第29話 波浪流拳術①
明くる日の夕刻頃、ラヴィアはメイリーの切り盛りする
昼間はヴァルハラ城まで行っていたので、そこから丘を降り、市内の大通りを通って目的地へ向かう。
傍らにはハレーの姿もある。
彼もまた王城で修復作業に従事しており、そこで落ち合ったのだ。二人は今、北西の軍部エリアと南西の居住エリアとの間に位置する大通りを歩いていた。
「……ハレーさん、私ついにマグナさんに言われてしまいました」
ラヴィアはぽつりと呟く。
何の話かハレーにはすぐに察しがついた。
「やはり、次の旅には置いて往かれることになったか」
「はい。来週のツィシェンドさんの即位式が終わったら旅立つ旨、そして居住エリアに家を購入したからそこに住んでほしい旨を伝えられました」
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昼間、ヴァルハラ城内の一室にて。
「ラヴィア、急に呼び出してすまないな」
「……いえ」
マグナとラヴィアは背の低いテーブルを挟んで向かい合わせに座っている。
テーブルには二杯のコーヒーと一皿の焼き菓子が置かれている。
「ラヴィア、実はお前の為に家を購入している。場所は居住エリアのこの場所だ」
マグナはアースガルズ市内の地図を広げると、居住エリアの河沿い近くにペンで丸を描いた。ラヴィアはメイリーの店の近くだと思いながらその様子を見ていた。
「……突然ですまないが、俺は来週の即位式が終了次第旅立つつもりだ。しかし次の旅にもラヴィアを同行させるのは厳しいと思ってな。今回のフェグリナ討伐の旅、フリーレやスラの協力もあったからお前には重篤な被害無く旅を終えることができた。だがこれからも無事で済む保証は無い。正義の神として情けない話だが、俺もいまだ万能には程遠く、どんな状況でも自信を持ってお前を守ってやれると言い切れないところがある……ラヴィアはこのラグナレーク王国に残るべきだと俺は考える。ツィシェンドにも当面生活に困らない程度にはサポートしてほしい旨を伝えてある。どうか分かってほしい」
やはりこの話が来たかとラヴィアは思った。
マグナが不動産の商人と城内を歩きながら話しているところを目撃していた為、こんな話が来ることは予測していた。だから驚きはしなかった。それに仕方がないことだ。何より自分自身でもそれが妥当な決断だろうと思っていた。
「大丈夫です、自分でも思っていましたから。やはり戦う術のない私がマグナさんの旅に同行するのは危険だったと。荒野でも、ラグナレークの森でも、ヴァルハラ城でも……マグナさんやフリーレさん、スラさんがいなければ私はどこかで死んでいたと思います。やはり私は大人しく安全な場所にいるべきなのでしょう」
「すまないな、ラヴィア。お前は旅がしたくて付いてきた身だったはずだ。お前の願いを叶えてやれない俺をどうか許してほしい」
「マグナさんは悪くありませんよ、すべては私が悪いのです。力の無い弱い私が……」
ラヴィアは感情を殺しながら、言葉を紡いだ。
覚悟していたとはいえ、やはりやりきれないものがあった。
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(何としてでも、強くならないと……)
ラヴィアは内心でぼやきながら、大通りをハレーと連れ立って歩いている。
傾き始めた陽光が、二人に少し長い影を落としている。
やがて居住エリアに繋がる小脇の道に差し掛かった時、ハレーはメイリーの店とは違う方向へと脚を伸ばした。
「すまないが、俺は仕事仲間と酒を飲む約束があってな、ここで失礼する」
「分かりました、ではここで。もうすっかり此処での暮らしを
「そうだな……貴族ではなくなり金も地位も失ったが、俺は確かにささやかな幸福を得た。あの頃のように、何かに憑りつかれていたかのように金にも地位にも執心することなく、日々を慎ましく過ごす。それがかえって充実感を与えてくれているような気がする」
「充実感のある日々……良いですね、とても」
「お前も同じはずだろう?ラヴィア・クローヴィア。お前もまた窮屈な貴族生活から解放され、今や束縛なく自由な身でこの国にいるのだから」
「……同じではありませんよ。貴方は自由を謳歌できていますが、私はまだ自由を謳歌できていません」
ラヴィアはやや陰のある眼でハレーを見る。
「ただ自由だけがあっても意味がありません、その上で望むことができるだけの力が備わっていなければ……私は自由に”マグナさんと旅をすること”を望んでいたんです。ですが、その願いは破られました。気付いたんです。昔はただただ自由そのものに憧れていました。でもただ自由だけがあっても、力の無い人間はそれを謳歌することができない。全てを自分の力と責任でこなしていく必要があるからです。自由を謳歌できるのは力のある人間だけで、私のような力の無い人間はある程度の不自由を許容して生きるのがきっと本来の有り方なのでしょう。今の私は自由こそ手に入れましたが、それを謳歌するだけの力がない――だから私は、強くならなきゃいけないんです。あの人の隣に戻る為にも」
