第37話 裏世界①
季節は春だが思わず身震いするような涼やかな風が吹き抜けていく。
少し灰色がかった空の下には優美な装飾の建物が立ち並ぶ。
ここはユクイラト大陸北方の大国、神聖ミハイル帝国の聖都ピエロービカ。
聖都の中央広場より幾分か離れた裏通りからは、とある秘密組織のアジトに至ることができる。入口は小さなカフェでしかないが、その地下空間は異様に広い。
巨大な会議室、幾つもの待合室に寝室、設備の整った厨房、様々な書物と記録が集められた資料室に、古今東西の珍品が集められた倉庫……実に様々な部屋が存在していて、ちょっとした迷路のようになっていた。地下空間だからか基本的にどこも薄暗いが、燭台の仄かな明かりが絨毯の敷かれた通路を照らしている。
一人の女性が大きな配膳台を押しながら、厨房から会議室へと続く通路を歩いている。
配膳台の上には大きなクローシュをかぶせた三枚の大皿と取り分け用に積み重ねた小皿、十数本のフォーク、切り分け用の少し大振りのナイフが載せられている。
台は二段式になっており、下段には複数のティーポットと十数枚のソーサーとティーカップ、マドラーが有る。砂糖とミルクの入った容器に、ヴァレニエの入った容器も有る。
「タタン♪タタン♪」
女性はブロンドベージュの髪色で前髪を上げており、トレンチコートのように裾の長い地味な灰褐色の上着を着用している。
「タタン♪タタン♪」
食器がカチャカチャと音を立てる中、女性は軽快に弾む声で進んでいく。
「タタン♪タタン♪」
その声は例えば列車が線路を通過する時の音を表現しているのだろうか。
「タルト・タターーン!」
女性は明るく声を発しながら会議室の中へと入っていった。
――ここは神々の相互扶助組織、”裏世界”のアジトであった。
金を積まれ受理された依頼ならば、善悪を問わず実行する秘密組織。しかしその存在は表立ってはあまり知られておらず、依頼をするにも正式メンバーとのコネクションが無ければ難しい。
裏世界の正式メンバーはナンバーズと呼ばれ、現在は十五人存在している。そのほとんどが神の能力を持つか、何かしらの特別な地位を有している。
ナンバーズはその働きに応じてポイントが授与され、それを使用することで金銭を払わず、かつ優先的に裏世界の他メンバーに依頼をすることができる。ポイントを消費してナンバーズ自身が発する依頼は、通称”お願い”と呼ばれている。
今日はNo.6、ドゥーマ・ラーツェニフが自身のポイントをすべて消費して優先度1の”お願い”を行使した為、裏世界の全ナンバーズがアジトに集結していたのだった(消費するポイント量に応じて”お願い”は1~5の優先度に分かれる。最も高い1の場合、ナンバーズ全員協力かつ最優先取り組みの義務が生じる。外部からの依頼の場合は、積まれた金額やその他の事情に応じて優先度が決まる)。
以下に、現ナンバーズの情報をまとめる。
(ちなみにナンバーは単に古株順である。強い順でも偉い順でもない)
No.1 バズ・クレイドル
容姿…眼鏡を掛け黒いオーバーコートを羽織った長い白髪の背の高い老人。年齢は七十代。
詳細…一昔前まではその名を知らぬ者はいない歴戦の傭兵。神器カラドボルグとゲイボルグを扱う。
No.2 ムファラド・シファーブ
容姿…枯草色の長い髪で頬骨の突き出た痩身の老人。年齢は八十代で”裏世界”最年長。
詳細…ザイーブ王国(現アレクサンドロス大帝国領)に多数の鉱産資源の利権を持つ世界的な大富豪。各国の政財界に顔が利く大物。
No.3 マルクス・ボルクス・ファムエルト
容姿…浅黄色の逆立った髪に眼帯を付けた裕福そうな服装をした男性。年齢は六十代。
