第25話 ラグナレークの夜明け

 ツィシェンドはフリーレを抱えて空を飛びながら、ヴァルハラ城の中央尖塔が倒壊していく様を見ていた。


(何という威力だ、マグナは無事だろうか。それにこれではかろうじて生きていた人々も助かるまい)


 時を同じくして、スラもラヴィアと共に城の屋上端まで避難して、様子を伺っていた。


「マグナさん、大丈夫でしょうか」

 ラヴィアが不安そうな声で呟く。


「心配いらないでしょう。雄叫びを上げフェグリナを挑発していた彼の姿は、私には勝負を捨てているようには見えませんでした……きっと、彼は覚悟を捨てたのです」


「覚悟を……捨てたのですか?」


「ええ、捨てたのです。その為の、決心の為の雄叫びだった。捨てる決心をしたのです……不殺を貫くという覚悟を」


「不殺を貫く覚悟?」


「彼は一貫して殺すという結末だけは避けてきました。あのフェグリナでさえも更生の余地あれば生かすことも考えていたでしょう……ですが不殺の覚悟を捨てた。捨てさせたのは、他ならぬフェグリナ自身。その代償は彼女に重くのしかかることになるでしょう」


 不穏な空気が流れる中、いつの間にか空は闇夜に染まっていた。




 がらがらと崩れる瓦礫、視界を遮るほどに舞う砂埃の中、フェグリナは正義の神の様子を伺っている。やがて周囲の喧騒が落ち着き、視界も晴れてくると、彼女は驚愕した。


 ――マグナ・カルタは五体満足で、フェグリナの前に立ちはだかっていた。


 鎧はひどく損傷しているが、自分が特大の斬撃を放つ前からあの程度には損傷していた。つまり、先ほどの特大の一撃はまったくダメージになっていないことになる。中央尖塔が倒壊し、王の間が空の下にまるごと露出するほどのあの斬撃で。


(どういうこと!?今まで通常の斬撃でも、鎧は損壊し傷を負っていたのに)


 フェグリナはこの時初めて戸惑いの表情を浮かべていた。


(今まで放っていた斬撃はせいぜい出力20%から30%程度のものだった。先ほどの特大の一撃は100%どころではない。八尺瓊勾玉の力で本来の限界を超えて放った、出力200%とでもいうべき一撃……それで何故負傷しない!?)


 彼女には思い当たる節があった。


(思えば、王の間に対する錯覚が解けたあたりからか、斬撃一発あたりの損傷度合いがそれ以前と以後とではまるで違っていたような気がする。錯覚が解ける前は一発でもそこそこのダメージを与えていたのに、解けて以降はそれ以前とは比較にならない数の斬撃を浴びせているにも関わらず、奴はいまだに立ち上がれるし鎧も損壊し切っていない……もしや戦闘中に防御力が上がっている、とでもいうの?)



 フェグリナが思考を巡らせていると、いつの間にか悠然とした足取りでマグナが眼前まで迫っていた。彼女は逃げ出そうとするが、金属硬化した彼の大きな腕に胸ぐらを掴まれる。


「ショックだったか?最大威力の攻撃が通じなくて……まあ俺もこの戦いを通して初めて気付いたんだがな。どうも俺の鎧は、精神状態に呼応して強度が変化するものらしい」


 きっと、ハレイケルの時も同じだったのだ。

 奴の味方の犠牲を省みない態度が、マグナに怒りを感じさせた。


「……俺は今心の底から頭にきている。今まで感じたことのない怒りだ。人とはここまで怒りの感情を持つことができるのかと、我ながら呆れそうになるくらいにな……!」


 フェグリナは何も答えない。


「お前は要らないことをしすぎたんだよ、フェグリナ。くだらない部屋作りやがって。俺をここまで怒らせなければ、勝機はお前にあったかもしれないのにな」


 フェグリナは何も答えない。


(どういうことだ?やけに大人しいな。観念して、抵抗を諦めたのか?しかしこのまま決着がつくのは、”都合が良すぎる”ような……)


 マグナがそのことに思い至った時、彼はフェグリナの能力が何であったかを思い出した。


 直後、彼はフェグリナの胸ぐらをつかんでいたはずの右腕に違和感を感じた。人ひとりを掴み上げている重量感から、それよりも明らかに軽い感覚へと変化していった。自身の手の形も、人の胸ぐらを掴んでいる形から、何か細長いものを掴んでいる形へ変わった。


 ――掴んでいたのは、先ほどまでフェグリナが手にしていた剣、草薙剣であった。

 肝心のフェグリナの姿はどこにもなくなっていた。


「ッ!ちくしょう、また錯覚か!」




 ヴァルハラ城の四階、マグナたちが通って来た対侵入者用の通路とは違う通路をフェグリナは敗走していた。


 エロースの錯覚の能力はきっかけがある方が当然発動しやすく、彼女はマグナに捕まる直前に草薙剣を掴ませ、フェグリナを捕らえることに成功したという錯覚を引き起こしていた。


(結果として、私は攻撃手段である草薙剣を手放すことになってしまった。もう正義の神に勝つことは不可能。こうなれば仕方がない……ラグナレーク王国は、捨てる!)


