第44話 スイーツ娘現る

 王都ミストレルから南西に二十キロ程離れた場所にはアーミンという都市がある。それなりに活気のある街であり、行き交う人々、立ち並ぶ店の数も多い。


 街中を二人組の男女が歩いている。

 片方はブロンドベージュの髪を後ろに流している女性、もう一人は銀色の切りそろえられた髪を靡かせた糸目の男性だった。女性は灰褐色の、男性は黒地のコートに身を包んでいる。


 二人は秘密組織”裏世界”のNo.5とNo.15……トリエネ・トスカーナとスラ・アクィナスであった。


「フランチャイカ王国久しぶりだなー。まあアーミンとか、北部の都市はあんまり詳しくないんだけどね」

「そうなのですか」


 先頭を軽快に歩くトリエネに、スラが応える。


「うん、南部のオーアの方は詳しいんだけど」

「以前はそちらにお住まいで?」

「住んでいたというか、昔は裏世界のアジトはそこにあったのよ。今ではドゥーマが組織を私物化しちゃっているから、アジトも神聖ミハイル帝国のピエロービカに移されちゃったんだけど」


 二人は暗殺及び密偵任務の為にこのアーミンを訪れている。といっても実行役は終始トリエネであり、スラはただの見学兼監視であった。スラは今、アリーアの”眼”になっている状態である。


 目的地はこの都市の領主であるジャンダック伯爵の屋敷。街の奥まった場所にある為、その方角を目指して歩いていく。


「春の素敵に晴れた日は♪貴方と二人で連れ立って♪」

「……」


 明るく弾む声で歌いながら歩くトリエネ。スラはその後ろをただ押し黙って付いて行く。


「切符を買って♪列車に乗って♪ピクニックにでも出かけよう♪」

「……」


 道往く人々が好奇の視線を向けてくるが、トリエネは一切気にする様子がない。


「お気に入りのバスケットに♪サンドイッチを詰め込んで♪」

「……」


 スラは段々連れ立って歩くのが気恥ずかしくなってきた。


「卵に野菜♪ハムにフルーツ♪色々作ってるんだー♪ラン♪ラン♪ラン♪」

「……」


 これから暗殺任務だというのに、何故彼女は楽し気に歌っているのだろうか。


「あの」

「なになに、どったの?」

「いえ、これから任務だというのに、随分と機嫌がよろしいようで」

「はぁ?そんなわけないじゃない!」


 トリエネはジトッとした眼でスラを見る。


「これから人を殺しにいかなきゃいけないのに、楽しい気分になんてなるわけないでしょ!」

「……まあ、そうでしょうね」

「歌を歌う時って二つの場合があると思うのよ。気分が楽しい時、気分がサイアクでごまかしたい時」

「トリエネさんの場合は後者だと」

「そうね、あっ!あっーー!」


 急にトリエネが嬌声にも似た大きな声を上げた。何事かとスラは彼女の目線を追うが、その先にあるのは一軒のケーキショップであった。カフェスペースが用意されており、注文したケーキをコーヒーや紅茶と共に頂けるようだ。店先の看板には、新作ガトー・オ・フロマージュの文字が並んでいる。


「スラ!スラ!私アレ食べたい!」

「いや、これから任務では」

「スラは食べたくないの?」

「別に私は」

「まあ、私の中ではもうアレを食べることは決定事項だから。お店に急げ!」


 眼を輝かせて小走りで駆け出していくトリエネを、スラはやれやれといった面持ちで追うのだった。


 ◇


 カフェスペースに着席する二人。店員がまず二杯のコーヒーを運び、そして一皿だけのガトー・オ・フロマージュをトリエネの前に供した。チーズを使用して焼き上げたほんのりきつね色の生地に赤いベリーソースが目を楽しませる。トリエネはガトー・オ・フロマージュをフォークで一口大に切ると、口へと運ぶ。その瞬間、彼女の顔が喜色にほころんだ。


「おいしーい♪まろやかなフロマージュの生地と甘酸っぱいベリーソースがお互いの良さを引き立て合ってる!きっとこの二人はマリアージュする為に生まれてきたのね、お口の中で祝福しなくちゃ!」


 スラはコーヒーを啜りながら目の前で幸せそうにケーキを食べるトリエネを見ている。ここまでおいしそうに喜色満面の笑みでケーキを食べる女性を見るのは初めてだった。そして、任務がそっちのけであることが気になり始める。


