第35話 新たなる旅路①

 地下闘技場での乱闘騒ぎからさらに三日が経過した。フェグリナ・ラグナルの死から十八日後のことである。


 王都アースガルズ居住エリア中心部近隣、武道場の広場にて――


「……」


 ラヴィア・クローヴィアは棍を構えて波海蘭ポーハイランと向き合っている。修行を開始してから九日が経過していたが、彼女はいまだにハイランに一撃も入れられずにいた。


 それでも彼女は曲がりなりにも多くのことを吸収してきた。


 どう立ち回ればあまり疲れずに済むか、相手の動き方にはどのような傾向があるか。ハイランの容赦の無い修行はラヴィアに様々なことを必死に考えさせた。


「ヤアア!」


 ラヴィアが棍を振るいハイランに迫る。しかしハイランはそれを自身の棍で弾くと、すぐに反撃を開始する。ラヴィアは距離を取りながらなんとかハイランの猛攻を凌いでいく。


 攻撃は同時に隙を生む。ラヴィアはハイランに付け入る隙を見つけられたような気がした。猛攻を凌ぎ終えると、ラヴィアは地を蹴って一気に駆け出した。


 ――結局、何故うまくいったのかはよく分からない。

 ただ、ラヴィアは確かにハイランの胴に一撃を打ち込むことに成功した。


(やった……!)


 しかしそう思うのも束の間、すぐに反撃の一撃がラヴィアを襲った。たまらず吹き飛んで膝を着く。


「決まったからといって油断しちゃだめよ、ラヴィアちゃん。まあ、ともあれおめでとう、第一段階は見事クリアーね」


「や、やっっったぁーーーー!!」


 ラヴィアは満面の笑みで叫ぶとそのまま疲労から地面に仰向けに倒れ込んだ。息を切らしながら、杏色に染まった夕映えを見つめている。ようやく目標を達成できた充実感に彼女は包まれていた。もはや吐き気を催すほどの疲労感も心地良さへと変わっていた。


「こら、なに終わった気になってんのよ。まだ第一段階を達成しただけでしょーが」


 ハイランが倒れ込んでいるラヴィアを軽く蹴る。


「うぎゃっ」

「まあ、今日はこんなもんにしておこっか。よく頑張ったわね、ラヴィアちゃん」


 いつになく優しい微笑みのハイラン。

 彼女に素直に褒められたのは初めてのような気がする。


 ラヴィアはいつも通りの多大な疲労感、そして初めての充実感を抱いて武道場を後にした。




 王都アースガルズ居住エリア奥地、好飯販ハオファンファンにて――


「ラヴィアちゃん、青椒肉絲チンジャオロースーあちらのお客さんね」

「は、はい」


 厨房には柳美麗リウメイリーとラヴィアの姿があった。メイリーが調理した料理をラヴィアが運んでいく。そのついでに他の客が食べ終わった皿を片付けて厨房に戻り、洗い物を始める。


 ハイランとの修行が始まって数日後の或る時から、ラヴィアはメイリーの店を手伝うようになっていた。最近それなりに客足が増えてきており、メイリー独りでは手が回らなくなり始めたからであった。客足が増え始めた理由としては、圧政が終わり景気が上向き始めたことと、もしかしたらハレーが仕事場でこの店のことを話していることが関係しているかもしれない。


 昼はハイランの元で修行をし、夕方以降はメイリーの店の手伝いをするのが現在のラヴィアのルーティーンであった。


 修行でクタクタのラヴィアだが、メイリーの助けになりたいという一心から手伝いを申し出た。そして気を使って給料の類を受け取ってはいないのだが、この手伝いにはラヴィアにも二つ利点があった。


 一つは日々の食事をすべて好飯販で無料で済ませられるようになったこと。現金支給しない代わりに食事を全面サポートしてもらっていた。


 朝はこの店で軽く粥や油条ヨウテャオを食べてから修行に向かう(別に店に出しているメニューではない)。昼はメイリーが持たせてくれた弁当で済まし、夜は店のメニューにあるものを食べていた(ちなみにマグナ、ラヴィア、フリーレ、スラの四人はフェグリナ討伐の功績を称えツィシェンドから報奨金を送られているので、別にラヴィアも食費に困っていたわけではない。三食をメイリーのお店で済ませるようになったのは、純粋に彼女の作る桃華料理のとりこになっていたからである)。


