りん
遊雷も雷牙様も優しい。
私を見下したり、殴ったり蹴ったりしない。
雷牙様は私に着物を貸してくれたし。
「そこに座ってろ。
大したものは作れないが腹は膨れるはずだ。」
私に何か作ってくれようとしている。
私は今、雷牙様に連れられて台所にいる。
「い、いけません!
神様にご飯を作っていただくなんてバチが当たります!」
「そんなものは迷信だ、いいから座っていろ。」
優しい、親切すぎる。
私は怖かった。
他人の優しさにあまりにも慣れていなかったから。
誰かに優しくされたらそれと同等の不幸が私を襲う気がする。
生きていた時は実際そうだった。
「雷牙様、わ、私が怒られちゃいます!」
「ん?誰に怒られるんだ?」
え??
「それは……。えっと…たくさんの人にです!
神様にご飯を作らせる贄なんて聞いたことがありません。」
こんなの、このお邸の女中たちに知れ渡ったらきっと追い出されるわ。
無礼で図々しい女だと言われてね。
私はしょうもない年数しか生きられなかった女だけど、何も学んで来なかった訳ではない。
女の嫉妬ほど恐ろしいものはない、それだけはこの身を通してしっかり学んできた。
女の嫉妬を買えば途端に除け者にされる。
私は元々除け者だったけど、そんな除け者が集落の若い男に少しだけ優しくされたらどうなったか。
答えは簡単、思い出したくもない目に遭った。
翌日、私はその男の事が好きだと言う女とその仲間たちに木に吊るされ水をかけられた。
吊るされ無抵抗なまま叩かれもした。
あれはまるで獣になったような気分。
もうあんな思いは二度としたくない。
「兄様が無理矢理攫ってきたんだ、飯の面倒くらい見させてくれ。
俺の気が済まないんだ。」
なんて律儀な神様なの?
「そ…そこまで仰るなら一緒に作りませんか?
雷牙様がお嫌でなければ…。」
私の提案を聞いて雷牙様はにっこり笑った。
「いい考えだな。
その方が早く作り終えるだろう。
早速だがそこに置いてある野菜を洗ってくれ。」
よかった、了承してくれた。
「はい!お任せください!」
こんな私と一緒に何かをしてくれる、その事実が本当に嬉しかった。
この時の私は甘かった。
雷牙様にご飯を作ってもらったと誰かに知れたら不特定多数に妬まれる。
それが分かっていたから私も雷牙様を手伝いたいと提案した。
ただの手伝いなら恨まれることはないだろう、そんな考えは本当に甘かった。
この時の私と雷牙様を見た女中がいて、私はその人の妬みを買った。
そして、その女中はこう言いふらす。
どこから来たのかも分からない卑しい贄が雷牙様に図々しく迫っている、と。
その噂はあっと言う間にに広がり、すぐに私への敵意となって姿を現した。
雷牙様と一緒にご飯を作り、恐れ多くも食べ終わるまで一緒にいてくださった。
思えば誰かと食事をしたのはかなり久しぶりだ。
もう、何年前かも思い出せないくらい。
だからかな…
「…ふふ////」
すごく嬉しかった。
胸の辺りが暖かい。
雷牙様は私が食べ終わると野暮用があるとどこかへ出かけてしまった。
一気に暇になった私はとりあえず皿の片付けをして、このお邸の女中さんを探す事にした。
探している理由はただ一つ。
一度着た遊雷の着物を洗うためだ。
遊雷の着物を持って縁側を歩いていると、前から三人の女が歩いてくる。
三人とも綺麗な着物を着ていてとても女中には見えない。
私はすぐに頭を下げて廊下の端に素早く避けた。
私なんて相手にせず通り過ぎると思っていたけど…
「美咲様、この者です。」
「見てください、遊雷様の着物を持っております。」
真ん中にいた橙色の着物を着た人に左右の二人が耳打ちした。
「あぁ、これが例の…。」
美咲様と呼ばれた女は私のつま先から頭まで舐めるように見回した。
大抵、この見方をする人に良い人はいない。
「なんて女なの?