詳細…様々な商品を手広く流通させるマルクス商会の大商人。彼に調達できぬ物は無いと言われるほどの膨大な資金と豊富な人脈を持つ。
No.4 リピアー・クライナッズェ
容姿…革製のハンチング帽子に男物のコートを羽織った落ち着いた女性。暗い赤銅色の髪色で、髪型はショートボブ風味だが横髪がいささか長め。年齢は三十五だが見た目は若い。
詳細…死の神”タナトス”の力を持つ。肉体には常に”死から遠ざかる力”が働いており、肉体は不死身である。また触れた対象にその力を伝播させることで傷や病の治癒もできるが、死んだ者を蘇生させるようなことはできない。死を振りまき、他者を即死させるような芸当もできない。
No.5 トリエネ・トスカーナ
容姿…ブロンドベージュの前髪を上げ、トレンチコートのように裾の長い地味な灰褐色の上着を着用している快活な女性。年齢は二十歳で”裏世界”最年少。身長はそこそこ高め。
詳細…現状唯一、神の能力も特別な地位も持たないメンバーである。主な仕事はアジトの管理、そして暗殺・密偵・ハニートラップである。
No.6 ドゥーマ・ラーツェニフ
容姿…ボサボサの暗い濃紺色の髪に、黒いスーツと手袋を身に付けた非常に目つきの悪い女性。年齢は三十代後半。
詳細…神聖ミハイル帝国の帝国議会議員にして、地の神”ガイア”の力を持つ強大な神。石、土、砂、泥など大地を構成するありとあらゆる物質が彼女の支配領域である。
No.7 アーツ・ドニエルト
容姿…少し硬さのあるマリンブルーの髪に怜悧な顔つきをしたクールな男性。年齢は二十代前半。
詳細…”ポセイドーン”の力を持ち、水を自在に操作して戦うことができる。水から剣を作り出したり、分身を作り出したりもできる。
No.8 アリーア・クロイゼルファン
容姿…暗い灰色のスーツに身を包み、眼鏡をかけ、癖のある髪をポニーテールに束ねた褐色の肌の女性。年齢は二十代後半。
詳細…知の神”アテーナー”の力を持つ。触れた対象を自身の”眼”にして視界を共有することができる。本人の同意は不要であり、アリーアの”眼”となっている者が全世界に数十万人いる。彼女はその膨大なデータを脳内で整理してデータベース化している。また、彼女はドゥーマの秘書も務めている。
No.9 グラスト・ダニエル・サーファー
容姿…全周に鍔のあるボーラーハットを深くかぶった、暗く不気味な雰囲気を醸している
詳細…様々な神獣・神鳥を秘密裏に入手し飼い慣らしているモンスターマスター。神鳥を使役して世界中を飛び回る裏社会の運び屋。
No.10 バジュラ・レムナツキー
容姿…スキンヘッドで顔の左半分に竜を模したタトゥーを入れた非常に人相の悪い男性。年齢は三十代前半。
詳細…完全な魔獣に姿を変えることができる”魔人”。裏社会でドラッグを流布する麻薬王でもある。
No.11 グレーデン・アンテロ
容姿…ヘアバンドを頭に巻き、
詳細…狩猟を司る月の女神”アルテミス”の力を持つ。卓越した弓の技術と狼を召喚して使役する能力を持つ。
No.12 カルロ・ハーレス
容姿…明るい山吹色の髪でリーゼントを作り、胸元のはだけた服を着た不敵な笑みの男性。年齢は二十代後半。
詳細…芸術を司る太陽神”アポローン”の力を持つ。残酷さの中に芸術性を見出そうとする異常者。熱と光を操ることができる能力を持つ。
No.13 ミアネイラ・オリヴァル
容姿…少し膨らんだミルキーブロンドのショートボブで、黒いドレスのような服を着た女性。年齢は二十代後半。
詳細…記憶の神”ムネモシュネー”の力を持つ。他人の記憶を読み取ったり、書き換えたりすることができる。深く読み書きするには対象に触れる必要があるが、ちょっとした程度でよいなら対象に近づくだけでも能力を行使できる。
