第5話 旅立ち

 ハレイケル・デュローラ公爵によるヘキラル襲撃、あれから数週間が過ぎました。ブリスタル国王とマグナ・カルタの下で裁判が執り行われたのです。ならず者を用いての人狩りのみならず、欺瞞工作による階級闘争に執心していたデュローラ公爵家の過去の悪事も暴かれる事態となり、ハレイケル及び彼の息のかかった者たちは次々と投獄されました。貴族位も剝奪されたようです。

 ブリスタル国王は正義の神――マグナ・カルタに帰依することを決めました。そして彼はブリスタル平定後、国の外へと旅立ちました。彼の力を必要とする場所を探して……

 そして私、ラヴィア・クローヴィアは今、とても暗く、息苦しい場所で揺られています……

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 ――ヘキラル南方の果てしなき荒野。


 ここからは地名もない、完全な国外の領域である。デュローラ公爵家が利用していたようなならず者が多く、どこの国にも属していない完全なアウトロー地域である。ブリスタル王国は南方以外は海に囲まれた半島状の地形であり、陸路で他国に行くにはこの荒野を通るしかない。その為、この国では商路は海路ばかりが利用されている。


 それでもマグナはこの荒野を通るルートを選んだ。正義の神が治安の良いルートを選んでどうする?そんな思いからだった。


「ふう、さすがにくたびれたな。そろそろ休憩するか」


 手ごろな岩に腰を掛けカバンから荷物を取り出そうとする。固パンに干し肉、豆の缶詰、トマトの缶詰、塩、ビネガー、乾燥香辛料、チーズ、砂糖菓子、葡萄酒、飲み水、マッチ、小さい鍋……色々なものを王都で用意しておいたのだ。


(しかしこのリュクサック……色んな物を入れちゃいるが、こんなに重かったか?)


 開いたリュックサックの中からマグナは驚くべきものを見た。


「……こ、こんにちはー」

「……」


 リュックサックからどこかで見たような少女が姿を現した。夜の闇のように黒く長い髪、低い身長、およそ荒事とは無縁そうな華奢な手脚……


 ブリスタル王国クローヴィア男爵家令嬢――ラヴィア・クローヴィアがそこにいた。

 ドレスでなく旅装束のようなものに衣装を変えている。


「……なんでお前がいる?」

「……付いて行きたかったからです」


 二人して次の言葉を探していると、グーという気の抜けた音が響いた。


「……腹、減ってんのか?」

「……」




「そういえばお前も王都に来て裁判に出席していたな。その後俺が出発する直前に荷物に潜り込んだな?」


「……ご明察の通りです」


 二人は荒野の手ごろな高さの岩を椅子代わりに腰掛け、夕食を作っている。荒野といってもまばらに木は生えているので、枝や葉を集めマッチで火を付け焚き火にする。火の上に脚の付いた鉄輪を乗せ、その上に鍋を乗せる。チーズを溶かして葡萄酒や干し肉を合わせ、塩や香辛料で味を調える。簡易的なシチューともフォンデュともとれる料理ができた。


 マグナは出来上がった料理と木製スプーン、固パンをラヴィアに手渡した。


「おら、貴族のお嬢さんにはたいして美味いもんじゃないだろうが、食え」


 ラヴィアはシチューもどきを口に入れる。


「まあまあいけまふよ……」


(食えなくはないが、別に美味いとも思ってないって感じの顔だな)


 マグナもラヴィアと共に食事を始める。固パンをシチューもどきでふやかして食べる。


「マグナさんは神様になったんですよね?」

「まあ、そうだが」

「神様でもご飯は食べるんですね」

「俺はまだ完全な神じゃない、ほとんどただの人間なんだよ。腹は減るし怪我もする、下手すりゃ死ぬ」

「完全な神って成れるものなんですか?」

「頑張ればもしかしたらな。裁判が終わったあの日の夜、俺の頭の中にテミス……俺に力を授けた神なんだが、そいつが再び現れた」



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 夜空の下を馬車が走っている。その中でマグナは、長い裁判の疲れから眠り込んでいる。そんな彼の夢の中に再びテミスが現れた。


(マグナ・カルタよ……)

「あんたか」


 二度目だが、相変わらず現実味のなくて落ち着かない空間だ。真っ白いばかりでただただ何もなく無限に広がっているように思える空間。


(貴方は確かに神の力を得ました。ですが今の貴方は、特殊な力を持っただけの人間に過ぎません)

「完全な神じゃないってことか」


 分かってはいたことだった。神になった後も疲れるし腹も減る。人間だった頃と、普段生活している分にはまるで変わらない。


(完全な神と成る為に、貴方は”信心”を集めなくてはなりません)

