第2章 それぞれの岐路へ

第26話 それぞれの岐路へ①

 フェグリナ・ラグナル――正確にはそれになりすましていた何者かによる圧政はついに終わりを告げました。既にマグナさんが死体にしてしまっていましたが、その何者かはアースガルズ市内の広場に吊るされ、正気に戻った国民たちの前で処刑されました。

 彼らの心にはもはや憎しみしか残っていませんでした。国が荒廃した悔しさ、家族や愛する者を殺された切なさ、財産を奪われ困窮した暮らしのひもじさ……本物のフェグリナが既にこの世にいないことも知れ渡り、エロースの錯覚の力も消滅した今、あの治世を称賛する者は誰もいなくなってしまいました。

 そして私、ラヴィア・クローヴィアは今、彼らとはまた違った理由で悲しみに暮れています……

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 中央尖塔が倒壊した為、ヴァルハラ城では修復の工事が行われていた。建築資材を運ぶ職人たちが絶え間なく行き来する。


 フェグリナの死から一週間の時が過ぎた。ヴァルハラ城の修繕にはまだまだ時間がかかりそうであった。そんな王城の五階の一室に、マグナとスラの姿があった。


「もう行っちまうのか。来週にはツィシェンドのラグナル十四世としての即位式もあるというのに」

「ええ、私はあくまで依頼を受けてフェグリナの命を狙っていたわけですからね。いつまでもここに長居するわけには参りません」

「そうか……寂しくなるな。最後にラヴィアやフリーレには会わなくていいのか?」

 マグナが名残惜し気に口にする。


「もう十分別れは惜しみましたよ……それにまた会うこともあるかもしれません」


 スラは言いながら部屋の窓を開け放つと、窓際に寄りかかり、マグナに別れの言葉を告げる。


「さらば、正義の神よ!我ら四人で旅をした思い出は、きっと忘れることはないでしょう」

「ああ、元気でな」


 マグナが見送る中、スラは窓際に寄りかかった体勢から後ろに倒れこむようにして窓から飛び出し、下へ下へと落ちていった。


 すぐにマグナは窓際に駆け寄り、窓から眼下の景色を見下ろすが、スラの姿は既にどこにも見えなくなっていた。


「……普通に帰れねえのか、アイツは」



 スラを見送った後、マグナもまた自身のこれからについて、思案を巡らせ始めた。


 ツィシェンドの即位式まではラグナレーク王国にいるつもりだが、いつまでもこの国にいる気は毛頭ない。世界にはまだ正義の力で正すべき悪が蔓延はびこっているのだから。


 だがマグナには一つ憂い事があった。

 自分がこの国を離れてしまった後、自分がいない隙に再びラグナレーク王国に災厄が降りかかることはないだろうか?それはこの国だけでなく、ブリスタル王国にも言えることであった。


(先日スラに相談した時、たしかアイツはこんなことを言っていたな……)


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 三日前。ヴァルハラ城の一階、食堂にて。


「なるほど、マグナさんがいなくなった後再び国が荒れることがないか、それを危惧しているわけですね」

「ああ。だがいつまでもこの国にいるわけにもいかないし、どうしたものかな」


 スラはスープを飲む手を止めると、マグナに話を切り出す。


「マグナさん、ならば"眷属けんぞく"を作られてはどうでしょうか」

「眷属?」


 マグナも黒パンを齧る手を止めて、話に聞き入る。


「貴方はラグナレークという大国を救済しました。きっと相当量の"信心"を集めることに成功しているでしょう。なれば眷属を生み出せるはず……」


「眷属、とは何だ?」


「神から生まれ出づる存在であり、その神を何らかの形で体現した存在。それが眷属です。自分はどうありたいか、そして自分以外の存在に意志を託せるのならどのようになってもらいたいかを見つめ直すのです。貴方の神としての力が高まっているならば、きっと眷属は生まれ出でて貴方に忠誠を誓うでしょう」