No.14 レイザー・ラングベルグ
容姿…不明。メンバーの誰もその姿を見たことが無い為である。
詳細…時間の神”クロノス”の力を持つ。時を操作する能力を持つと考えられるが、どの程度の操作ができるのか、詳細は不明である。
No.15 スラ・アクィナス
容姿…銀色の髪を前髪も横髪も綺麗に切りそろえた表情の伺い知れない糸目の男性。年齢は二十代前半。
詳細…旅と盗みと冥府の神”ヘルメース”の力を持つ
配膳台を押していた女性――トリエネが会議室に姿を現す。とても広い会議室だった。巨大な長方形のテーブルが中央に設えられており、短辺に三つ、長辺に五つの椅子が据えられている。
奥側の短辺にはドゥーマが肘をつき両手を顔の前で組んで座っている。傍らにはアリーアが着席せずに控えている。
左右の長辺にはそれぞれ四人ほどの姿がある。向かって左側にはバズ、マルクス、リピアー、アーツ。右側にはムファラド、グラスト、バジュラ、スラ。
入り口側の短辺には退屈そうに座っているグレーデン、テーブルに脚を投げ出してだらしなく座っているカルロ、ネイルの手入れをしているミアネイラの姿がある。
「いやー、全員揃うなんて久しぶりだし、今日は張り切って作ったよー。じゃーん!タルト・タタン!」
トリエネがクローシュを持ち上げながら言う。香ばしく焼けたタルト・タタンが姿を現す。
「全員じゃないわよ、トリエネ。レイザーがいないじゃない」
本を読みながら穏やかに呟くリピアー。
「まあアイツが来たことなど一度もないがな」
少ししわがれた声で話すムファラド。
「まあ、いいからいいから」
トリエネは手慣れた動作でタルト・タタンを切り分けると小皿に乗せ、各々の座っている位置まで運んでいく。
「はい、今日は会心の出来だよー。リンゴがご機嫌な内に召し上がれ!」
トリエネは自身と出席していないレイザーを除く全員の前に切り分けたタルト・タタンを乗せた皿を運んだ。着席していないアリーアにも、ドゥーマの隣の席に置いておく。
タルト・タタンが置かれた際、素直にトリエネに礼を述べたのが、バズ、ムファラド、マルクス、リピアー、アーツ、アリーア、グラスト、スラ。
特に礼を述べなかったのが、バジュラ、グレーデン、カルロ、ミアネイラ。
……そしてドゥーマは、皿を持ち上げ傾けると、タルト・タタンを床に捨てた。
「ちょっと、何してるのよ!せっかく作ったのに!」
「要らないから捨てただけよぉ」
「ふんだっ、もうお菓子作ってあげないからね!」
「別に要らないからどうでもいいわぁ」
憤慨するトリエネ、ドゥーマは非常に神経を逆撫でるような口ぶりだった。
このようなやり取りは別に初めてのことではなかったが、トリエネが捨てられることを分かっていながらもドゥーマの元へお菓子を持って行ったのは、あまり仲間外れを作りたくない彼女なりの美学であろうか。一方、ドゥーマはトリエネのことなど心底どうでもよかった。
メンバーの一部がトリエネのタルト・タタンに舌鼓を打っている中、ドゥーマはテーブルに向き直ると、再び顔の前で両手を組んで話を始める。
「さて、貴方たちに集まってもらったのは他でもないわぁ。私が優先度1で”お願い”を行使したからよぅ」
「お前が”お願い”をするのも珍しいな、というか初めてではないか?」
バズが厳かな声で言う。
「そうね、まあ今まで来たるべき時の為に貯めていたからねぇ。その時がようやく来たってところかしら」
ドゥーマが妖しく笑う。
「任務内容を伝えるわぁ。我々はこれより、世界の始まりの地”アタナシア”の捜索を開始する……!」
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