬撃が繰り出される……かと思いきや、トリエネは驚くべき行動に出た。


「あげる」


 手にしていた短剣を二本とも、急にジョゼに向けてぽいっと放り投げた。彼は予想外のことが起こった為に、慌てながらこれを躱す。


 ジョゼは再び体勢を整えるが、既に視界のどこにもトリエネの姿がないことに気付く。


(くそ!アイツはどこへ行った?)


 彼が振り返るよりも数段早く、背後から何者かが飛びついてきた。トリエネだ。彼女は暗器を放り投げ、ムリヤリ作り出した隙に乗じて背後に回り込んでいた。


 このまま短剣を振り回し続けていても相手は手練れ、やはり決着には時間がかかりそうであり、それを感じたトリエネは強引に隙を作ることにしたのだった。結局、勝敗の決め手は彼女の十八番おはこである攪乱戦術と相成った。


 トリエネは背後からジョゼにしがみついた状態で耳元に囁く。


「えへへ♪こんにちは!」

「くっ、離れろ!」


 ジョゼは振り落とそうと苦心するが、その前にトリエネが彼の頭をむんずと掴んだかと思えば首を変な方向へグイッとひねってしまった。男は間の抜けた声を上げ、床に倒れ伏した。



 苦しみ呻く男を尻目にトリエネは歩を進める。

 散らばる暗器を拾い上げながら、去り際に声を掛ける。


「言ったと思うけど私は人殺しは嫌いだから、ターゲット以外は殺してあげない。そのままだと痛いままだから、早くお医者さんに行ってね」


 先に進むトリエネを、終始姿を消して観戦していたスラが追う。彼女の戦いぶりに思いを馳せる。


(なるほど、正直彼女を侮っていました。戦い方は粗削りで無駄が多く、ふざけているようにしか見えない奇行も多かったですが、それすらも含めて完成された闘い方でした。素人相手ならそのまま圧倒してしまえるし、達人相手でも動きがセオリー通りでないので合わせるのにとにかく難儀する。能力なしでは、私でもやられてしまうかもしれませんね)


 裏世界で唯一特別な能力も地位もない存在、それがトリエネ・トスカーナである。そんな彼女ですら一流の暗殺者アサシン以上のポテンシャルを発揮してみせたことからも、裏世界という組織の強大さが伺い知れるのだった。

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