第40話 ロベール・マルロー
マグナとモンローは賤民が暮らすこの区域を歩き回り、何とか安宿を見つけて、粗末なベッドに黒い髪の少女を寝かせた。非常に小柄な少女だ、年齢は十歳ぐらいだろうか。少女は傷だらけで苦しそうにしていたが、不思議なことに一言も声を発することがなかった。
隙間風が吹き込む音だけが簡素な部屋の中に響いている。
しばらく少女の様子を観察した後、マグナが口を開く。
「どうしたものかな。平民以上の身分が暮らしている区域に連れていったところで、医者はコイツを診てくれないだろう。しかし賤民が暮らすこの区域に医者はいるのか?いたとして、はたして信用できるのか?」
この区域で医者を探し信用できそうになければ、自分たちが最初に降り立った平民が暮らす区域まで戻って薬でも買ってこようか。
マグナがそんなことを思案していると、モンローが少女の横たわるベッドに寄り、姿勢を低く屈める。
「マグナ様、ここはワタクシにお任せください」
モンローが少女の傷だらけの体に手をかざす。
少女の体はいたるところに擦り傷による外出血、打ち身による内出血が目立っていたのだが、驚くことにそれらの外傷がみるみる内に消えていった。血の赤色と痣の青色が織り成していた少女の肌の色どりは、すっかり元の綺麗な肌色へと戻っていた。
「驚いたな、モンロー。お前治癒の能力があるのか」
「治癒の能力ですか、そのようなご大層なものではございません」
驚くマグナに、モンローは何とはなしに答える。
「ワタクシは正義の神である貴方様の眷属ですので、能力も正義に由来するものとなります。正義とは秩序を守るためのものであり、秩序とは雑然とした乱れなく整列している様を表すものです。ワタクシはこの者の乱れに乱れた体組織をムリヤリ”整列”させたのです」
「なるほど……治癒の能力ではないが、能力を応用して治癒まがいのことをやってのけたわけか」
「はい。あくまで治癒とは異なる能力となりますので、治癒の能力と捉えて過度な期待を寄せることはお薦め致しません」
マグナはモンローの主神でこそあるが彼女を生み出したばかりであり、能力の全容については把握し切れていない(それは他の二人の眷属についても同様である)。
三眷属の中でも特に能力の全容を把握するのが難しそうだったのがモンローであり、彼女が今回の旅の同行者となっているのもその能力をしっかり見ておきたいからという側面があった。
モンローの能力の応用性に舌を巻いていると、やがて黒髪の少女がベッドから起き上がった。耗弱としていた意識も回復していたようだった。
「よう、もう大丈夫か?」
「……!」
マグナが声を掛けると少女は驚き、ベッドから飛び出した。設えられた簡素なテーブルの陰に身を隠す。少女はマグナたちを警戒しているようであった。
「安心しろ、俺は他の奴らのようにお前を傷つけることはしない。俺は正義の神、マグナ・カルタ。この国を変える為にやって来たんだ」
マグナには脅かしているつもりなどまったくないのだが、彼は元々が喧嘩ばかりしてきたような男であり、自分から喧嘩を売ることなどまずないが誰かを庇う為に売られた喧嘩は気前よく買い続けてきた、要は荒くれ者に気質の近い男である。
そのためか発している雰囲気も穏やかで柔和な印象とは程遠く、人によっては威圧感を感じてしまうだろう。少女はこれまでの経験からすっかり人間不信に陥っているのかもしれない。いきなり警戒するなというのが無理な話なのだろう。
家具の陰から時折表情を覗かせるが、少女は一向にマグナの前に姿を見せようとはしなかった。彼はどうしたものかと考える。
「お前が怖がるのも無理はない、他人に傷つけられてばかりで人を信用できないんだろう。だが俺はお前を保護する為に連れてきたんだ。いきなり信用しろってのも難しいかもしれないが、どうにか心を開いちゃくれねえかな」
マグナは努めて穏やかに語りかけるが、少女は相変わらず身を潜めたままであった。思えば少女はさっきから一言も声を発していない。マグナはそのことが気になり始めた。
「そういえばお前、さっきから一言も喋らないな」
「……」
「マグナ様。先程あの男も言っていましたが、その娘は口がきけないのではないでしょうか?」
確かに、少女を捨てたあの男はそのようなことを言っていた。口がきけない……
「思えば、傷だらけで苦しんでいた時も呻き声の一つも漏らさなかったが、口がきけない場合そういう声も出ないものなのか?」
「申し訳ございませんが、ワタクシにも分かりかねます」
「しかしこれじゃあ、会話を通して分かり合うことも難しそうだな……」
心を開かず、口もきけない。とてもコミュニケーションに難のある相手だった。そしてマグナ自身もまた、あまり人と打ち解けるのは得意な方ではない。
しばし立ち尽くし悩んでいると、やがてモンローが少女に近づいて、耳元にボソッと何かを囁く。マグナは眼を閉じ考え込んでいるのでそのさり気ない動作に気付かない。
モンローの囁きはマグナには聞こえないほどの声量であったが、身の毛もよだつほどに不気味な声音だった。
「マグナ様ヲ余リ困ラセルナ、目玉ヲ抉リ出サレタイカ?」
「……!!」
少女は弾けるようにテーブルの陰から飛び出すと、マグナの元へと駆け寄った。
急な態度の変化に彼は戸惑う。
「おい、どうした?急に飛び出してきて」
「ふふふ、マグナ様のお優しさがようやく伝わったのでしょう」
モンローが陰を潜めた笑みを浮かべる。
少女はマグナの服にひっしとしがみつくばかりだった。
◇
三人は安宿を出る。もう夜が近づいている。
(飯はどうするかな、そもそもこの区域にまともな店なんてあるのか?)
食事について思案するマグナ。
ちなみにモンローに関しては食事は必要ない。眷属は主神から供給される神力によってその存在を維持しているのだ。
マグナが立ち尽くして辺りを見渡していると、やがて一人の男が声を掛けてきた。
「よう、あんた噂の正義の神だろ?見ていたぜ、そのちびっちゃい賤民を保護するところを。それに眷属まで連れているとはな」
その男の風貌は異質だった。
長いバイオレットの髪、薄手のタンクトップにカーキ色のぶかぶかのスラックス。そして何より目を見張るのは顔から首筋、胴体に至るまでの右側、そして右腕、要は体の右半分全体に施された炎を模したタトゥーであった。スラックスを穿いているので見えないが、腰回りの右側から右脚にかけてもそれは施されているかもしれない。率直に言って第一印象の悪い男だった。
(なんだ、この
マグナは突如現れた男に警戒の目を向ける。
少女は彼の後ろに隠れ、服にしがみつく。
「何者だ、あんた?」
「俺かい?俺はロベール・マルロー。フランチャイカ王国の元王宮鍛冶師にして、火と鍛冶の神ヘーパイストスの力を持つ男さ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます