第3話 神が生まれた日

 クローヴィア邸からはあらゆる家財と捕縛された人間が運び出され、荷馬車に乱雑に放り込まれている。屋敷は激しく炎上している。


「よし、これで金目の物、商品価値のある人間は積み終えましたね。そろそろ出発しなさい」


 ナゼールが荷馬車に指示を出す。ハレイケルの元へと戻るのだ。

 しかし御者の男が突如叫び声を上げた。栗毛色の逆立った髪、黒衣のジャケットを羽織った男……マグナ・カルタが御者の男を叩きのめしていた。


「何者です?」


「誰だっていいだろう」


 マグナは不愛想に答えると、荷馬車の扉を開け放った。中にはクローヴィア家の家財、そして多くの人間が猿ぐつわを噛まされ手足を雁字搦めに縛られて荷物のそれと変わらない有様で横たわっていた。マグナがナゼールに向き直る、額に青筋を浮かべながら。


「何故こんなことをする?なんて理由はたかが知れているか、どうせ金や地位そんなところだろう。とにかく、やることは決まっている。お前らはこの俺が叩きのめしてやる」


 ナゼールに向けて歩を進める。しかし、三人の大男が割って入ってきた。


「邪魔するな!」


「ネイト、サス、レスター、その男を捕縛しろ。多少腕が立ちそうだから、捕縛が難しければ殺しても構いません」


 ナゼールが大男達に指示を出す。


「へへへ、生意気な口をききやがって、手加減できないぜ、兄ちゃん」

「おめおめ逃げ出していればいいものを」

「正義の味方気取りかい?そういう馬鹿から死んでいくんだよなァ、この世の中は」


 三人の内の真ん中に立っている大男レスターの首に見覚えのある首飾りが掛けられている。それが行きつけの酒場の店主が首に掛けていたのと同じものであると理解したとき、マグナの中で何かが弾けた。彼は大男達に問い詰めるような口調で言った。


「お前たち、どうして真っ当に暮らせない?」


「は?」


「俺の両親も昔、強盗に殺された。身寄りのない俺はあてどなく彷徨いながら、いつしかこの町で暮らすようになった。すべてを失った俺だが、それでもこつこつ地道にやってきた。お前たちは何故それができない?」

「へんっ、こつこつ地道に?それで限りある命、どれくらい満足した人生を送れるんだい?」

 レスターが挑発気味に答える。


「そうだな……満足のいく暮らしにたどり着くのは難しいかもしれない。だが、自分が幸福になるために他人を傷つけていいのか?」

「いいんだよ、むざむざ奪われ殺されるような弱っちいやつらが悪いんだよ」

 ネイトが息まきながら答える。


「……その理屈だと野生を生きる畜生と変わらないぞ」

「人間も動物も大差あるめえよ」

 サスが達観したような口ぶりで答える。


「そうか……」


 マグナの声音には諦観の念がこもっている。


「いいだろう、お前たちは人の姿をした動物だ。俺はこれからそう思うことにする。手荒にいくぞ」


「なま言ってんじゃあねえよォ、くそが!」


 レスターが怒号を上げた。三人がかりでマグナに襲い掛かる。マグナはレスターの拳を交わすとその腕を掴み、ひねってレスターを転倒させた。すぐさまサスの鳩尾に肘鉄をかますと、真後ろのネイトの足を払った。三人は地面に伏している。マグナはネイトの後頭部を思い切り踏みつける。地面に顔を覆いながらネイトは叫び声を上げた。よろよろと起き上がろうとするサスの顎先にすかさず鋭い蹴りを入れる。サスは失神して倒れた。


「調子乗ってんじゃあねーぞ、ダボがァっ!」


 レスターが立ち上がりまたもやマグナに殴りかかろうとする。


 その瞬間、パンッという鋭い音が炸裂したかと思うと、レスターが背中から血を噴き出して倒れた。


「っ!」


 マグナが驚いて音のした方へ目をやると、ナゼールがライフル銃を構えた男たちを従えていた。男たちはデュローラ公爵家の家紋入りの鎧を着ている。


「おやおや味方に当ててしまいましたか、まあいいでしょう。どのみち今回の人狩りは野盗連中のせいにして、彼らは処分するつもりでしたからね。正義の名の元に、デュローラ公爵家の手で」