 フェグリナが通路の角を曲がる。


(また別の国を牛耳って再起を図るとしましょう。このアヤメ・カミサキは、必ず栄華を築いてみせる……しかし正義の神を討つ算段が整うまでは、あまり目立たないようにした方がよさそうね)


 三階に降りる階段を目指す。

 彼女は地下を目指していた。


(地下の宝物庫にある八咫鏡で姿を変えて、早くこの国を脱出しなければ……!)


 フェグリナは無我夢中で走り続けていた。

 それでも眼前に人の姿などなかったはずであったが、突如として人の姿が現れ、彼女はたまらずぶつかって転倒した。


「……いたた」


「おやおや、女王陛下、どちらへおいでで?執務室は反対方向でございますよ?」


 眼前に立ちはだかっていたのは、スラ・アクィナスであった。

 傍らにはラヴィア・クローヴィアの姿もある。


「誰?いつの間に」


「……女王陛下、よろしければわたくしが、執務室までエスコート致しましょう」


 スラがフェグリナの手を取る。


「もっともヘルメースの能力を持つわたくしがエスコートする以上、行き先は冥府に変わってしまうかもしれませんがね……」



 ◇



 マグナは苛ついた動作で、草薙剣を床に投げ捨てた。


 早くフェグリナに追いつかねばならない。彼女には錯覚を引き起こす能力があるし、姿を変えられる八咫鏡という神器もあるらしい。追いつけなければ、フェグリナの脱出を許すことになり、そうなれば彼女を再び捕らえることは不可能になってしまうだろう。


 マグナが急いでヴァルハラ城を降りようとしていると、何者かが何かを背負って近づいて来るのが見えた。


 よく見慣れた姿だった。

 スラ・アクィナスがラヴィア・クローヴィアを連れてマグナの元まで来ていたのだ。背負っていたのはロープで拘束され、無力化されたフェグリナであった。


「おやおや、マグナさん。ご心配には及びませんよ」


「スラ、それにラヴィアも!無事でよかった。フェグリナとの戦いを見ていたんだな」


「ええ、実はずっと」



 ヴァルハラ城の屋上、倒壊した中央尖塔から幾分か離れた場所に一同の姿があった。


 正義の神マグナ・カルタ、彼の旅に同行していた少女ラヴィア・クローヴィア、ヘルメースの能力を持つ暗殺者アサシンスラ・アクィナス、本物のフェグリナ・ラグナルの実弟ツィシェンド・ラグナル。気を失ったフリーレは少し離れたところで寝かせられている。


 彼らの前で偽者のフェグリナ・ラグナルは拘束された状態のまま、床に座り込んでいた。夜の闇のように黒い彼女の髪は乱れに乱れていた。

 

 マグナがフェグリナに向けて歩を進める。

 消耗が激しかった為、現在鎧化は解除している。


「ね、ねぇ、もうやめましょう?私の負けはもう確定したわ。私に戦う意思はない……そうだ、これからは正義の神に恭順することを約束するわ。力を合わせて世界を統べましょう!」


 フェグリナの言葉に一切耳を傾けることなく、マグナは彼女の横っ面を容赦なく殴りつけた。


「ッ!」


「ふん、どうやら今目の前にいるフェグリナは、錯覚とかじゃなさそうだな」


「マグナさん、我々の旅の目的はフェグリナ・ラグナルを討伐することであったはずです」


「なるほど、現状が既に俺達のお望み通りなわけだから、”希望的観測を極大化させ錯覚を生じさせる”という能力の入り込む余地が最早無いわけか……これで安心してお前を処断できるってもんだ」


 マグナがすわった表情で拳を鳴らす。

 フェグリナは必死の形相で言葉を続ける。


「待って!正義の神が人殺しをしていいわけ?」


「……確かに、誰にでも過ちはある。過ちを犯さない人などいないだろうし、過ちを犯したからといって更生する未来があるかもしれない将来まで取り上げる必要はないと俺は考えている」


「だったら……「だがなっ!だがなっ!」」


 フェグリナの声をマグナの力強い声が遮る。彼の表情はまさに修羅を彷彿とさせる凄まじい迫力に満ちていた。憤怒の形相に憎悪の陰を帯びていた。


「……だがな、ものには限度ってものがある。お前はあまりにも悪行を重ね過ぎた。ラグナレーク王国の為に、いやこの世界の為にもお前はこの世から取り除かれなくてはならない。正義の神のこの俺が直々に引導を渡してやる……!」


「待って、私はあのフリーレとかいうならず者と同じよ!力で弱者を支配する、弱肉強食の理論で生きてきただけ。あの女だって、弱い者から奪いながら生きてきたんでしょう?」


