第30話 波浪流拳術②

 翌日の正午頃にラヴィアの様子を見る為、美麗メイリー海蘭ハイランの武道場を訪れた。

 大振りな籠を提げ、やって来たメイリーをハイランが出迎える。


「あら、メイリー」


「どーも、ラヴィアちゃんはどう?」


「まずは基礎体力づくりの一環として、外の広場を他の修行者と走ってもらっているわ」


 二人は建物の入り口から少し移動して、広場の様子が見えやすい場所に立つ。七人ほどの走り込みをしている男女の姿が眼に映った。男性四人に女性三人、ハイランに師事している修行者達だろう。男性は若く見えるのが二人、中年くらいに見えるのが一人、初老の男が一人。女性は二人が若く、一人だけとうが立っているように見える。

 男女の若い一人ずつが夜の闇のように黒い髪をしており、おそらくハイランと同じシン族なのだろう。ラグナレーク王国には思ったより東方の出身者も多いのかもしれない。残る五人は髪色からしてラグナレーク人だろう。


 七人は皆同じペースで広場の周縁を走っていたが、その遥か後方に一人だけヘトヘトになりながら走っている姿があった。


 ……ラヴィア・クローヴィアであった。

 長い黒髪をポニーテールにまとめ、道着のようなものに身を包んでいる。疲れ果てて生気の無い眼をしながら、無心で脚を動かしていた。


「ラヴィアちゃん、ふらふらじゃない。大丈夫かしら」


「いやー体力無いわねー、あの娘」


 心配そうに呟くメイリー。一方ハイランはけらけら笑っている。


「やっぱり厳しそう?ラヴィアちゃんが強くなるのって」


「まあ資質は今のところ感じないけど、強くなれるかは本人のやる気次第じゃないかしらねー。結局元から強い人は修行なんて請わないだろうし、その辺りは私も解っているつもりよ」


「そう、ラヴィアちゃん頑張れるといいけど……あ、そうだ、差し入れ持ってきたのよ。よかったらどう?」


 メイリーは提げていた籠から三段に積み重なった蒸籠せいろを取り出した。蓋を開けると湯気と共に三つの白色の大きな塊が姿を現す。とても香ばしい食欲をそそる匂いがする。

 差し入れにと出発前にこしらえてきたものであり、まだ出来立てだ。一つの蒸籠につき三つ入っているので、合計九つ。ハイラン、ラヴィア、他の七人の修行者で計九人。一人一つずつ行き渡る計算だ。


「おおっ、包子パオズじゃない!ありがとー」


 ハイランは喜び、手を伸ばす。

 そして包子……ではなくそのままメイリーの豊満な乳房をむんずと掴んだ。


「そ っ ち じ ゃ な い !」



 走り込みを終え、修行者たちは広場の隅の柳の木陰で休息を取っている。各自水を飲みながら、メイリーの差し入れた包子に舌鼓したつづみを打っていた。


 ふらふらになりながらもなんとか走り込みを終え、柳の木の根元にへたり込んでいるラヴィアの元にメイリーがやって来る。


「ラヴィアちゃん、大丈夫?お水飲む?」


 メイリーが飲み水の入った水筒を手渡す。ラヴィアは水を飲み、それから木に背を預けたままぐったり座り込んでいた。しばらくそうしていると、次第に落ち着きを取り戻したようだった。


