第肆話 雷牙

俺たちがやってきたのは地獄にある閻魔様の邸だ。

神同士で何か揉め事が起これば閻魔様に全てを委ね決めてもらうのが常だ。

今回、ここまで大事にした相手は山神だ。


今日はりんの所有権と兄様から山神への謝罪が必要かどうかを争う。


そう、これは大事なのだ。


ここに寝間着で来た頭のネジが飛んだ男(兄様)はそれを分かっているんだろうか。


「わぁ、見て見て雷牙。

あの置物変な顔してるー。

本当に悪趣味だよね。」


きっと、いや絶対に分かっていないだろうな。


「なぁ………兄様。」


言いたいことも聞きたいことも山程ある。


「どうしたの、雷牙。

顔色が悪いよ?」


ただ一つだけ聞かせてくれ、兄様。

寝間着の件はもういい、慣れた。

だがこれだけがどうにも気になる。


「何でそんなにニコニコしてられるんだ?」


訴えられているんだぞ?

どうしてそんなに余裕なんだ?本当に分からん。


「面白いからね、いろいろ。」


「…こんな事は言いたくないが兄様はかなり不利な状況にいるぞ。

それでも面白いと言えるのか?」


俺が聞くと兄様はいつものように、あははと笑う。


「うん、そこが一番面白いよ。

雷牙もその他の有象無象も、みーんな僕が不利だと思い込んでるでしょ?

それが面白くてたまらないよ。」


やはり何度理解しようとしても無理だ。

思考回路が飛んでいる男の言い分は本当に訳が分からん。


「どこからどう見ても不利だろう。

兄様、本当に分かっているのか?

りんを取られるかもしれないんだぞ?」


そんなの、嫌だろ。

ちなみに俺も嫌だ。

あの山神にはりんを返したくない。

りんが酷い目に遭う事は火を見るよりも明らかだからだ。


「雷牙は本当に面白いね。

今まで馬鹿みたいに長生きしてきて僕が何か失った事はあった?

誰かに負けたことはあった?」


兄様は少し悪い顔をする。


「ない。…が、今日が記念すべき一回目かもしれないだろう。」


永遠に勝ち続ける者なんていない。

いくら神と言ってもな。


パチッ!   

「っ!!」


俺の額に小さな雷が落ちた。

そんな事をするのは兄様しかいなくて、それをやった兄様は楽しそうにニコニコ笑っていた。


「僕は何も失わない。

雷牙がその証拠でしょ?」


兄様に不安など一抹もなかった。

兄様は自分が手にした物を誰かに奪われた事はない。


「あぁ…そうだったな。」 


兄様の言うように俺がその生き証人だ。

兄様が俺の手を離さなかったから俺は今こうして生きていられる。


正直、''あの時"ほど絶望的な状況ではない。


何なら兄様はあの時も今のようにニコニコ笑っていたな。


不意に肩の力が抜けてしまった。

兄様が大丈夫だと言えば本当にそう思える。

本当にいろいろな意味で理不尽な兄様だ。


なんて、ほっこりしたのは一時のこと。


兄様たちが話し合いをする炎ノ間と言う部屋に着けば、兄様と山神の話し合いを見ようとかなりの人数が集まった。


そんな中、遅刻した上に寝間着で登場した兄様を見てここにいる全員が驚きを隠せないでいた。


ここは終わりがないほど長く広い和室で、来た人数によって広さや形が変わる。

見たところ、今回は円形に広がっているようだ。


「向こうで見ているからな。」


俺は部屋に入ってすぐに聞き側へ回り、兄様は閻魔様の前に立った。


もちろん、兄様の隣にはかなり怒りに満ちた山神がいる。


主役が集まった所で閻魔様が口を開いた。


「まずはこの場を設けたいと主張した山神から事の経緯を話せ。」


白髪に赤子が見れば大泣きするような赤く怖い顔、さらには角まで生えているから歳をとっていても閻魔様は迫力があるな。


「はい…閻魔様。」


閻魔に言われた山神は待っていたと言わんばかりの笑みを浮かべ声を張り上げた。


「私、山神は雷神の遊雷に謝罪と贄の返却と、それに対する閻魔様からの罰を望みます!


