第45話 ミッションM<メイド>

 二人はケーキショップを後にすると再び目的地へと歩を進める。アーミンもまた王都ミストレルと同じように貴族、平民、賤民と身分ごとに居住するエリアが分けられている。


 ここでエリア分けの基本的なルールについて説明する。

(以降の話は、貴族エリア=アジュール、平民エリア=ギュールズ、賤民エリア=セーブルと考えれば、ミストレルにもそのまま当てはめられる)


 まず、移動の自由は身分の高さに比例する。

 貴族は貴族エリア、平民エリア、賤民エリアのすべてに出入りできる。

 平民は平民エリアと賤民エリアには入れるが、貴族エリアには入れない。

 賤民は基本的に賤民エリアから出られず、他の二つのエリアには入れない。


 しかしあくまで基本原則であり、例外はいくつも存在する。

 賤民は賤民エリアから出られないといったが、例えば人買いに買われ商品となればエリア外に出ることができる。何故なら、人でなく物という扱いに変わるからだ。ただの人の形をした物体とみなされる。奉公人といえば聞こえは良いが、実態は奴隷そのものである。そして扱いが物と同じになるのだから、傷つけたところで罰則などない。殺してしまってようやく器物損壊と同等の罰則が課される程度だ。マグナが保護した黒髪の少女はそのような立場であったが故にボロボロに打ち捨てられていたのだが、それでも端金程度の金銭を手に入れる為に奉公人となる者は後を絶たないのである。


 話が逸れたが、基本原則の例外として次に挙げられるのが、貴族が許可をする場合である。許可さえあれば、平民以下の身分でも貴族エリアに立ち入ることができる。でなければ、貴族も人を用立てたり使用人を雇い入れたりできなくなるので不便極まりない。


 外国人の場合は基本的に平民と同じ立ち位置である。つまり平民エリア、賤民エリアには自由に出入りできるが、貴族エリアに立ち入るには許可が必要となる。


 しかしトリエネとスラには心配は必要ない。スラは姿と音を消せるヘルメースの能力者であり、トリエネもまた裏世界という強大な組織がバックボーンにいるのだから。



 二人は平民エリアと貴族エリアを分かつ堅牢な門の前に居る。


 平民エリアと賤民エリアの境はさりげないことが多いのだが、貴族エリアとの境にはほぼ例外なく門が備えられている。常に衛兵が控え、出入りする人間を逐一チェックしているのだ(ちなみに、この身分によるエリアの区分けもネメシスの法によるものなのだから、破ればネメシスが制裁を科すので、衛兵など必要ないと考えられるだろう。実際、フランチャイカ王国内のすべての不法行為をネメシスで感知して裁くこと自体は可能である。しかし王国内のすべての罪科をネメシスが裁くのでは神力が掛かりすぎるので、比較的軽微な罪についてはあえて感知しないようになっている。それに軍隊や警察といった組織を保ち育てることも肝要……であるからして、衛兵というものはなくならないのである)。


「ふむ、マリーヌ・フランソワ、オーア出身の平民身分の女性。確かにジャンダック伯爵の許可状は出ているな」


 マリーヌ・フランソワ……もちろん偽名である。衛兵はトリエネが手渡した許可状を見ながら、予め用意されている許可状の写しとの整合性を確認する。


「よし、通れ」


 二人は難なく貴族エリアへと脚を踏み入れた。トリエネは組織によって偽装された許可状があったので、スラはそもそも姿を消していたので、何の問題もなかった。


 目的地であるジャンダック伯爵の邸宅を目指して、二人は歩き続ける。


「こっち向いてよヴァニーユ♪ラッ♪ララ♪」

「……」


 またもやトリエネが軽快な足取りのまま歌い出した。


「つれないそぶりさピスター♪シュッ♪シュシュ♪」

「……」


 幸い周囲に人目はない。


「いとしの♪アイツは♪フッフッ♪フランボワァーーズ♪」

「……」


 これから暗殺任務だというのに、何故彼女は歌を……

 っと、スラは先ほどの会話を思い出した。


「仕事現場も近くなり、随分と鬱屈とした気分のようですね」

「スラもなかなか私のことが分かってきたわね」


 トリエネは何のけなしに言うと、再び歌い出すのであった。



 ◇



 ジャンダック伯爵の邸宅はアーミンで最も大きな建物である。地上三階建て、お屋敷とは言うがどこか要塞めいた造りをしている堅牢な建物であった。三階部分に大きなテラスが見られる他、二階と三階を繋ぐ外郭通路が周囲に存在している。五ヘクタール以上はあろう広大な庭園には優美な像を抱えた噴水、水路が張り巡らされた石畳、そして手入れの行き届いたバラ園が広がる。絵に描いたような貴族のお庭であった。


 トリエネはそんなジャンダック伯爵のお屋敷へとやって来た。

 新米メイド、マリーヌ・フランソワとして。


「マリーヌ・フランソワさんですね。私が執事長のポールです、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします!」