 もう一つの利点だが、客足が落ち着いて余裕が出てきたタイミングで、ラヴィアはメイリーに料理を教わるようになっていた。お屋敷育ちで自分で台所に立った経験の無いラヴィアにとって、間近で行われる異国の料理というものはとても惹かれるものがあった。

 当然素人であるラヴィアは客相手の調理は担当しない。給仕や片付け、洗い物、掃除、会計が彼女の仕事である。忙しくない時間を狙って、客には提供しない料理をメイリーに教わりながら作っていたのだ。


「よーし、落ち着いてきたしそろそろラヴィアちゃんの修行に移ろっか」

「そうですね、昨日失敗したアレに挑戦します……!」


 ラヴィアはまだどこか不慣れな手つきでキャベツや人参、ピーマンを刻んでいく。カンカンに熱した底の浅い鍋に油を敷きニンニクを炒める。次いで豚肉を、そして野菜を炒めていく。大豆発酵調味料、オイスターソースを加える。芳醇な香りが広がる。


 客足が落ち着いた店内の座席には一人の男の姿があった。


 仕事帰りでどこか疲れた様子のハレーであった。彼はちょくちょくこの店を訪れており、その度に彼に試食係を頼んでいた。もちろんそれについてのお代は受け取らない。


「お待たせしました、どうぞ」


 ラヴィアが持ってきたのは炊いた白飯、そして野菜炒めであった。ハレーはメイリーが作った野菜炒めの味を知っている。その上で彼はどのような評価を下すのか――


「……美味いな。メイリーには及ばないが、十分に美味しく頂ける出来だ」


「やった!やりましたよ、メイリーさん!」

「良かったわね!ラヴィアちゃん!」


 二人で手を取り合ってはしゃいだ。


 ラヴィアは今日は良い日だと思った。

 修行では初めてハイランの隙を突くことができたし、料理では初めてハレーから及第点の評価を得ることができた。


 ラヴィアはこの日、疲労感だけでなく満足感にも包まれながら寝床につくことができたのだった。



 ◇



 フェグリナ・ラグナルの死から三週間後のこと、ラヴィアは王都アースガルズ北西部の軍部エリアにいた。


 ラグナレーク王国騎士団の戦闘部隊――国防軍事局エインヘリヤルの兵舎が立ち並ぶ区画に彼女の姿はあった。時刻は早朝で、やや肌寒い風が吹き過ぎていく。


 実はこの日、エインヘリヤルの七部隊がラグナレーク王国の新領地ビフレストに向けて出発する手筈となっていたのだ。それを知ったマグナもそろそろラグナレーク王国を発つつもりであった為、別れの言葉を交わす為にマグナの招集のもと三人が集められたのだった。


 マグナ、ラヴィア、フリーレは第七部隊の兵舎の区画前で落ち合っていた。


「お久しぶりですね、皆さん」

「ああ、まだひと月と経っていないが何だか久しい気もするな。マグナ、それにラヴィアよ」

「二人とも元気そうで何よりだ」


 マグナがフリーレの方を向く。


「聞いたぞ、なんでもアレクサンドロス大帝国と戦争になりそうだとか」

「まだ推測の段階でしかないが、皆ほぼそうなる見込みでいるようだ。一応近日中に使者を送り、友好条約を結ぶつもりでいるようだがな」

「まあ望みの薄い、ダメ元の会談ってところか」

「そうだな。我々は今の内からビフレストに赴き、対アレクサンドロスに向けて軍備を進めねばならない。もっとも表向きは復興の為の軍派遣であり、将来の戦争を企図したものではないと言うつもりのようだが」