「信心……?」

(神とは、それを信じ崇める人間の心がなければ真の力を発揮できないのです。神とは崇め奉られるべき存在)

「要は崇拝されるような存在になれってことか」

(貴方はブリスタル王国において多くの信心を集めることに成功しました。ですがこれではまだ不十分です)

「もっと信心が必要ってことだな」


 いいだろう、せっかく神になったんだ、ブリスタルだけ平和にして満足する気は元から無い。他の国にも行ってみよう。そして悪を裁き、信心も集める。一石二鳥だ。


 そんなことを考えていたら、テミスの体がぼろぼろと崩れるように消え始めた。


(貴方と話しをできるのはここまでです……貴方が世界に与える影響を……私は楽しみにしていますよ)

 テミスが消えると、やがてマグナも夢から醒めた。

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「……そんなことがあったんですね」

「ああ」


 マグナは食事をしながら話を続ける。


「つまりこの旅は悪を裁く旅、要するに自分から厄介事に首を突っ込んでいく旅になるんだ。本当に付いてくる気か?」

「付いて行きたいです。貴方がどんな未来を歩むのか見てみたいですし、それに……」


 貴方が好きだから……

 そんな言葉がすんでのところで止まって、ラヴィアは口をつぐんでしまった。


「それに……?」

「いえ、なんでも」


 しばしの沈黙が横切る。やがてラヴィアが口を開く。


「それとも、私お役に立てることとか無いですし、やっぱりだめですか?」

「……いいさ、俺も決心がついた」


 マグナが空を見上げる。いつの間にか夜になっていた。星明りが二人を照らしている。


「弱くも慎ましく正しく生きる人間、そういった人々が踏みにじられることのない世界を俺は作りたい。お前が安心して暮らせる場所……ひとまずそれを作り上げることを俺の目標にしたいと思う」

「マグナさん……」

「正義を為すと誓った俺が、人を守りながら旅もできないでどうするんだ?とも思うしな。それに今更帰れって言うわけにもいかねえだろうし」


 マグナははてと思い、話を切り替える。


「そういえば、クローヴィア家はいいのか?」

「もういいんです」

 ラヴィアは静かに言った。


「父も母も亡くなりました。お屋敷も焼け落ちました。クローヴィア家の嫡子は私一人だけ。もうクローヴィア家なんて無いも同然なんです」

「まだお前がいるだろう、ラヴィア・クローヴィア」

「私は貴族として生きるのはもう嫌だったんです。クローヴィア家は終わらせてきました。国王陛下に直訴したのです、貴族位を返上すると。一方的に話を通したかったのでただ書き置きを残しただけなんですけど。屋敷から運び出されて焼けずに済んだ家財はすべて生き残った使用人に渡して、私は貴方を追いかけて来たんです」

「……そうか」


 貴族位を捨て、ラヴィアは新しい生き方を夢見ている。正義の神である自分がそれを叶うようにしなくては、と思った。


「そういうマグナさんは故郷に未練はないんですか?」

「そうだな、生まれ育ったブリスタル王国……名残惜しくもあるがな。生まれた町は幼いガキだった頃、両親を殺されてからは寄り付いていないし、たいした思い出もない。そこから流れに流れてヘキラルの町には十年近く住んでいたが、顔見知りはあの日の襲撃でみんな死んじまっていた。今じゃまずい酒を飲む店もありゃしない」


 マグナは嘆息すると再び話し始める。


「そして、こんな思いを他の誰かに味あわせたくない。その為に、俺は旅に出たんだ」

 マグナの言葉には静かな決意がこもっていた。


 彼を応援したい、ラヴィアは心の底からそう思った。


「きっとできますよ、世界を平和に。マグナさんなら」

「そうか、ありがとな」


 マグナは知らない。信心は数だけでなく、質も重要なことを。ラヴィア・クローヴィアの存在は、彼に着実に力をもたらすことになる。


「……そろそろ寝るか」

 食事も話も終わって、夜は更けていた。




 岩に寄りかかり毛布にくるまりながら眠る。季節は春だがさすがに夜は冷える。毛布は一枚しかないので二人でくるまって眠った。お互いの温もりを感じる。


(正直寝にくいな。しかしけったいなもんだ、自分が死んだと思いきや神になり、こうして貴族令嬢と旅をしている。世の中何が起きるか分からない。なら、世界平和の実現だってもしかしたら……)

 マグナは夢を見ながら船を漕ぎ、夢の世界に向かっている。


(まさかこんな日が来るなんて。窮屈な貴族生活から解放され、そしてマグナさんと旅を……どうしましょう、急に感極まってきました……)

 父母が死に、家が焼けたその先で、ラヴィアは嬉し涙を流していた。

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