第9話 スラ・アクィナス
――マグナ達がミズガルズの街にたどり着く前
王都アースガルズの丘陵地にそびえ立つヴァルハラ城。最上階にある王の間と呼ばれる居室の扉がノックされる。
「フェグリナ様、親衛隊長のロキでございます。ご報告したいことがございまして……」
「入りなさい」
扉を開けロキが石造りの王の間に入る。入ってすぐのところには大きな丸テーブルが有り、上には茶器が用意されている。部屋を進んでいくと両壁沿いに階段が設置されていて、そこから王の間の一段高くなっている場所へと上がれる。階段を上って進むと執務机があり、様々な書類が乱雑に散らばっていた。執務机の背後からはバルコニーへと出られるようになっており、そこからはアースガルズの街を一望できる。
執務机には少し緑がかった白色の髪の美しい女性が座っていて、やって来たロキに気だるげな視線を送る。ロキは彼女の前まで来ると片膝をついて頭を下げ、平伏の姿勢をとる。
「申し上げます、フェグリナ様。ラグナレークより南西の荒野で、正義の神を名乗る男を目撃しました」
フェグリナは何も答えず気だるげに頬杖をついている。
「その者は全身を漆黒の鎧で瞬時に武装してみせ、明らかにただの人間ではありませんでした」
フェグリナは何も答えない。
「我々がちょうど"資源調達"の対象としたならず者たちの首領も奴の仲間にいます。このラグナレーク王国へやって来る可能性が高いと思われます。いかがいたしましょう」
フェグリナは小さく溜息をつくと、だるそうに答えた。
「……私の手を煩わせるつもり?」
「滅相もございません!このロキめにお任せを……」
ロキは立ち上がり一礼すると王の間を後にする。
王の間を出たところで四人の男が待っていた。
「おや、集まっていましたか」
「ロキ隊長、あんたが招集したんでしょう」
茶色のくせ毛の男がぶっきらぼうに答える。他にもバンダナにゴーグルを掛け無精ひげを生やしたガタイのいい男、そのゴーグル男の三倍はあろう巨漢、対照的に非常に痩身で両腕が両脚よりも長い猫背の男がいる。
「既に聞いていることでしょうが、正義の神とやらがこのラグナレーク王国へやってくる可能性が高い。フェグリナ様に仇なす者をこの王都アースガルズに入れるわけにはいかない。"智謀のルードゥ"、"隠密のヴィゴー"、"暴虐のグスタフ"、"急襲のガルダン"……我がフェグリナ親衛隊のメンバーよ!戦いに備えて準備をしておきなさい!」
「かしこまりましたぁ、"狡猾のロキ"隊長ぉ」
ルードゥという茶髪の男がへらへらと答える。
「おいらは武器の手入れと部下への伝達をしなくちゃな」
ヴィゴーという痩身の男がねっとりとした声音で答える。
「俺も準備しとくか」
グスタフという巨漢がぽつりと答える。
「みんなは準備していてくれよ、俺はさっそく偵察へ出てくるぜ」
ガルダンというゴーグルの男がはきはきと答える。
やがて一同はその場を後にした。
◇
「あ、そこの店員さん、私にもコーヒーを一杯」
スラと名乗る怪しげな男が軽い調子で注文をし始める。対してマグナ達は警戒して訝し気な目線を彼に送っていた。
「スラ・アクィナスといったか。神ヘルメースに力を授かったと言っていたが、俺たちに気づかれないでいつの間にかテーブルに座っていたのもその神の力によるものなのか?」
「その通りでございます」
スラは運ばれてきたコーヒーをそのまま口に運ぶ。三人はその様子を見ていたが、やがて彼の持っているカップが突如消えたことに驚く。しかし手の形はカップを握った形のまま微動だにしておらず、スラはその手を口に近づけてコーヒーを飲み始めたので、カップが消えたのではなく見えなくなっているだけだと気付く。カップだけでなく中のコーヒー自体も見えなくなっているようだった。スラの口元がいかにも物を飲んでいるように動き(実際飲んでいるのだろうが)、上等なパントマイムを見ているかのようだった。
スラがコーヒーを飲み終えると、再びカップが姿を現した。
「ふふ、まあこういう能力です。そして、このようなことも……」
立ち上がると手にした空のカップを思い切り床に叩き付けた。カップが派手に割れる、しかしまったく何の音もしなかったのでマグナ達は自身の耳を疑った。マグナは周囲に目をやる。客は他に何人もいるのだが、誰一人としてこちらに目を向ける者がいない。
