第15話 VS親衛隊長ロキ②

 王都アースガルズ――官公庁エリア、倒壊した時計塔前の広場。

 ラヴィアを背負ったフリーレが、四対の脚を持つ神獣スレイプニルと対峙する。


「貴方は普通では殺せないでしょう。スレイプニル、遠慮は要りません、全力で殺して差し上げなさい」


 ロキが命ずるとスレイプニルの全身がぐにゃぐにゃと蠢く。全身が引き延ばされるように巨大化し、脚も八本あることから、その姿はさながら白い馬面のムカデのようだった。


「踏み殺せっ!」


 スレイプニルが鋭く前脚を振り上げ、フリーレに向けて叩き下ろす。彼女はそれを躱して距離を取ると、スレイプニルに向けてグングニールを投擲する。稲妻の如き速度で飛んでいく。しかしスレイプニルはその細長くなった体とは予想もつかない敏捷さでこれを難なく躱してしまった。グングニールは時計台前広場を幾分か離れたところにある建物の壁に突き刺さった。


 フリーレはグングニールの元へ向かおうとするが、スレイプニルが立ちはだかり行く手を阻む。


「おっと、武器を取り戻すつもりですか。ですが、そうは問屋が卸しません」


 ロキが余裕の表情を浮かべる。


「貴方は武器を手放した!これで貴方に勝利が訪れる可能性は限りなく低くなったというわけです!」


「……?何故そうなるんだ?」


「何故?それは……」


「もしかしてお前、私が神器が無いと戦えないとでも思っているのか?」

「……貴方は神器がなければ何も…………へっ!?」


 ロキが素っ頓狂な声を上げる。

 対してフリーレは武器を手放した状態でも、いたって冷静そのものだった。


「私がグングニールを扱えるようになってきたのはここ最近のことでな、それ以前は重く妙に力を吸われる奇怪な槍でしかなかった。だからそんなもの無くても戦えるし、というかむしろ無い方が戦いやすい」


 そう言うとフリーレはひどく自然な流れるような所作で、両手を地面につけ、腰を落とし、脚を曲げて四つん這いの姿勢をとった。


「四つ脚になれるからな」


 ロキとスレイプニルの前には四つん這いになった人間がいる。ただそれだけのはずであるが、彼らは言い知れぬ威圧感に飲まれていた。


(何だこいつは?この威圧感は、まるで獰猛な肉食獣に睨まれているかのような)


 スレイプニルが相手の出方を伺い、警戒するかのような素振りを見せる。


(……!スレイプニルが怯えている……!?)

(すごいフリーレさん。四つん這いになっている姿が、なんというか、すごく自然です……)


 ラヴィアがそう思うや否や、ロキが慌てた声で叫ぶ。


「怯むな!とっとと踏み殺してしまえ!」


 スレイプニルがフリーレに向かって突進、その勢いのままに強力な脚撃を食らわせようとする。しかしフリーレは四つん這いの体勢から、猫科動物を彷彿とさせるような俊敏な動きでこれを躱す。スレイプニルは八本の脚を滅茶苦茶に踏み鳴らし、足元のフリーレを何とか踏み殺そうとするが、彼女はそのすべてを四つ足状態のままで躱していく。


 痺れを切らしたロキが小銃を構え、フリーレに向けて発砲を始めるが、その弾丸もフリーレを捕らえることはなかった。響き渡る地面を踏み荒らす轟音、地面を抉る弾丸の跫音、その喧噪のすべてが虚しくこだまするだけだった。


 ラヴィアは激しく動き回るフリーレの背でしっかと目を閉じて恐怖に耐えている。フリーレは脚撃を躱していく中で隙を見つけると、スレイプニルに向けて大きなうなり声を上げて、睨みつけた。



(喰ってやるぞ……!)



 彼女は言葉に出して言ったわけではない。

 しかしその捕食者としての驚異的な威圧感が、スレイプニルに底知れぬ恐怖を感じさせた。神獣である自分が今まで無縁であった感情、被食者としての恐怖を。


「くそっ、怯むな!ええい、神獣といえども所詮は草食動物かっ!」



 フリーレはスレイプニルの隙を見逃さなかった。地を蹴って勢いよく飛び出し、スレイプニルの胴体に勢いよく体当たりをかました。少しよろめいたところでスレイプニルに足払いをかける。大きく体勢が崩れたところで、彼女はスレイプニルの前脚をしがみつくように掴み、一気に自身の体をねじった。


 四対の脚を持つ巨大馬が弧を描くように宙に浮いた。フリーレはそのままの勢いでスレイプニルを地面に叩きつけた。地面がひび割れる轟音の中で、苦しそうな鳴き声が響いた。


 スレイプニルは動かない。落馬したロキは地面を這うようにその場から逃げ出そうとする。


(くそ、今ので脚が……)


 どうにかして逃げ出さなければ、そう考えているとスレイプニルの悲鳴のような鳴き声が聞こえてくる。フリーレがいつの間にか取り戻していたグングニールで、スレイプニルの胴を突き刺していた。スレイプニルはおびただしい血を流して、ぐったりとおとなしくなってしまった。


「ふん、こいつにはしばらくおとなしくしてもらおう。まあ急所は外したし、神獣というからにはこの程度では死なんだろう。さて、次はお前だな」


 フリーレがグングニールを携えて、ロキににじり寄っていく。ロキはひいひい言いながら這って逃げ出そうとするがすぐに追いつかれてしまった。首元にグングニールの刃が当てがわれる。首筋からわずかに血が流れ出す。


「ひいい、待ってくださいっ、い、命だけは……」


「それはお前次第だな。私の仲間たちはどこにいる?答えろ」


「や、やつらならヴァルハラ城地下の収容所に……」


「……そうか、恩に着る!」


 フリーレはそう言うとグングニールの刃を勢いよく叩きつけた。ロキ……ではなく、彼の顔のすぐ横の地面に。地面はひび割れ、ロキは泡を吹いて失神してしまった。


「荒野の中では殺していた。だがここが人間社会の中であり、人間社会には人間社会のことわりがあることを私は知っている。その理に私は疎いが、ならず者の私でもそれを尊重した方がいいことぐらいは分かる。ツレに正義の神もいることだしな……」


 フリーレはロキとスレイプニルに背を向けて歩き始める。やがて少し離れたところで背負っていたラヴィアを降ろした。


 (ようやくここまで来た、仲間の居場所も割れた。みんな待っていてくれ)

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