第43話 その双丘に魅せられて

 地下空間での作戦会議が終わると、レボリュシオンのメンバーはそれぞれのねぐらへと帰っていく。作戦の決行は、アーミンのジャンダック伯爵暗殺及びスパイの炙り出し完了後であり、それまでは早くても数日程度の開きがある。見回りの兵士らに感づかれてはせっかくの作戦も台無しなので、決行のその時まではあくまで普段通りに過ごすことになっていた。照明弾の明かりが見えた時が作戦決行の合図である。


 いっせいに外に出ては怪しまれる可能性もあるので、何人かずつで段階的に解散していく。帰る気配を見せず相変わらず作戦会議を続けている者もいれば、仲間と酒を酌み交わしている者もいた。


 マグナとマルローは地下室でブランケットを敷き、そこに黒髪の少女を寝かせると、地上まで出てリュミエールの敷地内で夜風に当たっていた。建物の脇で石造りの塀に腰を掛ける。マルローの腕には小型のボトルが抱えられていた。


「まあマグナさん、一杯やろうぜぇ」


 マルローはマグナに小さなグラスを手渡すと、ボトルを開け中身を注いでいく。少しだけ紫がかった褐色の液体。


「何だこりゃ」

「ブランデーさ、ワインを蒸留して作るモンだ。フランチャイカの名産だぞ」


 一口飲んでみる。そのまま飲むにはそこそこキツイ酒だったが、悪くないと思った。


「ぷはあっ」

「おっ、いけるねえ!んじゃあ俺も……かあっ!美味い」


 マルローは自分でグラスに酒を注ぐとグイッとあおった。マグナも美味そうにグラスを傾け続ける。


「お前さん、なかなか飲めるね」

「まあブリスタルにもこの手の強い酒はあるからな」

「へぇ、ブリスタル王国出身か?ウィスキーってやつかい?」

「ああ、原料は葡萄じゃなくて麦だがな。原料が違うとやはり同じ蒸留酒でも結構風味が違ってくるもんだな」


 二人は酒を飲みながら夜空に浮かぶおぼろけた月を眺めている。何のけなしにマグナが尋ねる。


「そういえば、お前は元王宮鍛冶師といっていたな。それが何故、革命派閥に肩入れしている?」

「俺は元々この国を変えたくて王宮鍛冶師なんてのに成ったんだ。それが上手くいかなかったから、今はこうしているってだけよ」

「元々思想は革命派よりだったわけか」

「まあな……俺が革命的な思想に傾倒するようになったそもそものきっかけは弟だ」

「弟?」

「酒の肴に話してやるぜ、俺のつまらねー昔話をよぉ」


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 俺は平民の生まれだった。

 父、母、俺、そして弟のエミールの四人家族。

 特別恵まれた家庭でもないが、目を覆うような不幸もない平凡だが幸福な家庭。


 やがて俺達兄弟は成人するが、その頃には父も母も他界していた。

 俺達は自分たちでもできるような仕事をして生計を立て始めた。

 俺は昔から物作りが好きで日曜大工のようなこともよくしていたから、

 手間賃をもらってちょっとした家具を作る仕事を始めた。

 弟は行商人になった。日用品を仕入れ、街中を売り歩く。

 いつの間にか俺が作った装飾品なんかも売るようになった。


 弟はある時、恋をした。相手は賤民の女性だった。

 人身売買の商人にかどわかされてセーブル区域から連れ出され、

 俺たちが住むギュールズ区域で奉公人として働いていたんだ。

 弟は大した金もないくせに大枚はたいて彼女を買い取った。

 可哀想な仕打ちを見ていられなかったという理由もあったようだが、

 それでも生を諦めないどこか凛とした気風に惹かれたんだそうだ。


 主従の関係なら問題はなかった。

 だが、弟は彼女との結婚を考え始めた。

 平民と賤民……身分の違う者同士の婚姻は固く禁じられている。

 身分違いの婚姻は重罪だ。

 婚姻しようとすれば、ネメシスが裁きのいかずちを下すだろう。


 では、エミールはどうしたか?