誰一人としてカップが派手に割れる音を聞いていないのだ、とマグナは悟る。
「ふふふ、いかがでしょう」
「何となくわかったぜ、お前の能力。自分自身や触れた物の姿を見えなくしたり、立てる音を聞こえなくしたり、ってところか」
「ご明察の通りです。正確には、私自身及び私の触れている物体を経由した光は視覚で認識することができず、音波もまた聴覚で認識できなくなる、といった具合です」
スラは割ったカップを床の一か所に片づけると、座り直してマグナに向き直る。
「そして、この能力の肝は私が私自身ではなく、コーヒーカップを消してみせたことにあります。お分かりでしょうか」
「お前が持っていたカップは見えなくなり割れる音も聞こえなかった……お前に触れてさえいれば、他の人でも姿と音を消せる、そういうことだな」
「話が早くて助かります」
マグナとラヴィアには何となく話が読めてきていた。
おそらくこのスラという男は、取引を持ち掛ける為に近づいてきたのだろう。自ら神の能力者であることを開示し、能力を仔細に説明してみせたのもできるだけ相手の信頼を得たいからだろう。
フリーレはあまり興味なさげに、もそもそとビスケットを食べ続けている。
「マグナさん、貴方はフェグリナを倒すためにここへ来たのでしょう?協力しませんか、私と」
「お前もその為に来たのか?」
「ええ、ある方からの依頼でしてね。まあこんな能力の持ち主ですから、あまり人様に言えない職業であることはご推察のことでしょうが、私は
「ターゲットは同じ、敵は強大、なら組んだ方が得策ということか」
「その通りです。それにマグナさんの能力、おそらく戦闘に特化したものでしょう?何でも全身を頑強な鎧で覆ってみせたとか」
「もう俺のことはラグナレーク王国中に広まっているのか……」
「フェグリナ親衛隊のメンバーが国中に噂を広めているようです。王都アースガルズもヴァルハラ城も現在警備はこの上なく厳重でしょう。マグナさん、私の能力と貴方の能力は足りないところを補い合う関係にあります。私の能力は言ってしまえばごまかすだけの能力で戦闘には向かず、貴方の能力は潜入工作には不向きでしょう」
「なるほどな、確かに利害は一致している」
「協力しませんか、この私と」
マグナはスラをじっと見る。
目は口ほどに物を言うとはいうが、この男は終始糸目なので表情の仔細が伺い知れない。だが詐欺師特有のうさん臭さは感じなかった。それにもし自分たちを始末するつもりなら、油断しているところを狙ってさっさと始末すれば済むことだ。自ら姿を現して近づき、能力もご丁寧に説明するとは考えにくい。
「いいだろうスラ、お前と協力することにしよう」
「助かります」
「ラヴィアはそれで構わないか」
「私は大丈夫です、マグナさんが決めたことならそれで」
ラヴィアはどこか不安げにスラを見る。まだ全面的に信用してはいないようだった。
「フリーレも大丈夫か」
「別にそれでいいんじゃないか」
フリーレはビスケットは頬張ったまま答える。
「このスラという男、終始隙は無いが、今は狩る者の気配をしていない。少しでも害意があれば多少の気配の違いで分かる。話を飲んでも問題ないだろう」
野生の勘というやつだろうか、こいつがそう言うなら頼もしい限りだとマグナは思った。
「しかし条件がある」
フリーレは空になった皿を持つと、スラに近づいた。
「こいつをもう一皿おごってくれ、そしてお前も一緒に食うんだ。一緒に飯を食えば貴様は仲間だ、協力するのは当然のことになる」
彼は一瞬あっけに取られながらも微笑み直し、店員を呼んでビスケットの追加注文をした。
(……なるほど、こいつは今までこうやって仲間を増やしてきたんだろうな。荒野の野党集団、正義の神としては裁くべき連中だが、フリーレと仲間たちの絆は尊重されるべきものだ。その為にもまずフェグリナをどうにかしないといけないな)
新たな仲間スラを迎えて、マグナは気持ちを新たにするのだった。
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