「はあはあ、あ……ありがと、ございます……メイリーさん」


「差し入れ有るんだけど、どう?食べられそう?」


 残っていた最後の包子をラヴィアに見せる。ラヴィアは疲れてヘトヘトだったが、空腹も感じていた。蠱惑的な香りを放つ白い塊に手を伸ばす。


 齧ってみると、なんと白い生地の中に調味された肉が入っているではないか。


「あれ?このマントウ、お肉が入ってる」

「これは包子ね。まあ肉入りマントウって感じかな」

「おいしい」


 ラヴィアは無心になって包子にかぶりついた。肉体が糖分を、塩分を欲していた。


「……ラヴィアちゃん、修行は大丈夫?続けられそう?」


 メイリーは聞くべきか少し悩んだが、結局胸の内を聞いてみることにした。


「まあ、私が体力が無いことなんて分かりきっていたことです。大丈夫です、頑張ってみせます。この程度でくじけていられません……!」


 早速精神的にくじけそうになってはいたが、ラヴィアはなんとか根性を見せることにした。

 メイリーは優しく微笑む。


「そう、なら私はラヴィアちゃんを応援し続けるわ。大丈夫、ラヴィアちゃんみたいに真面目に頑張っているが報われないことなんて無いはずよ!」

「……そうだといいですけど」


 ラヴィアは少し不安げに虚空をぼんやり見上げていた。


 ◇


 午後になりメイリーが帰途につくと、広場では組手形式の稽古が始まった。技をしかける側とそれをいなす側とに分かれて行う組手である。初経験のラヴィアには今回はハイランが直々に付くこととなった。


 広場の片隅でラヴィアとハイランが相対峙している。ハイランは腕を組んで仁王立ちし、一方ラヴィアは疲労と不慣れさから落ち着きがない。


「いい、ラヴィアちゃん。波浪ポーラン流の基本にして奥義……それは”る”こと」


「視る?」


「人間の体ははっきり言って肉弾戦において、動きに無駄が多すぎる。二足歩行をすることで両腕は自由になったけど、その分瞬発力に欠け急所も狙いやすくなっている。取っ組み合いの闘いじゃあ、四足歩行の野生動物の方がずっと分があるわ」


 ハイランの話を聞いてラヴィアはフリーレの闘いぶりを思い出していた。まるで獣のように這いつくばりスレイプニルと戦っていた時のことを。始めは何かの冗談かと思ったものだが、あれはそれなりに理にかなった闘い方だったのかもしれない。


「相手が人である以上、どんな達人であれ絶対に付け入る隙が存在するわ。重要なのは相手の隙を見つけること、そして自分の隙を可能な限り無くすこと。それが波浪流の基本にして奥義なの」


「隙を見つける……隙を無くす……」


 言葉だけでは真意まで実感を伴って理解できない。

 だがラヴィアの素人目から見ても、例えば今のハイランにどの方向から攻撃を加えてもすべて防がれてしまいそうな感じがした。これが隙を無くすということだろうか。

 反面、自身の身体能力の低さを無視しても、今のラヴィアは隙だらけなのであろう。


「水はどんな隙間にも入り込める。そして怒涛となってすべてを押し流す。それを目指し体現した流派こそが波浪流――ラヴィアちゃん、貴方は小柄で闘いに向いていない体格だと自分では思っているかもしれないけれど、小柄な体格はむしろ相手の懐に入り込みやすいという利点がある。敵の攻撃も防ぐではなく躱すのであればむしろ好都合。貴方がこれから覚えるべきは相手の隙を見つけそこに入り込めるようにすること。それは敵から身を守る防御行動でもあり、自身の攻撃に繋げる攻めの動きでもある――攻防一体の立ち回りよ」


「攻防一体の立ち回り……」


「これからラヴィアちゃんには頑張って私の隙を見つけてもらうことにするわ。そしてそこに入り込み、一撃を入れること。一撃でも入れられれば、第一段階はクリアーってことでいいわ」


 ラヴィアは話を聞いていて眩暈がしてきた。戦闘の経験などまるで無い自分が武術の達人に一撃を入れることなどできるのだろうか?


 そう思っている内に、ハイランはさらに驚くべき内容を伝える。


「逆に自分が隙だらけでは、達人はすぐにそこを突いてくるわ。自分が攻撃する前に倒されちゃあ意味がない。だから他人の隙を見つけることは大切だけれど、自分の隙を無くすことも重要よ。自分の身を守れるように戦い方を覚えるという点を重視するなら、まずこっちの方が肝要かしらね……というわけで、私がラヴィアちゃんの隙を見つけたら容赦なく攻撃を加えていくから、よろしくね」


「ええっ!?」


 ラヴィアは思わず頓狂な声を上げた。


「あの、その、隙を無くすと言われましてもどうすれば」


「見て覚えなさい、口では説明が難しい領域だから」


 ラヴィアはなんじゃそりゃと思った。習うより慣れろという言葉はあるが。


「闘いを続けていれば嫌でも解って来るわ。何故自分はこれほど攻撃を捌けないのか?何故自分の攻撃はこれほどいなされてしまうのか?そのすべては自分の隙を無くすこと、相手の隙を突くことに集約されていく」