「なるほど、まあそれはもっともだ。外交とはえてして二枚舌で行うものだからな」

「しかし我々はもはや戦争は起こるものとして対策に尽力せねばなるまい」


 マグナは話していてフリーレを軍に推薦、それも雑兵でなく隊長として扱うように提言したのは正解だったと思った。彼女は日常的に荒野で暮らし、仲間たちを統率して暮らしてきた。常に戦場にいるようなものだったろうし、状況を冷静に判断することや仲間と連携することに熟練しているはずだ。


 事実、今目の前にいるフリーレはまだ騎士団員としての実戦経験こそないが、歴戦の戦士のような頼もしさ、威風堂々とした風格を感じさせた。


「私は第七部隊の隊長を王より拝命している。私の仲間たちや元フェグリナ親衛隊員等で構成された百人にも満たない小さな部隊だ。他の部隊は総勢五百人以上いたりするのだがな」

「初めは小規模な方が動かしやすくていいんじゃないか」

「それもそうかもしれないな。ところで、ヴァルハラ城でお前と戦った”智謀のルードゥ”とやらだが、あいつも私の隊にいるぞ」

「アイツか……言動や思想に品性を感じない奴だったが、大丈夫そうか?」

「根は悪い奴ではなさそうだ。腕っぷしが微妙なのがむしろ心配だな」



 ひとしきりフリーレの近況について話し終えると、今度は話題がマグナへと移る。


「そういえばマグナ、お前はどうなんだ。なんでも眷属とやらを作ろうとしていたようだが」

「ああ、その通りだ」

「マグナさん、眷属ってそもそも何なのでしょうか?」

「自分の内面を体現させて生まれるしもべ、端的に言うとそんなところかな。今までずっとヴァルハラ城の一室を借り、眷属の作成に励んでいたんだが、とにかくずっと眼を閉じて自分の内面と向き合う作業だったからな、傍目から見ると瞑想しているのと変わらなかっただろう。最初はひたすら地味な作業だと思っていたが、自分がどんな存在かを見つめ続けていると次第にそれが神力により形を伴ってくるのが分かる。だがひどく神力を消耗するし、形成し切るのにも集中力が物を言う。傍目に見れば地味でも、やってる身としてはなかなかしんどかった」

「なるほど、だからフェグリナ討伐後あまり姿を見せる機会がなかったんですね」

「それで成功したのか、マグナ」

「もちろんだ。俺は三人の眷属を生み出すことに成功した。一人はブリスタル王国、もう一人はラグナレーク王国の守護を任せ、最後の一人を伴って新たなる旅に向かうつもりでいる」

「宣言通りラグナレーク王国守護の為に眷属を残していってくれるのか、かたじけないな。お前のおかげで我々は心置きなくアースガルズを発ち、ビフレストへと向かえるだろう」


 マグナはフリーレと話していて、随分と人間社会の一員らしいやり取りが上手くなったものだと思った。もともと冷静で理知的な性格であったことも一役買っているだろう。


「それで、マグナさんはどちらへと向かわれるのですか?」

「今度はラグナレークより南西にあるフランチャイカ王国を目指そうと思う。神聖ミハイル帝国とラグナレーク王国の戦争はいったんひと段落したし、アレクサンドロス大帝国方面は当面フリーレに任せようと思うからな」

「ああ、任せておけ」

「フランチャイカ王国……たしか強大な王権、そして厳格な身分制度が存在している国ですね」

「俺もこの三週間色々と調べていた。どうもあの国は身分が厳格に決まっており、それに応じて権利も決まっているらしい。下の者は上の者には絶対に逆らえず、不当な仕打ちを受けても国に保護されない。自由や平等が著しく制限されている国みたいだ。そして、そんな体制を維持しようとする保守派と体制を変えようとしている革命派との間で内戦紛いの状態になっているらしい」

