雷牙

兄様は強烈なまでにあの贄に惹かれている。

名はりんと言ったな。

異常なまでに気に入っている。

俺がさっき兄様の部屋に行った時、りんは兄様の羽織を纏っていた。

まさか、兄様があの贄を抱いたわけじゃないよな?


あんなか弱そうな女を攫って自分の物にするなんてそんな乱暴してないよな?


これがないとは言い切れない。


兄様は女関係もかなり適当だからな…。


「はぁ………。」


何でもちゃんとすれば誰よりも完璧にできる男なのに…本当に兄様は困った男だ。


ここでため息をついていても仕方がない。


疲労困憊だがこれからのことを考えよう。


山神との話し合い、兄様の説得、落神殺しの予定、閻魔様の対策、兄様の許嫁の事…


あぁ、これはもう駄目だ。

頭が破裂してもおかしくない。


いや…俺の頭が破裂などするものか。


俺は神だ。


頭が破裂しようが首が飛ぼうが死ぬなんて概念はない。


あまり焦るな、少し目を閉じて落ち着いて考えればいい。


これからの…………こと………を…。 


「……………ぁ………の……、ら………さま……。」


何だ、考え事をしている時に。


まさか兄様がまたどこかで何かやらかしたんじゃないだろうな。

眠気が吹っ飛んで目を開けると…


「……………ん?????」


おかしいな、どうして朝日が昇ってる?


さっきまで夜だったのに。


それより…


「どうしたんだ………、りん。」


なぜお前が俺の目の前にいる?


りんはすぐに膝をつき頭を下げた。


「あ…あの…お邸を勝手に歩いてしまって申し訳ございません。

遊雷様がどこにいらっしゃるか教えていただきたくて…。」


りんの細い肩は微かに震えていた。

昨日の昼間に見たあの光景が蘇る。

山神に手酷く扱われていたな。

りんは神そのものが怖いのかもしれない。


「畏まる必要はない、顔を上げてくれ。」


俺の言葉を聞いてりんが恐る恐る顔を上げた。

見れば見るほど美しい女だ。


「兄様の居場所はわからない。

いつも気まぐれにどこかへ行くからそのうち戻ってくるだろう。

それより何か着物を用意しよう、そんな格好では俺も目のやり場に困る。」


兄様の羽織しか着せられていない。

本当に兄様は何を考えているんだ。 


俺が歩き出すと、りんも後ろをついてくる。

俺との距離の取り方はまるで使用人だ。

虐げられてきたんだろう、人間からも神からも。


贄になった者は基本的に真逆の人生を送っている者が多い。

一方は、愛され大切にされ苦痛なく摘み取られる者、もう一方は忌み嫌われ恐怖と苦痛を与えられて摘まれる者。


おそらく、りんは後者だ。


俺や兄様なんかが到底理解できない扱いを受けてきただろう。


そう考えると同情せざるを得ない。

兄様はこのりんと言う女に同情しているから執拗に欲しがっているんだろうか。


俺は自分の部屋に来て気付いた。

俺は自分以外の着物なんて持ってない。

ましてや女物なんて持っているはずがなかった。

何故連れてきた?

寝ぼけていたのか?


まぁいい、兄様の羽織より俺の着物の方が動きやすいだろう。


「りん、一人で着替えはできるか?」


俺が聞くとりんは頷いた。


「そうか、じゃあこれを着ろ。

かなり大きいと思うがお前の着物が用意できるまでそれで我慢してくれ。」


「感謝いたします、雷牙様。」


「たかが着物でそんなに畏まられると俺の立場がないだろう、ここにいる間は気楽に過ごせばいい。」


俺の言葉を聞いて、りんが少し切なそうに笑う。


「お優しいご兄弟ですね。

私は幸せ者です。」


こんな気遣いにも満たない行為が優しさに見えるのか。


「雷牙様…。

帰り道を教えていただけますか?」


帰り道?


「…山神の元へ帰るのか?」


「はい。

恐れながら、昨夜のお二人の会話を聞いておりました。」


寝たふりをしていたのか。


「お二人にご迷惑をかけたくはありませんから。

帰り道を教えてください。」


無理矢理連れ戻される前に自らの足で帰りたいと望むか。


「その心意気は素晴らしいものだが断る。」


「えっ。」


りんはかなり驚いたらしく目を見開いた。


「兄様が怒って暴れたら死ぬ程面倒くさいからな。

言葉通り死者も出るだろう。

下界では、触らぬ神にとあるだろう?

まさにそれだ、兄様をわざわざ怒らせることはない。」


りんは心底分からないと言った顔をした。


「遊雷、様は怒るのでしょうか…。」


「あぁ、怒るだろうな。

予め言っておくが兄様を怒らせたら最悪だ。

俺も含め、兄様を怒らせたい者はいない。」


りんは少し笑った。


「遊雷様は怒る事もあるんですね。

常に優しいから想像がつきません。」


常に優しいのはそうだな。


「あぁ、兄様は優しい。」


俺とお前にだけはな。


「まぁいい、さっさと着替えてしまえ。」


「はい。」


りんが抱えている間、視線を逸らして北の空を見る。

目を凝らして少し遠くを見てみると、快晴の中に雷がチラチラと舞っている。


あの硝子のような雷は兄様のものだな。


で、あの辺りは山神の邸があったはず。


本当に困った兄様だ。


いつもの俺なら止めていただろう。

だが、今回はあえて止めなかった。


「雷牙様…あの…本当にありがとうございます///

こんなにいい着物を着たのは初めてです///」


「そうか、とりあえずそれで辛抱してくれ。」


理由は分かってる。

俺もりんを山神には返したくなかった。


帰れば酷い目に遭うと分かっている女を易々と帰せるほど俺も肝が座っていないと言うことだ。

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