第8話 フリーレ、イメチェンする
土埃舞う果てしなき荒野を、北東の方角へ三人はひたすら歩き続けた。三日がかりで彼らはラグナレーク王国南端の都市ミズガルズに到着した。堅牢な城壁に囲まれた城塞都市であり、外からは街の様子が伺い知れない。マグナ達は遠巻きから、城壁の入口で兵士たちが行商人を検問しているのを目にする。
「ここがラグナレーク王国か、見事な城壁だな。見張りの兵も多い」
「やっぱり戦争状態の国だからか国への出入りは厳しいようです。見てください、行商人が追い返されています。適切な許可証がなかったのでしょうか」
「強行突破でも構わないがそれではなかなか骨が折れるだろう、どうするマグナ?」
マグナは見張りの兵士を注視する。
「防備のためか知らんが、兵はどいつもこいつも鎧と兜を身に着けているな。素顔が見えない」
「奇遇だなマグナ、私も同じところに注目していた。おい見ろ、向こうから荷馬車に乗った兵士が二人向かってくるぞ、渡りに船だ」
「お二人ともまさか……」
ラヴィアが不安げな視線を向けると、マグナとフリーレは邪悪な笑みを浮かべた。
マグナとフリーレはたやすく兵士を気絶させると鎧と兜を奪って着込んだ。荷馬車も奪いラヴィアはそこに乗せることにした。荷馬車の中にはちょっとした食料や武器があるばかりで、ほとんど何も積まれていないに等しい状況だった。
「ずいぶん寂しい荷馬車だな」
「おそらく物資を輸送した帰りの馬車なんだろう。人狩り帰りの馬車とかだったらどうしようかと思ったぜ、ちょうどいい。行くぞ、フリーレ、ラヴィア」
前線への補給帰りを装い通過を企てるマグナとフリーレ。ラヴィアは樽の中に隠れている。城壁の入口へとたどり着く。驚くほどすんなりと荷馬車は入口を通過することに成功した。
マグナ達を乗せた荷馬車がミズガルズの街の中へと入っていく。
「驚くほど簡単にいったな、マグナよ」
「おそらくやる気がないんだろう。ラグナレーク紋入りの鎧と兜だけ見て判断を終えてしまった。まあラヴィアの情報だと、この国は何年もだらだらと戦争を続けている状態だと聞く。どいつもこいつも疲弊しているんだろう、肉体的にも精神的にも」
ミズガルズの街の目立たない裏通りで三人は荷馬車を乗り捨てた。そのタイミングでマグナとフリーレは着ていた鎧と兜を脱いで馬車に放り込んだ。フリーレのグングニールはそのままでは目立つし危ないので、長い布でぐるぐるに巻いておく。それでもその大きさから、目立つことにはあまり変わりない。
「さてと、これからどこに向かうべきか?フリーレの仲間たちはどこにいるのか?色々と情報収集が必要だが、その前にやるべきことがある」
マグナは袋に入ったまとまった額の金銭をフリーレに手渡した。
「何だこれは?」
「お前に三つ命令を下す。一つ、風呂に入れ。二つ、髪を切れ。三つ、服を買え。以上だ」
「何故だ?」
「くせーんだよ!おめーは!ずっと荒野で野盗として生きてきたから仕方ねーかもしれねーが、この先、その悪臭、ボサボサの髪、ならず者丸出しのボロボロの服じゃ目立って仕方ねえ。全部なんとかしてから先に向かうことにする。まずは風呂屋だ」
彼らは公衆浴場を目指して歩き出した。
――ミズガルズの街の一角、公衆浴場にて。
突如現れた巨大な得物を携えた風体の悪い女に、周囲の客がどよめく。
「なんだ、何を見ている?」
フリーレが周囲の客に視線を向ける。客たちは驚いてすごすごと離れていく。フリーレ自身に脅しているつもりはないのだが、持ち前の目つきの悪さと口調のきつさから脅威しか感じられない。
(蛮族だなあ……)
これからこの人とお風呂に入るのかとラヴィアは内心辟易していた。
料金所と待合所を通り抜けて、男女の入口が分かれた所でマグナは男性用浴場へ、ラヴィアとフリーレは女性用浴場へと向かった。脱衣所でフリーレはグングニールを置き、乱暴に服を脱ぎ散らかすとさっさと浴室へ向かおうとする。
「フリーレさん、脱いだ服は入れる棚があるので、床に投げ捨てないでください」
「そういうものなのか?」
「そういうものなんです!」
箱入り娘で世間知らずの自分が、ならず者に常識を説いている。ラヴィアは奇妙な感覚に陥っていた。
