りん

遊雷が寝間着のまま出て行って少しして、このお邸に客人が来た。

その客人とは裏庭でばったりと会った。


「あ…。」

「あ…。」


私はこの顔に見覚えがある。

私と同じ髪と瞳をした体格のいい青年。

美しい神様の贄にされた彼。


彼は確か…


「白…。」


そう呼ばれていたよね?

桜華様と呼ばれていたとても美しい女の神様に。

白に初めて会った時、私は山神に蹴飛ばされて桜華様の足元に転がったんだっけ。


その時に言ってくれたよね。


お互い、上手に生きよう。

きっとまた会える、って。


いつかまた会いたいとは思っていたけどこんなにも早く会えるとは思わなかった。

何だか嬉しいな。


「あぁ、俺は白と呼ばれている。

お前は?」


そう言えば私は名乗ってなかった。


「りんって呼ばれてるよ。」


呼ばれているも何もこれが私の名前だ。


白は言い回し的に本当の名前じゃないのかもしれない。

けど本人が名乗らないなら聞かない方がいいよね。


「そうか…りん、か。」


白は私の名前を聞いてほんの少しだけ嬉しそうな顔をした。


「白はどうしてここにいるの?」


私がそう聞くと白が懐から一通の文を取り出した。


「俺の主人の命で遊雷様にこの文を届けにきた。」


桜華様の言いつけでここまで来たのね。


「そうなんだ…でもごめんね、今遊雷様はいないの。」


本当、ついさっき出かけてしまったから。


「そうか、直接渡すように言われたんだが…。」


桜華様に直接渡すように言われたなら私が預かる事はしない方が良さそう。

桜華様は前に私を見た時に、汚いと仰った。

そんな私に文を触られるのも嫌だろう。


「一緒に待つのはどう?

私も話し相手がいなくて暇だったし。」


ここではかなり嫌われているから誰も私と関わろうとしない。


ちゃんとまともに話してくれるのは遊雷と雷牙様だけだ。


白は優しく笑った。


「話、か。いいな。

誰かと長く話すのは久しぶりだ。」


透けて見える白の現状。

私も白も誰かしらに虐げられ嫌われている。

贄は死んでも贄のままで敬われる事はない。


「私も…。」


対等な立場で話せるのは今のところ、白だけだ。


「それより、りんはどうしてこの邸にいるんだ?

あの品のない山神の贄だったと思ってたが…。」


品のない山神、まさにその通りだ。


「遊雷様が助けてくれたの。」


遊雷がいなければ私は今だにあの下劣な男に虐げられていたはず。

遊雷には計り知れない恩があった。

 

「珍しいな…。

遊雷様が誰かを助けたなんて話聞いたことない。」


まだこの神の世に来る前から遊雷は私を助けてくれていた。

だからだろうか、遊雷が誰かを助ける事が珍しいと言われると違和感を覚える。


「遊雷様はすごく優しい神様だよ。」


その分、怒ると怖いけどね。

私の言葉を聞いて白が笑った。


「優しい、か。

それも初耳だ。」


白の反応がどうしても気になった。


「遊雷様は普段どんな感じなの?」


私はまだこっち側へ来てから日が浅い。


正直、どこにどんな神様がいてどんな立ち位置なのか分かっていない事の方が多かった。


「俺も普段の姿を知っている訳じゃないが、正直に言えば穏やかな神ではないと思っている。

いい噂を聞いたことがない。」


え!?そうなの!?


「う、噂?

噂ってどんな噂なの?」


もう気になって仕方がない。

遊雷の事はなんでも知りたかった。


「いや……。

お前はここで暮らして行くんだろう?

知らない方がいいこともある。」


え!?そんなに酷い噂なの!?


「白…それ、逆に気になるよ…。」


「あぁ…そうだよな。

一番マシなのはそうだな……。」


え?一番マシ???

そんなにたくさんの逸話があるの??


「何年か前の話だ。

雷牙様に許嫁を取られたと騒いだ何かの男神がいたんだ。


雷牙様はその男神の許嫁には誓って手を出していないと言ったんだがその男神が聞かず雷牙様の前で剣を抜いた。


それを見た遊雷様が男神の腑を引き摺り出して本人の前でそれを焼いてそいつに食わせたんだ。」

「…………。」


言葉を失ってしまった。


「白…それって本当に一番マシな話なの?」


むしろ、一番酷い話じゃなくて?


「一番マシだ。

何ならこれは俺がその場で見ていた事でもある。」


遊雷が男神の腑を引き摺り出して目の前で焼いて本人にそれを食べさせた…。


「僕の弟をいじめる奴は許さない、とその時言っていたな。

結局、男神が泣き喚くまでそれは続いた。」


サーッと血の気が引いて行く。


だって…あまりにも内容が残酷すぎる。


「……怖いね、遊雷様。」

「あぁ、遊雷様を優しいなんて言っているのはきっとりんくらいだ。」


「…私も何かしたらその男神のような目に遭うのかな…。」


腑を引き摺り出されたらそもそも死ぬ気もするけど…。


「いや、さすがにそんな事は…。

いや……、どうだろうな。」


ないとは言い切れないって事だね。


「とりあえず、そんなに不安がるな。

女相手にはそこまでしないだろう…きっと。」


「そ…そうだよね。

女の人相手に…。」


鮮明に思い出される今朝のこと。

遊雷の機嫌を損ねた女中は目が飛び出していたっけ?