 トリエネはポールと名乗る男性と簡単な面談のようなやり取りをする。やれどのような志望動機で来たのか、やれどのようなことが得意かなど。


 だが彼女がメイドとして此処で働くことは、事前の書類審査でほとんど決まっていることである(もっともその書類もまた偽装されているのだが)。その為、この面談はちょっとしたご挨拶、実際対面してみての人となりの確認といった趣きが強い。


 すぐに面談が終わると、トリエネは恰幅のいいメイド服姿のおばさんに連れられ、女給たちの控室へと通された。ここには着替え等が用意されているようだった。おばさんがトリエネの為のメイド服をハンガーラックから取り外すと、彼女に手渡した。黒地でロングスカートの実にクラシカルなメイド服だ。


「ほら、早く着替えちゃいな。さっそくだけど、ひととおりの仕事の流れを覚えてもらうよ。着替え終わる頃にはまた来るからね」


 おばさんはそう言うと、別用でもあるのか、そそくさと部屋から出ていった。

 スラが能力を解除し、ぬぅっと姿を現す。


「トリエネさん、私も部屋から出ていましょう」

「?別にいいわよ、すぐに終わるし」


 トリエネは着ていた灰褐色のコートを脱ぎ、その下のブラウスも脱いで、下着姿となる。そして実に手慣れた仕草でメイド服を着用する。服の内部にしまい込んでいたネックレスだけは移し替えた。最後に白いエプロンを身に纏い、頭には同じように白いヘッドドレスを装着した。


 トリエネは着替えの際、スラの存在をまるで気にしていなかった。彼女が無頓着なだけなのか、それともスラを意識していないだけなのか、真相は闇の中である。一応、スラは気を使って目を背け続けた。どこぞの鍛冶師と違って、彼は紳士なのである。


「じゃーん!どう?」


 呼ばれて振り返ると、そこにはメイド服に身を包んだトリエネの姿があった。スカートの裾を持ち上げて、ブロンドベージュの髪を靡かせ、くるりと回ってみせる。彼女の見た目の良さ、可愛らしさもあり、まさに絵になる姿であった。


「なんだか、着慣れていらっしゃいますね」

「ふふ、まあそうよね。今まで密偵の仕事でいろんな職業についたけど、一番多かったのがメイドだものね」

「そうですね、暗殺や密偵で狙われるのはやはり権力者であることがほとんど。結果として使用人に扮するのが一番都合がよいですからね」


 ちょうど、おばさんも戻って来る。

 スラは再び姿を消した。


「どうだい、マリーヌ?あらあら似合っているじゃない。ほら早くこっちにいらっしゃい、まずは調理場を案内するから」



 トリエネはひととおりの仕事をこの一日で教わった。

 といっても入って一日目、当然だが大した仕事は無い。


 まず、屋敷内の各部屋を案内される。調理場や洗い場の場所、掃除用具のある部屋、洗濯場、ダイニング、客間、使用人の部屋、兵士の居室、伯爵様の部屋、奥方様の部屋、息子や娘たちの部屋等々。当然伯爵様や家族の部屋には無断で入ることはできない。


 そして、掃除のルールを教えられる。毎日お屋敷のどの場所からどれくらい時間をかけてやっていくのか、時間配分や役割分担にも明確なルールがあるそうである。洗い場では使用された食器類を丁寧に洗っていく。これもこの皿はここの棚にしまうだとか、グラスの洗い方はこうだとか、細やかな決め事があるようだった。


 初日のトリエネの仕事ぶりだが、なかなかの高評価であった。彼女は物心ついたころから、当時はフランチャイカ王国のオーアにあった裏世界のアジトで管理の仕事をしてきた。いまや家事のプロフェッショナルであり、掃除でも洗い物でも抜群の器量の良さを見せたのだ。いい娘が新入りで入ってくれたと、年季の入ったおばさんメイドも笑顔で褒めるのだった。



 明くる日は昨日と同じような掃除と洗い物の他に、洗濯のルールについても教えられた。そして伯爵家族や兵士たちの洗濯物を洗っている内にお昼時となる。


 食事や間食については専任のシェフがいるので、メイドが調理することは基本的に無い。しかしトリエネは趣味がお菓子作りであり、調理全般も得意であると面談時に話していたので、気になった先輩メイドがシェフに頼み、トリエネに調理場を使わせた。ちょうどリンゴがあったので、彼女はいつもアジトで作るのと同じようにタルト・タタンを焼き、同僚たちに提供した。大評判であった。気になってやって来た伯爵の息子や娘たちも、トリエネの作った菓子に唸る。


 器量が良く、明るく、愛想も良いトリエネはすっかり屋敷の人々の中に溶け込んでいった。


 その日の仕事も終わり、使用人部屋の中でトリエネは寝巻に着替える。


「ふふふ、楽しー♪もう、ここに就職しちゃおうかな」

「……すればよいのではないですか?」


 トリエネは、スラにぶすっとした表情を向ける。

 彼女には裏世界を離れられない理由がある。スラは既にその事情を知っている。


「まあ冗談はさておき、そろそろ密偵モードにならないとね。屋敷の全容や人間関係の把握もばっちり、明日から本格調査開始よ」

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