「そうだな、確かに弱肉強食という理屈で生きてきたという点ではお前とフリーレは共通しているだろう……だが、決定的に違う点がある」

 マグナは言葉を続ける。


「フリーレは生命いのちを侮辱しない、生きるという営みを踏みにじりはしない。あいつは人間社会のことをよく知らないが、だからといって好き勝手には振る舞わなかった。あいつなりに敬意をもって人間社会に接していた。きっと野生の中では様々な動物たちが自分たちの社会を持っていて、それを間近で見てきたあいつはその尊さを理解しているんだろう。だからよくわからない社会でも、自分が属していない社会でも、侵害しようなどとは思わないし、それどころか尊重しようとする態度すら見て取れた。その社会で生きているものたちをいたずらに傷つけはしない。あくまでならず者だから、人から物を幾度となく奪ってきただろうが、結局それも自分たちが生きる為だ」

 マグナの声に力がこもる。


「だがお前は違う。権力の座に収まり、やりたい放題。自分が生きていく為に仕方がなかったとか、そんなんじゃねえだろう?逆らう者は殺すか戦地に送り、重税を絞るだけ絞り、国民には一切還元しない。お前は余りにも人の生命いのち、生きるという営みを侮辱し踏みにじり続けた……!」


 彼は再びフェグリナの頬を殴りつけた。血飛沫と共に歯が飛んでいくのが見えた。


「……弁明は聞かねーぞ?お前には否応なく死を迎えてもらう。本来なら国民の前で処刑するべきだろうが、お前の能力の都合上、間を空けると逃げられる可能性がある。お前には、今この場で死体へと変わってもらおう」



 マグナはフェグリナを渾身の力を込めて殴りつける。

 肉と骨がひしゃげる音と共に悲痛な声が聞こえる。


 ラヴィア・クローヴィアは、そんな正義の神の姿を見ながら、昔の光景を思い出していた。


 あれは三年ほど前だっただろうか。ラヴィアが初めてマグナ・カルタという人物を知った日のことだった。


 ブリスタル王国ヘキラルの町で、一人のガラの悪い男が通行人の男性に馬乗りになり、何発も何発も執拗に殴り続けていた。ぶつかられたことに腹を立てたが故の行いだった。

 肉と骨がひしゃげる音と共に悲痛な声が聞こえる。

 ガラの悪い男のツレたちはニヤニヤ笑いながらその光景を見ていた。

 周囲の人々は戸惑いながら、その状況を遠巻きに眺めているだけだった。殴られていた男はみるみる衰弱していった。

 だれか助けに行かないものか、そう思っていた時に一人の怜悧な顔つきをした男が割って入っていった。その男こそが、まだ神となる前のマグナであった。


 マグナは今、ラヴィアの思い出の中のガラの悪い男とまったく同じように、既に抵抗する気力も失ったフェグリナを殴り続けていた。


 肉と骨がひしゃげる音と共に悲痛な声が聞こえる。



 肉と骨がひしゃげる音と共に悲痛な声が聞こえる。

(マグナさん、手を下してしまいましたか……)


 スラが思案気な顔で正義の神の制裁を眺めている。

 肉と骨がひしゃげる音と共に悲痛な声が聞こえる。


(正直、フェグリナを殺すことには賛成です。異論などまったくありません。もしあれだけの悪行を重ねた暴君に対しても、更生の余地ありとして生かすという生温い決断をしていたのであれば、私がフェグリナを殺していました)


 肉と骨がひしゃげる音と共に悲痛な声が聞こえる。


(問題は、貴方自身が手を下してしまったことです……正義の神である、貴方自身が)


 肉と骨がひしゃげる音と共に悲痛な声が聞こえる。


(始末するという汚れ仕事など、暗殺者アサシンである私に任せておけばよかったのです。貴方は貴方自身で手を下してしまった……!)


 肉と骨がひしゃげる音と共に悲痛な声が聞こえる。


(事情はどうあれ、貴方は”理由さえあれば殺人は正当化されることがある”という前例を自ら作ってしまったのです……他ならぬ正義の神である貴方自身が……!)


 肉と骨がひしゃげる音と共に悲痛な声が聞こえる。


(ふふふ、貴方が正義の神として、これからどのようになっていくのか……不謹慎ながら興味深くなってまいりましたよ)


 肉と骨がひしゃげる音と共に悲痛な声が聞こえる。

 肉と骨がひしゃげる音と共に悲痛な声が聞こえる。



 やがて拳を振るう音も、悲痛な声も聞こえなくなり、静寂が訪れた。

 五人は物言わぬ亡骸を連れて、崩壊した塔を抱いた城から出ていく。

 静寂の中で東の空は白み始め、人々もまるで夢から醒めたかのように正気を取り戻した。


 そして、ラグナレークに夜明けが訪れた。

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