第弐話  りん

遊雷に、僕のりんだと言われた。


「///////」


一晩経った今でも胸の高鳴りが止まない。


嬉しい。


遊雷は風のようにふわっとしているから何の気無しに言ったんだろうけどそれでも嬉しい。

幸せな気持ちで起きて今夜の山菜を取りに行こうと家を出た。

だけど、今日は何だか騒がしい。


「ちょっとあんた、今朝の見たかい?」

「見たわよ、気味が悪い!」


二人の女が何かを気味悪がっていた。


まぁいい、どうせまたくだらないことで騒いでいるんでしょ。


私には関係ない。


とりあえず、集落の真ん中にある井戸水を飲みに行こう。


喉が渇いて仕方ない。


井戸へ向かうに連れて人も多くなる。


私を見てヒソヒソと何か言っている集落の人間たち。

これは別にいつもの事だから気にしないけど、心なしか私に怯えているような気もする。


おかしいな、本当に今日は何があったの?


井戸に着いて何があったのかハッキリした。


井戸の周りに飛び散る大量の血と、井戸にだらんとかかったハチの死体。


「やだ!本当に頭が割れて死んじまってるよ!」


「水が汚れちまってこれじゃあ飲めないじゃないか!」


「気が触れちまったんだって?」


「そうそう、自分で頭を何度も井戸の岩に叩きつけてたんだって。」


「きっと妖の仕業さ。」


「やだ、ちょっと!来たよ!」


誰がどう見ても普通の死に方ではなかった。


「あ…あんたがやったのかい!!!」


人集りの中からハチの妻、カヨが出て来た。


「あんたがうちの人を…!!」


そんなに泣いて責められても困る。


私は本当に何もしていない。


「し…知らない、本当に。」


「この妖怪が!!!殺してやる!!うちの人を返せ!!!!」


「カヨ!おやめよ!

お腹の子に何かされたらどうするんだい!」


「そうだよ、落ち着きな!」


カヨを必死に止める他の女たち。


私はもちろん何もしていないしカヨのお腹の子に何かするつもりもない。


「殺してやる!殺してやるー!!!」


私はその気迫に負けて逃げるように山へと向かう。


何だか怖くて気味が悪くて、気が付けば遊雷と会う場所に来ていた。


もちろん、遊雷はいない。


遊雷とはいつも夜に会うからいないのは当たり前だとして…


「何で…こんな事に…。」


まさか…遊雷が何かしたんじゃないよね?


そもそも遊雷は何者なの?


ただ身分が上の人だと思っていたけど、それだけじゃないって事?


このままあの集落に帰りたくない。


帰って弁明したところで私のせいにされると分かっているからだ。


そうなったらいよいよ私はあの集落の人間たちに殺される…。

そして、夜な夜などこの誰とも分からない男と会っている事が知られたら?


そしたらきっと遊雷も殺されてしまう。


嫌だ…そんなの嫌だよ。


遊雷に何かされるなんて耐えられない。


遊雷を失うのが何よりも怖かった。


遊雷は私の生き甲斐だから。


会えなくなるなんて嫌だ、遊雷に会うためだけに生きているのに。


どうしよう…怖い。


あの集落に帰りたくない。


遊雷から引き離される恐怖で体がガタガタと震えて来た。


遊雷に会いたい…早く会いに来てよ…!


恐怖は次第に涙へ変わり、あの日のように惨めに泣いていた。

月が空に一番高く登った頃、あなたは必ず現れる。

「僕のりんはどうして泣いてるの?」


その優しい手で頭を撫でられて一瞬の安堵を得た。


「遊雷……。あのね…、ハチが死んだの。

それで…みんな私がやったと思ってる。」


「そっかそっかー、ハチが死んだんだねー。

可哀想にー。」


遊雷がかなりの棒読みで私に言った。


「ねぇ…遊雷。」


違うよね、お願いだから違うと言って?


「遊雷じゃないよね…?」


あなたはただの男で悍ましい事なんて何一つしていないってその口で言ってよ。


「うん、もちろん僕じゃないよ。

その、ナナかハチか知らないけどその人にはきっとバチが当たったんだよ。

ほら、よく言うでしょ?

神様がぜーんぶ見てるって。」


神様?