「……俺にできるのか、そんなこと」


「私のような闇に生きる者は信心とは無縁ですので、神力の消耗が大きい眷属の作成もまた縁がありませんが、マグナさんならば問題ないでしょう。正義の神である貴方から生まれる眷属なら、貴方のいない間もしっかり国を守護してくれると思いますよ」

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 マグナは部屋の壁に寄りかかりながら、天井を眺めている。


 眷属――それは自分自身から生まれ来る存在。

 自分の中の何かを受け継ぎ、それを体現し、眷属は生まれる。


「眷属か……」



 ◇



 アースガルズ市内、南東部の歓楽街エリアにある一軒の大きな酒場。

 店内の大テーブルに十人の男たちが腰掛け、飯を喰らい、酒をあおっていた。


 その中の一人は女だった。

 綺麗に整えられた金色のショートカット、どこか新しさを感じさせるショートパンツの服、傍らに立て掛けた巨大な槍の神器――マグナやスラと共にフェグリナ討伐の旅をしていたならず者、フリーレがそこにいた。嬉しそうにはしゃぐ男たちの中で、一人だけ落ち着いた所作で酒を飲んでいる。


「どうしたんでさァ、おかしらも楽しくやりましょうぜ!」

 彼はお調子者のアベル。

 基本的に言動には思慮が無い。恰幅の良い体格で、あごひげを蓄えている。


「そーですぜー、この店ビールが美味いんョ……」

 彼は大酒飲みのアルブレヒト。

 メンバー随一の酒豪であり、既に大量のビールを飲んでいた。体格はいい方だがいささか腹が出ている。


「まったくだぜ、店員も可愛い娘が多いしな……おーい姉ちゃん!俺にもビールお代わりくれよォ」

 彼は女好きのユルゲン。

 メンバー随一のスケベである。さっきから女性店員の尻ばかり眺めている。


「お前ら分かってねーな。お頭は落ち込んでいるのさ。結局フェグリナとの戦いで自分は大した活躍ができず、正義の神さんがいなけりゃ死んでいた。それを気にしているのさ」

 彼は図体も気心もでかいディルク。

 メンバー随一の巨漢だが、性格は落ち着いている方で懐も広い。フリーレがいない時は彼がまとめ役になることが多い。


「……別に落ち込んでなどいない」


 フリーレが酒を飲みながら呟く。


 実際マグナがフェグリナと戦っていた時、自分は気を失っており、ずっとツィシェンドに介抱されていた。そのことをまったく気にしていないかと言えば噓になる。

 だがフリーレは、そもそもウジウジと悩み続けるような性分ではない。ダメなものはダメだったとさっさと割り切り、次に向かうようなさっぱりさが生きていく上では大切なことだと彼女は考えていた。


 フリーレが考えていたのは、ラグナレーク王国の自分への待遇についてであった。


 彼女は仲間たちを救出したら、さっさとこの国を出ていくつもりだった。行き場がない為、仕方がなくならず者に身をやつしている者も多い中、フリーレは物心ついた時から荒野にいた関係からか、ならず者として生きている自分を悲愴に感じてはいなかった。

 人間社会でならず者は奇異の眼で見られることは理解しているが、それでもならず者である自分を憂えたことなどなかった。


 自分はそういう存在なのだと割り切って考えていたのだ。人間社会は自分にとっては別世界であり、自分はついぞそこに関わることなく一生を終えるのだと、マグナに出会うまではごく当然のように考えていた。


