第24話 VSフェグリナ・ラグナル②

 マグナの拳を受けてフェグリナが吹き飛ぶ。しかし草薙剣を杖代わりにすぐに立ち上がった。打撃の刺さりは甘いようだった。


「ようやく本体を見つけたぜ。テメェのだまくらかしもここまでよ」


 フェグリナは笑いながらマグナを見る。


「たいした自信ねぇ。本当の私を見つけられたのがそんなに嬉しかったのね」


 やがて声のトーンを落ちつかせて言った。


「ねえ、貴方は正義の神なのよね。罪もない人が傷ついたり、死ぬのが許せないような」


「だからどうしたというんだ?」


「だとしたら笑ってしまうわねえ。だってこの部屋にいながら、貴方は平然としているんですもの……まあ、でも仕方がないわよね。思い込みであっても、それが真実とは異なるのだとしても、人は自分というフィルターを通してでしか世界を認識できない悲しき存在。たとえどれだけおかしいことでも、貴方がそう思っているなら、それは貴方にとっては間違いなく真実であり続けるのよねぇ」


「テメェ、何が言いたい!」



 フェグリナが意味深な述懐を続ける中、ラヴィアはスラと共に王の間の入ってすぐの辺りまで戻って来ていた。ヘルメースの能力で姿を消している為、二人の存在には気付いていないが、フリーレを抱えたツィシェンドも近くにいる。


 ラヴィアは床にへたり込んで戦いの行き先を見守っていたが、床に置いていた手に違和感を覚えた。石造りの床のはずだが、堅くなく温もりまで感じる。何かがおかしい。


「スラさん、この部屋変です……」

「どうしました、ラヴィアさん?」

「石造りのはずなのに、石造りのはずなのに…………床が柔らかいです!」

「ッ!何ですって!」


 王の間は別段おかしなところはないはずだった。

 入ってすぐにはちょっとした空間が広がり、両脇には小さな階段が設えてある。それを登れば乱雑に書類の散らばった執務机があり、その向こうにはアースガルズを一望できるバルコニーがある。バルコニーから覗く景色はいつの間にか夕闇に染められていた。


 ラヴィアとスラは……気付いてしまった。

 そしてフェグリナの言葉を聞いている内に、マグナとツィシェンドも気づき始めた。


 この部屋はおかしい。何の変哲もない王の居室のはずなのだが、何かがおかしい。そう思った時、突如として見えていた景色が変貌を始めた。部屋の間取り自体に変化は無い。


 ――だが王の間の壁、床、天井に至るまで、一面に人間が埋められていた。


 頭部と胸部だけが露出する形で埋められており、肉体のそれ以外の部分は石材の中に埋まっている。ほとんどが生気を失った眼で呆然していたが、力なく何かをうわ言のように呟いている者もいた。タスケテと聞こえたような気がした。男も女も老いも若いも分け隔てなくいた。肉体がひしゃげて死んでいる者が幾人も見受けられた。



 マグナもツィシェンドも、スラもラヴィアも目の前の光景をすぐには受け止められなかった。


「スラさん!何ですか、これ!これも錯覚ですか!?」

「……いや、おそらく違うでしょう。フェグリナは自身の能力を”人の希望的観測を極大化させ錯覚を生じさせる”能力だと説明しました。ラヴィアさん、貴方はこんな状況を欠片でも望みますか?」

「望みませんよ!」

「私も同感です……逆なのです、我々は最初から騙されていた。始めから見ていた、何の変哲もない王の間こそが錯覚だったのです!」


 呆然と辺りを見回し、立ち尽くすマグナ。

 これはどういうことだろうか?フェグリナに逆らった者達の末路だろうか?