「……その為に野盗を飼い慣らしていたのか?」


「そうですよ。汚れ役を引き受けさせ、そして用が終わったら捨てる。この上なく便利でしょう?多少金を弾んででも損はありません。クローヴィア領はどのみちデュローラ公爵領に編入・再建されますが、その前にこの地の金目の物と人は残らず換金して更地にしたかった。ですから彼らのような無法者が必要だったわけです」


 ナゼールが手を振ると傍らの兵がライフルを発砲、地面に伏していたネイトとサスの息の根を止めた。レスターは既に息絶えている。


「……どうしようもなく外道で非道だな。辟易する」


 マグナが転がる三つの死体を一瞥してから、ナゼールに向き直る。


「あなたにどう思われようが構いませんよ。あなたもすぐに彼らと同じになるのですから」


 ナゼールが不敵に笑いながら手を上げる。兵たちの銃口がマグナを狙っている。


「……やはり必要だな、この世界を正す存在が」


 マグナがぽつりと呟く。


「この世界の誰もが知る昔話。かつて神々は世界を創り、人や様々な生き物を創り、導き、そしていなくなった……この神無き世で人間たちはどいつもこいつも自分勝手に暮らしている。誰かが正さねばならない。俺は今までそんなことを考えながら生きてきたんだ」


「悲しいことですが……」


 ナゼールが手を振り下ろす。


「……あなたのそんな虚しい人生もこれで幕引きです」


 銃声が炸裂、マグナは胸部から血を噴き出して地に倒れ伏した。




 マグナが目覚めるとそこは何も存在しない、真っ白い空間だった。自分は確かに死んだような感覚があったのになぜ意識があるのか?ここは何処なのか?疑問は尽きない。


「どうしちまったんだ、俺は」


 やがて奇妙な光がマグナの前に現れた。その光は髪の長い女性を思わせるシルエットをかたどっている。


(ここは私が作り出した精神世界――)


 頭の中で声が響いた。その初めての感覚に戸惑いながらも、マグナは平静を繕おうと努める。


「あんたは何者だ?俺は今どうなっているんだ?」


(貴方は死にました。そして肉体から離れた魂を、私がここに迎えたのです。我が名はテミス、正義を司りし神たる存在)


「神だと……!」


 マグナは驚きで素っ頓狂な声を上げた。テミスが続ける。


(私は貴方の魂に資質を見出しました。やがてこの世を正し導く、そんな正義の神としての資質を。貴方は人としては死んでしまった。ですが正義の神としてこの世界に再誕するのです)


「……俺に拒否権は無いのか?」


 神になるとは、いったいどういうことなのか?ひとまず口にした疑問である。


(もちろん貴方の意思は尊重しましょう。このまま人間としてすべてを終えても構いません。神として再誕した貴方はきっと普通に暮らすことはできないでしょうから)


「神になれば町の惨状をなんとかできるのか?」


(それは貴方次第である、としかお答えできません。ですが潜在的な可能性において神に不可能はありません)


 マグナはしばし押し黙る。やがてテミスが尋ねる。


(――それで、貴方はどうするのですか?)


「…………せっかくこんな機会を用意してもらったんだ、俺の答えなんて元から一つしかない。なってやるさ、俺が正義の神に」


 マグナは苦笑混じりに答えた。

 テミスの光が大きく広がり輝きを増したかと思うと、やがて彼を包み込んだ。




「さて、それではハレイケル様の待つ、ヘキラルの中央広場へと向かいましょう」


 クローヴィア邸はヘキラルの町の高台に位置しており、中央広場はそこから見下ろせる場所にある。ヘキラルのちょうど中心近くだ。多数の商店や酒場などが集まり、普段はもっとも人で賑わっている場所である。そこにハレイケル・デュローラが多数の従者を従えて待っている。