 エミールは賤民になった。

 自ら罪を犯し、平民としての身分を喪失した。


 二人はセーブル区域で暮らすようになった。

 その生活はとても幸福とは程遠いものだった。

 平民だった頃、仲良くしていた友人たちとは関われなくなった。

 妻となった女性の親族や、周囲の人々は冷たかった。

 彼らは世襲的賤民、生まれながらの被差別民。

 一方エミールは元平民の非世襲的賤民で、そもそも根本的に違う存在だった。


 二人はセーブル区域の片隅で、他の賤民とも離れて暮らすようになった。

 他の者とは相容れず、二束三文の仕事にすら就けなくなり、やがて困窮した。


 俺が様子を見にやって来た頃には、既に遅かった。

 二人は粗末なあばら家の中で心中していた。


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「……」

「酒の肴にしちゃ、ちと湿っぽすぎたな」


 マルローがブランデーを傾けながらしんみりと呟く。


「俺は、あいつらが結婚してセーブル区域で暮らすようになった後にさ、神の力を授けられたんだ。火と鍛冶の神ヘーパイストスの力を手に入れ、特殊な武器や道具を作れるようになった。俺はこれをチャンスだと思った。神なら平民だとか貴族だとかも飛び越えて王族にも近づけるだろう。弟夫妻の暮らしをまともにしてやれるかもしれない、あわよくばこの国の古臭い体制も変えられるかもしれない」


 今宵の月はどこか不穏な影があるな。


「王族に近づくのは簡単だった、すぐに王宮鍛冶師になれたよ。だが身分制度を無くそうとか、そういう意見は絶対に通らなかった。それどころか直接国王陛下にお目通り叶うことがなかなか無くてな、目的を果たせないまま時が過ぎるばかりだった。王宮鍛冶師になってから俺の暮らしもにわかに忙しくなって、弟夫妻の様子もなかなか見に行けず、気付いた時には既に心中しちまってたんだ」

「……」


 マグナもまた、ブランデーを呷る。


「結局王宮鍛冶師なんざ続ける意味も無くなり、今やこうして革命組織に肩入れしているってわけよ」

「マルロー」

「あん?」

「約束する。俺が協力する以上、必ずこの国を変えてみせる。不自由と不平等を取り除き、誰もが脅かされずに暮らせる国を目指そう」

「へっ、マジメだねぇ、アンタ。まあ期待してんゼ」



 ◇



 二人は黙って酒を飲み続ける。マルローはマグナの表情に影があることに気付いた。


「どうした、マグナさん」

「いや、作戦が上手くいけばいいなと思ってな」

「大丈夫さ、念入りに準備している。皆の士気も高い。それにアンタとこの俺様がいるんだからな」

「作戦が上手くいってもだ。この国は曲がりなりに三百年以上も厳格な身分制度の下で成り立ってきたんだろう?ふと思ったんだ、いきなりそれを無くしてすべてが好転するわけではないだろうってな」

「……まあ、そうだろうな」


 マルローも少し考え込むような仕草をする。


「俺達がやろうとしていることは、例えば深海魚を浅瀬に引っ張り上げるようなことかもしれねえ。深海は暗いわ、寒いわ、重苦しいわで傍から見りゃ居心地よさそうにはとても見えない。だがそこに住んでいる魚たちはそこに適応したうえで生きている……足らない理解で親切のつもりで、明るい珊瑚礁に連れて来たって苦しめるだけなのさ」

「そういった側面はあるだろうな。案外この国の身分制度は理に適っているのかもしれない。貴族は特権が多く認められている為、それが重い税負担の上手いそらしになっている。賤民も被差別対象で暮らしも貧しいが、犯罪者でも外国人でも住む場所を追われまではしない。税負担は無いし、慈善団体のような組織もあるしでこちらもメリット皆無かと言えばそうでもない」

