第46話 スパイ調査

 翌朝からマリーヌ……もといトリエネは早速密偵としての仕事を開始した。


 ジャンダック伯爵暗殺の前に、まずは革命派閥レボリュシオンに潜り込んでいる伯爵のスパイを探る必要がある。本音を言えば伯爵の部屋を訪れ、書類や重要証拠を根こそぎ攫っていきたいところだがそうもいかない。伯爵の部屋を訪れるのは暗殺実行時、すなわち任務の最終段階である(そして暗殺がつつがなく済んだら、すぐに退却しなくてはならない)。


 せっかく良好な人間関係を構築したのだ、まずは人との会話から情報を探ることを考える。

 トリエネはマドレーヌを焼き上げ同僚の執事やメイドたちに振舞った後、余った菓子をバスケットに入れて兵士の詰め所に向かう。彼女の作るお菓子のおいしさは既に屋敷の使用人たち周知の事実である為、厨房を違和感なく使用することができた。


 屋敷の本邸からやや離れた場所に兵士の詰め所となる石造りの建物がある。入口付近で防具の手入れをしている男に声をかける。


「あのー、お菓子たくさん作ったので、よろしければどうですか?」


 バスケットには紙包みで簡易に包装したマドレーヌが入っている。兵士が立ち上がりながら振り向く。少し精悍な印象の男だった。


「へえ、アンタが作ったのかい。おお、美味そうだな!」

「その……貴方にも食べてもらいたかったから、多めに焼いちゃったの」


 トリエネは可愛らしくはにかみながら言う。

 男の顔がまんざらでもなさそうにほころんだ。


「へっ、お、俺?」

「私、知ってるのよ。貴方が朝早くから訓練に励んでいること、装備の手入れもみんなの為に進んでやっていること。私、そんな貴方のひたむきさに、ちょっと惹かれちゃったみたい」


 彼女はなにもテキトウを言っているわけではない。名前こそ知らないが、今目の前にいる男が朝早くから訓練に精を出す姿を、彼女は確かに目撃している。そして屋敷へとやって来た初日も、男は装備の手入れをしていた。


 彼女は長年の密偵任務で鍛えた記憶力と観察力を駆使して迫っていた。


 建物の裏手に回り、二人は材木に腰掛けている。

 男がマドレーヌを口に運ぶ。バターの効いた香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。


「美味いな」

「そう、ふふ、よかった」

「でもこうしてメイドさんのお手製お菓子を食べているのがバレたら、他のやつらにどやされるな」

「バレなければ大丈夫よ、私も口裏合わせてあげる」


 トリエネは微笑みながら、何気なく彼の頬に手を添える。頬には新しめの傷跡があった。男はドキッと身をすくめ、顔を紅潮させる。


「傷ができてるわね、訓練は厳しいの?」

「そうだね、先輩たちにいつもしごかれているよ」

「でも格好いいよね、ご主人様の為に、身を尽くして精進していく姿って。きっと忠義の低い人なんてこのお屋敷にはいないのね」

「……そんなことはないさ、金の為だと割り切って務めている者も多い。ここだけの話、伯爵様だって色々と黒い噂の絶えない御方だからね。世間ではアーミンを栄えさせた希代の領主のように言われているが」


 男はややひそめた声で話すのだった。


「忠義が低かったり、素行が悪いとやっぱり辞めさせられたりするのかしら?」

「そのようだよ。最近でも三か月ほど前だったかな、二人ほど詰所からいなくなった奴らがいる。伯爵様から嫌われていたのか、それまでは荷物の運搬や倉庫番のような雑用ばかりさせられていたよ」

「へえ」


 トリエネはそれ以上踏み込むことを止めた。情報の収集は、例えば化石を掘り出す時のような慎重さと周到さが大切だと経験上知っている。


 彼女は立ち上がって少し男から離れると、振り返りつつ言う。


「……貴方ならきっとそんな心配はないでしょうね。私には分かるもの、貴方は一生懸命で素敵な人だって」

「そ、そうか……ありがとう」

「そろそろ仕事に戻らなくちゃ。私はマリーヌ・フランソワ、貴方とお話しできて嬉しかったわ。また来るからね!」


 トリエネは元気いっぱいに手を振って兵士の男に別れを告げた。男は微妙に鼻の下を伸ばしながら手を振り返す。


 トリエネが彼の元を訪れることは二度となかった。



 また、別の日の出来事である。

 今度は聞き込みの対象を兵士から使用人に移した。それも同性の、としの頃合いも近いメイドを狙って会話を繰り広げる。兵士の中で、伯爵様の身辺警護をしている人にはどんな人がいるか、倉庫番にはどんな人がいるか等、トリエネは怪しまれないよう聞きたい話題に恋バナを巧みに織り交ぜていた。


