第18話 VS隠密のヴィゴー
スラ・アクィナスは今、ヴィゴーと名乗る男、そしてその部下たちと対峙している。この狭い通路に十人以上の人数で立ちはだかっている。
スラの背後にはラヴィア、そして底深い大穴……退路はどこにも存在しない。しかしスラは余裕の笑みを崩すことなく、柄が鎖で繋がれた一対の短剣を構えて、不敵に言い放つ。
「多勢に無勢といったところですが、このくらいのハンデがあったほうが丁度よいでしょう。どうぞお好きなように掛かってきてください」
「なめやがって。まあ安心しな、こいつらはお前らを逃がさないようにする為の人員さァ。お前は俺が直々に殺してやる」
ヴィゴーもまた懐からもう一本の短剣を取り出すと、その長い両腕それぞれに短剣を握り、スラに相対峙せんと構えた。
「お互い短剣使い同士だなァ、どっちが上か勝負だァ!」
「……望むところです」
ヴィゴーが長い腕を異常な速度で振り回し、スラに斬撃を加えんと迫り来る。普通の人間相手の場合と比べると、リーチが違う為に攻撃を受ける感覚がつかみにくい。独特なリズムから迫る数多の斬撃。常人が相手ならば為す術もなく斬り伏せられてしまうのだが、スラもまた卓越した戦闘センスと鋭敏な感覚ですべての斬撃をいなしていた。
短剣の刃同士がぶつかる金属音が、通路中に響き渡る。そんな攻防が十数秒ほど続くと、ヴィゴーは体勢を整える為に後ろに飛び退いて距離を取った。
(くそっ、なんだこいつ、強えェ!まったく隙を付けない……!)
「おやおや、貴方もなかなかやりますねぇ、ささっと隙を突いて終わらせるつもりでしたが。まぁ、私には戦闘を楽しむ趣味など無いので、とっとと終わらせるとしましょう」
スラが地面を蹴り、急速でヴィゴーに迫る。ヴィゴーはとっさにスラの斬撃を短剣で弾き返したが、スラはすかさず次の斬撃を加えようとする。
この斬撃がおかしかった。
見えないのだ、急に短剣とそれを握っている右腕全体が消滅したかのように。それでもヴィゴーは不可視の斬撃を初撃はいなしたが、次から次へと不可視の斬撃が様々な角度からヴィゴーを襲う。ヴィゴーはそのすべてを捌くことなどできず、みるみるうちに傷だらけになっていった。背後の部下たちもどよめきだした。
「っちくしょう!なんだァ、そりゃあァ!まさかお前も神の能力を持ってんのか!」
「おやおや、今更お気づきになられましたか。旅と盗みと冥府の神、ヘルメースが私に授けた力です。一言で説明するなら、”感覚阻害”」
「なるほどなァ、道理でいちいち腕が見えなくなったりしていたわけだぜ。ここまで誰にも気づかれずに侵入してこれたのも、その能力だなァ!?」
「……ご明察」
ヴィゴーはすぐさま再度距離を取ると、背後に居る部下たちに叫ぶ。
「おい、お前らも手を貸せ!こいつも能力者だったのは誤算だが、聞いてた正義の神ほどじゃねェ。能力はごまかすだけものだ、この人数なら何も恐れることはねえ」
それを聞いて、スラはハハハと声を上げて笑い始めた。普段の落ち着いた声音とは打って変わって大きな声だった。
「笑わせますねぇ。いいですか、戦いにおいて数的有利は覆しがたい、それは確かにその通りです。ですがそれはあくまで通常の喧嘩や戦争における話です。貴方がたは神の力を甘く見ている。どれだけ雁首揃えても、烏合の衆から変わることはありませんよ」
ヴィゴーは怒号を上げてスラに立ち向かう。スラの気迫が増した。
「見せてあげましょう。ヘルメースの力を……」
ヴィゴーは短剣で斬りかかるが、既にスラは移動したのか何の手応えもなく、斬撃は虚しく
能力で音や気配も絶っているのか、隠密任務で培ってきた自身の鋭敏な感覚を以てしても、気配でスラの居場所を特定することは不可能だと悟った。
「お前ら、周囲に気を付けろ!奴は自分の能力を感覚阻害だと説明した。能力はおそらく姿を見えなくしたり、立てる音を聞こえなくするんだ。実体が消えているわけじゃない!奴は変わらずこの通路内にいるだろうし、こっちから攻撃することだってできるはずだ!少しでも違和感を感じたら攻撃を加えるんだ!奴も攻撃の為にこちらに近づく必要があるはずだからな!」
部下たちに注意を促すヴィゴー。しかし周囲の部下たちは、ヴィゴーの異様な様子に気を取られていた。
――ヴィゴーの胸から血がおびただしく流れ出し、服を血染めにしていた。
しかしヴィゴーは気付かない。懸命に注意しつつ、部下たちに指示を出そうと周囲を見渡している為か、目線は下に向かわない。
「ヴィゴーさん!その、その、胸のところが……!」
「あん?」
ヴィゴーは訝し気に目線を下に向けた。
……一体どうしたことか、自分の胸から血がすさまじく流れ出している。しかも奇妙なことに、痛みもなければ、服が濡れている感覚もまるでなかった。あるべきはずの感覚がヴィゴーにはまったくなく、頭の中は一瞬でパニックになった。
(どうした、何故こうなってやがる?くそくそくそ!)