この雷神はいきなり私を襲い贄を強奪した挙句、つい昨日は私の邸へ押入り贄の所有権を渡せと脅してきました!!


私の邸に雷を落とし、今は住める状況ではありません!


この雷神にどうか罰を与えてください!」


山神は相当悔しかったのだろう。

今回、この話し合いを提案したのはりんを返してほしいその一心ではない。

兄様を苦しめたい、その思いが滲み出ていた。


直接戦っても兄様には勝てないから周りの神や閻魔様を味方につける算段か。

恐ろしく小さい男だな。


「雷神の言い分を聞かせてもらおう。」


次は兄様が話す番だ。

負けがほぼ確定しているこの状況で兄様は一体何を語るんだ…?


ここいる全員が兄様へ注目した。


兄様は相変わらずニコニコしていて余裕だ。

山神は不細工な面に勝ち誇った笑みを浮かべている。

しかし、兄様と並ぶと山神の醜さは一層際立つな…可哀想に。


「僕の言い分かぁ……。」


兄様がヘラヘラとした笑みをそっと無くした途端、腹の奥から突き上げるような恐怖が全身を襲った。


長年兄様と一緒にいた俺ですら足がすくむような恐怖感。

どこまでも黒く深い怒りと凄まじい神力。


兄様がほんの少しだけ本性を表した途端、この場から泣いて逃げ出す者も何人かいた。


逃げ出せた奴はある意味幸運だ。


不幸にも逃げ遅れた者たちは今、冷や汗を流しながら床に額をつけひたすら震えているのだから。


「昨日、わざわざお前の小屋に出向いて親切にもりんの所有権を渡せとお願いしてやったのに、お前は愚かにも僕の申し出を断ったね?」


腰を抜かした山神に、兄様がゆっくりと近づいて行った。

兄様の周りには黒い雷がバチバチと音を鳴らしている。


「挙句にこんな面倒な所に僕を引っ張り出しやがって……。

調子に乗るなよ、雑魚が。」


兄様に至近距離で睨まれた山神はあまりの恐ろしさに髪がパサパサと抜けて行った。

精神的にかなり追い詰められているんだろう。


「今、ここで選べ。

死ぬか、りんの所有権を僕に渡すか。」


山神は兄様の全てに怯えて歯をカチカチと鳴らすばかり。

俺は平気だが、兄様の神力に充てられた近くの神たちが白目を剥いて譫言うわごとを言い始める。


泡を吹いてるのもいるな。

ふと視線を山神へ戻すと既に気を失っていた。


「話している最中に眠りこけるなんて失礼じゃない?」


兄様はそう言うと禿げた山神の頭を鷲掴みして…

ブチィッ!!!!!!


そのまま頭を上に引っこ抜いた。


山神の首は引っこ抜かれ、背骨までついてくる。

まだ意識のあった面々はこれを見て全員気絶した。


「はぁ……。」


兄様はやり過ぎる所がある。


頭を引っこ抜いた事くらいで神は死なない、兄様は所有権をもらうまでは殺す気はないのだろう。

それが逆に残酷だ。


本来、ここまでやらかせば何かしらの罰が降るだろうに兄様はこの神の世で一度も罰せられたことはない。


「合体ー。もう目が覚めた?

だったら早く所有権を渡しなよ。」


兄様はあえて山神の首を完治させた。


「ら………らい…雷神…さ」

ブチィッ!!!


再び首を引っこ抜かれた山神から大量の血が吹き出した。

兄様の真っ白だった寝間着は赤黒い血で染まっている。


「はい、の一言でいいんだけど?」


そしてまたくっつけて…


「は…」

「えーい。」ブチィッ!!