 ナゼールと兵たちは、転がる亡骸に背を向けて歩き出す。しかし何か物音が聞こえたのでナゼールは思わず振り向いた。


 ――殺したはずのマグナ・カルタが立ち上がっていた。

 服はボロボロで血まみれのままだが、胸部の銃創はきれいさっぱり癒えている。


「ばかな!何故生きて……」


 マグナは悠然とナゼール達に向かって歩を進める。


「強者が弱者を虐げるだけ、そんな生き方じゃ獣の社会と変わらないだろう……」


「お前たち何をしているのです!早く奴を撃ち殺しなさい!」


 ナゼールが慌てて取り巻きの兵士たちに指示を出す。


「……この世に悪を裁く存在がないならばこの俺が裁く。正義の神となった俺がこの国を、この世界を変えてやる」


 兵士が再びマグナを狙撃する。頭部に命中した。今度こそ助からない、兵士の口元がにやける。しかし直後に異変に気付く。妙な音がしたからだ、まるで金属を打ち付けたような高い音が。


「――我が名はマグナ・カルタ。世界を律し正す、正義の神である」


 マグナの全身はまるで漆黒の鎧を纏ったかのような姿に変貌していた。しかし鎧は着ているのではなくマグナの肉体の一部として成り立っていた。さながら鱗をまとった竜のように。顔も黒い鉄仮面のようなつくりに覆われて外から表情が伺い知れないが、マグナからはちゃんと周囲が見えている。逆立った栗毛色の髪だけが覆われることなく飛び出しており、黒いシルエットにアクセントを与えていた。


「なんだ、あの姿は」


 ナゼールは驚愕して立ち尽くしている。兵士たちも動揺の余り銃の狙いがおろそかになっている。マグナだけが静止することなく悠然とナゼール達の方へ歩き続けている。鎧の軋む音が鳴り続ける。


「何をしているのです!撃て!撃て!」


 兵士たちが一斉にマグナに向けて発砲する。しかし命中した弾丸のすべてがキンッという虚しい音とともに鎧に弾かれる。

 いつのまにかマグナは兵士たちのすぐ目の前まで接近していた。彼は力いっぱい拳をふるって、兵士の一人を払いのけるかのように殴り飛ばした。顔から血を噴き出しながら、紙屑のようにたやすく吹き飛んだ。同じようにしてマグナは拳を一閃、二閃。周囲の兵士は皆吹き飛んで地に伏した。


 マグナの手は漆黒の鎧に包まれている。指関節部分は折り曲げられるようになっているので拳は作れるし、手の甲側の指関節には突起のようなつくりがあるので、常時メリケンサックを付けているようなものだ。


「嘘だ、こんなこと……夢だ、夢に違いない……」


 ナゼールが絶望に染まった顔でうわ言のような呟きをしている。やがてマグナの拳がナゼールにも突き刺さった。



 気絶したナゼール達を尻目にマグナは荷馬車に向かって歩き出す。


(これが神の力か……俺の全身が金属硬化しているのか?)


(その通りです)


 頭の中に声が響く。テミスの声だ。


(神の力はそれを行使する者の資質次第。その姿は、貴方の「正義を為す」という意思の固さの表れなのでしょう)


(なるほどな、我ながら分かりやすい)


 マグナは荷馬車に入り込む。捕縛された人々が彼の方に視線を向ける。


「みんな無事か?俺は正義の神マグナ・カルタ。これから今回の人狩りの首謀者であるハレイケル・デュローラを成敗しにいく」


 荷馬車の中にいた人々はその漆黒の姿に驚きながらも、その落ち着いた声、首謀者を成敗するという言葉に希望を感じた。一方で、ラヴィア・クローヴィアは漆黒の男の髪型に見覚えがあることに気が付いた。


(この人……もしかして……)

 今までずっと気になっていたあの人。困っている人や諍いは見過ごせないあの人。自分の信念は決して曲げないあの人。傷つきながらも最後までやり遂げるあの人。


(神様……になった?やっぱり、すごい)


「この騒ぎはまだ収束していない。今お前たちを自由にするのはかえって危険な事態になりかねないと俺は判断する。すぐにケリをつけてくる。すまないが、今はまだ捕まったふりをしていてくれ」


 マグナはクローヴィア邸の方へ視線を向ける。


(クローヴィア邸の炎もいつのまにか鎮火しているな。とっとと終わらせよう、こんなバカげた所業を)

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