やがて、突如として痛みを感じ始めた。
痛い、痛すぎる。ヴィゴーは痛烈な叫び声を上げて、床に倒れ伏した。
倒れたヴィゴーの背後にぼんやりと何者かの姿が現れる。血に塗れた短剣を携えて、不敵な笑みを浮かべる、スラ・アクィナスの姿だった。ヴィゴーの部下たちは一瞬で戦慄した。
「ふふふ、とまあこのように、私は他人の感覚を阻害できるのです。視覚も、聴覚も、そして触覚もね。さあ見なさい、この無残な死に様を!そして
再びスラは姿を消した。足音など聞こえない、気配もまるで感じない。
数秒程、場に似つかわしくない静寂が訪れたかと思うと、それはたちまち男たちの恐怖と混乱の声で打ち破られた。どうしてよいかわからず喚きながら立ち尽くす男、混乱して無茶苦茶に短剣を振り回す男、上司が目の前で死んだ衝撃で言葉を失う男、恐れ慄き何とか逃げ出そうと試みる男……
やがてその内の一人が胸から血を噴出し、遅れて叫びながら昏倒した。また一人が今度は頭から血を流して、同じように遅れた呻きと共に倒れる。次々と男たちの間で同様の現象が連鎖的に発生した。誰も攻撃の瞬間を目の当たりにしていない。それは実に不思議な光景だった。通路はたちまち阿鼻叫喚の巷と化した。
姿は見えない、音も聞こえない、気配もない。しかも相手は床、壁、天井を縦横無尽に動いているのか、攻撃される角度がまるで読めなかった。
まだ攻撃を受けていない男が、叫びながら短剣を無茶苦茶に振り回す。なんとか敵を近づけさせない為の苦肉の策だった。しかし男はしばらくして違和感に気付いた。自分の胸を見下ろす。胸からおびただしく血が噴き出している。
スラは短剣を投擲して、男の胸に命中させていた。彼の能力は自分が触れているものが対象であり、短剣は鎖を通してもう片方の短剣と繋がっている。そのため片方だけ短剣を投擲しても、もう片方は鎖を通して手に持っているのだから能力は持続し続ける。投擲した短剣は不可視のまま飛んでいき、突き刺さっても痛みを感じない。鎖を引っ張り、短剣を引き抜き、そこで初めて痛みを感じて攻撃されたことが分かる。しかし分かった時にはもう遅いのだ。
「ダメだ、敵の居場所が分からない!どこから攻撃が来るか分からない!奴は床、壁、天井を縦横無尽に移動しているようだ!それに攻撃を受けても気付けない!痛みを感じない!気付けるのは短剣を引き抜かれた後!気づいた時にはもう遅いんだ!」
ラヴィア・クローヴィアは調度品の陰に身をひそめながら、通路で繰り広げられる地獄絵図を見ていた。すさまじい光景……先程まで生きていた人間が、ごろごろと死んでいく。一分も経たない内に、立ちはだかっていた男たちは、たった一人を残して、見るも無残な死体の山へと変わっていた。
最後まで残った男はがくがくと震えている。涙も尿も垂れ流していた。やがて喉元にいきなり短剣が現れた。男はびくっと身をすくめる。いつの間にか、スラ・アクィナスが背後に立っている。
「さて、最後はあなただけですね。どんな気分ですか、神の力を目の当たりにした気分は?」
「た、助けてくれ……た、頼む……フェグリナ様を討伐しに来たんだろ……?知っていることは全部話すから」
「お断りです」
スラは冷たく突っぱねると、ためらいなく男の喉元を掻き斬り、絶命させた。
「貴方ごとき、木っ端な雑兵が重要な情報など持っているわけがないでしょう。私の推測では、フェグリナは用心深い性格でしょうからね」
スラは男の死骸を蹴飛ばし裏返すと、衣服を剥ぎ取り、その服で短剣の血をぬぐい始めた。
「ラヴィアさん、終わりましたよ。もう大丈夫です」
彼が声をかけると、ラヴィアは調度品の陰から姿を現した。十数人もの、物言わぬ死骸の山。そんなものはどこ吹く風と、涼しい顔のスラ・アクィナス。
別に疑っていたわけではないが、ラヴィアは彼が生粋の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます