第31話 エインヘリヤル帰還

 ラヴィア・クローヴィアの修行開始から四日後、フェグリナ・ラグナルの死から十三日後のこと。


 王都アースガルズでは明日にツィシェンド・ラグナルのラグナル十四世としての即位式を控えていた。街の南北大通りでパレード形式のお披露目を行う予定であり、その後官公庁エリアの広場(フリーレがロキと交戦した場所)でスピーチや式典が行われるのが通常の流れである。


 しかし今回はフリーレのグングニールにより官公庁エリアの租税庁の時計塔が倒壊していたこともあり、使用される広場は居住エリアの中央運動広場へと変更が決まった。


 ツィシェンドとフリーレは連れ立って、その広場を下見に訪れていた。


 広場の脇に即席のテントを建て、その中でツィシェンド、フリーレ、その他ヴァルハラ城の近衛兵長や文官といった関係者一同がテーブルを囲んでいる。

 フリーレはまだ正式にはラグナレーク騎士団員ではないが、即位式に併せてフリーレを含むならず者たちの入団式も予定されている為、代表として彼女もこの打ち合わせに参加しているのだ。


 文官たちが口々に話す。


「よし、お立ち台の位置、関係者の整列位置、聴衆の誘導係の配置位置に誘導方向、式次第の打ち合わせ……どれも抜かりなく終了したな」

「突貫ですがお立ち台の設置も終了しました。最低限の準備は完了といってよいでしょう」

「本当ならパレード予定の大通りや式典に使用するこの広場も飾り付けができればよかったのですが……」


「仕方がないさ。長い圧政の中で民も疲弊しており、兵も不足している。皆に負担をかけられまいさ」

 ツィシェンドが致し方なしといった風にこぼす。


 別に彼には即位式を豪勢なものにしたいとか、そんな気持ちはまったく無い。考えているのは一刻も早くこの国の活力を取り戻すこと、その一点であった。


 ◇


 後のことは文官たちに任せ、ツィシェンドはフリーレを伴ってヴァルハラ城への帰途につく。

 というのも今日この日、神聖ミハイル帝国との戦争に駆り出されていたラグナレーク王国騎士団の戦闘部隊が帰還しているからであった。ならず者代表のフリーレだけでも騎士団長にお目通りさせておこうというわけだ。


 二人は居住エリア奥地の裏道を歩いている。

 ここから東西大通りを北に抜け、軍部エリアを突き抜けてヴァルハラ城を目指す。巨大な大通りである南北大通りを通らずにわざわざ軍部エリアを経由していくのは、王族であるツィシェンドがみだりに目立つ場所を闊歩するのはよくないと考えたからである。


 フリーレはいつも通りの服装でグングニールを携えており、ツィシェンドはフード付きの外套を身に着けあまり目立たないようにしていた。


「騎士団長か……いったいどのような人物だ?」

 フリーレが傍らを歩くツィシェンドに尋ねる。


「そうだな……質実剛健、豪放磊落、そんな感じの男だ」

「ふむ」

「まあ、逢ってみれば分かるさ」

「というか、お前はヨーツンヘイムの魔人研究施設とやらに送られて十年ほどアースガルズからは離れていたのだろう?騎士団長と面識はあるのか?」

「もちろんある。十年前にあの姉様の偽者が国を牛耳ったそれ以前から騎士団長として我が国の軍務に貢献してきた人物だ。まあもっとも、あの偽者の能力のせいで錯覚に陥っていたのかずっと戦争の最前線で戦い続けており、あまりアースガルズに戻っていないと聞く。俺も素性を隠していた頃は前線にいたがそこでアイツと遭遇したことはないし、逢うのはじつに十年ぶりになるな」