あぁ、そうか…そうだよね。


「うん……神様がしたことよね…?」


「そうそう。神様が全部悪いんだよ。

りんは何も悪くない。

集落の人間はみーんなお馬鹿だね。」


「ほら、こっちにおいでよ。」


遊雷はいつも優しい。


優しく笑って私に腕を広げてくれる。


「遊雷…!」


あなたの胸に飛び込んで何度も何度も願う。


この人が欲しい、この人と生きたい、ずっと一緒にいたいって。


ねぇ、神様。


ハチを殺してくれてありがとう、だけど私はハチの死が欲しかったわけじゃない。


もしも叶うのなら、もう一度何か施してくださるのなら…


私はこの優しい人が、遊雷が欲しい。


そんな身勝手で身の丈に合わない願い事をした次の日、神様は私にバチを当てた。


この集落にずっと伝わる言い伝え、山神様のお印が私の家の前に描かれた。


これはとても名誉な事で本来なら喜ぶべき事なのに、私はその場で崩れ落ち泣き叫んだ。


私は今夜贄にされる。


それはもう遊雷には会えなくなってしまう事を意味した。

取り乱した私はその場で取り押さえられ、牢獄へ入れられる。


その牢獄の中で私はひたすら遊雷を思い泣き続けた。


私が贄になる数時間前のこと、私を嘲笑いに来た子供が一人。


もちろんそれはゲンだ。


「死ぬのが怖くてビービー泣いてんのか?

やっぱり神様はよーく見てんだな!

この集落でいらない女をすぐに摘んでくれるなんて!」


ゲンは腹を抱えて私を指差し笑っていた。


「お前、山の上から落とされるらしいぞ!

怖いか?怖いだろ?」


私が怖いと言えばこの子供は満足する。


満足して笑いながらこの場を去るだろう。


こんな性格の悪い子供が生きながらえる事に我慢ならなかった。


遊雷と引き離され死ぬ事が私の最大の不幸。


そんな私を揶揄うなんてどうかしているとしか言いようがない。


最期くらい、この子供を思い切り怖がらせてもいいわよね?


ねぇ、そうでしょ、神様。


あなたはもう、私に最大の罰を与えたんだから。


私は牢の隙間から手を伸ばしゲンの髪を思いっきり掴んだ。


「い゛っ!!何すんだよ!!この!!

誰かー!誰か助けてー!!父ちゃーん!!」


泣き喚くゲンの髪をむしり取り、無心でそれを飲み込んだ。


味なんてしない、ただただ気持ち悪い。


「お前っ…!頭おかしいんじゃないのか!!

妖怪の分際で!!クソ女!!!」


顔を真っ赤にして怒るゲン。


私はそれを見て大笑いした。


「喜びなさい、ゲン。

次の贄の目印になるようにあんたのこの髪もあの世へ持って行ってあげる。

落ちる時にどれだけ怖かったか、あの世で語り合いましょうね。」


「うわぁぁぁあ!!!!!!!」 


ゲンには余程効いたらしい。


転がるようにして泣き叫びながら逃げて行った。

こんなハッタリが通じるなんて本当に子供だ。

そもそも、贄には若い女しか選ばれない。


私のような、若い女しかね。


短い人生だった。

遊雷に会えなくなるのはつらいけど、その代わりに死ねる。

これはむしろ喜ばしい事なのかもしれない。

遊雷に会えない悲しみをもう感じなくて済むのだから。


そう思ったら悲しみが少しずつ和らいでいった。


そもそも、これは罰ではなくご褒美よ。


神様は私が死ぬ前に遊雷に会わせてくれた。


短い時間だったけど、誰かを愛することを学ばせてくれたんだ。


それなら感謝しないといけない。


私は誰かを愛する事なく死ぬのだと思っていた。


それが今や…


「遊雷…。」


あなたを思いながら旅立てる。


残り短い私の時間。


その時間でずっと遊雷の事を考えていた。


あの柔らかく優しい声、綺麗な顔に浮かべる可愛い笑顔、大きな体に暖かい腕。


全部私の大好きな物だ。


私は今日死んでしまうけど、遊雷には長生きしてほしいな。


そして、幸せになってほしい。


遊雷が幸せならきっと私もあの世で幸せに暮らせるはずだから。


遊雷の事を思っていると時間はあっという間に経った。


「来い。」


仮面で顔を隠した男が私を牢から出す。


私はそのまま籠に乗せられ山頂へと連れて行かれた。


もちろん見送りはいない。


さすがは私だわ、嫌われ者は伊達じゃない。


山頂の断崖絶壁に立たされた。


夜風が冷たくて気持ちいい。

もうすぐ……もうすぐよ。


すぐに苦しみから解放される。


よかった、死ぬ間際に思い浮かべる人が一人でもいて。


「さっさと飛び降りろ。」


仮面を被った男は長い木の棒で私の背をつついた。

突き落とされるより自ら逝こう。


大きく息を吸い込んで、冷たい夜風を肺に送り込んだ。


息を吐き体の力を抜いたら私の体は地面に吸い込まれるように落ちていく。


強烈な浮遊感の中、一瞬だけ夢を見た。

それは、もう一度あなたに抱きしめられる幸せな夢。


最期の最後で愛しい夢が見られてよかった。


グシャッ!!


全身で感じた一瞬の強烈な痛み。

1秒も満たないその痛みが私の意識を奪い暗闇に連れ去る。


これでもう終わり。


もう何も苦しくない。


ありがとう、遊雷。


そして、さようなら。




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