また引っこ抜く。

兄様が握っている山神の頭が痙攣しているのが分かる。


この短時間で首を何度も引き抜かれたらそうなるだろうな。


「あはは!」


兄様は心底楽しそうに笑ってまた山神の頭をくっつけた。


閻魔様が険しい表情で俺を見た。

そんな顔をされても困る。


「閻魔様、いっそあなたのめいで山神の贄の所有権を兄様に渡していただけないか?」


もうその方が早い。

兄様は完全に遊んでいるし、山神も話せる状況ではない。


「山神本人が渡すと言うまでわしは何も出来ん。」


「あんな状況で山神が話せるとは到底思えませんが。」


ブチィッ!…グチャッ!ブチィッ!…グチャッ…!!


「はぁ……。」


閻魔様は兄様の狂人ぶりを見てため息をつき天を仰いだ。


「雷神、遊雷。」


閻魔様が大きな声で兄様を呼ぶと、兄様は山神の頭を持ったまま振り返る。


「何?」


兄様は顔も血まみれになっていて前髪から山神の血がポタポタと滴り落ちていた。


「その者はもう話せない。

それ以上、虐めてやるな。」


閻魔様の言葉を聞いて兄様が無言で少し笑う。

そして山神の首を体にくっつけ傷を綺麗に治した。


もう気が済んだのか?


そう思ったのはもちろん間違いで、兄様は悪びれる様子もなくもう一度山神の頭を引っこ抜いた。


再び噴き出す血を見て閻魔様の眉がぴくりと動く。


「気が触れていると言う噂は真実だな、小童。」


閻魔様の言葉に兄様はにっこり笑った。


「うん、よく言われるよ。

だからさ、早くコイツの贄の所有権を僕に頂戴?

閻魔様の言う通り、僕は気が触れてるからこれ以上待たされるとコイツの頭とあんたの頭でお手玉しちゃうかもね?」


兄様の瞳に宿る狂気は本物だ。

兄様の事は尊敬しているし大切な家族だがこんな時はどうしても思ってしまう。


本当に同じ腹から出てきた兄弟なのか、とな。


兄様が本気で言っている事が閻魔様に伝わったらしい。

閻魔様は深いため息を吐き山神の方へ手を向ける。

すると、山神の懐から巻物が出てきた。


「白い巻物かー。りんの巻物って感じだね。」


呑気に感想を言う兄様の目の前に巻物がふわふわと移動した。


兄様はそれを取りパッと手の内で巻物を消す。

消したと言うより、兄様にしか分からない所へ隠したと言うべきだろうか。


これでもう、りんの所有権は兄様の物になった。


「確かに受け取ったよ。

もう二度と僕を呼び出さないでね、面倒だから。」


何もかもしてやられた閻魔様は怒りでブルブルと震えている。

こうも簡単に敵を作るなんてな。

これも一種の才能か?


「雷牙、早く帰ろう?

僕、お腹空いたんだよね。」


いつの間にか隣にいた兄様。

ついさっきまで他人の頭を取ったり付けたりしていた奴が腹が減ったとは。


さすがは兄様だ、完璧にぶっ飛んでる。


「飯の前に風呂に入った方がいいと思うぞ。」


俺ならそんな血まみれで食事はしたくない。


「そうだね、りんと入ろー。」


兄様はそう言って空間を手で一度切り裂いた。

兄様が先に進みこの場を後にした。


俺も兄様に着いて行こうとしたら…


「乱神の弟よ。」


閻魔様に声をかけられた。


「はい。」


まだ何かあるのか?

しかも俺に?まさか兄様の文句を言われるのか?

振り返るの閻魔様は淡々と語った。


「兄を思うのなら、頃合いを見て手元に渡った贄を殺せ。

神が贄に溺れていい結末を迎えたことは今まで一度もない。

お前の両親よりも遥かに長く生きておる儂が唯一言える事だ。」


頃合いを見てりんを殺せ、か。

凄まじく虫唾の走る忠告だな。


「閻魔様、俺は兄様が幸せになれる道だけを選ぶ。

たとえ誰に何を言われようと、俺が俺の判断でやりたいようにやります。

失礼します。」


閻魔様に背を向けすぐに兄様の後を追った。


空間の切れ目が閉じ、地獄絵図となった炎ノ間で唯一正気を保っていた閻魔様は一人呟いた。



「全く…厄介な兄弟だ…。」


そんなことを言われているとは露知らず、俺は自分の邸へ足を運んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る