第27話 それぞれの岐路へ②

 アースガルズ南西の居住エリア、眼下に河を望む高台のベンチに二人の姿があった。


 ラヴィア・クローヴィアと、彼女に飛びついてきた桃色の髪の女性。華奢で背の低いラヴィアに比べると豊満な体つき、西方ではあまり見ないどこか異国情緒のある服に身を包んでいた。


「いやーごめんね!あんなところで身を乗り出しているものだから、私てっきり、ね」


(はあ、私何してるんだろう……こんな見ず知らずの人にまで迷惑をかけて)


 桃色の髪の女性は申し訳なさそうに謝る。

 一方ラヴィアもまた、いたたまれなさに半ば自暴自棄になっていた。


 その悩み悶えている様子を、女性は鋭敏に感じ取っていたようだった。


「あなた顔つきは西方って感じだけど、髪は黒いわね。それも混じりっ気のない、夜の闇のように黒い髪。あなたもしかして東方の出身だったりする?」


「いえ、私は生まれも育ちもブリスタル王国ですが……」


「あらそうなんだ。桃華とうか帝国のシン族がちょうどそういう髪色だから、ひょっとしたら同郷なのかなって思って」


「同郷……貴女は桃華帝国の出身なんですか?」


「私は生まれも育ちもラグナレーク王国だけど、両親が桃華帝国の出身なの。私はタオ族の人間で、名はリウ美麗メイリー。あなたは?」


「……ラヴィア・クローヴィアです」


 メイリーは非常に人当たりの良い性格だった。話し方も柔らかく、決して堅苦しい空気を生まない。ラヴィアは陰気な自分とは対極な人間を見ている気持ちになった。


「ラヴィアちゃん、よかったら私のお店に来ない?お詫びにご馳走してあげる。良ければお悩みも聞いちゃうわよ」


 ◇


 アースガルズは北西の軍部エリア、北東の官公庁エリア、南西の居住エリア、南東の歓楽街エリアとに分かれている。


 南西部は居住エリアという名ではあるが、住宅しか存在しないというわけではない。そもそも四つのエリアすべてが、大通り沿いは商店が軒を連ねるいわば商業エリアとでも言うべき様相を呈しており、大通りから外れたエリア内各所にも店は点在している。

 住宅地も居住エリアにしかないわけではなく、実際は四つのエリアの各所に存在する。


 メイリーの店とやらは、居住エリアを大通り側から見て奥まで行った場所、ちょうど二人が出会った高台からほど近い場所にあった。

 いくつか階段を降り、狭い路地を通り、住宅地を横切っていった先に小さなお店が現れた。敷地は狭いが二階建ての建物になっており、一階は店のスペース、二階が居住スペースになっているのだろう。


 一階の扉には好飯販ハオファンファンと書かれた看板が吊るされていた。この店の名前だろうか。


 メイリーは扉を開ける。中には誰もいなかった。

 そもそもメイリーは私のお店と言っていた。店を切り盛りするのが彼女ただ一人なら、現在店に客がいないのは道理であろうか。こじんまりとした厨房に十数席程度の座席、いかにも場末の飯屋といった様相であった。


「ささ、好きなところ座って、座って」


「……お邪魔します」


 メイリーは厨房に入っていく。ラヴィアはカウンターの中央辺りの席に座る。隅を選ばなかったのは、その方がメイリーと顔を合わせて話しやすいと思ったからだ。

 ラヴィアはまだ彼女のことをよく知らないが、それでも半ば心を開きかけていた。それほどまでにメイリーは人あたりがよく、話していると穏やかな気持ちになってくる女性だった。


「何食べる?あ、これメニューね」


 ラヴィアは手渡されたメニューを見てみる。

 棒棒鶏、麻婆豆腐、杏仁豆腐……一応どんな料理なのかは料理名の下に説明書きがあったが、ラヴィアには想像の付かないものばかりであった。


「メイリーさん、その、桃華帝国の料理はよく知らなくて……何かおすすめとかありますか?」


「おすすめ?わかったわ、とっておきのを作ってあげるわね!」


 メイリーは慣れた手つきで食材を取り出し、包丁で刻んでいく。底の浅い鍋に火をかけ食材を炒めながら、合間合間で食器の準備をする。


 その動きには余裕があり、彼女は調理と会話を同時並行し始めた。


「黒い髪って基本的に東方で見かけるものだと思うけど、ラヴィアちゃんの御両親とかそっちの出身だったりするのかしら?」


「分かりません。父も母もブリスタル王国出身のはずです。それに両親は黒い髪ではありません。隔世遺伝というやつでしょうか。私の遠いご先祖様がもしかしたら、東方の出身だった可能性はあると思います」


「へえー、でもブリスタル王国って、このユクイラト大陸の最西端でしょ?やっぱりその髪の色は珍しがられる?」


「そうですね、何故か真っ黒い髪で生まれた私は周囲から奇異の目で見られることも多かったです。今思えば、お屋敷の中に閉じ込められているも同然のあの窮屈な暮らしは、両親が私を周囲の目から守ろうとしていたという面もあったのかもしれません」