 ハイランが軽く拳を構える。ラヴィアもおずおずと向き合う。


「どうする?それとも今更投げ出す?」


「……投げ出すつもりなど毛頭ありません。やります!宜しくお願いします!」


 ラヴィアは自分が本当に闘えるようになるのだろうかと、いまだ不安に包まれている。だがここで決意を歪めたくはなかった。決めたのだから、必ずあの人の隣に戻ってみせると――


 ◇


 陽が沈み空が深い群青色に染まる頃。居住エリアの料理店、好飯販ハオファンファンの扉が開く。


 店内には数えるほどしか客がいない。

 メイリーが厨房で仕事をしながら目線を扉の方に向ける。


「いらっしゃいませー!あら、ラヴィアちゃん」


 メイリーは眼を丸くした。現れたのはすっかり生気を無くしたラヴィアの姿であった。表情は死に、足取りも覚束なく、意識も耗弱としていた。


  ラヴィアは店内の中ほどまでふらふら歩を進めたかと思うと、そのままばったりと倒れてしまった。驚いたメイリーが仕事の手を止め、ラヴィアに駆け寄る。


「ちょ、ラヴィアちゃん!大丈夫!?」


「あ、いたいた。ちゃんとここまで帰って来れたみたいね。よかったよかった」


 メイリーは再び扉の方に眼をやる。

 いつの間にかハイランが店までやって来ていた。


「ちょっと、ハイラン!ラヴィアちゃんに何したの?」

 メイリーはラヴィアを抱えながら凄む。


「何って、修行に決まっているでしょ。でも結局私の隙を突くことなんて一度もできなかったし、それどころか何発も何発も私に蹴りを入れられて……三回ぐらい嘔吐しちゃったのよねー」


「ちょっと!ここ料理屋で、お客さんいるんだけど!」

 メイリーが怒りを露わにして声を荒らげる。


「盛大に反吐ぶちまけたもんだから思わず笑っちゃたわー。あ、私、回鍋肉ホイコーローね」


 怒るメイリーを余所に、ハイランは何事もなかったかのように席につき、料理の注文を始めた。才能ある人間というのはそれと引き換えに常識やらなにやらが失われていくのだろうかとメイリーは思った。


「まったく……ラヴィアちゃん寝かせてくるから、ちょっと待ってなさい」


 メイリーがラヴィアを担いで二階に向かおうとした矢先、再度店の扉が開いた。

 現れたのは仕事帰りでくたびれた様子のハレーであった。


「なんだ、ラヴィアも来ていたのか……その様子は、何かあったのか?」


「実はね……」



 気を失ったラヴィアを寝室に寝かせてから、メイリーは席に着いたハレーに事情を説明した。


「なるほどな……まあ、戦闘の心得のないラヴィアに、いきなり達人相手は無理があるだろう」


「ハイラン、貴女、ラヴィアちゃんを壊す気?」

 メイリーが調理をしながら、ハイランに声を掛ける。


「初めから素質があるならまだしも、そうでないならやはり生半可なやり方では強くなんかなれっこないわ。私は今日、徹底的にラヴィアちゃんを追い詰めた。明日も明後日も同じように追い詰める。ラヴィアちゃんが肉体的ないし精神的に壊れるのが先か、窮鼠猫を噛むが如くに一矢報いるのが先か……」


 ハイランは涼やかな顔で水を飲みながら語っていた。


 やはりラヴィアにこの人を紹介したのはまずかったのではないだろうか?メイリーの心に悔いる気持ちがふつふつと沸いてきた。ハイランの武道場に修行生が少ない理由の一つが、このスパルタさにあるのだった。ハレーから稽古を付けられる人をラヴィアに紹介してほしい旨を聞かされた時、しばし紹介するべきか悩んだのもそれを知っていたが故であった。


「ラヴィアちゃんが壊れちゃったら元も子も無いじゃない!やっぱり貴女を紹介したのは間違いだったわ。ラヴィアちゃんが目覚めたら、今回の修行の話は無かったことに……「ちょっと待ってくれるか」」