私は明後日の方向を見た。


「どうした、大丈夫か?」


「うん…大丈夫。」


私が遊雷の機嫌を損ねなければいいのだから。


「気に入られているうちは大丈夫だ。

俺の主人も機嫌さえ悪くなければ問題のない神だからな。」


白は桜華様のことを言っている。


「まさか、機嫌が悪い時は何かされるの?」


私の質問に白が一言、あぁ。と答えた。


「ま…まさか酷いことされるの?」


私が聞くと白は少しだけ悲しそうな顔をした。


「あぁ、たまにな。」


「そんな……。どうしてそんな…。」


私は自分がいかに馬鹿な質問をしたか気付いた。


「神は何をしても許される。」


そうだ、そうだった。


そこに深い理由はないんだった。


「神様だもんね。」


私はすぐに感情が顔に出てしまう。


今は、とにかく白が心配だった。


「りん、大丈夫だ。

あの山神がしたように暴力を振るわれる訳じゃない。

前のりんよりもいい扱いはされてる。」


それが本当ならいいけど…。


「お互い、賢く生きないとね。」


自分の命が他人に握られているんだから。


「死ねば楽になると思ったが人生そう上手くいかないな。」


白の言う通りだった。


死ねばもうそこで終わりだと思っていた自分が懐かしいよ。


不意に風が吹いた。

何かと思えば…


「お前、誰?」


遊雷が立っている。


「きゃっ!」

「っ!!」


突然現れた事に驚いたわけじゃない。


遊雷の格好に悲鳴を上げてしまった。

 

だって、頭の先から朝まで全て血で染まっている。

腰を抜かした私とは違い白は表情一つ変えず地に膝をついた。


「桜華様の遣いで参りました、贄の白です。」


「あぁ、桜華の。

で、用件は?」


遊雷の声はひたすら冷たい。

どうして白にそんなに強く当たるの?贄だから?


白はそんなことを気にする様子はなく、懐から桜華様の文を取り出した。


「桜華様からの文です。」


「あぁ、いつものね。」 


遊雷は血まみれの手でその文を受け取った。


「確かに受け取ったからもう帰っていいよ。」


遊雷は遠回しに帰れと命令しているようだった。


「はい、失礼します。」


白はそう返すと私を一度見た。


そして少しだけ微笑むと裏門の方へと歩いて行く。

せめて門まで見送りをしたい。


私が白の後を追おうと動けば、遊雷が私の腕を掴み自身の方へ引き寄せた。


「っ!」

「風呂に入るから手伝って。」


遊雷の前髪から血が垂れた。   

ポタポタ、まるで雨が降っているみたい。


「お手伝いするからそこまで白を見送ってきてもいい?」


遊雷にどう思われるか分からなかったから、必死に怯えている事を隠した。


「男なんだから見送りなんて必要ないよ。

僕と来て?」


男とか女とか関係なく私が白をそこまで見送りたいだけなのに…。


「で…でも、遊雷、せっかくここまで」


私がもう一度白の方を見ると、遊雷が左手で私の両頬を掴むようにして視線を戻させた。


「今は僕と話してるでしょ?」


思わずごめんなさいと言いたくなる。

何も悪いことはしていない。


ここが遊雷と白の違う所で遊雷がどんなに私に優しく接しようと、目の前にいる男は神様で私と正反対の人なんだ。


「兄様、それはちょっとどうなんだ?

りんの顔が血まみれになってるじゃないか。」


少し遅れて雷牙様が現れた。


「そうだね、こんなに汚れたら僕と一緒に風呂に入るしかないね?」


遊雷は嬉しそうに私に告げた。

遊雷に盾つきたい訳じゃない、私は遊雷が大好きだから。


「兄様…それは本当にやめろ?

嫁入り前なんだぞ?

兄様の贄になったと言うだけでも絶望的な状況なのにこれ以上りんの立場を悪くさせてどうする。」


え?遊雷の贄?


「遊雷…私、遊雷の贄になったの?」


「うん、もう誰にも文句なんか言われない。

正真正銘、僕のりんになったよ。」


嬉しくてどうにかなりそうだった。

私はもうあの山神の物じゃない。

完全に遊雷のものになれたんだ!


「ありがとう!遊雷!」


私は嬉しくなって血まみれの遊雷に抱きついた。


「どうやったの?あの山神をどうやって説得したの??」

「わぁ、りん可愛いー。」

「りん!汚れるぞ!」


こんなにもはしゃいだのは久しぶりだった。

それくらい、遊雷の物になれた嬉しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る