「結局すべてを満足に立ち往かせることなんてできない。だがこの国の仕組みは上手い具合にすべてをそらし合って、なんだかんだ成り立っていると?」

「三百年以上も続いている以上、そこは否めない事実だろうな」

「だがずっとこのままでいいとも思えねえ。賤民なんてのは要は奴隷身分だ、今時奴隷なんてのを公的に認めている国なんてなかなか無いってのによ」

「ああ、俺も同じ思いさ。マルロー」


 マグナはグラスを置くと、腰を掛けていた塀から脚を降ろして立ち上がる。振り向かず背中越しにマルローに語る。


「いつかは誰かが変えなくちゃいけないんだ。俺達でやろう。生まれながらにして不幸が決まっている身分なんて馬鹿らしい、俺達で変えてやろうじゃないか……!」

「……ああ、そうだな!」



 マルローも塀から降りるとマグナの隣に並んで立つ。そして何事か、彼は急にマグナの肩に腕を回し始めた。


「ようし!いっちょ、景気づけにおっぱいでも揉みに行こうぜ!」

「は?」


 マルローの突飛な発言にマグナは真顔で裏返った声を上げた。しんみりとしていた空気はたちまち消え失せてしまった。


「いいかい?お前さんは真面目で知らねーだろうから、俺様がいいことを教えてやる。男はな、おっぱいを揉めば悩みが吹き飛ぶようにできているんだよ」

「……お前は何を言っているんだ?」

「この特性を利用しない手はねーぜ。おっぱいを揉む手ならここにあるが、この特性を利用しない手はない」


 ワキワキと両手の指を淫猥にうごめかすマルローに、マグナはやや軽蔑の眼差しを送った。


「おっぱい揉んどけばそれで悩みが消えるんだぞ!いい機会だ、ギュールズ区域に行こう。俺の行きつけの店に連れて行ってやるぜ」

「……遠慮する」

「そうはいってもよ、マグナさん。俺はアンタをなかなかのおっぱい好きだとにらんでいるんだぜ。なんせアンタの眷属、美人だしなかなかのモノを持っているからな」


 マルローはリュミエールの建屋から少し離れた草地の辺りに視線を移す。そこにはマグナの眷属、モンローの姿がある。彼女は会話に割って入ることはしなかったが、ずっと二人から離れた場所で待機していたのだった。


 改めてモンローの姿を見る。幾許か不気味で不穏な気配があるが、美人と言って差し支えない麗しい容姿。暗い色のドレスに包まれ、藤色の髪を風に靡かせ、月明かりの下でどこか神秘的な魅力を放っていた。そしてマルローの言う通り、彼女はかなり豊満なものを持っていた。


「マグナさんよ、お前さんも知っているだろうが、眷属は己の内面を反映させて生まれてくるというじゃねえか。眷属が巨乳ってことは……つまりそういうことだ。気取ってんじゃねえ、認めろ認めろ」

「違う、そうじゃない」

「やーい、おっぱい好き」

「マルロー、てめえ!」


 マグナは声を上げる。しかし、本気で怒っているわけではなかった。彼のような雰囲気が柔和でない、いわゆる堅物を臆せずからかえる者はそう多くない。謂れのない揶揄を否定したい気持ちはあったが、マグナもまた心のどこかでこのくだらない掛け合いを楽しんでいた。