遊雷様の着物を持ち、雷牙様の着物を身に纏っているなんて。
自分の着物がないってことは裸で迫ったのかしら?下品な女。」
「おほほっ。」
「育ちが悪いから仕方がありませんわ。」
ここで何か言い返したら取り返しがつかない。
それはもう生前嫌と言うほど勉強してきた。
謝る事もせずただ目を合わせないようにした。
この人達は私を蔑み嘲笑すればすぐに満足してどこかへ行く。
私が何か言ったり、何かした方がこの人たちは喜ぶ。
こう言った人を喜ばせてはいけない。
この人達は何をしても許されてきた人たちだ。
廊下で誰かを避けるなんて事はしたことがない、身分の高い人。
そんな人たちに私が何を言おうがしようが何も通用しない。
ただ黙っていればいい。
大丈夫、自尊心など生きているうちに捨ててきた。
「表情一つ変わらない、つまらない女ね。
ほら、さっさと向こうへ行きなさい。
あんた陰気臭いのよ。」
美咲様は持っていた扇子で私の頭をバシッと叩く。
それを見て左右の取り巻きが笑い、美咲様も面白そうに笑った。
こういった人たちを見て羨ましいと思った事はない。
身分がどんなに高くてもそれに見合った品格がないのなら、その人に価値はないからだ。
私は一礼しその場を去ろうとした。
すると…
「あらやだ。」
右にいた女がわざと私に足をかける。
私は止まることができず女の足に引っかかり無様にもお庭に転がってしまった。
「あぁ、痛い痛い、下等な贄に足を蹴られたわ。」
「あははは!」
「まぁ可哀想、新しい着物を仕立ててもらわないとねぇ〜、そんな汚い着物もう着れないわ。」
三人は私を見下ろし笑いながら話している。
本当に、どこまでも幼稚な方達ね。
あ!!!
私はすぐに持っていた遊雷の着物を確認した。
大変だ、土で汚れてしまってる。
早く洗わないと。
私は幼稚な三人を無視して走り去った。
「ちょっ!何よ!あの女!」
「私たちを睨みつけましたわ!」
「何て生意気な女なのかしら!
家畜のように殺された贄の分際で!」
あんな人たちの事はもうどうでもいい。
私は、私を大切にしてくれた人に礼を尽くしたい。
広いお邸のお庭を一頻り回って何とか井戸を見つける事ができた。
ここは裏庭だろうか。
人の気配が全くない。
洗濯板が欲しい所ではあるけど、私の立場的に誰かが何か貸してくれるとは思えない。
幸い近くに桶があるからそれに入れて洗おう。
井戸の水を引っ張り上げて桶に移した。
遊雷の着物をそれにつけて優しく洗う。
とてもいい羽織だから慎重に洗わないとね。
遊雷の羽織を洗い終えて、今着ている雷牙様の着物も汚してしまっていた事に気が付いた。
遊雷の着物を井戸の端にかけて雷牙様の着物を脱いだ。
誰もいないから別に裸でも問題ない。
と言うより、遊雷がいないから別にいいかなと思ってしまう。
誰かに裸を見られるのは嫌だけど遊雷に見られるのが一番嫌だ。
すごく恥ずかしくなるから。
「//////」
遊雷の事を今思い出さないで。
昨日のあの…口付けも。
//////////
もう!思い出さないで!
パチン!!!
両頬を叩いて気合いを入れ直した。
昨日の記憶に溺れている暇はない。
雷牙様の着物も綺麗にしないと。
遊雷の羽織の汚れはすぐに落ちたけど、着ていた雷牙様の服の汚れはあまり落ちてくれない。それどころか…
「え!?」
膝の部分に穴が空いてしまっている。
さらに確認したら袖の部分には血が付いていた。
今私は膝と腕を擦りむいて血が出ている。
そんな事は本当にどうでもよくて問題は着物に付いてしまった血だ。
血はちょっとやそっとなことじゃ落ちない。
どうしよう……。
はぁ…、どうしようじゃないでしょ?
私が自分でどうにかしないと。
とにかく洗おう。
何時間かかってもいい、ちゃんと落として開けてしまった穴も縫う。
嫌だな、こんなの。
せっかく着物を貸してくださったのに。
落ち込みながら着物を洗っていると空が暗くなってくる。
お腹が空いてきたし寒い。
寒いのは当たり前よね、裸なんだから。
「…ぅう……。」
夜の井戸水の冷たさはさすがに堪える。
寒さと冷たさに耐えながら着物を洗っていると…
バシャーッ!!!!
「きゃぁっ!!!」
私の全身に突き刺さるような冷たい水がかけられた。
「「「あははは!!!」」」
「見たかい!今の!!」
「間抜けな声!!」
「裸で馬鹿じゃないのかい!」
「遊雷様と雷牙様の気を引くのに必死なんだよ!」
水をかけたのは、ここで働いているであろう女中たちだった。
ゴン!!