「そうか。お前に久方ぶりに再会できて、団長殿もきっと喜ばれるだろう」



 二人が話していると何やら揉め事のような声が聞こえてきた。ダセなど、ナイなどと言っている。


「何やら問題が起きていそうだな」

 ツィシェンドが言う。


 フリーレとツィシェンドはさらに脇道に逸れ、声の聞こえる方向へと向かった。そこでは三人のガラの悪い男が一人の男性に絡んでいた。


「なあ兄ちゃん金持ってんだろ?俺ら金なくてさァ」

「恵んでくれたら嬉しいんだけどよォ」

「兄ちゃん、アンタ、身なりからしてそこそこ金持ってんだろ。金ダセよぉ」


 男性は恐怖に竦んでいる。


「わ、私はお金なんてナイですから、み、見逃してもらえると……」

「アアッ!?つべこべ言ってねーで、金出せっつってんだよ!」


 ガラの悪い男の一人が男性の胸ぐらを掴み上げる。

 そこにフリーレがグングニールを携えたまま割り込んだ。


「アン?誰だテメー」

「一つ聞くが、お前たちはいったい何をしているんだ?」


 突如現れた巨大な槍を持った女に、男たちは驚きで目を丸くした。掴み上げていた男性を地面に叩き下ろすとフリーレに向き直る。


「決まってんだろ、金がねーんだヨ!おれりゃ。あのクソ女王のせいで仕事も貯蓄も無くなっちまった!遊ぶ金も捻出できねーんだゼ?」

「そうか……ちなみに聞いておくが、私はラグナレーク王国に来てからまだ日が浅いのだが、この国では他人から金銭を無理強いに奪い取るようなことは認められているのか?」


 これは挑発でもさとしでもなく、フリーレは純粋に己の無知を自覚しているが故の素朴な質問である。


「あぁ!?べつに認められちゃいねーがヨ」

「なるほど。まあここは国王のおわす王都なのだから紛れもなく人間社会の中……そしてこのような人目に付きにくい路地裏でわざわざ行われていたことから鑑みるに、やはり認められるべき余地のない不適切な所業というわけだ」


 フリーレは言い終えると、男性の胸ぐらを掴んでいたガラの悪い男の手を取る。


「テメー、何のつもりだ?」

「……分からないか?お前は法で認められているわけでもないことをしていたとみずから自供したのだぞ。お前たち三人とも治安維持局の詰め所まで連れていくから付いてくるがいい」


 フリーレは有無を言わさず男を路地裏から連れ出そうとする。


 他の二人が怒号を上げて彼女に殴りかかるが、フリーレはグングニールを投げ捨て彼らの拳を躱すと、そのまま殴り倒してしまった。残る一人もフリーレに襲い掛かるが、横っ面に思い切り蹴りを入れられて吹き飛んだ。


 三人は怒り狂って立ち上がりフリーレに何とか粗暴な拳を打ちつけようとするが、彼女にロクに攻撃を当てられぬまま何度も殴り返され投げ飛ばされ、次第に傷つき疲弊していった。


 男たちからは威勢のよさは消え、怯えの色が見え出していた。


(ハアハア……やべえ、なんだコイツ強えぇ……手も足も出ない。このままじゃ……)



 諍いの最中、フリーレと男たちはいつの間にか脇道から出て来てしまっていた。依然大通りから離れた裏道であることには変わりないが、先程までいた脇道に比べると道幅は広く人目に付きやすい場所と言える。


 巡回中だろうか、鎧を着て槍を携えた二人組のラグナレーク兵の姿が遠くに見える。男たちの一人が、ボロボロの姿で衛兵の元へと駆け寄る。


「た、助けてくれ、兵隊さん!おれりゃ、こいつに殺されちまいそうで……!」


 男が衛兵に助けを請うた。


 それを見たフリーレはキッと眼を見開くと、悠然としていながらもどことなく迫力を感じさせる足取りで男に近づき、その男の首根っこを掴み上げた。


「……ふざけるなよ、貴様、何のつもりだ?」


 フリーレの形相は明らかに憤怒で彩られていた。声音こそ落ち着いているものの多分に怒気をはらんでおり、周囲は一気に張り詰めた空気で満たされた。


「お前、自分がしていることを理解しているのか?」


「あががっ」


「お前は人間社会に身を置きながらも強きが弱きをくじくという、言うなれば野生のルールを他者に強いていた。それだけならばまだマシだった。かくいう私も同じことわりに基づいて野生を生きてきた身だからな、あまり偉そうなことを言える立場ではないだろう……だが、今お前は私を暴行犯に仕立て上げ、自身を衛兵に守ってもらおうとした。暴力を用いる者に対し、治安維持のため兵が取り締まる、これは人間社会のルールであり機能であり恩恵だ。何故先ほどまで野生のルールを用いていた者が、今度は人間社会のルールに守られようとしているのだ?」


 フリーレの表情、弁舌は非常に鬼気迫るものがあった。

 掴み上げられている男はもちろん、衛兵二人も、ふらふらになっている他の男二人も、立ち尽くしている被害者の男性も、遠巻きで状況を伺い続けているツィシェンドも誰一人としてフリーレの迫力に飲まれ身じろぎひとつできずにいた。