「だいたい眷属の作成ってのはな、あんまり自由度ねえんだよ」

「へーそうなのか、おりゃ作ったことがないから分からんね。そもそも神力が足りねえだろうし」

「こう、瞑想の延長線上っていうか、ひたすら自分の内面と向き合う作業だからな。そういうのを続けていく内に自然にイメージが形成され、それが神力によって具現化される」

「なんか、こうバインボインの姉ちゃんを妄想して、そのままの姿で出せたりとかしねーの?」

「ねえよ」

「なんてこった!俺の将来の夢が一つついえたぜ!」


 マルローは頭を抱えると、再びモンローに目線を移し話を続ける。


「だがよ、自由度がそこまであるわけでもないってのに、眷属が巨乳美女の姿で出てくるってことは、やはり潜在意識下では相当のおっぱい好きってことに……」

「お前はどうしても俺を変態にしたいようだな……だいたい、三人の眷属の中で女性はモンローだけだ。後の二人は男だぞ」

「眷属三人もいるのかよ、すげえな!流石はラグナレーク王国の救世主様だ。まあ俺だったら、三人とも美女にするけどなー」

「だから、自由度ないって言ってるじゃねえか」


 マグナがマルローのおとぼけに返していると、彼は再び腕を肩に回してきた。取っ付きやすいのはいいことだが、いかんせん馴れ馴れしく調子のいい男だ。


「で、マグナ君、揉んだのかね?あの眷属の、豊満なおっぱいをよぉ」

「揉んでねえよ」

「まじかよ!俺だったら揉んでるね、四六時中手を離さない自信すらある」

「というか、そもそもそういう目的で作った眷属じゃねえ。お前のよこしまな思考で汚すな!」

「いやマグナ君、眷属は多かれ少なかれ主神に対して従順なはずだ。試しに揉んでみ?絶対嫌がられないから」

「しねえっつってんだろ」

「眷属にも個性ってモンがあるだろうが、俺の見立てではあの眷属はお前のこと相当好きだぞ。大丈夫だって、安心しろよー」



 マルローは、マグナをモンローの前へと突き出すように押した。マグナもそろそろ彼の悪ノリが鬱陶しくなり始めた。おずおずとモンローの前に立つ。


「……モンロー」

「マグナ様、ワタクシは構いませんよ」


 モンローは両手で軽く自身の胸を持ち上げるような仕草をする。


「いや、お前はそういう目的で作ったわけでは……」

「このような形で貴方様に奉仕し尽くすことは、三眷属で唯一の女性型であるワタクシの特権。他の二人にはできないことでございます。それにワタクシは貴方様のことを心よりお慕い申しております、拒む道理など何処にございますでしょうか」


 モンローは恍惚げな視線でマグナの顔を見る。その仕草と声音、醸し出される雰囲気は非常に煽情的であった。思わず生唾を飲み込んだ。しかしマグナは彼女に背を向けて遠ざかる。


「俺はお前にそういうことをするつもりはない。俺は正義の神であり、お前は正義の神の眷属として生み出したんだからな。そういった方向で働いてくれることを期待している」

「……承知致しました、すべてはマグナ様の御心のままに」


 モンローは恭しく一礼する。マルローはさもつまらないものを見せられたような、なんとも微妙そうな表情を浮かべていた。


「すげえな、据え膳を蹴っ飛ばして台無しにする奴を、俺は初めて見たぜ」

「ほっとけ」

「俺なんて据え膳を用意させた上で、お代わりまで要求するのになぁ」

「お前はお前でどうなんだよ……」


 マルローが、マグナに代わってモンローの元へと近づいていく。


「しょうがねえなぁ……主神様がふがいねえから、代わりに俺様が揉みしだいてやんぜー」


 手をワキワキと動かしながら、佇むモンローににじり寄る。彼女はくすりと不気味な微笑を浮かべると不穏に呟いた。


「マルロー様ハ本当ニゴ冗談ガオ上手デスネ……」


 ロベール・マルローは非常に軽薄な男である。しかし芯が無いというわけではなく、むしろ性根は人より何倍も熱く真面目で誠実な人間だった。軽薄な言動を取るのは彼なりの処世術という側面があった。


 そう、彼は軽薄だが馬鹿でも野暮でもない。人の感情の機微や心の動きはしっかりと察することができる。


 マルローはモンローにまるで深い谷底のような、底知れない闇を見た気がした。背筋に悪寒が走るのを感じた。マグナの近くへ戻ると、彼に耳打ちする。


「なあなあ、前から思ってたんだけどよぉ、お前の眷属恐くね?なんか」

「まあ、そうかもな」

「説明されなきゃ正義の神の眷属だとはとても思えない雰囲気があるぜ」

「ここだけの話、俺も想定と違うのが出て来たな、とは思った」


 眷属は己の内面から生まれでる。

 では、モンローのこの底知れぬ不気味さは一体何なのであろうか?


 マグナはどこか複雑な気持ちでモンローを見る。もしかしたら彼女は、本来なら見ることのあたわぬ心の直視したくない部分、それの具現化なのかもしれない。

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