 そんなフリーレにあろうことか、ラグナレーク王国騎士団への加入を次期国王であるツィシェンドが勧めたのだった。



「ラグナレーク王国騎士団か……お前たちはどう思う?」

 フリーレはテーブルを囲む仲間たちに意見を求める。


「騎士団かぁ……良いと思いますよ、おりゃ。お頭ならいくつもの武功を立てて国の英雄になることだって、きっと夢じゃねえ!」

 彼は体は小さいが夢は大きなケヴィン。

 メンバー随一の小柄な体格だが運動神経は良い。いつか金を貯めて裕福な暮らしをするのだと仲間に語ることが多い。


「そうだぜ、お頭。何事も試してみなきゃ分からねえ。勝負しないことには、勝利は決して訪れないぜ」

 彼は博打好きのドレイク。

 大のギャンブル狂である。賭けに大負けして素寒貧すかんびんとなり、ならず者に身をやつした哀しき男である。


「勇猛果敢に敵をなぎ倒していくお頭……いいなァ、カッコイイ……」

 彼は気弱でも勇敢なサミー。

 普段はおどおどしていて覇気のない男である。しかし土壇場で踏ん張れるだけの根性があり、彼の機転が仲間たちの窮地を助けたことが幾度もあった。


「……お頭なら出世できるさ」

 彼は寡黙だが誰より心豊かなジンナル。

 口数は少ないが誰よりも仲間想いな男である。皆が疲れて寝静まっている中でも、一人だけ起きて武器の手入れをしてあげていることも多い。


「……そうか、お前たちの気持ちは分かった」


 フリーレが立ち上がる。

 皆の視線が彼女に集まる。


「私はラグナレーク王国騎士団に加入しようと思う。ツィシェンドが私の提示する条件を飲むならな」

「条件……ですかい?」

 ディルクが尋ねる。



 その時、店の入り口から一人の男がこちらへ向かって小走りで駆けてくるのが見えた。フリーレの仲間の最後の一人、荒くれものだが人情味の有るラルフである。


「お~い!お頭~!」

「どうした?騒々しいぞ」

「お頭に逢いたいって、こちらの方がわざわざいらして……」


 ラルフが振り向く先には外套を着こみ、フードを目深にかぶった男が立っていた。それは、お忍びでヴァルハラ城からアースガルズ市内へと外出していたツィシェンドであった。


「ほう、国王陛下が直々に私の元に来てくれるとは。何か急用でもできたのか?」


「いや、はっきり言って久しぶりの外出、そのついでみたいなものだ。それにさっさと答えを聞いておきたいというのもある」


「次期国王が街中をふらふら歩いて良いのか?」


「ハハハ!まあバレなければ問題ないさ」

 ツィシェンドはできるだけ声を抑えながら笑う。


 フリーレはテーブルの座席から、ツィシェンドの元まで近づいていく。


「まあ、ちょうどいい。お前に折り入って頼みたいことがある……私はラグナレーク王国騎士団に入ることはやぶさかではない。ただし私の仲間達も一緒に騎士団に迎え入れてほしい。それが私が騎士団に入る条件だ」


「何だそんなことか。もちろん歓迎させてもらうよ、君たち全員をね」


 ツィシェンドは一切の躊躇なく、ならず者全員を迎え入れる意思を示した。

 その言葉を聞いたフリーレの仲間たちは声を上げて驚き、沸き立った。


「マジかよ!俺たちが王国兵士に!」

「この国の市民権、それにまっとうな職が手に入るってことじゃねえか!」

「武功を立てれば、騎士階級や貴族階級にだってもしかしたら成れるかも!」


 仲間たちの声に喜びを感じながらも、フリーレはそれを内心に潜めつつ仏頂面で問う。


「……いいのかツィシェンドよ。ならず者である我々を、そんな簡単に受け入れてしまって」


「ああいいさ、気にするなフリーレ。お前たちは確かにならず者、今まで野盗として生きてきたのだろう。だがお前たちがそれほど邪悪な存在ではないことは私には分かる。人を見る目はあるつもりだ。それに正義の神が、お前は信頼のおける奴だと評価していた」


「マグナが?」


「確かにならず者ではあるが、非常に冷静で理知的な人物。軽はずみに野蛮な行為は行わず、よく知らない人間社会にも敬意をもって接することができる社会性。究極の野生児だからこそ、中途半端なならず者では決してたどり着けない、普通の人間でもたどり着けない、そんな価値観と矜持を持った存在――それがフリーレだとマグナは言っていたぞ。彼はお前のことをかなり高く評価しているようだ」