 メイリーが話し終わる前にハレーが口を挟んだ。


「あいつは、ラヴィアは意志の強い女だ。一度決めたことを軽はずみに投げ出したりなどしない。俺はそう思っている。修行を止めるのは、本人が弱音を吐くのを聞いてからでもいいだろう」


 ハレーは知っている。ラヴィアが無理やりに正義の神の旅に付いて行ったことを。


 おのが願いを叶える為なら行動に移せるだけの強さは確かにある。彼女は闘いを知らなくても負けん気と意志の強さには目を見張るものがあると、少なくともハレーはそのように思っていた。


「そう……かしらね」

 メイリーはなおも不安げにこぼす。


「まあたしかに、うぎゃっとか情けない悲鳴はたくさん聞いたけど、弱音は最後まで吐かなかったわねー。別のものはいっぱい吐いたのにね!」


 ハイランはけらけら笑いながら軽口を叩く。

 この女は……とメイリーは眉をひそめる。


「それより、メイリー。この男って、ひょっとして例のアレ?」

 ハイランがハレーの隣に席を移し、彼を指差した。


「アレって……そうよ、私が介抱した行き倒れの人よ」


「ふーん」


 ハイランがじろじろとハレーを見る。彼は困惑気に目線をハイランに向けた。


「……どうかしたのか」


「なかなかカッコイイ男じゃない。メイリー、この男アンタのコレだったりする?」


 ハイランはにやにや笑いながら小指を立てる仕草をする。

 メイリーは顔を赤らめる。


「ち、違うわよ!そんなんじゃないから!」


「へー、そうなんだ。なら、私がもらっちゃおうかな」


 ハイランはハレーにもたれかかるように身を預け、彼の顔をさするように手をあてがう。しかしハレーはそれを優しく振り払うと、席を立った。


「……俺はラヴィアの様子を見てこよう。メイリーは仕事に集中していてくれ」


 彼は階段を上がり二階へと向かう。その後ろ姿をハイランはバツの悪そうな表情で見送る。


「なによー、せっかく誘ってるのに、つれないわねー。しけた男……」


「はいはい、あんたは大人しくこれでも食べてなさい!」


 メイリーはハイランの前にドカンと乱暴に回鍋肉の皿を置いた。



 ハレーは二階に着くと、突き当りの扉を優しくノックする。

 返事は返ってこない。扉を開き、中の様子を伺う。薄暗い部屋の中で、ラヴィアはベッドで寝かされていた。


「ラヴィア、眠っているのか」


 ハレーが声を掛ける。掛け布団がもぞっと動く。


「……いえ、起きています。ハレーさんですか、来てたんですね」


「話は聞いた。ずいぶんツラい修行だったそうだな」


 ハレーはベッドの端に腰を落とす。

 ラヴィアは疲れ切っているからか、ベッドに横たわった状態のまま微動だにしない。


「……ラヴィア、お前に掛ける言葉を探している。だが上手い言葉が見つからない。今まで自分のことばかりで、他人を励ますことなどなかった俺だ。探していた、勇気づけられる言葉を」


 ハレーは穏やかな口調で語る。

 ラヴィアは黙って聞いている。


「俺はお前をいたずらに慰め安っぽい同情をすることも、何も考えずひたすらに鼓舞することもしない。ただ、ひとつだけ伝えさせてくれ……俺はお前の味方だ」


 彼の言葉には優しく心をさするような響きがあった。ラヴィアの眼から思わず涙がこぼれ始める。


「それだけは変わることはない。お前は、お前のしたいようにすればいい。きっとメイリーも同じようにお前を想ってくれているだろう」


「……ありがとうございます、ハレーさん」


 ラヴィアは一言だけ返すと押し黙ってしまった。

 静寂が訪れたことを確認すると、ハレーは静かに腰を上げ、扉を閉めて部屋を後にした。


 明日はどうなるのか、自分の願いは叶うのか、ラヴィアの心中では不安が右往左往していた。ハレーやメイリーの優しさが嬉しくもあり、かえって辛くもあった。それでも一度決めたことを投げ出したくはなかったし、自分を応援してくれている人たちの気持ちに応えたかった。


 薄闇に塗りつぶされた夜空に淡く瞬く星のように、ラヴィアののぞみもまた、先の見えない闇の中で鈍い輝きを放っているようであった。

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