第参話  りん

「……。」

あれ?

気が付けば全ての苦しみから解放され体が軽くなっていた。


「いつまで転がっておるのだ小娘。」


少し離れたところから聞こえた年寄りのような男の声。


私が顔を上げると醜く太った男が酒を飲みながら私を見ていた。


え?誰??

そもそもここはどこ?


私、死んだのよね?


ちょっと待って、本当に何?


混乱していると男が私の顔を見て目を見開いた。


「おぉ!今回は当たりじゃ!!!

上玉じゃ!!

ほら、さっさとこちらへ来い!

近う寄れ!」


男は私を見て当たりだと言ってはしゃいでいる。

ここで私はこの男が誰で何か見当がついた。

 

この男は集落で崇め奉られていた山神様だ。


そして私はこの男の贄となった。


贄になり死ねば全てが消えてなくなると思っていたのに、まさかこんな世があったなんて。


瞬時に理解した。


死を経て解放された訳じゃない。


私は囚われたんだ。


「何をしておる!さっさと来い!

グズな人間が神を待たせるな!」


この横暴な醜い神に。


それから数日、一応山神には気に入られたらしい。

山神は常に私を側に置いている。


私を側に置き、酒のお酌や出かけた際の荷物持ちや椅子にする。


今だってそう。


「何とも座りにくい椅子じゃのぉ?」


何故かこの山神様は道のど真ん中で私を四つん這いにし、椅子にしてくつろいでいた。


「ほれ、もう少し踏ん張らぬか。」


山神の体重を支えるのが精一杯な私はとにかくプルプル震えていた。


そんな私を揶揄うように山神が私のお尻に触れてきた。


「ひっ…!」


気持ち悪い!気持ち悪い!!気持ち悪い!!


死んでも尚、こんな屈辱的な行為を受けるとは思わなかった。


気持ち悪い…触られたくない。


この神を転がり落としてやりたいけど機嫌を損ねると大変だ。


一度お酌を失敗して手にかけてしまった時は気を失うまで殴られた。


もうあんな痛くて怖い思いはしたくない。


大丈夫、私なら大丈夫。


こんな時のとっておきの秘策があるんだから。


それは、想像の中の遊雷に溺れる事。

あの暖かい腕に包まれた感覚は死んでも忘れる事はなかった。


もう一度、あの腕の中に飛び込みたい。

名前を呼ばれたい。

一目でいいから会いたい…。 


「あぁ、もうよい。

使えぬ女だ、見てくれだけでとんだハズレを引いたものよ。」


山神はようやく私を椅子にするのをやめた。


「ほれ、さっさと立たぬか。」


全身が痛くて動けない私を容赦なく蹴り上げた山神。


道行く神様たちはそれを何とも思っていないみたい。

私の体は簡単に吹っ飛んで誰かの足元まで転がって行った。


「汚い娘ね…。」


私を見るや否や汚いと罵る女の人。


豪華絢爛な着物を着ているからこの女の人も神様だ。


この世の物とは思えないほど美しい顔をしている。


美しい漆黒の髪に月明かりのような瞳。


山神は醜い男だけどこの人は本当に美しい方だ。


「まぁ嫌!穢らわしい!」

「お怪我はありませんか?桜華(おうか)様!」


この女の人の両脇にいた女二人がすぐさま着物の裾を払い、桜華様と呼ばれた人の心配をしていた。


しろ!何をしているんだい!

早くこの汚い娘を退けなさい!」


「…はい。」


白と呼ばれた人は女二人の後ろから出てきた。


私と同じ髪の色をした逞しく綺麗な青年だった。


青年は私を軽々と抱き上げ横に避ける。


すると桜華様の取り巻きの二人の女が山神に詰め寄った。


「お主!田舎の山神風情が桜華様の御御足に汚物を転がすなどありえぬわ!!」


「よくも我らが桜華様に…!恥を知れ!」


怒涛の勢いで山神を罵倒する女二人。


その様子を見てほんの少しだけスッキリしている自分がいた。


「贄にされたのはその髪と目のせいか?」


白が私を抱いたまま話しかけてきた。


こんな事を聞くという事は白も贄にされたんだろうな。


「分からない…。でも、人から好かれる物ではなかった。」


私が答えると無表情だった白の顔にほんの少し笑みが浮かぶ。


「そうだな、俺と同じだ。

人間も神も勝手だな。」


そう、本当にそうだよ。


この世界に来て初めて誰かに共感できた。

よかった、私と同じ境遇の人がいるってだけで少しは孤独がなくなった。


私と白が話していると…


「白!いつまでその汚物を抱いておる!」


「そうじゃ!早う離せ!」


白は私を優しく地面に下ろし、私以外の誰にも聞こえないように耳元で囁いた。


「お互い、上手に生きよう。

きっとまた会える。」


白はそれだけ言うと桜華様の元へ颯爽と走って行った。


胸の内が軽くなったのは一瞬だけ。


桜華様達が去った後…


「きゃっ!」


私は山神に髪を掴み上げられた。


「この出来損ないのグズが!!!

よりにもよって桜華様のお足元に転がるなど気が触れておる!!!」


バキッ!!!


顔を拳で殴られた。


「この!お主のせいで恥をかいたではないか!!」


「ゔっ!ぐっ…!!」


その次は腹を、倒れたら踏みつけにされた。


涙が勝手に溢れてくる。


悲しみの涙じゃない。


体が勝手に反応して出た涙だ。

 

立ち上がりたくても体が言う事を聞かない。


男の力で殴られ蹴られたんだから当たり前だ。


私がやっとの思いで上半身だけ上げると、山神は手を振りかぶっていた。


立てと言うくせにまた殴りつけるのね。


とりあえず、気を失わないようにしないと。


ここで気を失えば本当に殺される。


だけど………耐えられるかな?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る