「……そうか」


 フリーレは少し目線をそらした。


 仲間内から称賛されることはいつものことだが、ならず者以外の存在に褒められる経験など無く、フリーレはこういう時にどんな反応をするべきなのかが分からなかった。

 何一つとして称賛される為にしているわけではないのに……フリーレは奇妙な感覚に陥っていた。しかしこのよく分からない感情の中に、確かに嬉しさがあるようには感じられた。


「実はマグナに、ずっとラグナレーク王国に残ってくれないかと打診したところ、断られてしまってな。代わりにフリーレの騎士団への加入を勧められたのだ。その際、お前が戦闘力も人格も信頼に値する人物だと聞かされたのだよ。それにあの姉様の名を騙っていた不届き者のせいで騎士団も戦死者が多くてな、正直深刻な人手不足に陥っている」


「そういうことだったか」


 仲間たちがいまだ沸き立っている中、フリーレはツィシェンドと固い握手を交わし始める。


「ではこれからよろしく頼むぞ、ツィシェンド王よ。私たち十人、王の為、そしてこの国の為に戦うと誓おう」


「ああ、頼りにしているぞ。間もなく神聖ミハイル帝国との戦争に駆り出されていた騎士団の戦闘部隊が帰還してくる。彼らが帰ってきたら、お前たちのことを紹介するとしよう。そして私の即位式に合わせてお前たちの入団式もやれたらと思う」



 ◇



 アースガルズ市内には夕暮れが近づいていた。


 南西部の居住エリア、河沿いの高台となっている場所にラヴィア・クローヴィアは居た。塀の欄干に腕をかけてもたれかかり、眼下の街並みを眺めている。

 もうそろそろ暗くなってきた。街のあちこちに篝火が焚かれ始める。高台から米粒のように小さい人々を眺めながら、ラヴィア・クローヴィアは悲嘆に暮れていた。


(きっと次の旅に、マグナさんは私を連れて行ってはくれない……私には戦う力がないから。自分の身を自分で守ることすらもできないから)


 ラヴィアは知っていた。マグナがアースガルズ市内で一軒の家を購入していたことを(金はツィシェンドから報奨金を受け取っている)。


 彼は再び旅に出るはずなのに何故家を購入したのか、ラヴィアには何となく察しがついていた。きっと、自分がその家に住まわされるのだろう。そのような話が近日中に来るに違いないとラヴィアは確信していた。


(まあでも、仕方がないことです。始めはマグナさん、途中からフリーレさん、最後はスラさん。私はずっと誰かに守られながらここまで旅をしてきました。私は何一つとして、自分一人では成し遂げていない……!)


 ラヴィアは生気のない眼で眼下の景色を見下ろしている。

 遠く隔たった地面や家屋、行き交う人々が、ラヴィアには自身とマグナとの距離のように感じられた。


(遠い……あの地面のように。私とマグナさんが遠のいていく。どうすればいいの?そもそもマグナさんは私のことをどうとも思っていないでしょう。私が勝手に付いてきただけですし。想いを告げてずっと一緒にいてほしいと伝えれば、私とこの国に残ってくれるか、一緒に旅に連れ出してもらえる?でも正義の為に旅をするマグナさんの邪魔をしたくない。嗚呼、一体どうすれば……)


 ラヴィアは塀から身を乗り出さんばかりにうなだれ、表情は悲嘆に満ちている。


 その姿は傍から見れば、投げ捨てるべきでないものを投げ捨てようとしている……そんな絶望しきった人の姿に見えたのだろう。



 一人の女性がこちらに向かって走って来る。


 桃色の少しだけ癖のある髪を靡かせながら、近づいてきたその女性はラヴィアの胴に横から飛びついた。二人して地面に転がる。


「あんたって、馬鹿!まだ若いのに!そんな早まったりしちゃダメよ!」


「……え?」

「……ん?」


 二人の間に妙な間が流れた。

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