 やがて、フェグリナがほくそ笑みながら口火を切る。


「敵の本拠地に乗り込んでいるんだもの。王の居室に罠などが無ければよいなと、きっと貴方たちは皆思っていたのでしょうね。だから先ほどまでは普通の、特筆すべきこともない部屋に見えていた。思い込みとは気づけてしまえばそれまで……でも気づけなければ、事実とどれだけ乖離していても、当人にとっては真実であり続ける」


 辺りを恍惚げに見回しながら言う。


「これは私に歯向かってきた者たちの末路……私の能力も完全ではないのよねぇ。効きが甘かったり、何かの拍子に覚めてしまうと、こういう奴らが出てくるのよ。この私に向かって抗議をしたり、デモなんかしたり、あまつさえ私の命を狙ってきたりとね」


 フェグリナはすぐ近くの床に埋まった男の顔を踏みつける。心が既に壊れているのか、男からは何の反応もなかった。ただ血が流れ出していくだけだった。


「最初は皆、大声でがなりたてるのよねぇ。この暴君めだとか、今に天罰が下るぞだとか。だけど虐待を続けていくと、次第に悲痛な泣き声と救済を求める懇願の叫びしかしなくなる。終いには心が壊れて御覧の有様よ。生きてはいる、ただそれだけの物体に成り果てる」


 今度は別の位置に埋められている女性の方に近づく。救いを求めるか細い声が聞こえる。容赦なく剣を突き立てると、女性は叫び声を上げた。


「ふふふ、こうやってまだ理性が残っていて痛めつけがいがあるのもいるわねぇ。まあ埋めて以降食事は与えていないから、放っておいても勝手に死ぬんだけど。痛めつけてさっさと死なせてやった方が温情かしらねぇ?」


「やめろ!」


 マグナはフェグリナに向けて、鎖を射出する。

 彼女は草薙剣でそれを弾くと、口元を歪ませ、邪悪な笑みを浮かべた。



「ふふふ、正義の神、自分が何をしたのか理解しているの?そちらの壁の方を見てみなさい」


 フェグリナが指差す方をマグナは見る。そこは草薙剣の斬撃によって、盛大に崩れた壁であった。その箇所に埋められていた人間は肉体がひしゃげて死んでいた。


「貴方が不用意に斬撃を躱してくれたおかげで、あらら、死んでしまっているわねぇ……次は天井を見てみなさい」


 上を仰ぎ見る。そこは斬撃を躱すために、天井に向けて鎖を放ち、それが突き刺さった箇所だった。天井の石材に埋められていた人間の胸部に深々と穴が空き、血が滴り落ちていた。既に息は無かった。


「貴方が鎖を突き刺してくれたおかげで、もう死んでしまっているわねぇ。可哀想に……今度はその直下の床を見てみなさい」


 真下の床を見る。そこは天井から急転直下でマグナが幻影のフェグリナに向かって、攻撃をしかけた箇所だった。床は盛大に割れ、その位置に埋められていた人間もまた同じような有り様に死んでいた。


「貴方が急降下して床を割ってくれたおかげで、見紛うまでもなく死んでいるわねぇ……そして、この王の間全体を見渡してみなさい」


 周囲を見回す。床、壁、天井……部屋中に埋められた人々は皆一様に傷を負って血を流していた。既に息絶えている者も少なくなかった。


「貴方が鎖を滅茶苦茶に振り回してくれたおかげで、あらあら、みんな傷だらけじゃない」


 フェグリナはふふふ――と、しばらく顔を俯かせながら笑い続ける。

 そして顔を上げたかと思うと、身の毛もよだつほど不気味で邪悪な笑みを浮かべて、底冷えのする声音で言ったのである。


「ねぇ、いいのぉ?正義の神が人を傷つけ、殺して……」


 フェグリナは再び笑い始める。

 マグナはそんな彼女の姿を見たまま、黙って佇んでいた。



「……信じられない。あの女王は何を考えているんですか」

 ラヴィアは心底辟易した表情を浮かべていた。

 あのフェグリナの名を騙る者は、本当に同じ血の通った人間なのだろうか。


「……私は今まで暗殺者アサシンとして生きてきました。ですから、この手で何人もの人を殺めてきましたし、人の死に様などはっきり言って見慣れています。ですがこんな私でも吐き気を催すほどに、邪悪で醜悪な存在ですね……!」