 やがてメイリーが料理とお茶を運んでくる。

 香辛料と肉が焼けた香ばしい匂いが漂ってくる。


「はい、お待ちどおさま!」


「これは何ですか?」


宮爆鶏丁コンバオジーティンよ!鶏肉とナッツの辛味噌炒めね」


「……いただきます」

 ラヴィアは見慣れぬ料理を口に運ぶ。


 ……おいしい。

 鶏肉とナッツが辛みと旨味のある香辛料で炒められ、程よく食欲を刺激する。未知の味であったが、ラヴィアはすぐにこの味と打ち解けられそうな気がした。


「辛さ抑えめで作ったからちょうどよかったかな?あ、これもどうぞ」


 メイリーは皿に盛った白くてふわふわしたものをラヴィアに提供する。


「これは何ですか?」


饅頭マントウよ。桃華式のパンってかんじかな」


 ラヴィアはマントウも齧ってみる。麦と酵母のほどよい甘さと風味が感じられる。あまり主張のない味だが、主張の強い炒め料理とは相性がよく、ラヴィアはいつの間にか食べる手が止まらなくなっていた。


「おいしい……桃華料理ってこんなにおいしいんだ」


 ラヴィアは未知の料理に思わず感動してしまっていた。

 貴族令嬢であったが為、一般市民とは明らかに格の違う食生活を送ってきてはいたが、今まで体験したことのない新鮮な感覚が身を揺さぶっていた。


「ふふ、桃華料理って言っても桃華帝国は広いから色々と種類があってね。私の両親は内陸の方の出身だったみたい。このお店はね、私の両親から受け継いだお店なの。今は私一人で切り盛りしているんだけど」


「メイリーさんの御両親は今どちらに?」


「もう亡くなったのよ、あの暴君に殺されたの。お父さんに出兵命令が下って、お母さんが出兵免除の嘆願をしたのだけれど殺されてしまって……お父さんはフェグリナを討つと言って出かけたまま結局帰ってこなかった」


「そうでしたか……ごめんなさい」


 ラヴィアはフェグリナの居室、王の間を思い出していた。

 床、壁、天井の至るところに埋められた人々……メイリーの両親も同じような目にあって殺されてしまったのだろうか。


「ラヴィアちゃんはブリスタル王国出身なのよね?今はどうしてラグナレーク王国にいるの?」


「それは……」



 ラヴィアはメイリーにこれまでのいきさつを話し始めた。


 自分がブリスタル王国のクローヴィア男爵家令嬢であったこと。住んでいた町が人狩りに逢い、その時助けてくれた男に付いて旅をしてきたこと。平和になったラグナレーク王国に戦えない自分は置いて往かれそうになっていること。

 さすがにその男が正義の神であることや、自分たち一行がかのフェグリナ・ラグナルを討伐したことは伏せたが。


「そう、その人のことが好きなのね」


「はい。まあ、まだ想いを告げてはいませんが……」


「きっと大丈夫よ!ラヴィアちゃんの想いを正直に話せば、分かってくれるわよ。貴方はとても可愛らしくて、そしてとても誠実な人だと思うから」


「……仮に気持ちを話して、再び旅に一緒に行けたとしても、私が嫌なんです。もうあの人の邪魔になるのは。でも離れ離れになってしまったら、何の為に旅に付いてきたかも分からないし……」


 二人が話し込んでいると店の扉が開き、客がひとり入って来た。


 銀色の髪を短く刈り揃え、安物の綿服に身を包んでいる。

 どこか懐かしさと哀愁を感じさせる男だった。


「なんだ客がいるのか。珍しいな、メイリー」

 男は穏やかな声音で知った風にメイリーに話しかける。


「そりゃあ貴方以外にもお客さんはいますとも……まあ日に十人以上来ればいい方ね」

「結局、閑古鳥とは変わらないな」

「そうねー。まあでもお店を回せるのが私一人しかいないし、これ以上忙しくなってもどうかとも思うのよね」

「はは、違いない」


 ラヴィアはお茶を飲みながら二人の会話を聞いていた。


 何かひっかかるものがあった。

 というのも、入って来た男の姿にどこか見覚えがあったのだ。声にも聞き覚えがあった。


 記憶の中の姿は冷徹さと高貴さとを兼ね備えていたが、目の前の姿はどこかやつれており、代わりに親しみやすさをそなえていた。

 記憶の中の姿は高級な服とマントに身を包んでいたが、目の前の姿は粗末な服しか身に着けていない。

 髪の毛も短くなっているが、その銀色の髪は怜悧な瞳と共に、相も変わらず映えていた。


 ラヴィアがしばし記憶を反芻していると、記憶の中の男と、今目の前にいる男の姿が重なった。

 ならず者を手なずけ、人狩りに手を染め、正義の神に打ち倒され……



「ハ、ハレイケル・デュローラ!?」


「お前は……まさか、ラヴィア・クローヴィアか?」

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