「い゛っ!」
私に水をかけた女中は持っていた桶を私の頭に投げつけた。
痛がる私を見て女中たちはまた笑った。
そして次々と帰っていく。
「………。」
寒空の下、びしょ濡れで裸、今日は少しツいてないかもしれない。
カチカチカチカチ…ッ。
寒さに体が震えて歯がカチカチ鳴った。
ポタポタパタッ!
「あ!!!」
雷牙様の着物にまた血が付いた!!
私の馬鹿!額の血が雷牙様の着物に付いたじゃない!
せっかく袖の所が少し薄くなっていたのに…!
私は急いで桶に雷牙様の着物を入れた。
「はぁ………。」
「りん。」
一息ついた途端、名前を呼ばれた。
私の名前を呼んだのは…
「遊雷…。」
振り返ると同時にふわっと遊雷の香りに包まれた。
「あぁ、びっくりした。
またどこかに行っちゃったのかと思ったよ?」
優しい声色と安心する体温。
寒いとか痛いとか嫌な事は全て忘れてしまった。
「遊雷…。」
だからきっと本音が出てしまったのね。
「すごく会いたかったよ。」
朝目が覚めて遊雷がいなくてすごく寂しかった。
だけど私、ちゃんといい子にしてたよ。
「僕もすごく会いたかったよ。
やっぱり僕たちはずーっと一緒にいないとね。」
遊雷の言葉はいつも心地いい。
「…うん////」
遊雷はいつも私に欲しい言葉だけをくれた。
遊雷の言葉に絆されて、額を遊雷の胸に付けそうになった。
「っ!」
私は焦って遊雷の胸を少し強め押す。
「?」
遊雷は私の謎の行動にそっと首を傾げ綺麗な顔を覗かせてきた。
「あれ?僕嫌われちゃった?」
「違うよ!嫌ってない…!」
自分の仕事を増やしたくなかっただけなの。
「じゃあこんな事しちゃいけないね?」
遊雷に優しく言われた瞬間、私の手が勝手に動き遊雷の首元へ抱きつくように回された。
「!?」
なんで手が勝手に!?
焦って遊雷を見上げると、遊雷は嬉しそうにニコニコしていた。
「これで僕たち仲良しだね?」
「///////」
この優しい笑みで何人の女を虜にしてきただろう。
何人がこの神様に夢中になったんだろう。
「それより…りんに酷いことした奴がいるね?」
遊雷の笑みが突然冷たくなったような気がした。
「僕のりんにこんな事するなんて…どこの愚か者かな?」
私はこの時、ハチの事を思い出した。
私がハチの事を遊雷に話した次の日にハチは変わり果てた姿で見たかった。
ちょうどあの日だったわね。
私があの山から突き落とされたのは。
「遊雷、これは自分で怪我したの。
転んで桶に頭をぶつけちゃって…。」
ポタポタと遊雷の着物に血が垂れた。
「っ!遊雷!着物が!」
私が何度離れようと試みても何故か腕が動かせない。
まるで遊雷の首元に固定されてしまったみたいだ。
「本当に?」
「ほ、本当!本当に自分でやったの!
遊雷!それより綺麗な着物が…!」
また洗い物が増えるー!
「着物なんて心底どうでもいいよ。」
遊雷はそう言って私の切れた額に口付けをした。
痛みが徐々に引いていく。
ぱっくり開かれた肌がくっついて行くのが分かった。
「ありがとう…。」
神様って本当にすごい。
私とはまるで違う。
「僕のりんは怪我をしたらいけないんだよ?」
僕のりん、そう言ってくれるだけで嬉しくてたまらない。
「うん、もう怪我しないようにする。」
だから私は遊雷の言いつけを全て守りたいと感じるようになった。
遊雷が神様だからじゃない、遊雷の事が大好きだからだ。
「りんは本当に物分かりがいいね。
あ、そうだ。
ちょうど裸だし一緒に風呂に入ろうか。」
……………ん????
一緒にお風呂に?
「お風呂は…一緒じゃない方がいいんじゃないかな?」
私と遊雷が一緒に入る意味がわからないよ。
「えー、僕いつも誰かに背中を流してもらってるんだけどなぁ。」
あぁ、何だ。
入浴の世話をしてほしいと言うことね。
それなら一緒に入らないと。
「分かった、私に任せて。」
遊雷は私の答えを聞いて嬉しそうに笑った。
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