「己の属する社会が一つなら、徹するルールも当然一つのはずだ。己に都合よくルールを使い分けるなど言語道断、そんなこと通りはしないし絶対に通しはしない。貴様のしていることはこの世の生きとし生けるものすべてに対する侮辱だ……!」


 この場にフリーレの取り巻きは誰一人としていないが、もし彼らがここにいたら九人ともこう言うだろう。これほど怒りを露わにしているおかしらは見たことがないと。


 彼女は何故これほどまでに怒りを感じているのか。

 もしあの男の行動が正当化されるのであれば、今までならず者に徹し野生を生きてきた自分の生き様がなんだかバカを見ているような、ともすれば自分も人間社会の恩恵に預かりながら都合よく生きていくこともできたのではないかと、そう感じたからだろうか。


 おそらくそのような打算的な思惑はフリーレの胸中にはないだろう。どちらかと言えば彼女は純粋にかんに障ったのだ。都合に応じて軽々しく変えてしまえるような、そんな誇りも矜持きょうじもない生き様に。


「野生のルールを用いていたお前が取るべき行動は本来二つしかなかったはずだ。私を負かしてみせるか、負かすことあたわず潔く喰われるか」


 無論、喰われるというのは単なる比喩表現である。

 彼女は野生のルールを人間社会においてわざわざ持ち出し、そしてそれを軽々しく翻したこの男の所業がとにかく気に入らなかったのだ。


「お前に問うぞ。お前は野生のルールも人間社会のルールもどちらも用いた……お前は何者だ?お前は何なんだ?」


 首根っこを掴み上げられていたからか、それともフリーレの迫力に気圧けおされたからか、男は既に気を失っていた。失禁しながら失神していた。


 フリーレは男の意識がないことに気付くと、彼を乱暴に衛兵の近くへと放り投げた。


「衛兵よ、その男、そして隅で震えている男二人……こいつらは恐喝と強盗行為を働いていた。連行して然るべき処遇を与えることを要求する。事態の真否については、そこで立ち尽くしている被害者が同時に証人にもなれるだろう」


「ああ分かった、事情は理解した。だが事情聴取の為、其方にも軍部エリアの治安維持局へとご同行を願いたい」


「ふむ、承知した」


 衛兵二人が残りの恐喝犯二人、そして被害者男性を連れて軍部エリアの方へ歩を進める。恐喝犯二人はもはや抵抗しても意味がないことを理解したのか大人しく従っている。フリーレは失神した男を片腕で担ぎ上げると、槍を拾いつつ衛兵二人の後に続く。


 結局割り込む機会がないまま遠くで様子を伺っているだけだったツィシェンドも、彼らと距離を取りつつ後ろから付いて行く。いざという時はフリーレに助け舟を出すつもりでいたが、結局事態はフリーレが独りで収束させてしまった。


 今回の一件でツィシェンドは、フリーレがどのような人物であるかを理解できたような気がした。


(なるほどな。フリーレ、こいつは善良とか邪悪とかそういうのではない。純粋に”徹する”存在なのだ。今までは荒野で生まれ、野生の中でならず者に徹していたわけだが、ラグナレーク王国騎士団への加入も決まり人間社会に身を置くようになった今、彼女は人間社会に徹しようとしている……)


 ツィシェンドにとって、フリーレという人物は正義の神マグナの事前評の通りであったように思える。類稀なる戦闘力の高さ、そしてならず者のイメージとは打って変わって理性的な性格。


 彼女がラグナレーク騎士団に所属してどのような働きをするのか、ツィシェンドはどこか楽しみになっていた。




 フリーレは軍部エリアの治安維持局で事情聴取を終えると、すぐ近くで待機していたツィシェンドと合流して再びヴァルハラ城への帰途に着いた(ちなみにツィシェンドは事情を説明して、治安維持局内でお茶を飲みながらフリーレが解放されるのを待っていた)。既に陽が傾きつつあった。


 ヴァルハラ城では近衛兵の一人がツィシェンドを出迎える。


「お帰りなさいませ、ツィシェンド様。既にトール様を始めとするエインヘリヤルの方々も帰還しております」

「そうか、戻っているか」

「おそらく、三階の第一部隊詰め所にいらっしゃるかと」


 一口にラグナレーク王国騎士団といっても、実は役割に応じて三つの機構に分かれている。


 王都アースガルズやミズガルズといった各都市の治安維持を目的とする治安維持局ヴァルキュリア、ヴァルハラ城の警備や国王の政務補助を目的とする近衛内政局グリンカムビ、そして有事の際の国防や軍派遣を司る国防軍事局エインヘリヤル


