第20話 VS暴虐のグスタフ、そしてツィシェンド王子の過去

 フリーレはヴァルハラ城五階の通路を疾走していた。天井の高い、それなりに幅の広い通路だった。

 

 兵士の詰め所でもあるのか、途中で十数人のラグナレーク兵が襲いかかってきたが、フリーレは一歩も足を止めることなく彼らのことごとくをいなすと、ちょっとした高さの螺旋階段へと到達した。

 

 階段を昇った先には扉があり、フリーレは扉を開け放ち、外へと躍り出た。ヴァルハラ城の屋外部分に彼女はいる。


 ヴァルハラ城には三本の尖塔が備わっており、中央の尖塔は左右のそれよりも大きな造りとなっている。フリーレは左の尖塔から城の屋上部分へと出て来ていた。視線の先にはヴァルハラ城の中央塔がある。


 フリーレは歩を進める。

 やがて、一際身なりの大きな男が視界に映った。身丈は三メートルはありそうな、筋骨隆々のスキンヘッドの巨漢だった。


「来たな、ならず者……俺はフェグリナ親衛隊幹部の一人、”暴虐のグスタフ”。お前のむくろをフェグリナ様へ献上するとしよう」


 グスタフは中央塔の前に立ちはだかるようにして、迫り来るフリーレを迎え撃つ。懐から特性のメリケンサックを取り出すと、拳にはめ込みファイティングポーズをとった。


 一方フリーレは構えない。いや、厳密に言うと既に構えている。


 フリーレは四階でマグナ達と分断されてから今に至るまで、ずっとグングニールを片手に構えながら片時も止まらず疾走してきた。屋上に出てからも、グスタフを視認してからも、彼女は一切脚を止めることはなかった。


 二人の距離がぐんぐん縮まっていく。停止することなく向かい来るフリーレにグスタフは少々面食らったが、フリーレを迎撃せんと拳を打ち込もうとする。


 一方、フリーレは――グスタフのことなど眼中になかった。視界には入っているが、眼中にはない。なんだか図体のでかい兵士がいるな、彼女が思っていることと言えばせいぜいそのくらいであった。類稀なる戦闘経験を持つフリーレは、相手の所作や気迫など、見てくれ以外のところで強さを把握できる。彼女にとってグスタフは、五階で止まることなく蹴散らしてきた雑兵と大差ない存在だった。


 すれ違いざまにグスタフは拳を打ち込む。しかしそれより数段早く、フリーレはグングニールを上方に放り投げると、即座に宙返りして拳を躱した。

 床に手を着くと、そのまま体を大きくねじり、グスタフの顎先に強烈な蹴りを喰らわせた。彼の巨体が大きくよろめく。フリーレは体勢を素早く戻すと、ちょうど上から降って来たグングニールを右手でキャッチ、その勢いのまま体を一回転させ、グングニールの柄でグスタフの顔面を強烈に殴り飛ばした。


 グスタフの巨体が宙を舞うほどの威力だった。

 凄まじい音を立てながら彼は床に倒れ伏した。


 フリーレは中央塔の扉に向かう。

 結局フリーレはグスタフの拳を避け、蹴りを喰らわせ、グングニールで殴りつけるだけの三秒とかかっていないであろうわずかな時間脚を止めたのみで、ほとんど歩みを止めないまま中央塔まで到達した。


 朦朧とする意識の中で、グスタフはフリーレの後ろ姿を見ていた。圧倒的な強さ、凛とした気迫は、彼女の生き様を何も知らないグスタフにまざまざと教え込むようであった。


 金色の髪を靡かせ、どこか新しさのある服の裾をはためかせながら、彼女は扉へと向かう。グスタフは意識を失う直前、頭の中でこう思った。


(美しい……)


 フリーレは扉を開け放つと、やがて尖塔の中へと姿を消した。



 ◇



 マグナは全身の鎧化を解き、翼をはためかせたツィシェンドに体を引き上げてもらう。


 地下奥深くの空間から、二人は城の四階まで戻ってきていた。戻ってきたマグナがまず驚いたのは床に空いた大穴の横に、十数人の亡骸が血の海の中に転がっていたことだった。まさに死屍累々の光景であった。

 

 マグナ達は大穴を隔てた血の海の対岸に着地する。


(誰がやった?ラヴィアのわけがない。フリーレがやったようにも見えん、そもそもあいつなら邪魔な奴だけのして、さっさと先に行ってしまうだろう。となるとスラだな……まあ、あいつは確かに暗殺者アサシン、すなわち殺しを生業にするものだと名乗っちゃいたが)