 スラもまた心底不快そうな表情で言った。


 フェグリナはひとしきり笑い終えると、草薙剣を構え、再び斬撃を飛ばし始めた。斬撃はマグナに直撃した。彼は避けなかった……いや、避けられなかった。


「ふふふ、さあ試しましょうか。貴方がどれだけ正義の神でいられるかをね!」


 フェグリナは斬撃を何発も、何発も放ち続けた。マグナはそのことごとくを避けることなく、受け続ける。彼の頑強な鎧はみるみるうちに損壊して傷ついていく。


「マグナさん!やはり避けてしまうと周りの人がまた傷つくから、動くに動けないんです!」


「やはりこうなりますか。このままでは防戦一方です。はっきり言って、埋められている方々は見捨てるべきでしょう。既に死んでしまっている者も多いですが、まだ息がある者もそれなりにいる。ですが見たところ、そのほとんどは心が壊れてしまっています。救済したところで、まともな社会生活が送れるようには思えません。私なら見捨てていますが……彼の正義の神としてのプライドがそれを許さない」

 二人は冷や汗を流しながら、状況を見守っている。



 彼はいったい何発の斬撃を受けただろうか。鎧は大きく損壊し、鉄仮面も崩れかけ、彼の素顔が僅かに覗いていた。


 やがて彼は顔を上げたかと思うと、周囲を驚嘆させるほどの雄叫びを上げた。フェグリナも、スラやラヴィアも、ツィシェンドも、皆一様に彼を見る。


「……いい気になるなよ、暴君」


「ふふふ、威勢のいいこと。その劣勢で、よくそんなに強がれるわねぇ」


「劣勢?残念だが、押されているのはお前の方なんじゃないか、フェグリナ」


 マグナは鎧から覗かせた冷たい瞳で、フェグリナを睨みつけている。


「お前がさっきから俺に浴びせている斬撃は、常人なら一発で原型も留めない程の肉塊に成り果てるほどの威力だ。だがそれを何発も受けながらも、俺はこうして五体満足で立っている……これほどの防御力を持つ相手に、何故お前は余裕しゃくしゃくでいられるのか?俺は、お前がまだ草薙剣を最大威力で使っていないからだと考える」


 マグナは右腕を上げて、挑発の動作を取る。


「来な!お前の最大出力の攻撃で!もっともお前の邪悪な心と、ちゃちな刃では、この正義の鎧を砕き斬ることなんざ不可能だがな!」


「ふふふ、安い挑発ねぇ……いいわ、乗ってあげる!」


 フェグリナは草薙剣を振り上げる。

 そして剣と共に、彼女が首に掛けていた勾玉が光り輝き始めた。


「これは三種の神器最後の一つ、”八尺瓊勾玉やさかにのまがたま”よ。装備した者に精神力を供給する神器。これがあるおかげで私は草薙剣をいくらでも振るえるし、草薙剣本来の最大出力を超えた斬撃を放つこともできる」


 草薙剣から強烈な光が、迫力を帯びて溢れ出している。


 マグナはツィシェンドに目配せをする。彼はすぐに翼をはためかせると、フリーレを抱えて王の間を、崩れた壁の隙間から飛び出した。スラもまたラヴィアを素早く抱え上げると、同じようにして王の間から躍り出た。


(これは本当に退避した方が良さそうですね……!)


「見るがいい!千の軍勢をも草原くさはらを刈るように薙ぎ払ったとされる、草薙剣の真の威力を!」


 フェグリナは草薙剣を大きく振るった。


 爆発したかのような衝撃が周囲の空気を振るわせたかと思うと、ヴァルハラ城の中央尖塔に斜めの巨大な亀裂が入り、やがて塔の上部が轟音と共に崩れ落ちた。

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