〜三日前〜


「白!来なさい!!!!」


 新しい着物を買うとか買わないとか、そんな風に俺に機嫌良く話していた主人。


正直、安心していた。

これで数時間は顔を見なくて済むと。

ようやく一人になれると思ったのにこれだ。


機嫌は最悪、今日はどんな言いがかりをつけられるのか心の中でいくつか候補を上げた。


綺麗な着物がなかった


着物が汚れた


許嫁を狙う失礼な女がいた


大体この辺りだろう。

誰かと賭けでもしたいところだが生憎俺はここでは孤独だ。


俺が行けば、主人は大声で怒鳴り散らした。


「遅い!!!!

私を待たせるなんて何を考えているの!!!

これだから贄は嫌いなのよ!!!

図々しく人の物に手を出して!!

遊雷様は私の物なのに!!!

常に遊雷様の所にいるから殺すのにも手間がかかる!!

一体私は何人女を殺せばいいの!!

あ゛ー!!!!もう!!!!」


途中からりんの話に変わっているな。

出先であの二人に出会したってことか。

それは災難だな。


この女は何百年と自分の夫になるはずの男を寝取られている。


だが、向こうがこの女と一緒になる気がないのならもう仕方のない事だろう。


どうしてこうもあの男に執着しているんだ?


顔も家柄も言うことはない男だ。

女癖が悪いと有名だが本当にそうか?


俺はあの手紙を届けた日にあの男の執着を見た。


禍々しく恐ろしい、りんにまとわりつくような凶暴な執着を。

どちらかと言うと、あの男の方がりんに本気になっているように見えた。


「あの女!!!

私の遊雷様を誑かす女狐!!!!」


いや、どちらかと言うとお前が女狐だろう。


その怒り顔は妖怪顔負けだぞ。

この女はあの雷神と関係を持った女を全て殺して来ている。


病気や不幸な事故に見せかけた巧妙な手口でな。


「そもそもお前が悪いのよ!!!

何故あの日、あの女を殺さなかったの!!」


「そのような指示がありませんでしたので。」


バチッ!!!!

 

頬を叩かれたが本当に女の力か疑うほどの威力だ。

女と言えど神、俺はこのすらっとした華奢な女に殴り殺されても不思議ではない。


口の中が血の味で満ちていく。

頬を打たれるくらいなら大した事ないな。

こんな事はもう慣れてしまった。


「だからお前は使えないのよ!!!

全部お前が悪い!!お前があの女を殺していれば!!!!」


そんな無茶を言うなよ。

あの男の視線を浴びてから言ってほしい。

今でも身の毛がよだつ、あの視線を。


久しぶりに感じた、言い表しようのない恐怖だった。


主人はしばらく暴れていた。

これを見たらどんなに心の広い男でも嫁には貰わないだろうな。


「桜華様!おやめください!」


「うるさい!うるさい!うるさい!!!!」


「誰か!誰かき、ぎゃっ!……」


この発作のような症状は数十分続いた。


「はぁ…はぁ…はぁ…!!!」


部屋の中は悲惨としか言いようがない。

止めに入った女中は首を吹っ飛ばされて壁に刺さっていた。


「………誰か…ここ、片付けて、早く!」


主人の怒声に慌てて女中二人が入って来た。


「来なさい。」


俺は胸ぐらを掴まれて部屋から引き摺り出される。

本当に力が強いな、自分が男なのか疑問に思うくらいだ。


連れて行かれたのは邸の一番奥にある使われていない蔵だ。


俺はそこに投げ入れられて気が済むまで嬲られた。

いつもこうだ。

この女は他人の痛みが理解できない。


「っ!ガッ!!ゲホッ!!!」


自分の声が遠く聞こえる。

体を痛めつけられる事になれてしまった。

そのせいか、心は全く痛まない。


この女が飽きれば終わる、それが分かっているからかもしれない。


まだ暴力の方がマシだ。

ここで心を病めば永遠に苦しまないといけない。

生前がそうだった。


稀有な見た目で他人の視線や言動に精神を病んで壊れて生きたまま埋められた。


もうあんな風にはならない、あんな他人に振り回される馬鹿な人生は懲り懲りだ。 

 

そんな強い決意があったからこそ、二日間の暴力に耐えられた。

生前の俺も大概壊れていたが、この女はもっと壊れている。


「あぁ…そうだ、そうだわ…。

白、お前あの卑しい女を孕ませなさい。

お前の妻にしてしまえば女は私の物になる。

卑しい女は虐め殺すに限るわ…。」


どこまでも残酷な事を考える女だ。

いや、神はみんなそうなのか?

何にしろ、まともな神経をしていたらこんな事思いつかない。


「はい、かしこまりました。」


俺は淡々と答えた。


すると、機嫌を良くした主人がさっきとは打って変わってニコニコと笑い出す。


「いい子ね、白。

お腹が空いたら出ていらっしゃい。

女中に何か作らせておくわ。」


女が機嫌良く去った後、疲れからか俺は死んだように眠りについた。


目が覚めたらいつもとは違う綺麗な着物を着せられて邸の入り口でりん達を待った。


あの兄弟の事は心底どうでも良かったがりんは違う。

あれからずっと心配だった。


贄と言う仲間だし、互いに生きるのが下手くそだったのが透けて見える。


同じ境遇に立たされた事があるからこそ思う、不幸になってほしくないと。


どうか幸せであってくれ、そう願っていたがここへ来た時のりんの表情は幸せそうな女には見えなかった。


表情も目の中の光も無くした哀れな贄になってしまっていた。


俺はそれを見て虚しい気持ちになる。

贄も幸せになれる、その薄い希望が単なる勘違いに変わった瞬間だったからかもしれない。


言われた通り、りんと二人きりで人目の少ない庭に移動した。


「何があった?」


俺には話してほしい。

きっと、互いに唯一味方になれる。

りんは今にも泣きそうな顔になり、消え入りそうな声で答えた。


「何も…今思えば最初から何もなかったの。

私は何をしてもされても言われても、やっぱり贄だった。」


神と贄の遠さを思い知らされた、きっとそう言いたいんだな。


「報われないな、おれたちは。」


贄はどう生きてどう死のうが所詮は贄。

そんな虚しいこと、もっとずっと先で知ってほしかった。


幸せな時間は一秒でも多いほうがいい。


いや、不遇なりんには一秒でも多くそれを感じて欲しかった。


それを失ったりんに今してやれることは…


「よく頑張った。」


その小さな背中を撫でる事くらいだった。

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