「あの……任務はよいのですか?」

「仕事は気分転換も大切だよー、スラ」

「私が言うのもナンですが、私を通してアリーアさんが状況を見ているんですよね?」

「アリーアは余計な事言わないから大丈夫よ」


 トリエネは委細構わず、ガトー・オ・フロマージュに舌鼓を打ち続ける。


「スラは食べないの?すごくおいしいのに」

「いえ、私は甘い物は正直苦手なので」

「え……?」


 トリエネの瞳孔が驚愕で見開いた。心なしか、フォークを持つ手も震えている。


「噓でしょ……!甘いものが嫌いな人なんて存在するの?」

「まあ、世の中には様々な人がいらっしゃいますし、現に目の前におります」

「そんな……人類は水と空気とスイーツがないと生命活動を維持できないはずじゃ……」

「少なくとも、スイーツは必須とまではいかないかと」


 トリエネは小刻みに震えながら、理解しがたい現実に身悶えしていた。これがふざけているだけなのか、それとも素のリアクションなのか、スラにはよく分からなかった。


「じゃあ、スラはこれから私がお菓子を作っても、食べてくれないの?」


 トリエネがなぜか微妙にむくれながら言う。感情表現がいちいち大仰だ。


「いえ、苦手なだけで食べられないわけではないので、出されたら頂きますが」

「あっそうだ!あまり甘くないお菓子を作ればいいんだわ。コーヒーを使ったクッキーとかゼリーとかどうかな?」


 トリエネがパチンと両手を合わせながら言う。


「それは良いかもしれませんね」

「ふふ、今度試してみよー♪」


 トリエネは元の笑顔に戻ると、再びガトー・オ・フロマージュを口に運び始めるのだった。



 ケーキを食べ終わったトリエネ。

 彼女は店内で忙しなく動く店員に目線を向けて、ぼうっとしている。


「いいなぁ、私もお菓子とか作る仕事したーい」

「……すればよいのではないですか?」

「それができないから苦労してるんだってばぁ」


 トリエネがむくれっ面を見せる。そもそもスラの眼には、彼女が裏社会で暗殺者アサシンまがいのことをして生きてきたような人物にはとても見えなかった。なんというか、気質が一般人すぎる。裏で生きてきた人間特有のスレた感じもしない。


「好きでもないのに暗殺や密偵のような仕事をし続けるのには、何か理由でもあるのでしょうか」

「んー、というか、私は裏世界から離れられないのよ」

「と、いいますと?」

「リピアーが私を頑なに裏世界から出そうとしないの。ううん、正確に言えば私を表社会で暮らさせないようにしているかんじ。私はね、物心ついた時からあの組織に居たの。子供の頃はアジトで適当に雑用をこなすだけでもよかったんだけど、ずっとそうしてもいられなくて……」

「それでナンバーズになったと」

「そう、ナンバーズならアジトに常駐する正式な権限があるからね。でもそうなるといよいよ雑用だけして過ごすわけにはいかなくなった。けど私には神の能力もなければ特別な地位があるわけでもない」

「なるほど、ですから好きでもない暗殺や密偵の仕事をしてきたと」

「グレードを求めて、他の暗殺組織でなく裏世界にそういう依頼をしてくる人って昔からいたのよね」


 スラは少し考えるように両腕を組む。


「そもそも、裏世界は神々の相互扶助組織のはず……神の能力も特別な地位もない人間がナンバーズになれるものなのでしょうか?」

「それについてはリピアーが”お願い”を行使したからよ。そして過半数の賛成を得て受理され、私は晴れてナンバーズになれてしまったわけ」

「不思議ですね、そこまでして何故リピアーさんは貴女を裏世界に縛り付けようとしているのか」


 疑問を呈するスラ、トリエネは少し陰を帯びた表情を落とした。


「私が実は亡国のお姫様で、その身分を隠しながら生きている……って言ったら信じる?」

「そうリピアーさんが言っていたのですか?」

「うん、でも嘘だと思う。これを聞かされていたのって子供の頃だし」

「大人になってから、改めて聞いてみたことは?」

「何度もあるわ、けれどいつもはぐらかされるのよね」

「それは気になりますね」

「うん、でも……」


 トリエネは顔を上げてスラと目線を合わせた。


「勘違いしないでね、私はリピアーのことを恨んだり嫌ったりしているわけじゃないの。むしろ逆、私はリピアーのことが大好きなの、リピアーは私の母親代わりの存在だったから」

「そうだったのですね」

「リピアーは意味のないことなんかしないわ。話をはぐらかして答えてくれないのも、私を裏世界に縛り付けるのにもなにか意味があるはず……だから私は、自分が暗殺の仕事が嫌だからって、投げ出すわけにはいかないのよ。それはリピアーの今までの頑張りをすべて無駄にすることになっちゃうから」


 彼女の眼は不安と不満、そして信頼を裏切りたくないという真摯さでせめぎ合っているようだった。スラは、何故かナンバーズになっている一般人程度の認識でしかなかったこの女性に、なにか並々ならぬ事情が内在しているであろうことをようやく理解し始めた。

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