「なるほど、それは深刻ですね」

「不当な権力の台頭を許しては輝かしい未来はないだろう。次はフランチャイカを正すことが正義の神としての使命だと俺は考えた」

「頑張ってください、マグナさん!私も応援してます!」

「ありがとな……もう既に馬車を手配していてな、今日の午後には出立する予定だ。これから荷物の整理をしようかと思ってる」

「そうか、我々エインヘリヤルも出立に順序があってな、私の部隊は一番最後だから私も出立するのは午後になるだろう」

「一気に出立するわけじゃないんだな」

「おそらく、それでは街道が混むからだろう」



 しばらく話したところで、最後はラヴィアの話へと移った。


「それで、お前はどうしていたんだ、ラヴィア。俺はずっと眷属の作成に勤しんでいたから、あまり様子を見に行くとかできなかったが」

「……私は、そ、そうですね、お料理屋さんで働いてみたり、あと体力作りとか始めてみたりですかね」

「料理屋?どんなところだ」

「えっと、居住エリアの奥にある好飯販ハオファンファンというお店です。桃華料理のお店なんですよ」

「桃華料理?ラグナレーク王国にも桃華帝国の人間がいるのか、大陸の最東端だぞ」

「マイノリティーではありますがそれなりにいらっしゃるようですよ。結構美味しいんですよ、桃華料理って」

「そうか、機会があったら行ってみようかな」

「それで、体力作りとはどんなことをしているんだ?ラヴィア」

「ええと、走りこんだり……とかですかね」


 フリーレに問われて答えるラヴィア。何故だか仔細を伝えるのが恥ずかしい気持ちになり、どこかぼかした伝え方をした。


「そうか。いや、それ以外にも何かあっただろう、ラヴィア」

「……ま、まあ、そうですね」

「お前はかつては、なんというか、何をするにもおっかなびっくりしていたというか、こいつは大丈夫かと正直思ったものだ。だが、今のお前からは覚悟のようなものを感じる。飼い慣らされて放された獣のように不安さに包まれているのではなく、自分の意志を強く持ちしっかりと大地を踏みしめている、そんな気がする」

「そうだな、たしかに面構えが変わったな、ラヴィア」

「……まあ、色々ありましたからね」


 ラヴィアは以前に比べて逞しく、それでいてどこか疲れているようにも映った。



「おーい!おかしらー!」


 兵舎の方からディルクが叫ぶ声が聞こえる。


「すまん、そろそろ時間のようだ。出立までに人員の確認や物資の点検をしておかなくてはならないのでな」

「分かった。武運を祈るぞ、フリーレ」

「フリーレさん!隊長として、頑張ってくださいね!」

「ああ、お前たちも達者でな。マグナ、ラヴィア」


 フリーレはそう言うと兵舎の方へと消えていった。

 颯爽とした佇まいは、アレクサンドロスとラグナレークの戦力差を加味してもなお頼もしさを感じさせた。


「それじゃあ俺もそろそろ旅支度に戻る」

「はい、では私もこれで」

「ラヴィア、お前にはこのアースガルズに家を購入したが、それはずっとそこに居ろという意味じゃない。これからどうするかはお前が考えて自由に決めるべきだ、お前の人生なんだからな。ただしやはり俺の旅に連れていくのは難しい。ただの人間相手ならまだしも、神の能力を持つ相手と戦うこともこの先多いだろうからな」

「分かっています、マグナさんの決断は私を想ってのものであると」

「これから向かうフランチャイカ王国は身分が厳格に定まっており、それに応じた規則や権利の制限があるそうだ。それにもとる行いをすると神罰が下るらしい……もしかしたらそれも神の能力によるものかもしれない」

「神罰……なるほど。マグナさん、これからの旅路、私はきっとお役に立てないでしょう。私はこのアースガルズで引き続き自分と向き合い続けたいと思います。ここでマグナさんのご武運を祈っています」

「ああ、ありがとう……それじゃあな、いつかまた戻る。達者でなラヴィア」


 マグナが背を向けて遠ざかる。

 ラヴィアは少し大きな声で、背後から呼びかける。


「マグナさん!私は……私は必ず貴方の隣に戻ってみせますからね!」


 マグナは振り返らずに歩きながら、ただ軽く右手を挙げて立ち去った。

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