 マグナは正義の神として目の前の光景をどう受け止めるべきか悩んでいる。

 一方ツィシェンドは、城の者が殺されたというのに、興味なさげに死体の山に背を向けると先に歩き出した。


 彼は知っている。現在城で徴用されている兵はフェグリナに媚びへつらうことで昇進していったよそ者ばかり。真っ当な人物や昔ながらの勤め人でも、逆らう者は殺されるか、投獄されるか、戦場に送られてしまっていた。

 

 マグナも血の海から目を背けると、ツィシェンドを追って歩き始める。


「ツィシェンドと言ったな。フェグリナ・ラグナルの弟だというのは本当なのか」


「ああ、本当だよ」


「フェグリナは十年前に先王フェルナード、つまり自分の父親を殺害して王位を簒奪した後、逆らう者は皆殺しにしたと聞く。母親や弟も殺したと……殺されたわけではなかったのか」


「殺されそうになったのは本当だ。かいつまんで話そう。これまでのあらましを」




 ――ツィシェンドが話した内容は次の通りだった。


 王妃フェリーネと王子ツィシェンドはフェグリナ派閥の兵士に捕縛された後、王都アースガルズから北方のヨーツンヘイムにある研究施設に送られた。そこは”魔人”を生み出す為の研究施設であり、表向きは死亡したことにされた王妃と王子は実験台にされたのだ。

 フェリーネは負荷に耐えきれず衰弱して絶命した。下半身は昆虫のように変貌していたという。一方ツィシェンドは母親ほどひどい衰弱は無く、自分は生きて施設を出られる可能性があるかもしれないと思った。


 彼は決意した、どうにかして施設を脱出せねばならないと。アースガルズに戻り姉フェグリナの乱心を止めねばなるまいと。


 或る時、ツィシェンドは施設内でヘイズという男と出逢う。


 ヘイズは実験で体調を崩し始めており、そして二人の顔立ちや背格好はどことなく似ていた。二人は少しずつ身の回りの物を取り換え始め、いつしか相手を自身の名前で呼ぶようになった。眠る場所も入れ替えた。歩き方や立ち振る舞い、書く文字の癖も互いを真似するようにした。


 半年の時が経つ頃には誰から見ても、ツィシェンドはヘイズであり、ヘイズはツィシェンドとなっていた。


 やがて幾多の実験を経て、ツィシェンドとなったヘイズはみるみる衰弱していき、ヘイズとなったツィシェンドには蝙蝠に似た翼が生えるようになった。


 程なくしてヘイズは亡くなった。王子ツィシェンドとして。

 そしてツィシェンドはヘイズとして王都アースガルズに戻され、王国騎士団に加入することとなる。今から五年前のことだ。神聖ミハイル帝国との戦争が勃発し、ラグナレーク王国は戦力の拡充が迫られていた時期だった。


 幾多の実験を経てやつれたその顔から、彼がツィシェンド王子だと見抜ける者はいなかった。記録上はヘイズという男になっていたし、何より騎士団の古株の多くが、フェグリナに殺されたか戦場に送られて戦死していた。

 

 新兵は王の居城であるヴァルハラ城には入れない。ツィシェンドはどうにかして手柄を立てていくことにした。戦場で辛い仕事をすすんで引き受け続けた。

 

 いつかヴァルハラ城に戻り、乱心した姉フェグリナに逢う為に――




「そうか、そしてフェグリナ親衛隊の幹部候補として、ようやくヴァルハラ城に戻って来られたと」


 マグナはツィシェンドと共に四階の通路を歩きながら、彼が語るこれまでのいきさつに耳を傾けていた。


「十年だ、ここまで来るのに十年かかった。だが私は運がいい、ヴァルハラ城に戻れたこの日に正義の神と対面できたのだからな」


 マグナはまだこのツィシェンドという男を信用していなかった。本当に彼が語る通り、フェグリナの弟なのか、姉を止めるためにここまで戻ってきたという話は本当なのか。


 しかし彼からは、やつれていてもどこか気品のようなものが感じられ、話しぶりも嘘をついているようには見えなかった。


「姉を止める為に戻って来たんだろう。説得するのか、殺すのか」


「できれば殺しはしたくない。姉の所業は知っている、とてもかばえるものではないだろう。それでも血を分けた姉弟だ。まずは話を聞いてみたい」


「そうか、実を言うと俺も最初からそのつもりだった」


「それはよかった」


 ツィシェンドは力なく答えると、歩きながら天井を仰ぐ。


「フェグリナ姉様はあんな人じゃなかった。誰にも分け隔てなく優しく、そして聡明でけがれなく美しい人だった。私には分からない、何故姉様があのようなことをしたのか。父王フェルナードを殺し、私と母フェリーネを追いやり……ああ姉様、何故だ、何故だ」


 悲嘆に満ちた声を漏らしながらも、止まることなく歩き続けた。

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