ラヴィアの声音には、彼女の哀しみや失意が滲んでいる。しかしその中に覚悟にも似た力強さもまた感じられた。
ハレーは踵を返しラヴィアに近づくと、彼女の頭に手を置いた。
優しさと思いやりを感じさせる所作だった。
「それだけ強い意志があるなら、きっと大丈夫だろう――沈まぬ陽は無いが、昇らぬ陽もまた無い。お前の世界が光で溢れる時は必ず来るだろう」
「……ありがとうございます、ハレーさん。応援してくれる人がいるのはやっぱり嬉しいです」
ラヴィアはメイリーの店の有る方角へ駆けていく。
少しハレーと離れてから振り返り、彼に手を振る。
「私、絶対に強くなって見せますからね!」
ラヴィアがにこやかに高らかに宣言する。ハレーも微笑む。
二人はお互いに手を振ったのち、それぞれの目的地へと分かれていった。
◇
ラヴィアはメイリーの店で彼女と落ち合うと、そのまま先日話していた武術の使い手の元へと向かうことになった。
店の扉に外出中の札を掛けると、二人は居住エリアの中心部へと移動を始めた。
中心部には市民が運動場として利用できるような大きな広場がいくつも存在しているのだが、そんな区域の片隅にちょっとした広場を持つ異国情緒溢れる建物があった。屋根は瓦のようなもので葺かれている。
屋根には大きな看板が備えられており、”波浪流拳術”の文字が黒い墨で大きく書かれていた。
メイリーが扉をノックすると、一人の女性が出てきた。
年齢はメイリーと大差ないように見える、であれば二十代くらいであろうか。夜の闇のように黒い髪、後頭部のシニヨンでそれを束ねてお団子を形成していた。スリットのある淡い翠色の服に身を包んでいる。
「あらメイリーじゃない。じゃあ、その
「そうよ、彼女は強くなることを望んでいる。だから稽古を付けてあげてほしいのよ」
黒髪お団子ヘアーの女性がラヴィアの方を見る。ラヴィアは気迫のようなものを感じ取り、素早く会釈した。
「紹介するわね、ラヴィアちゃん。この人は
「ふーん、この娘がラヴィア・クローヴィアね」
ハイランと呼ばれる女性はラヴィアに近づくと、急にほっぺをむにむにし始める。
「な、何ですか?」
「お人形みたいに整った顔、小柄で華奢な体格……あなた戦うよりも、家に飾られていた方がいいんじゃないの?」
ハイランはラヴィアと出逢うやいなや、的確に彼女の地雷を踏み抜いた。ラヴィアは一気にこの人とやっていけるのか不安になったが、表情は努めて平静を繕い続けた。
「ちょっとハイラン!確かにラヴィアちゃんには戦いの心得は無い、けどそれをどうにかしたい覚悟を持ってここに来ているのよ!」
ハイランの所業にメイリーは少し怒気を含んだ声で話す。
一方ハイランには悪いことを言ったと己の言動を悔いるような様子は一切見られず、ラヴィアの頭を撫でながら言葉を続ける。
「あなた、夜の闇のように黒い髪をしているけれど、もしかして私と同じ
「……いえ、私は生まれも育ちもブリスタル王国です。父母もブリスタル王国人で髪も黒くはありません」
「へーそうなの。確かに顔立ちは西方っぽい感じだし。遠い先祖に東方の人間でもいたのかしらね」
「私もラヴィアちゃんと同じような話をしたのよね。三百年前、
メイリーが話す三百年前の桃華帝国成立のいきさつは、ラヴィアも勉強したことがあったので多少は認識していた。
しかしご先祖様に東方の人間がいるという話は聞いたことがなかった。秘匿されていたのかもしれないし、自分が深く知ろうとしてこなかっただけかもしれない。
クローヴィア男爵家はかつては伯爵家であったらしい。東方の人間の流入、男爵位への凋落、なにか繋がりがあるのかもしれないと思った。
「まあ、あなたが何者でも私にはカンケーないからね。私は人種だのなんだので一切差別はしない……そう、あなたが何であれ、華奢だろうが体力がなかろうが、甘やかすことも手を抜くこともなく修業をつける。覚悟はいい?」
「……大丈夫です、覚悟はできています。辛いのは承知の上でここまで来ているんです」
ラヴィアは静かに、そして力強く意志のこもった声で言う。
それを聞いたハイランはにやっと笑った。
「よくぞ言ったわ、ラヴィアちゃん。何か仕事とかしているわけではないらしいし、一日付きっきりコースでいくわよ。明朝、またここまでいらっしゃい。今日はもう遅いから、稽古は明日からのスタートとするわ」
――こうして、ラヴィア・クローヴィアの修行の日々が始まったのであった。
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