服を脱ぎ終えて、浴室へと入る二人。そこでラヴィアは、はっと感づく。荒野で暮らしてきた野盗、体を洗う行為といえば、川に飛び込んで水浴びとかが関の山だろう。
つまり、フリーレが真っ先に取るであろう行動は……
「ストップ!ストーップ!」
「何だ」
「フリーレさん、湯船に入る前に体と髪をしっかり洗って綺麗にしてください。汚れを落としてから入るんです」
「そういうものなのか?」
「そういうものなんです!」
ラヴィアはフリーレに石鹸を手渡して体を洗うように促す。しかし彼女は石鹸を持ったまま、きょとんとしている。
「ラヴィア、これは何なんだ?」
「石鹸、知らないんですか」
「石鹸……?ああ聞いたことがあるぞ、人間社会では石鹸とやらを使って泡で体を洗うらしいが」
試しに濡れた手で石鹸をこすってみる。滑りの良い泡が発生していく。
「おお、こんな風になるのか、すごいな」
(この人、本当にずっと荒野で、人間社会の外で過ごしてきたんですね……)
お屋敷で箱入り娘として育てられた自分とは対極の境遇に、ラヴィアは改めて驚いていた。ラヴィアは自分の髪と体を洗いながら、フリーレにも自身の髪と体を洗うように指示する。フリーレは初めて使う石鹸にどこか楽し気にはしゃぎながら体を洗う。ほう、とか、おおっ、とか言っている。
(フリーレさん、野盗として生きてきたからか体つきは結構筋肉質ですね。でもそれでいて手脚は長くしなやかさを感じさせて、私の貧相で華奢な体とは全然違う……)
ラヴィアはフリーレの今までの暮らしぶりに思いを馳せていた。
髪と体を洗い終えると、二人はゆっくり湯船につかり、最後にサウナ室へと向かう。ラグナレーク地域では風呂といえばこちらの方がメインだ。むせ返る熱い蒸気が部屋の中に充満している。
「ふうー、良い汗かきますー」
「なんだこのむしむしした部屋は」
「サウナですよ、サウナ。汗をかくと血行が良くなって、健康にもいいんですよー」
「そうなのか?」
「気持ちよくありませんか」
「まあ、分からなくはないかもしれん」
二人がサウナで汗をかいている中、マグナはすでに待合所まで出てきていた。水を飲みながら一人待ちぼうけている。
(あいつら、遅せえなぁ)
――ミズガルズの街の一角、床屋にて。
フリーレは鏡に面と向かう形で椅子に座っており、背後には床屋の主人がいる。マグナとラヴィアは待合用の椅子に座ってその様子を見ている。
「おやおや、髪が伸び放題ですな、髪型もなっちゃいない。それでどのようにいたします」
「とりあえずショートカットで綺麗にまとまった髪型にしてもらえりゃいい。今のままじゃボサボサでみっともないったらありゃしねーからな」
フリーレの代わりにマグナが床屋の主人に要望を伝えた。主人は慣れた手つきで、櫛を入れながら、ハサミで髪を切っていく。途中でオイルも髪に馴染ませていく。およそ十分後、フリーレの散髪は完了した。
「どうでしょう、なかなか綺麗にまとまりましたぜ」
肩まで伸びていた髪はうなじ辺りでまとめられ、あちこちにできていた枝毛も整えられ、フリーレの金色の髪はしなやかさと滑らかさを取り戻していた。
「おお、なかなかいいじゃねーか」
「フリーレさん、かわいいです」
フリーレは鏡に映る自分の整った髪を眺めている。
「ほう、ちゃんと手入れをするとこうなるのか。綺麗に整えられ、この長さなら戦闘の邪魔にもならないし、なかなかいいんじゃないか」
彼女は独り言をつぶやきながら新鮮な目で自分の姿を見ていた。
(フリーレさんって結構顔立ちも整ってるし、もしちゃんとした環境で育っていたら、どんな人生を歩んでいたんだろう。おしゃれをしたり、恋をしたり……)
ラヴィアはフリーレの架空の人生に思いを馳せていた。
――ミズガルズの街の一角、服屋にて。
ラヴィアとマグナはフリーレの新しい服を物色している。
「マグナさん、フリーレさん、これとかどうですか」
ラヴィアが持ってきたのはあろうことか、フリフリのドレスだった。首元にリボンがあしらわれ、袖は長く、スカートの裾も足元まである代物だった。
「きっと、似合いますよ」
「「動きにくい、却下だ」」
マグナとフリーレの声がかぶった。