「それでね、その倉庫番をしていた兵士、顔はカッコ良かったのよ!ワイルドな赤毛で体もたくましかったし。でも、ちょっと性格悪そうだったのよねー。いつの間にかいなくなっちゃったし、きっと辞めさせられたんだわ」

「へー、いつ頃いなくなっちゃったの?」

「うーんとね、確か三か月くらい前から見なくなったかなあ」

「名前を知っていれば、追っかけて告白できるのにね」

「ちょっとー、確かにカッコ良かったけど、素行の悪い男だったしそこまで本気じゃないって」

「名前は知ってるんだ」

「えっと、たしかギヨームだった気がする。前に上司に怒られている時に、そう呼ばれていた気がするのよね」


 夕食後、洗い場で食器を洗いながら、トリエネはおばさんの先輩メイド(トリエネに初日の屋敷案内をしてくれた女性)と一緒にとりとめのない話をしている。


「……でね、その銀髪の兵士さん、マチアスさんだったかしら?剣の腕はすごかったんだけど、不思議と伯爵様の身辺警護している姿を見たことがなかったのよ」

「どうして強い人を傍に置かないのかしら?」

「さあ、伯爵様とソリが合わなかったのか、はたまた怒らせるようなことでもしてしまったのかねぇ。そこそこ長く勤めていた人だったんだけど、三か月くらい前に居なくなってしまったし」

「あら、そうなの。強い人を手放すなんて、伯爵様も勿体ないことをするわね」


 ◇


 トリエネがジャンダック伯爵の屋敷に勤め始めてから四日目の昼過ぎである。

 彼女は庭園の隅の目立たないところ、バラ園からも噴水からも隔たったモミの木の近くでスラ・アクィナスと合流していた。


 トリエネはスラに取得した情報の共有をする。

 おそらく、レボリュシオンにスパイとして潜り込んでいるのはギヨームという赤毛の若い男性と、マチアスという銀髪で壮年の男性であること。


 調査にあたって、まず彼女はスパイとして送り出すならどのような人物が選ばれるかを考えた。信頼のおける人物を選ぶか、死んでもいいようなどうでもいい人物を選ぶか、そこは人によるだろう。ジャンダック伯爵には収賄の前科があるそうであり、どうも自分の利益や感情を優先する人物のように考えられた。スパイは発覚すれば死もありえる危険な任務、この伯爵なら気に入った人物よりも死んでもよさそうな人物を選びそうなものである。


 そのように分析したトリエネは、腕は立つが伯爵からは好かれていない、なおかつ最近になって居なくなった人物に狙いを絞って探り始めた。兵士や使用人に対して何気ない会話を繰り広げ、少しずつ目的の情報に近づいていく。彼女の常套手段であり、彼女の気さくな人柄はいたるところで功を奏した。


 こうして名前まで到達した人物がギヨームとマチアスであったのだ。どちらも腕は立つが、素行が悪かったり、伯爵の怒りを買った前科があったりして閑職に回されていたという共通点がある。そしてどちらも屋敷からいなくなったのは三か月ほど前という話だ。


「レボリュシオンのデモ計画が失敗して、メンバーが多数セーブル監獄送りになった事件が約二か月前。三か月前に消えたというギヨームとマチアスがやっぱり怪しいのよね」

「なるほど、よくもまあ井戸端会議レベルの会話だけで、ここまで候補を絞れたものです」


 スラは感心しながら、トリエネの報告を聞いていた。彼女の調査方法は自分にはとても真似できないものだと思ったからだ(そもそも彼はヘルメースの能力で姿を消し、気づかれることなく容易に物的証拠を漁ることができる)。


「スパイ任務をするにあたって、多少名前や風貌は変えているかもしれないけど、根本的な造作はそう変えられない。それに一度身に付いた癖や習性もなかなか直し切れるものじゃないわ。色んな人とお話してギヨームとマチアスに関する情報は最低限集まっているけど、念を入れてもう少し探っておこうかな……ん?」


 トリエネは言いながら、遠く屋敷の二階の窓から何かが光るのに気が付いた。それはライフルの銃身であった。


 気付いたのとほぼ同時に、炸裂音がとどろいた。

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