 エインヘリヤルはいくつかの部隊に分かれているが、フェグリナ・ラグナルによる大粛清や計画性のない戦争継続により、現在の部隊は十にも満たない数まで激減していた。大軍を擁する神聖ミハイル帝国を相手に、かろうじて生き残っていた精鋭たちが何とか戦線を維持していた状態だったのだ。


 フェグリナが死に圧政が終わると、ツィシェンドは交戦状態だった神聖ミハイル帝国とポルッカ公国に使いを送り、戦争の終結を提案した。交戦していた二国にとっても易の無い戦争であった為か、終戦提案自体はすぐに受け入れられた。ラグナレーク王国が十年間どのような状態であったかも既に説明しているとのこと。細かな戦後処理は後々会談が予定されているらしい。


 道すがらフリーレに色々と説明している内に、三階の第一部隊詰め所前まで到着した。


 ツィシェンドが扉をノックする。そして自身の名を告げると、程なくして扉が開かれた。


 そこには十数人の兵士たちが扉の前でかしずく姿があった。扉を開けた大柄で頭にバンダナを巻いた武骨な印象の男も彼らに加わってひざまずく。


「お待ちしておりました、ツィシェンド陛下。第一部隊長にしてラグナレーク王国騎士団長トール、本日ヴァルハラ城に帰還を果たしました」

「陛下は一日早いぞ、トールよ。しかし久方ぶりだな、お前の顔をこうして見ることができて嬉しく思う」

「はっ、ツィシェンド様もあの大粛清から生き延びていたことを知り、このトール感激のあまり滂沱ぼうだの涙を流したものです」

「お前たちは本当によく戦ってくれた、ゆっくりと休息を取るがいい。後で他の部隊にもねぎらいに行ってやらねばな」


 ツィシェンドが労わりの言葉を口にすると、トールと兵士たちは感謝に身を振るわせた。

 彼の優しさが身に染みたというのもあるだろうが、それよりもフェグリナの圧政が終わり国がまともな方向へと動き出していること、それが肌で感じられ思わず感極まって来たというのが大きかった。


 ツィシェンドは傍らにいるフリーレに目線を移すと、兵たちに彼女の紹介を始める。


「話には聞いているかもしれないが、ラグナレーク王国騎士団に新たな戦力を迎え入れるつもりだ。この者の名はフリーレ。今まではラグナレーク南西の荒野でならず者として生きてきた者だ。だが彼女の仲間たちが姉様……フェグリナになりすましていた偽者による労働力確保政策"資源調達"の一環として人狩りに遭い捕縛された。正義の神マグナ・カルタと共にこのラグナレーク王国に仲間の救出に向かい、ついにはあの忌まわしき偽者の討伐をも達成した」


 ツィシェンドの紹介を聞いていて、フリーレはどこか忸怩じくじたる思いがした。結局自分は肝心のフェグリナとの戦いでは気を失って倒れていただけだというのに。


「彼女の戦闘能力、人格は正義の神のお墨付きでもある。ならず者をラグナレーク市民、ひいては騎士団員として迎え入れることに難色を示す者もいるだろう。だがすぐに彼女がそこいらのゴロツキや犯罪者くずれとは格の違う人間だということが分かるだろう。長年の戦禍によりこの国は疲弊している。どうか共にこの国の未来をになってほしい」


 紹介がひと段落すると、フリーレはぎこちない仕草でトールたちに頭を下げた。


「フリーレだ。私のいきさつについては既にツィシェンド王が話されたため、それについては省かせてもらう。私を含めならず者十人……まだこの国の決まりや風俗には疎いが色々と教えて頂けると助かる。我々は今まで確かにならず者として金品を奪って生きてきたが、騎士団に入る以上これからはラグナレーク王国の一員として人々の為に尽くそうと思う。どうかよろしく頼む」


 フリーレの自己紹介は、物怖じしない頼もしい人物の弁舌に聞こえるだろう。しかし出自がならず者という認識を得た上で聞くと、不遜いう印象もまた頭をよぎる。


 兵士たちからはどことなくかんばしくない空気が感じられた。

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