結局マグナが選んだ、袖は短め、ボトムスはショートパンツスタイルの服を購入することにした。靴も新品にする。さっそく装備していくかい、という店員の厚意に甘えてフリーレは新しい服に着替えた。
「ほう、この服は動きやすいし、着心地も悪くなくていいな」
「そりゃあ、さっきまで着てたボロ布に比べりゃ当り前よ」
マグナは自分のチョイスにどこか満足げにしている。
(綺麗だなーフリーレさん。でもさっきのドレスもきっと似合ったのにな。髪の毛伸ばしても似合いそうだし、今度はお姫様みたいな恰好させてみたいなあ)
ラヴィアはフリーレの着飾った姿に思いを馳せていた。
――ミズガルズの街の一角、コーヒーショップにて。
三人は丸テーブルに座り、三人分のコーヒーと一皿の焼き菓子を注文した。マグナが懐から地図を取り出すと、テーブルの上に広げる。
「ラグナレーク王国内の地図を買った。これからどこへ向かうかを話し合おう」
「フリーレさんのお仲間さんたちは、やっぱり王都にいるんですかね」
「正直あの後、ロキがどこに向かったのか情報がない。ぶっちゃけ俺の推測でしかないが、連中はならず者を戦力や労働力として利用するつもりで捕らえたわけだから、どこか集積所みたいな場所があって、誰をどこにあてがうか仕分けをしているんじゃないか。そして、そんなならず者の集積所はやはり王都にある可能性が高いだろう。女王フェグリナの命でならず者を捕らえているようだからな。それに情報収集をするにしても、人が多い王都が最も適しているだろう」
「ではここミズガルズから、王都アースガルズまで向かうことになるわけですね」
「ミズガルズから北上して、山脈脇の平野をずっと進んでいって……うーん、馬車でも一週間ぐらいかかりそうだな」
「ラグナレーク王国はブリスタル王国よりもずっと広い国ですからね。世界で4番目に大きな国だとか」
ちなみに3位は
「だが時間はあるはずだ。戦力や労働力として利用するつもりならすぐに殺すなんてことはしないはずだ。必ず助けられる……」
そこでマグナは、フリーレがカタカタと震えていることに気付いた。
「どうした、フリーレ。今更怖気づいたか?」
「マグナ……なんだ、この飲み物は?」
彼女はカップに入ったコーヒーを指差した。
「お前、コーヒー知らねえの?」
「コーヒー?聞いたことはある。しかし苦い、みんなこれを好き好んで飲むのか?」
「まあそのまま飲むやつも多いが、お前の言う通りこの苦みが苦手なやつも多い。そういうやつは……」
マグナは注文したコーヒーと一緒に来ていた二つの容器の内、片方から角砂糖を二つ取り出してフリーレのカップに入れた。そしてもう片方の容器を持ち上げ、フリーレのカップにミルクを注ぎ入れる。
「……砂糖とミルクを入れて、甘みを足して飲むんだ」
フリーレが再度カップを口に付ける。
「ふむ、まあ、先ほどよりかは飲みやすくなったな。だがしかし、やっぱり好き好んで飲む意味は分からんぞ」
フリーレはコーヒーを飲むのを止めて、水を飲み始めた。そして焼き菓子をぼりぼりと食べ始める。こっちは気に入ったようだった。
「ビスケットおいしいですか」
「甘くておいしいな、これ」
ほとんどすべてフリーレが平らげてしまいそうだ。
(まったく、これから捕らわれの仲間を助けに行こうってのに、のんきなもんだ。いや、泰然自若としていて頼もしいと言うべきかな?)
マグナがフリーレのよくわからない大物ぶりに感心していると、突如聴き慣れない声が聞こえた。
「ほうほう、これからアースガルズに向かわれるのですか、女王フェグリナに囚われた仲間を救う為に……」
三人は驚愕した。
自分たちが座っているテーブルに、いつの間にか見慣れない男が座っていたのだ。
(なんだこいつ!いつの間に、まったく気が付かなかったぞ)
自分はもとより、野盗上がりで感覚が鋭敏であろうフリーレがまったく気が付いていなかったのも、ことさらマグナを驚愕させた。その正体不明の男、銀色の長髪を前髪も横髪も綺麗に切りそろえた糸目の男がマグナの方を向いて言う。
「初めまして正義の神よ。私はスラ・アクィナス。旅と盗みと冥府の神、ヘルメースに力を授かった者です」
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