第3章 フランチャイカの悪夢

第39話 奴隷少女との出逢い

 マグナは王都アースガルズから約一週間をかけて、南端の都市ミズガルズへと戻ってきた。ここはラグナレーク王国潜入時に初めて訪れた街であり、フリーレの身だしなみ等色々と準備をした場所だ。また、スラ・アクィナスと巡り合った街でもある。

 フェグリナ・ラグナルの圧政が終わり神聖ミハイル帝国との戦争も終結したからか、街には以前より活気のようなものが感じられた。


 マグナはミズガルズからさらに一週間ほどの旅程を経て、荒野を馬車に乗って南西方向に移動する。この馬車は荒野の安全地帯(東部のポルッカ公国寄りであり、フリーレと出逢ったようなブリスタル南部の危険地帯ではない)を通る定期便のようなものである。


 ――そして荒野を抜けた先に待っている場所こそ、彼の次なる目的地フランチャイカ王国であった。


 マグナは今、フランチャイカ王国北部に位置する王都ミストレルに居る。


 傍らには一人の女性の姿があった。

 彼の右腕にしがみつくようにして歩き、表情はとてもにこやかであった。耳の出た藤色のおかっぱボブに、所々にフリルのあしらわれた黒地のドレス、顔の右半分は歪んだ表情を模した白地のファントムマスクで覆われている。


 彼女の名はモンロー。マグナが生み出した三眷属の一人である。


「ふふふ♪」


「……モンロー、悪いが歩きづらい。少し離れてくれないか」


「申し訳ございません、マグナ様。仰せのままに」


 モンローはどこか不気味さのある声音で恭しく答えると、マグナの腕にしがみつくことを止めた。しかし距離は一歩たりともマグナから離れていない。これでも彼女としては少し離れたつもりのようだ。


(まあいいか……)


 どうやらモンローは三眷属の中で、旅のお供に自分が選ばれたことがひどく嬉しかったようであった。ミストレルに着く前の馬車に揺られている間も、途中の町で休息を取る時もずっと上機嫌にしていた。


 モンローが旅のお供に選ばれた理由としては、他の二人の方が守護に向いている能力であった為の消去法である。他の二人の眷属――レイシオ・デシデンダイはラグナレーク王国の守護を、オビター・ディクタムはブリスタル王国の守護をマグナより任されている。



 二人は連れ立ってミストレルの街中を歩いている。

 まだフランチャイカ王国のことは詳しく知らないので下調べをしておこうという腹積もりなのだが、ほとんどただの観光であった。


 街並みは歴史を感じさせる石造りの住宅が並び、カフェ文化も発達しているようだった。河沿いにしつらえられた屋外のテラス席では、おしゃれをして会話を楽しむ若者、コーヒーを飲みながら新聞を読み物思いにふける男性、自慢話に花を咲かせる婦人と、じつに様々な姿が伺えた。広場の片隅では画商が絵を広げて売っている姿も見受けられる。


(文明的で平和な国のように見えるな、今のところは)


 マグナはコーヒーを買うとそれを飲みながら再び歩き始める。


 国王のおわすであろうアルジェント宮殿までは現在地からさらに歩く必要があるのだが、マグナとモンローは宮殿とは反対の方角へと歩いていく。

 河を越えてずっと歩いていくと、やがて先ほどまで感じていた活気は乏しくなっていき、代わりにすさみうらぶれた雰囲気が漂い始める。道往く人々も服がボロボロで表情に生気の無い者が目立つようになり始めた。路上にむしろを敷いて横たわる人々も見られる。


(……なるほど、この辺りが身分の低い者たちが住むエリアなのか)



 マグナが周囲を見回している時のことだった。


 視線の先で荷馬車が止まったかと思えば、その荷台からガラの悪そうな男が何かを放り捨てるのを見た。驚くべきことに、それは傷だらけで意識も耗弱としている年端としはもゆかない少女であった。体のところどころが打ち身で変色している。ボロボロの服を着て、髪は夜の闇のように黒かった。


「おい!待て、そこのお前!」


 マグナが叫ぶと荷馬車の男はじろりと視線を向けてきた。


「んだ、てめえ」


「そのは何だ?どうして馬車から捨てた?」


 マグナは少女に駆け寄り、抱え上げながら男を睨みつける。


「はっ、あんたひょっとしてよそ者かい?そいつは賤民せんみんだぜ。平民以上の身分に比べりゃ著しく人権が制限されている。傷だらけにして打ち捨てたところで罰則なんかねえし、そもそも誰も問題視しねえ。殺しでもしない限りな」


「なんだと」


「まあ殺したってちょっとした罰金刑だがよ。賤民殺して収監されることなんざまずねえ。そんな風に騒ぐのはあんたみたいなよそ者だけさ」


「この娘は何故こんなにも傷ついている?」


 マグナは明らかに不快感を滲ませた声音で問う。


「俺がこいつをある家に売ったのさ。売られた先の家で奉公してたんだがよ、ロクに家事もできず識字能力も皆無でおまけに口もきけないときたもんだ。格安で売ったんだが要らねえって返されちまった。言っとくがボコボコにしたのは俺じゃねーぜ、返された時からこうだった。まったくどんなヘマをしたんだか」


「なるほどな。で、この娘をここに捨てに来たわけか」


「そうだよ。そうだ、あんたこいつを買わないか?格安にしておくぜ」


「ふざけろ。どうせ捨てるつもりだったのに、急に売る姿勢に戻るな。こいつは俺が保護させてもらう。お前はさっさと失せろ」


「ケッ、そうかよ」


 男は荷馬車の内部を通り、御者席の方へ戻るとその場を立ち去っていった。

 マグナは片膝着いた状態で気を失った少女を抱え見つめている。


(この少女、夜の闇のように黒い髪をしているな……ラヴィアと同じような。西方では珍しい髪色だ、よそ者だから低い身分で生きていかざるを得なかったのだろうか?思えば、フェグリナに成り済ましていた偽者も同じような黒い髪をしていたな。奴にも迫害された過去があり、反動であのような暴挙を起こすような存在になってしまったのか?)


 傷だらけの少女を抱えながらマグナがあれやこれや考えていると、傍らのモンローが声を掛ける。


「マグナ様。それ、どうなさるおつもりでしょうか」


「愚問だな、分からないか」


「……マグナ様。命の価値、命の重さとはどのようにお考えでしょうか」


「どういうことだ」


「その少女の命の価値はこの王国内ではきっと低いのでしょう。だからあの男もとくに疑問を抱かず、ごみを捨てるのと同じ感覚で放り捨てた。身分差が厳格に存在し、それに応じて生きるのがこの国では当たり前なのだと思われます。それを理解された上で、マグナ様はどのようになさるおつもりなのでしょうか」


「決まっている、この娘は俺が保護する。こんな状態で道端に放置していたら死んでしまうだろう。それに厳格な身分差に基づいて成り立っている国であることは最初から分かっていたし、俺はそれを正す為にこの国にやって来た。お前も分かっているはずだ、モンロー」


「……かしこまりました。マグナ様のお言葉こそワタクシのすべて。マグナ様の理想を実現すべく、このモンロー、誠心誠意行動を共にして参ります」


 モンローは傷だらけの少女にジロリと視線を落とした。

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